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2018年10月1日月曜日

【仮想大江戸】 小話 「おしごと」

夜子はつっかけた草履をカラコロと鳴らして、石畳を歌わせていた。西日になりきらない少し斜めの日差しがちょっと暑い。

先程まで上がっていたお座敷で聞いた言葉が、頭の中に出てきて、そのまま消えてくれれば良いものを、台所の油汚れのようにベトついて離れない。夜子に直接関係する話ではないと、ほんの数年前までなら言えただろうけれど、今となっては自分のことを悪く言われるよりも辛い。
はあーあ、と二酸化炭素をたっぷりと吐き出した。


「おや、ヤっさんじゃないか!今夜はどこのお店に上がり込むんだい?」


引き止めるような声に振り返ると、石畳の両側に立ち並ぶ見世の間から中年の男性が顔をだした。夜子も見覚えのある、少し油ギッシュな顔は、確か遊郭街の入り口にある手引き茶屋の主だったはずだ。
携帯だって写真だってあるこの時代に、あえて似顔絵で花魁たちを紹介するその茶屋は、主の画力とトーク力、繋がっている遊郭の大きさから巷でも大人気。夜子も昔、似顔絵を書いてもらったように記憶している。何枚目かのレコードをリリースした時のことだ。


「手引き茶屋のおじさん、今晩はーっす。今夜はただのお散歩っすよ、楽器も置いてきちゃったし」

「なんだい、残念だなあ。じゃあまた昼間に来てやってくれや、さくら屋の振袖新造があんたから習いたいって言ってたぞ」


大江戸の街は夜だって明るい。この吉原近辺は特にそうだ。元締めである清白(すずしろ)家や地主の嘉萩(かしゅう)家の働きが大きいだろうけれど、夜子は何よりここに暮らす人達の気の持ちようのおかげだと思っている。

金に困った両親から売られてきた、まだ言葉も覚束ない幼女。
袖振り新造として姉女郎を支えようと、慣れぬ男の相手をする童女。
物心ついた時にはここに居て、誰のものかも分からぬ借金を懸命に返す少女。
年季を終えたのに、今度は花魁として使ってきた道具の借金に追われる遣手の女性。
せめてそんな女たちを守ろうとこの遊郭街に残った、心優しい老婆。

色んな人がこの街に暮らしている。
だからこそ、夜子はこの街が大好きだと思った。
自分たちの生活を底辺だと思っていても、ひとときの夢を見せるために艶やかさの皮を被って生きる強さ。夜子には真似のできなかったものばかりなのだ。誰かに救い出してもらって、どうにか自分を保つのが精一杯だった夜子には、この街の女性たちは輝いて見える。

こんなことを言ったら、花魁たちからどやされてしまうだろうけれど。


「分かった、明後日なら時間とれるから向かうよって、伝えてほしいっす」

「おう、任せとけ。……それとなあ、紅のお嬢ちゃん」


手をひらひらさせながら立ち去ろうとした夜子は、その体制のまま耳だけを戻した。


「なんでまた、今夜はそんな顔で歩いてるんだい。これから、綱渡りかバンジージャンプかって顔じゃあ、そりゃお店には入れねえなあ」


手引き茶屋の主は、心の底から心配している声でそう言った。


「多分、おじさんやこの街の人に言ったら、刺されても文句は言えない悩みっすよ」

「なんだ、まさか…紅の家が繋がったっていうあの風魔一族の関連かい」

「こんな時代にまだ忍者なんてものが必要とされるから、みんな頑張ってるんっすよ。一族は悪い人じゃない」

「でも、あの連中は人を殺す」


ああ、まただ。
どうして遊郭街の人も、その外に住むこの地域の人も、こうして誤解しているのだろう。


「なんでも、昨夜だって足抜けしようとした女郎を一人、殺して寺へ運んだって噂だ。あんたも家の繋がりじゃあ難しいかもしれないが、疎遠にしておくほうがよっぽど良い」


こうして、悪い噂が流れているというのは、彼ら風魔一族の仕事が成功している証拠だ。
そう思い込んで、夜子は精一杯の笑顔を浮かべた。


「ご忠告ありがとう、おじさん。まあ、うちの母上に話はしてみるっすよ!」





遊郭街を出た夜子は普通の道をてくてく歩き、そして森に入り、川辺を歩き、足跡も残らぬよう、万が一にも追跡などされていないことをたっぷり確かめたうえで帰路についた。
大江戸の街に寄り添うようにある山、霊的な場所としても有名なそこは、普通の人ならば近づかない。ふもとにあるお寺や神社の関係者が時折に榊を取りに来る程度だ。
そんな山の中腹にある丸太を建てて作った塀の内側へ入ると、周囲の森の神聖な雰囲気からは離れた活気ある景色が目に入る。世間のイメージからは到底想像できないであろうこの下町のような場所が、風魔一族の里だ。


「あ、夜子お姉さま!おかえりなさいませ!」

「おかえりなさい!今夜はわたしたちがご飯作ったから迎えに来たの!」


門のようになった場所からまっすぐに大きな道が伸び、両側には木造平屋が立ち並び、時折近代的な2階建て程度の住居も見受けられる。中央道の最奥には、もっとも大きく、もっとも厳かな屋敷が建っている。そこが、夜子の帰るべき場所、風間邸。
その屋敷の方からこちらへ向けて、薄い緑色の髪の毛をサイドテールにした同じ顔がふたつ、到底笑顔で走れる速度ではないだろうという速さで突っ切ってくる。


「ただいま、柳、葵。」

「お仕事お疲れ様。今夜は三人でお風呂入ろうね」

「その前に夕飯ゆっくり食べようよ。今日は久々に兄ちゃんも帰ってきたんだし」

「あれ、常磐、こんな早い時間に帰ってきたの?」

「「うん!」」


サイドテールの同じ顔--柳と葵の双子に両サイドを固められ、夜子は引きづられるようにして屋敷へと歩いた。


「そういえば、昨夜来た子はどうなったの?」

「ああ、付廻しの子ね。渋谷(しぶたに)のお家で引き取ってくれることになって、名前は本名のユリナにするんだって」

「良かったねえ、ユーちゃんも。わたしたち年齢近いから色々お世話してきたんだけど、客の男にお店のルール無視した乱暴されてて、それが嫌だったんだって」


遊郭街での「付廻し」ということは、花魁の一番下の階級だ。けれど禿や袖振り新造はつかない。もしかしたら先輩花魁から何かいじわるでもされていたのかもしれない。清白屋だったらそんなことないのにな、と夜子は知り合いの楼主と女性のことを思い出した。


「で、それを聞いた他の花魁さんたちが、勝手に足抜け話を捏造したらしいよ。」

「それで常磐に以来が来たのね。この制度が出来て本当に良かったね、その子」

「ほんと!夜子お姉さまが来てから里のお仕事も変わったし!」

「同い年くらいの女の子も増えたから色々楽しいし!わたしたちが忍びデビューする前は、普通に花魁ちゃん殺しちゃってたんでしょ?お姉さまが来た後で良かった」


夜子の恋人、というよりも既に家族と呼べるべき人。風間常磐その人こそがこの一族と里の主である風魔小太郎だ。夜子がやってきて常磐と二人、様々な制度や仕事の見直しを行うまでは、前体制の腐った仕事の仕方をしていたのだそうだ。


「ユーちゃんね、常磐兄様に直々にお手紙で感謝をって言って、色々書いてたみたい。あの花魁ちゃんたちの家を援助してるのが紅家だって聞いて、驚いてたよ」

「お姉さまの意見は最初はジジババは文句言ってたけど、今じゃみんな感謝しかしてないよね」


それこそ、今日何度も街で聞かされてきたあの話のような仕事を。だから、茶屋の主が言っていたことは、ほんのちょっと前までは事実だったのだから、夜子が落ち込むのもお門違いではある。

自分の大切な人が、守るべきものを守るためにやっていることを誤解されるのは辛い。
けれど、足抜けした子の安否が不明で死んだと思われているからこそ、この里へ迎え入れられた女性たちは数年後の社会復帰を目指すことができるのだ。

