2014年9月10日水曜日

【仮想百鬼夜行】犬神奇譚 第00話 犬神

その昔、人は神を信じ、妖かしを信じて生きていた。

文明開化とともに妖かしが忘れ去られた日本でも、時折妖かしは人々に訴えかけた。しかし、信仰の薄れは「見える者」の現象をもたらし、妖かしが話しかけようとも誰も見向きもしなくなる。
妖かしは恐れた。人々が自分たちを見なくなることで、自分たちの存在が消えてしまうのではないかと。

そして妖かしは願うのだ。空に、海に、大地に、神々に。

「どうか、忘れないで」と。







【 仮想百鬼夜行 犬神奇譚 】







その日は誕生日だった。ちょうど幼稚園の年中さんで、ミヤは幼稚園から集団下校で帰ってきていた。誕生日であるはずなのに、誰にも祝われず、いつものように同じ方向へ帰る他の皆とは少し離れて歩く。
9月になった途端に涼しくなったように感じていたが、実際のところ気温はまだまだ30度近くあり、空には真夏ほどではないが入道雲が浮かんでいる。あの入道雲も一人で旅をしているのかと思うと、ミヤは親近感がわいた。同い年くらいの子から言われる暴言も、それから近所の大人たちに言われる余所余所しい台詞も、特に寂しいとは思わないが、あの入道雲は寂しそうだ。

ミヤの家は「狗谷」という苗字で、近所では少しばかり有名な家だった。
苗字にもある通りに、犬と使った妖術や呪術を扱う家柄だったらしいのだが、幾代も前の当主が術に失敗して以降は犬神に支配されているというのだ。所謂、呪われた一族というやつで、ご近所から忌み嫌われるには十分すぎるものだった。
もちろん小さい頃からそれを側で見聞きしているミヤは、相手を怖がらせないように知り合いには極力近寄らないし、大人の言うことは全てきちんと聞くようにしていた。両親はそういった妖かし----つまり妖怪を見ることが出来ないが、何故かミヤはばっちりと見えてしまうし触れてしまう。
見える見えないに関わらず、妖怪というものは人間に危害を加える。そういった妖怪たちからこっそりと知り合いを守ることが今自分に出来る精一杯であると自覚していた。

集団下校の輪から外れて自宅の門をくぐると、祖父母が出迎えてくれた。両親よりも祖父母の方が力が強く、ミヤはさらにその上をいく。そのせいか、術師であったことを誇りにしている祖父母はミヤにとても甘かった。


「おかえり、ミヤ。誕生日だからお祝いを用意してあるんだよ」

「…ただいま」


祖父母のことが大好きなミヤにも、今日の二人の笑顔がおかしいことはよく分かった。なんだかいつものような、暖かく優しい笑顔ではないのだ。かといって逆らう気にもなれないので、大人しくついていく他に選択肢はない。
居間で食事でもするのかと思えば、ミヤの祖父母はどんどんと廊下を進んでいき、居間を通り過ぎ、古く大きな家の中を移動する。季節のせいなのかやけに冷たい風が吹き抜けた。


「さぁ、お入り」


玄関から一番遠い部屋の障子を開くと、ミヤはどんと背中を押されて室内に転がり込んだ。打ち付けた体の痛みをこらえて起きあがると、部屋の中には半紙が敷き詰められ、その上には大きな円形とミヤにはよく見慣れた文字が書き連ねられている。
人目でわかる。これは良くないものだと。全身がビリビリと痺れて、今すぐここから逃げ出すべきだと本能が告げている。廊下から冷たい風が吹き込んできた。


「早く、その中に入りなさい」

「誕生日というのはね、お前の妖力が強まる時なんだよ。お前が犬神様を降ろせれば、我が家はまた栄えるだろうよ。」


描かれた模様の恐怖で動けずに居ると、背中をもう一度どんと押された。円陣の中に押し倒されると、祖父母がなにやら聞き取れないくらい小さい声でブツブツと何かを唱えるのが聞こえた。
祖父母の呪文が進むにつれて、心臓がギリギリと痛み出す。まるで何かに寿命を吸い取られているかのような痛みに、ミヤは蹲って顔を隠した。