このシステムをきちんと回している彼のことを思い、夜子は少しだけ足を早めた。


「じゃあ今度はユリナちゃんも誘って買い物行こうか!」

「「行くー!」」


早く会いたい。そして話したい。言いたい。
私はあなたの仕事を誇りに思っているのだわ、と。








2018/10/01 今昔 都子
ツイッターで見かけた診断より。
今昔 都子は「レコード」「綱渡り」「草履」の3語で物語を書いてください。長さは問いません。
https://twitter.com/konjaku0385/status/1046674845142986752


2015年6月5日金曜日

【仮想大江戸】 小話 「金魚すくい」

※ 楽曲からイメージした小話




【金魚すくい】





「見てみて!射的!」


あたしは常盤の浴衣を引っ掴むと、下駄と地面が立てるカラコロという音に気分を高揚させながら走りだした。
目の前に続く道には、色とりどりの提灯が柔らかい光を放っており、両脇には話に聞いたことがあっただけの屋台たち。あたしの浴衣は白地に赤い金魚が泳いでいるけれど、正直今日のあたしも金魚の気持ちだ。
まだ日の高いうちから紅の家にやってきた常盤は、あたしの母と祖母を言いくるめてあたしの居る離れまでやってきた。いつもなら勝手に塀を乗り越えてやってくるというのに、正攻法でやってきたのだ。理由を聞いてみれば、両手に抱えるようにして色とりどりの浴衣をみせられた。


「どれが好みだ?」

「は?」

「俺はこういうのは詳しくないのでな…お前が好きそうなものを、とりあえず全て持ってきた」


言われて、常盤の持っている浴衣を1つずつ畳の上に広げていくと、あたしよりも彼の方がわくわくしているようで、楽しげに続けた。


「今日は夏祭りの初日だ。昨夜は前夜祭の宮入りで何も見れていないのだろう?」

「お宮入り以外でお祭りに行ったことないわ。大抵、近所の料亭でお仕事があったから…」

「今年の予定は空いていると、夜子の母上に聞いてきた。だから、今年は一緒に行くぞ」



なんでも器用にできるくせに、浴衣の着付けは自分じゃできないという常盤に、紺色に銀糸が織り込まれた浴衣を着せた。顔を隠す必要はないだろうけれど、あたしの持っていたお祭りの知識を総動員して、狐のお面も持ってきた。
あたしの方も、常盤が選んでくれた浴衣から一番気に入ったものを着て、帯も髪飾りも常盤に選んでもらった。

まるで、恋人という関係のようだと思う。

特に、どちらから好きだ何だと言ったことがあるわけではない。そりゃ、言われたら嬉しいだろうけれど。今のところ、あたしも常盤も言わなくても分かっているのだ。

ヨーヨーを片手に走って行く子どもたちを見て、いつか自分たちも親になるのかななんて話をしてみたり。
あの屋台の料理は美味しかったから作れるように頑張ってみるね、なんて話をしてみたり。
そんな淡い、幸せを描くだけで今は十分だ。


紅の家はとても内向的で、外部の人間を寄せ付けない。そういう意味では風魔に似ているのかもしれない。大きな違いがあるとすれば、女系の一族ということくらいだろう。
だからあたしも、母や祖母には逆らえない。そう思って過ごしていた。言われるがままに芸を磨き、仕事をして、いつの日か両親が決めた相手と結婚する。そしてまた女の子を産まなくてはならないのだと、そう信じきっていた。枠組みの中に囚われて、それ以外の考え方が出来なかったのだ。言ってみれば、金魚すくいのケースに入れられた、あの赤い魚たちと同じ。
紅の家の女性はその芸と特殊な髪色が原因で、裏では高値で取引される。赤い髪の毛に赤い瞳。それだけで人攫いに遭うかもしれないのに、親の作った囲いから出る勇気はあたしにはなかった。


「はぐれるぞ」


そう言って手を繋いで、だいぶ違うはずの歩幅を合わせてくれる。常盤の手に繋がれているうちは、ビニール袋に移った金魚だ。常盤の思う場所に連れて行ってもらえる。
あたしと同じように白髪と緑の瞳で、周囲にはあっという間に風魔の人間だとバレるだろう。けれど彼は強い。始めて出会った料亭の事件の時もそうだった。あたしを庇って、守ってくれた。今だってそうだ。いくら高値がつく紅の女だと言っても、風魔の忍びと一緒ならば余程の馬鹿出ない限り手を出してこないだろう。


「手…」

「ん?どうした?」

「つなぎ方、こっちがいい」


くっついていた自分の指同士の間へ常盤の指を絡め取れば、まあ…所謂そういうつなぎ方になる。皮膚の接触面積が増えるからか、妙な安心感がある。

紅の家の中に居るあいだは、何も感じない日常の中を泳ぐだけの金魚だったあたし。
狭い世界から、あなたがあたしを掬いあげてくれた。出会ったのが偶然でも、手を伸ばしてくれたのは、常盤の意思のはず。あたしを一番に考えてくれる、大切な、唯一の相手だと思っている。そんなことは照れくさいので絶対に言わないけれど。


「っふ。乙女だな。」

「うーしゃい!」

「何を言う。可愛いからそう言っているまでだろう?」


慌ててつなぎ方を元に戻そうとしたあたしの手をグっと引き寄せると、常盤の唇が耳に触れた。


「いつも以上に可愛い。連れ帰りたいくらい、好きだ」


訂正しよう。
あたしも負けじと常盤の耳元へ口を寄せた。


「あ、あたしだって…好き、だ……ばかぁ!」







2015/06/05 今昔
歌手:藤田麻衣子
曲名:金魚すくい


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【仮想大江戸】 小話 「今でもあなたが」

※ 楽曲からイメージした小話
※ 親世代編のネタバレ注意


【 今でもあなたが 】


木賊は腹の傷を庇いながら布団の上に起き上がった。
愛した人を取り戻そうとしたことを後悔はしていないが、周囲に大きな迷惑をかけたことは後ろめたく思っている。
絢音が流行病に倒れた時、二人の間に産まれた長男と、それから養子として引き取った少年が亡くなった。あの病がなければ、常盤の成人の儀を早急に執り行う必要もなかった。そして、木賊自身も絢音を追い求めて禁術に手を出すことはなかった。己の弱さを実感すると共に、子どもたちの世代に申し訳ない気持ちで潰れそうになる。
木賊はふと自分の手のひらを見つめてみた。
木賊を生かしておくと判断したのは、絢音の姪である麗奈と、常盤と恋仲だという夜子という少女だった。親殺しの相手とはいえ友人の親、友人の義理の親になるかもしれない人。そんな相手が憎くとも殺したいとは思わない。絢音の妹である樹音そっくりの顔でそう言った。
物思いにふけっていても忍びとしての習性は抜けないもので、自室へ近づいてくる気配を感じて顔をあげた。

「お義父さん、夜子です。入っても宜しいですか?」

どことなく、絢音に似ていると思う。
人前で負けを認めたくないところや、強気を装っていても本当は甘えてしまいたいところ、限られた人の前でしかそれを見せないと徹底しているところ、よく響く声や下に向きがちな視線。異性の親と似た相手に惹かれるという話は聞くが、母親との記憶が希薄であるだろう常盤もその傾向にあるのかと思うと、なんだか頬が緩むような気がした。

「どうした?一人でここへ来るとは珍しいな」
「1つお伺いしたことがあります。もし…余所者である私に話して聞かせてもいい話であれば、お聞かせください。」
「いいだろう。どうしたんだ?」

もうお前は他人じゃない、と言ってやりたいのはやまやまだが、絢音がくぐり抜けてきたあの余所者を排除するような動きが、また繰り返されるかもしれない。そう思うと、簡単にそう口にすることははばかられる。

「成人の儀では、大切な人を殺すというのは本当ですか?」
「…どこでその話を聞いたんだ」
「里の外に流れてくる、数少ない風魔の噂のひとつです」
「そうか…外へは、そのように流れているのか…」

礼儀正しく座っている夜子の顔は心なしか暗い。その負の感情を見せてくれるようになったのはここ最近で、幼い頃の常盤の話を聞かせているからか、心を開いてきてくれたようだ。

「風魔は、身内殺しをするような一族ではないと、私は思っているのです。長の命令は絶対。お金や権力には靡かないと有名な一族であるのに、その大切な身内を殺すようなことをするとは思えなくて…」
「あぁ、ありがとう。常盤の嫁さんは本当にものをしっかり見てくれている」
「っ…!」

嫁という言葉に過剰に反応してみせるところは、絢音とは違うようだ。絢音はむしろ、自ら嫁にと売り込んできたうえに、当主の妻であるということに誇りを持っているようだった。

「成人の儀は、始めて暗殺の仕事を請け負うことだ」
「…幼い頃からその任務につくこともあると、常盤には聞きました。」
「奴は例外だ。その手の仕事を好んでいたからな…」
「では、成人の儀とは具体的になにが行われるんですか?」
「……お前が殺したのは、誰かが大切に思う相手だ。愛しいと思う人を殺したのだ。そう言い聞かせて暗闇に閉じ込める。そうして過度のストレスを与えて感情を押し殺す術を学ぶのだ。」

暗闇、といっても、その定義は人によって様々だ。木賊は自宅の地下にある座敷牢だったし、常盤の時には少々過酷だとは思ったが一番危険な方法を取り入れた。箱に詰めて地面へ埋めたのだ。

「では、常盤は自分の大切な人を殺めたわけではないのですね…」

ほっとしたように言う少女に、木賊は微笑ましく思い頬をゆるめた。

「私は、風間家当主の妻として、彼を支えていく覚悟を決めました。まだ時期ではないと判断し、常盤には返事をしていません。しかしながら、若輩者ゆえご無礼もあるかと存じます。どうか、暖かなご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします。」

まっすぐな背中で言い、そして優雅に礼をした少女は、やはり絢音に似ていた。
そして思うのだ。亡くなって何年も経過する、それから言い寄ってくる女性が居なかったわけでもない。それでも、やはり絢音が一番であり唯一であると。そう思ってしまうのだ。
木賊は好きなのだ、絢音を思い出させてくれる夜子の声が。
絢音にそっくりなその声を聞くだけで、涙が出る。それはきっと、今でも彼女を愛しているからなのだろう。
涙した木賊に慌てる目の前の少女と、自分が愛した女性との息子が、幸せであれるようにと、木賊は心の底から祈った。






2015/06/05 今昔
楽曲は
歌手:藤田麻衣子
曲名:今でもあなたが

2015年4月3日金曜日

【仮想大江戸】番外編 親世代編05「騒然たる一族」

絢音は檜皮に任務でも身に付ける忍び装束を着せて、少し伸びていた後ろ髪を丁寧に結って綺麗な紐で飾り付けた。全く忍びらしくない感じにはなったが、せっかくの挨拶なのだからこれくらいしても許されるだろう。


「なんだか息子が結婚するような気持ちだわ」

「絢音様、まだそんなお歳ではないでしょう…」


茶目っ気を出して言ってみれば呆れたように返した檜皮に、絢音はぽんと肩をたたいて準備が整ったことを伝えた。
今日を限りに、檜皮は桑染家の養子になる。秋口の収穫が終わったこの時期、年末の慌ただしさがやってくる合間を縫って必要な手続きを済ませなくてはならない。風間家の人間ではないので準備も手伝う必要はないのだが、絢音は檜皮を我が子か弟のように思っていることは変わりなかったので、今日の支度と引率を引き受けた。


「檜皮が私の子供のように大切な存在だということよ」

「ありが…とう、ございます。……僕も、桑染の家で頑張ります。ので、1つだけお願いできませんか?」

「どうしたの?」

「お腹の子が産まれたら、またお祝いさせてください」


絢音はとんでもないお願いをされたらどうしようかと思っていたが、頬が緩むようなお願いに、思わず檜皮をぎゅっとだきしめた。同じ里の中に居るのだから会えなくなるわけではないし、なにより風間家と関わりの深い家へと養子に入るのだ。
何を心配するのだと自分でも分かっているのだが、どうしてか涙腺が緩んでしまいそうになる。


「大丈夫よ、きっと千歳もお腹の子も、檜皮と朽葉を兄だと思ってるわ。何があってもなくても、顔を見せに来て頂戴ね」

「はい、絢音様」





【 仮想大江戸 お伽話 親世代編05「騒然たる一族」 】





木賊と絢音が付き添って桑染家へ行くことが決まると、やはり朽葉は千歳の面倒を見るのだと言って先代と共に留守番を申し出てくれた。彼らに千歳を任せると、絢音も身支度を済ませて玄関先へと赴いた。
既に庭先へ出ているかと思っていたが、檜皮はなにやら土間でおろおろとしており、庭先から木賊が苦笑いしてこちらを見ているのが見えた。絢音にも大方予想はついたが、こればかりは双子の問題だと口出しするのはやめて無言で靴を履く。
今朝から、朽葉はろくに檜皮と口を聞いていない。朽葉の様子を見るに、別に檜皮を悪く思ってのことではないようなので、なおのこと絢音と木賊は口出しが出来ないでいたのだ。ついに出かけるという時になって、檜皮も我慢が出来なくなったのだろう。


「あの、絢音様…朽葉は……」

「朽葉なら、居間で千歳を見てくれているわよ」


檜皮は途端にソワソワと居間へ続く襖を見つめはじめ、絢音は少し可哀想かとも思いながら木賊の隣へ移動した。木賊も二人の様子は気になっているようで、絢音と同じように玄関先を覗きこんでいる。
古い屋敷であることもあって、玄関先といってもかなり広めだ。それこそ家というよりも屋敷と言った方が良い広さは、一色家のそれよりも広いだろう。その広い玄関を隅々まで響かせるように、朽葉の声が響いてきた。


「檜皮はいい加減にしてよ!」


一瞬絢音も木賊も喧嘩かと身構えたのだが、続けて朽葉の言った言葉に頬が緩んだ。


「僕が檜皮を嫌いになるはずないでしょ!どこにいっても兄弟だよ!」

「でも、公的には他人に……」

「馬鹿!そんなの関係ないだろ!公的にはいつか上司と部下だ、関係ない人間になるわけじゃない!そんなにウジウジしてたら長にも絢音様にも申し訳ないだろ!男ならしゃきっとしろよ、くそ兄貴!」


しばらくすると中からグズグズと泣いているような声が聞こえ、絢音はなんだか笑ってしまった。絢音と年齢が大きく離れているわけではないが、彼らにとってお互いはかけがえのない存在だ。絢音から見た樹音のような存在だろう。
そんな大切な存在と気持ち以外のわかりやすいもので繋がっていたいと思うのは当然なのかもしれない。木賊が玄関先に入っていくと、檜皮はなにか言われて納得したようで、二人揃って穏やかな顔で戻ってきた。


「檜皮に何を仰ったんです?」

「男同士の約束だ。檜皮、忘れるでないぞ」

「はい!」


妙にいきいきとしている男二人と共に染家へ連れて行くと、門前で桑染の当主が迎えてくれた。自分の子供が女児ばかりなのは可愛くて良いが、婿を迎えて跡取りにするには不安がある。そこで、信頼のおける木賊が育てたと言っても過言ではない檜皮を、ということだったようで、当主自身も檜皮を大層気に入ってくれているようだった。
桑染の当主に迎えられて3人で邸宅へ上がると、早速義理の親子として契りを結ぶための杯が用意された。女でかつ妊婦であった絢音は部屋の外で待とうとしたが、当主にそんな古い風習に従う必要はないと、招き入れてくれた。

漆塗りの綺麗だが小さな杯に酒が注がれ、互いに飲み交わすと最後は盃を割る。その盃は処分せずに木箱に入れて保管するのだそうだ。絢音は初めて見るその静粛な空気に気圧されながらも、檜皮が正式に桑染の者となったことを嬉しく思った。
これから彼は思う存分に自分の能力を発揮して活躍することだろう。いつかは誰かお嫁をもらって子供も産まれるだろうし、男の子でも女の子でも祝福したい。尺ほどの細長い木に桑染としての名前を書いてもらい嬉しそうに受け取った檜皮を見て、絢音はそう思うのだった。

そしてこの日から、錦檜皮は桑染一真となった。





 ◇ ◇ ◇





樹音は大学が終わった後の手習いからまっすぐ自宅へ帰ってくると、自分の部屋へとかばんを置きに行った。8畳ほどの和室が左右に分かれていて、入って左手が濃い青色で統一された自分のスペース。右側は小豆色を中心にした絢音のスペースだ。
2年ほど前に風魔一族へと嫁いでいった絢音は、今はもう連絡を取る方法さえ分からない。両親は何やら神妙な顔で「詮索するな」と言っていたが、それに納得しろというのも無理な話である。更には風魔の一族へ嫁いだことは他言無用と口止めされたため、誰かに愚痴るということすら出来ない状況だ。これではストレスも貯まるというもの、将来円形ハゲにでもなったら両親はどうしてくれるのだろうか。