ミヤは、祖父母が何をしようとしているのか、考える前に理解した。
彼らはミヤを供物として捧げることで、何か妖かしを呼びだそうとしているのだ。

幼い頃から祖父母には「お前には力があるんだよ」と教えこまれ、記憶にある一番古い思い出も何かの妖かしを封印した光景であるくらい。ミヤの人生は祖父母と妖かしだけでうめつくされている。
今足元で輝く円陣が召喚術のものであることは考えずとも分かることだ。


「あたし、まだ死にたくない…」

「何を言うんだい、ミヤ。お前は犬神様の元へ行くだけで、死んだりはしない」


祖父の目は怪しく鈍い色を灯すばかりで、ミヤを見ているようでどこか別の場所を見ている。きっと祖父は理解していないのだ、犬神を召喚するための供物が死ぬということを。供物と死ぬことをイコールで結べていないのだ。

そこからのミヤの頭は信じがたい程早く回り始めた。
円陣の一部を消そうと必死で足蹴にし、いつも首から下げているお守りを引っ張りだした。ミヤの目の前に居るのは大好きな祖父母ではなく、ミヤの命を狙うただの妖術師でしかない。


「天霊霊地霊霊十二神将急急如律令!」


ミヤは首から下げていたお守りを握りしめると、何も考えず、ただ声と持てる力の限りに叫んだ。

結局破綻させられなかった円陣が、カッと光を放った。それから後頭部の辺りにコンニャクでも乗せられたかのような気持ち悪さを感じ、とっさにそこを庇おうと手を首に伸ばす。ところがその手は自分の後頭部ではなく、誰かの手に握りしめられてしまった。
眩しい程光る円陣の中からでも、光の外に居る祖父母の驚愕の表情が見て取れた。つまり、今ミヤの背後に居るのは祖父母ではない何者かということだ。背筋がゾクリと震えた。


「おいジジババ共。貴様ら、こんな小娘を相手に何をしようとしていた?」


ミヤのすぐ後ろで、男性の声がした。地を這うような低い声に祖父母は恐怖しているようだったが、ミヤにはとても心地よいもので、握られた手をそっと握り返した。
祖父母は何やら強いだの長(おさ)だのとよく分からないことを細々とつぶやき、そして尻もちをついて座り込んでしまった。ミヤを助ける気は全くないようで、寂しくもあるがそこそこ力のある祖父母をここまで驚かせた相手というものが気になった。
そっと首だけで振り返ると、緑色の着物を身にまとった青年が居た。ただ、ゆらゆらと揺れている尻尾と、少しだけ尖って髪の毛と同じ色の毛が生えた耳が人間ではないと物語っていた。

人間よりも尖った爪、鋭い八重歯、フサフサの耳と尻尾。
祖父母の持っている書物で見たことがあった。彼がきっと、


「犬神様…?」


小さく呟くと、真っ白な髪の毛の間から覗く常磐緑色の瞳がこちらを捉えた。
握られていた手がぐっと上に引かれ、トンと器用に立たされる。犬神の彼はミヤから見るととても背が高く、彼のお腹の辺りにミヤの頭がある。


「ミヤ、俺はお前の呼びかけに応えた者だ。」

「私の名前…なんで……?」

「俺は常磐。ミヤをずっと知っている。お前が産まれる前からずっと、訳あってこの家に居たからな。」


常磐と名乗った彼が酷く大切そうにミヤの名前を呼ぶものだから、ちょっとした疑問などすぐにどうでも良くなってしまった。彼は何故ミヤの唱えた呪文に答えて召喚されたのか、何故この家にずっと居たのか。そんなことは後回しだ。
常磐はミヤを抱き上げると、祖父母に向かって冷たく言い放った。


「このような年端も行かぬ娘に妖かし払いをさせ、あまつさえ生贄として犬神にくれてやるだと?それほどまでに名声が欲しかったのか?」

「め、滅相もない……」

「そうか、富と名声に興味がないのなら、何故ミヤに妖かしを払わせる?何故妖かしを殺めさせる?ミヤは今、俺の主だ。これ以上この子の手を汚すようなことがあるのなら、俺はお前たちを容赦なく食う。」


何か冷たい空気が、常磐から祖父母の方へと流れていった。今日帰宅してからずっと感じていたその冷たい何かが、彼が怒っている証拠なのだとミヤはようやく気づくことができた。
常磐はすっかり立ち上がれなくなってしまった祖父母たちを一瞥すると、ミヤの額に唇を落としてから部屋を出た。円陣が放っていた光は常磐の後を追うように部屋から出てくると、全て彼の体に収まって消える。本当に訳の分からない誕生日だ。


「常磐さん、常磐さん」

「『さん』は不要だ。『常磐』で良いと先ほども言ったはずだが」

「では常磐、そろそろ降ろして」

「それは無理な相談だ」


ケチだと言えば、抱っこもさせてくれないなんてミヤの方がケチだと返される。祖父母はどうするのだと聞けば、お前が気にすることではないと、頭を撫でながら返される。
彼はきっと、とても力のある妖かしなのだろうとミヤは納得した。ミヤの頭の中に祖父母があの部屋に居ることは分かっていても、助けようという気持ちが古くなった風船のようにしぼんでいくからだ。触れられた頭から、何か妖術を使われたのだろう。
それが何なのか自分で見ようとしても何も分からず、ともかくミヤに危害を加える様子のない常磐に従っておこうと、ミヤはそう心に決めた。







 ◇ ◇ ◇






「これは面白いことになった。」


狗谷の家から少し離れたマンションの廊下で、スーツ姿の女性が望遠鏡を覗いていた。ふんわりと広がる水色の髪の毛と、纏う妖艶な空気。そして何より強い妖気を放っているその様子から、見る者が見れば妖狐が人間に化けた姿だとよくよく分かったことだろう。


「まさかあの常磐が人間に取り憑くとは…。」


妖狐はポケットからはみ出た「Reina」と模られたストラップを引っ張ると携帯を取り出し、その日付と時間を確認した。

最近、この辺りでも力のある大きな妖かしたちが立て続けに封印された。それだけであれば、妖かしたちはお互いに強力して人間に立ち向かおうとしただろう。今回それをせず、人間を化かすのが得意な麗奈が調査をしにきたのは、封じた払い人がまだ小学校にも上がっていない子供だという話を聞いたからだ。

妖怪と言えば子供の生き肝を食らうようなイメージが根付いていることは麗奈も知っているが、実際のところは妖怪も近代化が進んでおり、自分から問題を起こそうとする妖かしは極稀だ。もちろん、ちょっとした悪戯をしかける輩はとても多いが、今回のように子供相手では手の出し方に悩んでしまうくらいには、人間の世界に馴染んでいる。
こうして馴染んできた理由の1つには、見えるものが減ったということがあるかもしれない。妖怪や幽霊の存在を信じていなければ、見えていても気のせいにしてしまう。人間とはそういう生き物だ。


「ともかく、常磐が召喚されたのならもう大丈夫でしょうね」


常磐が取り憑いた少女、狗谷ミヤ。それが麗奈の調べていた払い人の正体だ。
まだ6歳になるくらいの少女に大量の妖かしを封印させて、式として利用する。場合によっては他の術師に売りさばく。そんな術師の間でも決して笑顔では迎え入れられないであろうことを行っていた老夫婦は、今さっき常磐によって自宅の離れに閉じ込められた。
あの家にまだ残っているであろう封じられた妖かしたちも、じきに外へ出されるに違いない。

ようやく観察任務も終わりかと小さく伸びをすると、足元へ一匹の猫が駆けてきた。揺れる尻尾は根元から綺麗に2本に割れており、見慣れた体の柄に麗奈は小さく微笑んだ。


「どうしました、海里(かいり)。こんなところまで来るなんて珍しいじゃありませんか」


猫は廊下の手すりにひょいと飛び乗ると、ポンと小さな音と少しの煙をあげて人間の姿へと化けた。黒いズボンと紫色のワイシャツ姿は、ここ数年のお気に入りらしい。麗奈が覚えている限り、会う度にこの姿をしている気がする。


「ちょっと常磐が気になってね」

「あれのことは嫌いじゃなかったの?」

「嫌いだけど、どんな人間に取り憑いたのかなって。見逃したけど」


海里はそれだけ言うと、また猫の姿に戻ってどこかへ走り去っていった。おおかた、ここに用事はなく、麗奈を見つけて挨拶がてらやってきてくれただけだったのだろう。
麗奈もまた、携帯を仕舞ってもう一度伸びをすると、自分の主に報告をスべく妖狐の姿に戻って空へと舞った。この季節にしては湿った空気だった。














終。

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