昔から、絢音と樹音は姉妹だからと言って様々なことで比較され、そしてお揃いにされてきた。絢音が薙刀を習い始めたら、せっかくだから樹音もと。樹音が気に入った柄の生地を見つければ、せっかくだから絢音も新しい着物を。といった風に、何かにつけてお揃いにしたがる大人は多い。
そしてお揃いにしたうえで、どちらが優れているのか比べたがる。


「絢音様は本当にお強い。こう言うのも失礼ですが、女性にしておくには勿体ないほどに身のこなしが素晴らしい。」

「体の使い方を分かっているのでしょうね、とても良い発声です。絢音様には今後ともお稽古を続けていただきたいとお伝え下さい」


小さい頃は習い事から帰宅するとき、先生である大人がお迎えの執事に言うのはいつも絢音のことだった。樹音は自分には才能が無いのだと思い、早々に薙刀と雅楽のお稽古はやめてしまった。すると今度は両親から塾へ通うように言われるのだ。
その頃からだった。今まで習い事というのは所謂実技的なものばかりだったが、はじめて座学に触れ、樹音は驚いた。


「どの教科もまんべんなく成績がよいのですが、特に数学において、樹音様は塾の中でも秀でておりまして」


はじめて大人に褒められた。お迎えの時に、絢音ではなく樹音が褒められたのだ。少しだけ誇らしくて絢音を見れば、絢音は思ったよりもショックを受けていない様子だったのが幼い頃の記憶に強く残っている。
樹音はそのときのことを思いだすと盛大なため息をついてベッドに横になった。


「絢音のばか。」


いつもこうやって樹音の先を行ってしまうのだ。普通の姉妹なら寂しがるだろうこの状況も、比較対象がいなくなったことに対する安心感しか感じられない。そんな自分が腹立たしくもあり、頭の中がごちゃごちゃと片付かない。
だいたい、どうして好きでも無い相手にお嫁に行くと言えたのか、樹音には全く理解出来ない。

あの風魔の忍びに誘拐された後、樹音が一人で待っていると何故か一色の家の人間が迎えに来た。そしてそこからまた車で帰宅したのだが、その時に絢音は一緒ではなかった。樹音が「絢音は嫁いだ」と知ったのは帰宅した翌日のことだった。
絢音だけ呼び出された後に何があったのかは分からない。けれどきっと、絢音が家を飛び出していくような何かがあったのだろう、興味をそそられる何かが。


「こーら、夕飯が出来てるんだからそんな格好してないで早くおいで」

「きゃぁ!?」


突如ドアから聞こえた声に、樹音は跳ね起きるようにしてベッドの上に座った。絢音のベッドと違いロフトにはなっていなかったのが幸いだ、頭を打たずにすんだ。


「征一郎さん!レディの部屋に突然入ってくるだなんて!」


樹音が起き上がって文句を言うと、予想通りに穏やかな顔つきの男性がドアを開けた状態で立っていた。今日は仕事でもあったのだろうか、ワイシャツにベスト、タイをつけている。胸元に施された刺繍は七色の家の家紋であり、一族絡みの正式な仕事をしてきのだろうことが伺えた。
七色の家の長男で征一郎、絢音は征さんと呼んでいたが樹音は恐れ多くて、小さいころからずっと「征一郎さん」の呼び方をしている。


「レディとして扱ってほしいのなら、家族揃っての夕飯に遅れない方が良いんじゃないかな?」

「えっ、もうそんな時間…あぁ、ごめんなさい。すぐに向かいます」

「待ってるよ。今日はオレも一緒だから、とびきり可愛くしておいで」

「征一郎さんったら!」


可愛らしくウインクを残して去っていった征一郎に、樹音は枕元にあったクッションを投げつけたくなった。
征一郎は、一色家が幅を利かせるこの界隈でも有名な重工業を営む会社の取締役だ。身内ばかりで関連会社の上席を埋めているものだから、中間職の人間からの評価はとても悪いと聞いている。それでも彼が会社を継ぐと決めたのは、すこしでも環境を改善していきたいからだと聞いた。
樹音はそんな征一郎のことをとても好いていたし、何より征一郎もこちらのことをよく気にかけてくれている。それが嬉しくて、いつかはああいう人と一緒になりたいものだと心から思っていた。一族のために頑張ることが誇りであり、自分の役目なのだと。
それなのに絢音は一族を飛び出した。そして両親もそれを容認している。理解が出来なかった。

樹音がリビングへ入っていくと、既に夕食の用意が整っていてテーブルの片側には両親が、その反対側には征一郎が腰掛けていて、樹音は慌てて謝罪をすると席についた。


「樹音さん、絢音さんが居なくて不都合を感じるのも分かりますが、夕飯に遅れるのはいけませんよ」

「すみません、お母さん」

「まぁまぁ、今までずっと二人で1つと扱われていたんです。突然絢音ちゃんが居なくなって戸惑うのも仕方がありません。」

「それにしても、もうすぐ二年も経つのですよ?少しは慣れてもらわなくては」


征一郎になだめられた母親はそれだけで納得したのか、他には何も言わずに食事を促した。父親もそんな母親の様子は当然だと思っているようで、特に何か言ってくることはない。他の誰が言っても意味をなさないのに、征一郎だけは両親に影響力を持っている。それも樹音が憧れる理由なのだろうなと自分自身でも感じた。
その後の夕食も穏やかに終わり、給仕が食後のワインを両親と征一郎に、樹音にはりんごジュースを持ってきてくれた頃だった。デザートのゼリーは美味しくて、樹音は満足して気が緩んでいた。


「ところで、あの話をしても良いでしょうか?」


征一郎が切りだすと、父親が嬉しそうに笑って頷いた。何か良い事業でもあるのだろうかと樹音が様子を伺っていると、征一郎は懐から手のひらに収まるような小さな箱を取り出した。それはベルベットのような生地で装飾された紺色のケースで、樹音がきょとんとしていると征一郎は箱を開いた。
箱から顔を出したのは可愛らしい宝石のあしらわれた指輪で、樹音はそこでようやく箱の存在を理解した。ドラマや何かでよく見るあの箱が、まさか自分に差し出されるとは思っていなかったために、まったく予想できなかったのだ。


「樹音、オレと結婚してください。後悔はさせない…多分。」


仕事中とはまた違う雰囲気の凛々しい表情で言ったかと思うと、最後にいつもの優しい顔で付け加えられ、樹音も一緒になって微笑んでしまった。この人は本当にこちらのことを分かってくれている。格式張ったことは嫌いではないが、それでも結婚は個人のこと。一族やら何やらの政治がらみも大切だが、こうやってただの個人として言ってもらいたい。そんな気持ちを察してくれたのだろう。
絢音が風魔の里へ嫁いでから一年と少し。その寂しさが少しだけ和らいだような気がして、樹音は笑顔で了承の返事をした。


「これで我が家も跡取りに困りませんわね、あなた。樹音さん、元気な子を産んでもらわなくては…」

「お母様、気が早いです」

「早いものですか。絢音さんからの手紙が届いたのだけれど、二人目の子供を授かってるそうよ」

「えっ!?絢音ってば、子供が居たの…?」


樹音は危うくテーブルに両手を叩きつけそうになりながら問い返した。絢音といえば、いくら複雑な事情があるのだろうと察せられる状況とはいえ、手紙の1つも寄越したことはなかったのだ。それなのにようやく手紙が来たと思ったら樹音には1枚も届かず、母親にだけ、それも出産という重大なことを事後報告したというのだ。
なんだか小さい頃のように負けたような気がしたし、今まで仲良く育っていたのを裏切られたような気がした。自分たちはまだ学生だったのだ。そして樹音は今もまだ学生で、ようやく成人しようとしているところなのに、絢音は一足飛びどころか何足も飛ばした先に行ってしまったのだ。


「ま、負けた気がする…」

「あら、今どき15で嫁へ、3年子無しはーなんて言う家柄は無いわよ。樹音さんは目一杯学生生活を楽しんでから子供を作れば良いわ。もちろん、征一郎くんの希望も聞かなくちゃならないけれどね」

「オレは、樹音さんの希望に合わせますよ。」


征一郎からのプロポーズも嬉しいはずなのに、なぜだかモヤっとしたものが胸のなかに渦巻いてしまい、樹音は笑顔を保つのに必死になってしまった。両親にそのいらだちのようななにかがバレてしまわないか心配だったが、それよりもせっかくのプロポーズを台無しにしてしまったような気がして、征一郎への罪悪感で押しつぶされそうだった。
その後は、征一郎と父親とが入籍の日にちやら挙式の日にちを話し合っていたが、樹音の耳を素通りしいくだけだった。

次の週末になると、征一郎からデートのお誘いがあった。特に断る理由もなければ、まして婚約してから最初のお誘いを蹴るなんて失礼なことをできるはずもなく、樹音は出来る限り可愛らしい格好をして待ち合わせの場所へと向かった。
まずは定番の映画でしょうと言っていた征一郎は、待ち合わせの10分前に樹音が玄関先へ向かうと、ちょうど迎えにやってきたところだった。本当は映画館もある街中で待ち合わせてもよかったのだが、それは男としてありえないことらしい。樹音は特に男性と交際した経験はなかったが、周囲の友人たちの話を聞く限りでは、征一郎のこの行動はかなりデキる方のはずだ。
言われるがままに征一郎の運転する車にのせられて街中へと出てくると、休日のためか歩道も車道も賑をみせていた。人混みは苦手ではないが、流石にこの中へ飛び込んでいくのは気が引けるほどだ。


「そういえば言い忘れていたけど、そのワンピース初めて見るな。可愛いよ」

「おはようございます、征一郎さん。征一郎さんも相変わらず格好良いわよ」

「ありがとう、可愛いレディに言われると、なんだか嬉しくなるね」


こういう時、絢音ならば「はいはい、お世辞ご苦労様ですこと」だなんて言って、軽く流せてしまうのだろう。けれど想像の中の絢音とは真逆に真っ赤になっていく自分の頬を自覚して、樹音はまた悔しいような恥ずかしいような気持ちになった。


「また絢音さんのことかい?いくら姉妹とはいえ、嫉妬してしまうなぁ」

「ご、ごめんなさい!そう、あのね、映画見る前にポップコーンが買いたいの」


我ながら雑な返しであることを自覚しながら言った時、前方から大きな音と共に風が吹いてきた。言うならば鍋の蓋を50ほど床に叩きつけたのを何倍にもしたような音と、土を巻き上げてくる風だった。


「なに…?」


信号待ちで止まっていた征一郎の車も、わずかながら風に揺れた。
何が起きたのか分からずじっとしていると、征一郎は窓を開けて軽く外へ頭を出して前方を見やった。ハンドルを握ったままだった左手にぎゅっと力が込められ、樹音にも何かよくないことが起きたのだろうということは分かった。


「まずいな…こんな昼間の街中で何をやってるんだ、連中は…」

「どうしたんですか?」

「風魔の忍者が防衛戦をしてる」

「えっ?」


言うと征一郎はエンジンを止めて社外へと飛び出した。樹音はとりあえずシートベルトを外し、いつ何が起きても良いようにとバックをぎゅっと握りしめて征一郎を見守るしかない。
征一郎は羽織っていた私服のジャケットを脱ぐと、代わりに後部座席から七色と一色の家紋が入ったスーツを羽織り、手をメガホンのようにして叫んだ。


「皆さん!落ち着いてください、この区画は七色の防衛管轄区です。すみやかに駐車し、歩いて移動を開始してください!」


樹音はその言葉を聞くと居ても立ってもいられなくなり、車の外へと飛び出した。
途端目に飛び込んできたのは、銃を乱射し、砲弾で建物を壊し、人々を刃物で脅している黒装束の団体だった。前方からは女性や子供の泣き叫ぶ声が聞こえ、車で移動していた人々もそれに気づいたらしく樹音たちの進行方向とは逆へと引き返していく。車で引き返す人たちと走って逃げる人たちとで、車道も歩道も阿鼻叫喚としか例えられない状況だ。


「樹音さん、君も逃げて。申し訳ないけどオレじゃぁ君を守れない」

「征一郎さんは?」

「オレはこの都市を守る七色重工の取締役だ。軍事関連の知識もある。あいつらは恐らく伊賀か甲賀の忍だろう。防戦しているのは風魔一族のはずだ。そういう取り決めになっているから…」

「取り決め?」


樹音はふと、絢音を置き去りにしてしまったあの日のことを思い出した。もしかして、と思う気持ちと、気にしすぎだと思う気持ちとがグルグルと頭の中を駆け巡る。
訳がわからないと叫びたくなった時、征一郎の車の上に何かが2つ落ちる音がした。トンという軽い音に、屋根は凹んでないなと場違いなことさえ考えてしまうほど、その音は自然と耳に馴染んだ。


「お前が七色征一郎か」


びっくりするほど低く良く響く声に、樹音ははっと車の屋根を見上げた。
そこには白髪に緑色の瞳をした30代くらいであろう男性と、白髪に灰色の瞳をした樹音より年下であろう青年が居た。どちらも忍び装束に口元を覆う布をつけていて、男性の方は頭の後ろになにやらお面のようなものが付いている。
征一郎は驚くこともなく彼らを見やると、そうだ、とだけ返事をした。


「俺が風魔小太郎だ。先日からの契約を履行するために来た。」

「頼む。街を防衛してくれ。連中が何を考えているのか分からない。街に定点配備されている銃器の類は使ってくれて構わない」


風魔小太郎と名乗った男性は頷くとお面を付け直した。夏祭りなどで売っているものよりも、少しだけ目元が大きく開いている。恐らくは素顔をばらさないためなのだろうと、樹音は邪推した。


「恩に着る」

「ははっ!忍びの言うセリフじゃないな、それは。まぁ良いよろしく頼む」

「…我々に新しい風を吹き込んだのは絢音だ。あいつの産まれた場所を守る。一真にも良い初遠征だ」

「はい、長。しかし文を届けにきただけのつもりが、かえって都合が良い事態になりました」

「全くだ。絢音の女の勘とやらを信じてみて正解だったようだ」


風魔小太郎はちらりと樹音を見やると、小さく会釈をして去っていった。一真と呼ばれていた青年の方も、後頭部で括った長い髪の毛を靡かせて走りだした。


「あ…」


青年が走りだした時にちらりと視界に入ったのは、絢音が気に入って付けていた髪留めだった。


「樹音さん、オレたちは引くよ。」


風魔小太郎が言った言葉と青年の髪留めと、よく分からないことが多すぎて混乱しながらも、樹音は征一郎に手を引かれてどうにか避難場所へと辿り着くことができたのだった。
後日、新聞にも取り上げられたのだが、伊賀忍者の遠江(とおとうみ)襲撃は誰か特定の人間を殺すためだったらしい。それにしても忍びらしからぬ行動にマスコミは騒ぎ、風魔によって守られた樹音たちは表立って報道はされないものの、彼らに感謝するものが多かった。









終。






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2015/04/03 今昔
登場人物がややこしくなってきたので、じきにwikiの方更新します。
ネタバレNGな方は間違っても仮想シリーズのwikiをググらないでくださいm(_ _)m

【仮想大江戸】番外編 親世代編04「清廉なる一族」

よく漫画や何かでは忍びの三大流派が戦うという展開があるが、実際にはそんなことは起きていない。というよりも、今やそれぞれが担当する分野が異なるためにぶつかることも少ないのだと、絢音は木賊にそう聞いた。風魔は嘉萩家の護衛とともに遠江(とおとうみ)から江戸にかけてを守る比較的大きな一族であり、伊賀や甲賀は土地を守りつつも特定の家にはつかず、金や権力になびいている若干の日和見主義だ。

やり方が違うとはいえ、それぞれが上手く一族を守ってきているという伝統とそれに対する誇りがあり、絢音は「一色と周囲の家と、大してやってることは変わらないのね」程度に思っていた。



しょっちゅう家に遊びに来ている錦の双子たちは家事も子供の世話も覚えてしまい、少しくらいならば絢音も目を離しても大丈夫だというほどになっていた。里の人間はあまり互いの子供に手を出したりしないそうだが、錦の母親は外の文化のほうが自然なのだと言って、双子を手伝いにつかってくださいとまで言ってくれていた。絢音も二人のことは弟のように思っていたし、なにより双子が千歳を弟のように思っていたので頼るようにしていた。

木賊も、忍びとしても優秀な二人と仲を持つことは大事だと思っているうえに、純粋に双子のことを自分の家族のようだとも言っていた。



千歳が2歳にろうかという初夏のことだった、絢音が二人目を授かったのと同時に風魔一族へと大きな任務の依頼があった。





「宍戸の護衛?」





絢音は聞き慣れた苗字に顔をしかめて、どんな任務の依頼なのだろうかと珍しく身を乗り出して聞く姿勢になった。

木賊が持って返ってきて気まずそうに言ったのは、「宍戸家の護衛を頼まれた、それも一ヶ月」というものだった。宍戸といえば有名な色街を取り仕切る家で、風魔が護衛する嘉萩家とも多少なり交流がある家だ。嘉萩家の事業が広すぎるせいで、なぜか色街までも運営しているのだが、その色街で一番大きな家から嘉萩家を通してきた依頼なのだそうだ。断りづらい、というよりも嘉萩家の依頼である以上断れないらしい。

もちろん、絢音だって一色家が七色家になにか頼み事をしたら断れない、というように家どうしの繋がりとは恐ろしいものだと把握はしている。ただ、護衛対象が色街に居るとなると話は少しややこしい。





「宍家の護衛っていうことは、色街に入ることになるのかしら?」



「絢音、これは笑顔が怖いというものではないかと思うのだが…」



「気のせいよ、わたくし、怒ってなどいませんもの。ただ、木賊が色街に入るのかと聞きたいだけですわ。構いませんのよ、子供を授かった以上わたくしがお相手出来なくなるのは覆しようのない事実ですものね。」



「ご、誤解だ!確かに色街への潜入はあるが、俺は基本的に宍家の店主付きの男衆として紛れる。何より宍家は男娼妓楼だ。」



「見境がなくなって男性にまで手をだすだなんて」



「信じてくれ…頼む、他の人間に手を出すつもりは毛頭ないんだ……」



「という冗談はさておき」





絢音はひと通り人間らしい反応を返せるようになった木賊を楽しむと、まだ見た目ではまったく分からないお腹をさすって言った。





「その任務の間、どうしようかしら。体調悪くなってもお義父さんは流石に頼れないし…」



「ならば、檜皮と朽葉に頼んだらどうだ。錦の母親も今回の任務に入る、彼らだけでは寂しかろう。」





からかったことは特に気に留めていないのか、木賊はそれだけ言うと錦の家に話をつけてくるといって退室してしまった。











【 仮想大江戸 お伽話 親世代編04「清廉なる一族」 】









数日後、木賊が任務に行くのと入れ違いに朽葉と檜皮が風間家へとやってきた。木賊と錦家との間では「心配だからしばらくは泊まりこむ」ということになっていたようで、少なめではあるが着替えやら何やらの荷物を持ってきていた。絢音が周囲の家の女性たちに「家事を手伝ってもらうのだ」と言うと、「長の子供を産むのだからそれぐらいの待遇は普通だ」と言われた。絢音としては、男を家にあげるなんてと言われかねないと思っていたが、二人に名前を贈ったことが周囲に少しずつ広まったこともあってか、思ったよりも風当たりは弱かった。

朽葉は主に千歳の子守を、檜皮は絢音の家事を手伝ってくれることになった。千歳は比較的穏やかな朽葉に懐いており、檜皮は朽葉に比べれば任務も多かったため絢音についてくれたのだ。二人とも千歳の黒髪が羨ましいと言ってみたり、青い瞳が可愛いと言ってみたり、相変わらず弟以上にかわいがってくれている。





「絢音様、今日は少し…嫌な感じがしませんか?」





木賊たちが宍の護衛についてから三週間が経とうとしていた時だった。

朝から調子が良くないような気がするという双子たちは、昼前に昼食の支度をしている時にもそれを口にした。他人に心配をかけたがらない檜皮がそう言うのはとても気になったが、額に手を当ててみても熱があるような感じではない。





「具体的に、何がどう嫌なのか説明出来そうかしら?」



「それが…嫌な予感がする、としか説明のしようがないのです。千歳も元気だし、僕や朽葉の体調も良好です。なのに…筆舌に尽くしがたい違和感を感じるのです。」



「私にも、姉妹が居るのよ。確かに、二人揃って何か良くないと思った時には、ほんとうに良くないことが起きたわ。今日は何があっても良いように、できるだけこの家から離れないようにしておいてちょうだいね」



「わかりました」





双子とは時折不思議な繋がりを見せる。絢音はお呪いの類が盛んに行われているこの里でなら、なおのこと二人が何か感じ取っているのかもしれないと思ったのだ。現に、里付近に外敵が現れれば森で飼っているトンビやカラスたちが自主的に危険を知らせに里へ来るし、そういう日には朝から里中がピリピリしている。

外敵から里を隠すようなお呪いもしているらしいが、二人がソワソワするということはなにかが起きるのかもしれない。残念ながら絢音はこの里で育っていないためか、そういったことを察する能力はないようなのだ。二人の感じている違和感を信じて、今日は外出しないようにしよう。



そう思っていると、次の日も更に次の日にも、双子は違和感が強くなっていると言った。あげく、千歳もなかなか泣き止まなくなってしまい、先代である木賊の父も体調が万全ではないからと寝室にこもりっきりになってしまった。





「先代様がいらっしゃらないと、食卓がさみしいですね」



「朽葉、仕方がないだろう。先代様の体調が第一だ。なにより、この嫌な感じは里の入り口の方から来ている。長が留守の間は桑染の家が守ってくれているけれど、何かあれば僕や絢音様も何か仕事が降ってくるかもしれない」





双子は絢音の作っただし巻き卵とアジの開きを口に運びながら、いつもより淡々とそういった。絢音も食事をしているのだが、なにやら緊張してしまい味がよく分からない。





「朽葉は任務が来ても断って、千歳と先代様を頼む」



「分かってるよ檜皮。錦の家は母上が任務である以上空っぽだ。ここを守るのが僕らの役目。長が信頼して置いてくださってるんだから、行動で示さなくては」





二人のやりとりをボンヤリと聞きながら、絢音は千歳へ目を落とした。この子にも何か危険を察知するような能力は身につくのだろうか。もし木賊と風魔の誰かとの子供なら身につくはずだった何かが、絢音の血のせいで薄まっていたりしないだろうか。

今まで周囲に言われもしなかったことが、頭の中に浮かんでは消えていく。もちろん、絢音に聞こえないところで多少なり悪口は言われていただろう。それはまぁ良い。本人を目の前にしてい言う度胸もないような人たちが言っていることだ、気にするだけ損だと思っている。





「絢音様?」



「大丈夫ですよ、すみません、食事時にする話ではありませんでした」





双子たちに言われて、絢音は自分の箸が随分と止まっていたことに気づいた。時計の針を見やればかれこれ十五分は固まってしまっていたようで、絢音は二人に大丈夫だから気にするなというと、残っていた食事に手を伸ばした。

その日の夜、予定よりも早くキリが着いたという木賊たちが里へ帰ってきたが、そこに錦の母親の姿はなかった。





錦の双子を女手ひとつで育てていた母親は、任務の最中に亡くなったのだという。

錦家の葬儀は慎ましく行われ、参列者は檜皮と朽葉、それに木賊と桑染家の当主だけだった。他にも数人の女性が参列したいと言ったそうだが、周囲の目があるから辞めておけと木賊によって参列は拒否された。もちろん、その後墓参りに来てくれたら嬉しいとの言葉も添えてだ。

絢音は錦が何故亡くなったのか、詳細を聞くことは出来なかった。朽葉の腕の時と同じで、胎教に悪いと思われているらしい。しかし里の仲ではかなり仲良くしていた女性が亡くなったのにその理由を聞けぬとは、逆にストレスであるようにも思えた。ただ、木賊は朽葉と檜皮に詳細を話して聞かせると、言うべきだと思ったら絢音にも伝えるように言い添えたそうだ。





「絢音様、おはようございます」



「おはよう、檜皮。」





結局、帰る家はあっても待つ人が居なくなった二人は、そのまま絢音の世話をしてくれるということで風間家に住み込んでいる。元より広すぎるほどの家であるし、何より賑やかで良いと先代が言っているため、木賊も賛成しているようだ。

その日も檜皮と絢音が作った朝食を全員が食べ終わると、木賊は席をたつことなくその場に居た絢音と双子を見渡して言った。





「提案がある」





重々しい雰囲気から、何か重大なことを言われる覚悟はしたが、木賊の口から出たのは思いもよらない言葉だった。





「朽葉を我が家の養子に、檜皮を桑染の養子に迎えたいという話が出ている。」



「僕が、あの桑染家へ……養子に、ですか?」





桑染家といえば、里の出入口にあたる部分に家を持ち、女性も身体能力に長けた武闘派の一族だと絢音も聞いたことがあった。代々の長である風間家の次に古く大きな家であり、長の右腕という立場も務める家柄だと。





「桑染は今のところ娘しかいない。檜皮を養子に迎えて跡取りに、ゆくゆくは娘の誰かと子供を、ということなのだろう。檜皮、お前の人生だ。好きに決めたら良い」



「しかし…僕は未熟者で、とても桑染の方々に見合うような者では………」



「ならば返答を保留にするという選択肢もある。長である俺預りの者を養子にと望んでいるんだ。多少の無理は効く。お前がどうしたいか決められるまで保留にするのもありだぞ」





木賊は隣に居た檜皮の頭にぽんと手を載せて撫でた。絢音は二人が自分の子供になるということに違和感はないしむしろ喜ばしいと思えるが、檜皮が桑染の養子に行くことにはすこしばかり懸念があった。

桑染家も、恐らくはより実践任務の経験があり成績も優秀、かつ五体満足な檜皮を養子にほしいと思ったのだろう。しかしこれを檜皮が了承してしまった場合、暗に要らないと言われた朽葉はどう思うだろうか。絢音も樹音と比べられ続けることで生きてきて、それがどういうことか知っている。気が強い絢音よりも穏やかな樹音と見合いを、という大人たちの会話も聞いたことがある。

逆にそれを解消しようと、絢音が朽葉を取るような発言をしてしまえば、檜皮が他所へ追いやられているような気持ちになりかねない。



どちらに何を発言するわけにもいかず、絢音は務めて明るく、さてと!と言って立ち上がった。





「檜皮も朽葉も好きなだけ考えたら良いわ。若い内に思い悩むことは無駄にはならないのよ。木賊も結論は急がないと言っているのだし、時間をかけて解決しましょう。それよりも今解決すべきことは、お茶碗が乾いて洗うのが大変になるということよ!」





言うと、乾いたご飯を茶碗から落とす苦労を知っているからか、檜皮が慌てて返事をして茶碗を寄せ始めた。朽葉も手間になることは駄目だと片付けを手伝いはじめ、絢音と木賊の分も二人で片付けに行ってくれた。

木賊は双子が完全にいなくなるのを見ると、絢音に視線を戻した。余計なことを言ったような気はしたので、食後のお茶を入れて木賊の前に湯のみをおくことでごまかした。





「絢音は、選択したことは後悔していないのか?」



「……何のことを仰りたいのか分かりかねますわ、木賊。」



「しかし…」



「後悔していたら、私は木賊との子供を欲しがったりしませんわよ」





絢音は色々と考えてしまうと暗い気持ちになるだろうと、檜皮たちと一緒に食事の後片付けを済ませると、木賊を散歩に誘った。こちらへ来てから日課になっていた散歩も、千歳を授かってからはあまりできていなかった。久々に一緒に歩きたいと言うと、檜皮と朽葉が気を利かせて先回りし、千歳の子守を買って出てくれた。

二人は久々に外へと並んで出た。私服で並んで居る分には、どこにでも居る普通の夫婦と変わらないと絢音は思っている。蓋を開ければ血筋だのなんだのと様々な話題が飛び出してくるが、二人だけで歩いている時にそんな話題はしたくなかった。



里の奥にある風間家の屋敷から裏手に入ると、獣道を人間が踏み均してできた小さな道がある。そこを山裾にそって歩いて行くのが二人の散歩道で、少しいったところにある池で鳥達を眺めて帰ってくるのが定番だ。暑くなり始めた太陽も適度に茂った木々が遮っており、山道は心地よい天候だ。

まだ安定期に入ったばかりなのだからと、やたら手を貸したがる木賊の腕に自分の腕もしっかり絡めて歩くうち、ろくに会話もしなまま行きの半分ほどの道を来てしまった。





「話すことがなくても、一緒に居ると落ち着くものなのですね、木賊。思った以上に、私は安心してきたのですけれど、木賊はどうかしら」



「絢音が居ればそれで良い。お前や千歳が無事ならばそれが全てだ。こうして共に散歩など、贅沢がすぎるほどだな。まして今は檜皮と朽葉も居る」





木賊ははじめて絢音が出会った時からは考えられないほどに穏やかな顔で微笑んだ。花がほころぶようなとはまた違うが、言うならばまだ誰も足あとを残していない雪原のようだと絢音は思った。静かで起伏がなく穏やかな笑顔は、強く凛々しくと言われ育てられた絢音自身とは正反対のようにも思える。

千歳が生まれ、檜皮や朽葉を成り行きとはいえ引き取るような形となり、そしてお腹には新しく子供も授かった。出会ってからあまりにも忙しなく過ごしてきたが、それは木賊にとって多少なり良い影響があったようだ。

絢音は少しだけ自分に自身が持てたような気がした。改めて周囲を見回せば、新緑は瑞々しく生い茂り、綺麗な緑色のグラデーションを見せている。比較的街中に家があった絢音にはこの景色はあまり馴染みがないものだが、どこか懐かしく波立っていた心が少しずつ穏やかになっていくものだ。





「木賊には、白が似合うわね。雪や兎みたいな白い色が」



「ほう?ならば絢音にはすみれ色だな。」



「まぁ、木賊も千歳も名前は緑なのだけれどね。…ねぇ木賊、この色はなんというのかしら。夏に向かって葉っぱの色がどんどん濃く強くなっているわ。素敵な色」



「日本の色は本当に呼び名が細かいからな。」



「このくらいの色だと、なんて呼ぶのかしら」





木賊は少し考えるような素振りを見せると木々を見上げ、眩しそうに目を細めながら続けた、。





「俺も詳しいわけではないが、常磐緑といったところか」



「本当に木賊は博識ね。まさかちゃんと答えてくれるとは思わなかったわ」





二人はそのままどちらからともなく歩き出し、木々が少し開けた場所でひなたぼっこをし、ぽかぽかと眠気がやってくるまでそこに座っていた。何をするでもなく、飛んできた鳥を眺めたり、流れる雲を見つめるだけの時間は心地が良い。

檜皮と朽葉のことも気になるが、あちらもあちらで二人で考える時間が必要だろう。そう思ってしまうのは放任主義だろうか。母親が亡くなった直後の二人にとんでもない難問を叩きつけている自覚はあるが、木賊とともに日差しを浴びているうちに、彼らの決断とそこから得られる結果をサポートしてみようという気持ちになった。











 ◇ ◇ ◇











檜皮は悩んでいた。

自分たちの母親と絢音が遠縁の親戚であるからという以上に仲が良かったのは側で見て知っていたし、自分たちも絢音のことは第二の母かもしくは姉のように思っている。年齢は10違う程度だが、絢音は頼れるお姉さんであり身の回りの面倒を見てくれる母親だ。そして千歳は自分たちにとって大切な弟であり、来年の年明けに産まれるだろう絢音の次男も自分たちにとっては弟だ。

そのくらい、風間家での暮らしは檜皮にとって馴染みの深いものであり、錦という帰る場所が無くなった今となっては唯一無二の拠り所だ。長である木賊が面倒を見ているということと、里の女性たちから信頼を勝ち得た絢音が言うからと、余所者として扱われることも格段に減った。だからこその養子の申し出なのだろう。





「悩んでる?」





眠ってしまった千歳を撫でながら、朽葉が問うてきた。そっくりそのまま自分と同じ見た目だったはずの弟は、檜皮がどう選択しようとも今と変わらぬ生活を手に入れられるはずだ。風間家の養子になろうとなるまいと、絢音たちは今まで通りに接してくれるだろう。

ところがどうだ。檜皮は風間家に残って養子でもないのに面倒を見てもらうか、長の右腕となるべく桑染の家へと行くのか。どちらを選ぶかで自分が迎えるであろう未来は大きく変わってしまう。弟を羨ましく思う気持ちもあるが、怪我のことも向いている任務のこともある。しょうがないと割りきれてしまうのは、風魔の一員として成人の儀を受けたからだろうか。





「悩まないわけがない。」



「そうだよね。ごめんね、僕ばかり。楽なのはいつも僕のほうで、辛いことはいつも檜皮にいってしまう。怪我をする前から、ずっとこうだ。」



「朽葉のせいじゃない!ただ、僕が決めかねているだけだから。多分、桑染の家に養子へ行ったら、今の名前は捨てることになる。檜皮っていう大事な名前なのに、これは正式なものじゃないから、養子になる時点で新しく名前を着けてもらうことになると思うんだ」



「それが、悩む理由?だったら、心配することないよ。絢音様は必要な時に名乗れば良いって言ってくれた。例え桑染なんとやらって名前ができたとしても、檜皮は檜皮だよ。」





朽葉の言いたいことは、檜皮にもよく分かっていた。絢音があえて正式な手続きを踏まずに名前をくれた理由があるだろうことも、朽葉が檜皮にとって何を選ぶべきか助言したいと思ってくれていることも。姿だけは鏡写しなのに、どうしてこうも中身が違うのだろうと思うほどにしっかり者の朽葉は、檜皮のためにと色々なことを考えてくれているだろう。

檜皮自身も、長としての木賊を立てるためには桑染の養子へ行ったほうが良いのだろうと分かっている。そして養子に行ったとしても、変わらず優しく接してくれるだろうことも。絢音だって同じだ。どこの家の子供であっても手が空いているから面倒を見る、彼女はそういう人なのだ。





「絢音様も長も、多分僕が出世することよりも、正しいことができる人間になることを望んでくれると思う。だからこそ、桑染に養子に行ったほうが良いと思うんだ」



「長がわざわざ選択肢を作ってくれた意味は、分かってるんだよね?」



「多分、僕らを納得させるため。自分の意思で前に進むためだと思う」





言うと、朽葉はにっこりと微笑んでみせた。





「そう思えるなら大丈夫。思ったこと、考えたこと、長と絢音様へ相談してみようよ」





本当に、母親や絢音に似て笑顔をよく浮かべる弟だ。檜皮はなんとなく誇らしくなって、同じように口角を持ち上げてみた。里の人間に比べたら檜皮も笑う方だと自負しているが、弟や絢音には敵わない。できるなら、二人のように心からの笑顔を浮かべられるようになりたいし、将来は長になるであろう可愛い弟、千歳のためにも良き右腕になるために精進しようと思うのだった。

































終。















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2015/03/31 今昔

2015年3月30日月曜日

【仮想大江戸】番外編 親世代編03「錚々たる一族」

風間木賊は人生で二度目の困惑というものをしていた。一度目は言わずもがな、絢音と樹音の拉致依頼から結婚に至った時だ。あの時は後にも先にもこんな衝撃は一度きりだろうと思っていにも関わらず、今こうしてぽかんと口を半開きにしてしまいそうな事態に陥っている。人生には上り下りの坂のみならず、「まさか」というものがあるとは正にこのことである。


「待て、今……なんと…」

「何度でも言いますわよ、絢音様がおめでたです。」





【 仮想大江戸 お伽話 親世代編03「錚々たる一族」 】





身体は男、心は女という医者は絢音の布団を挟んで木賊の反対側に座っており、にこにこと穏やかに微笑んで言い放った。


「産まれるのは、来年の初夏でしょうな。妊婦には辛い時期を冬に迎えるのですから、旦那であり父である若君が支えるのですよ」


季節は秋も終わりに近づき、絢音との散歩も寒さで中断することがあるくらいだ。錦の双子の更に下の子や、それと同じくらいの幼い子供たちは枯れ葉を踏みつけてはパリパリという音を楽しんでいる。大人たちも落葉を掃除するついでに焼き芋やらなにやらと、季節の行事を楽しんでいるだろう。
木賊も仕事着を少し暖かいものに変えたし、絢音も他のくノ一と同じような格好でいることはなくなった。少し前にあった錦双子の弟が怪我をした任務の時には焦ったが、お腹の子が無事だったというのは喜ぶべきことのはずだ。
しかしながら、木賊としてはまさか自分が父になるとは、これぞ「まさか」から転がり落ちるような思いだ。


「ちょうど長としてお父上の後を継がれるうえに、跡取りが産まれるかもしれない。いやぁ、これはおめでたいことですわ!」

「あぁ……ありがとう、礼を言おう」


今日はちょうど木賊も仕事の依頼が入っておらず、いつも以上に気合を入れて昼食を作るのだと張り切っていた絢音は、昼前に台所で倒れてしまった。朝から多少顔色が良くないとは思っていたが、まさか体調不良の原因がこれとは。木賊が手伝いを申し出ようとしたその目の前で突如倒れた時は何事かと思ったが、今の絢音は二人の会話もどこ吹く風ですやすやと眠っている。
いつぞや、錦双子の父親と共に任務にあたった時には、「嫁や子供が元気で家に居てくれるから仕事ができる。必ず生きて戻ろうという気になる」のだと言っていたが、まさにその通りだ。万が一にも今日何か任務の依頼があったとしても、絢音が倒れた原因が分からないままで家を出れたかと聞かれれば、答えに困ってしまう。困窮するということも、絢音がこの家にやってきてから知ったことだ。
いつの間にやら木賊の父であり、明日明後日にも「先代」となるであろう風魔小太郎とも良い関係を築き、里の人間にも溶け込んでいる。絢音が行った努力は推し量ることしかできないが、木賊は今の里の状態が好きだと思えた。絢音が来たことで変化しつつある里の状況が、とても素晴らしいものだと思えた。
もちろん、良いことだと思う木賊のような人間が居ると同時に、先日絢音を蹴り飛ばした男性たちのような変化を受け入れられない人間も居ることはわかりきっている。それをどうにか収束させるのが長となる者の責務であろう。木賊自身の行動によって絢音が暮らしやすくなるのなら、それはとても嬉しいことだ。


「若、まるで里の人間じゃないみたいよ、その顔」


医者の穏やかな声に、木賊は慌てて顔を引き締めた。


「あっはは!そうやって笑顔になったり焦ったり。最初は他所の人間を嫁にするなんて言うから、私たちは一体どうなることやらって思ってたのよ。どうせ上手くいくはずがないってね。」

「…この里の人間であれば、当然の反応だろうな」

「でも、誤解だったみたいね。絢音様、他所の女性たちになんて呼ばれてるか聞きました?お嬢ですって!そりゃもともと良いとこのお嬢様なんだから、立ち振舞が優雅だったりするのは分かるの。でもそれだけじゃお嬢だなんて呼び方にはならないでしょう?」


医者はまるで自分のことのように嬉しそうな顔をして、絢音の方へと視線を落とした。倒れた時よりも幾分は楽そうな顔になった絢音は、これだけ近くで話していても目覚める気配はない。


「きっと、彼女なりに色んな場所で色んな人と話をして、里の内外の違いを否定するんじゃなくて、受け入れて楽しんでいたのね。そして問われれば里の外のことを嫌味にならないように教えるだけの能力もあった。私も実際に、パウンドケーキの作り方を教わったりして。」

「そんなことまでしていたのか。」

「そうよ。若に心配かけまいとして、あまりその日あったことを話そうとしないのかもしれないけど、絢音様は色んなことをしてた。家事で手が離せない母親が多いと知れば、自分がいち早く家事を終えて子どもたちの面倒を見る。それが外では当たり前だったから、って。自分も子供が産まれたら近所の子供たちに遊んでもらいたいから、お互い様なんですって。……だからね、若」


穏やかだった表情のままでこちらを見た医者は、すっと目を細めて言った。


「絢音様は、きっと若が思っている以上に若のことを思っている。あなたのために里に馴染もうとしてる。本当は本人の口から聞くべきなのでしょうけど、絢音様は所謂ツンデレってやつだから」

「ツンデレ?異国の文化か?」

「目覚めたら聞いてみたら良いわ、『お前はツンデレなのか?』って」


妙に楽しそうに笑いながら鎮痛剤と魔除けの呪いを置くと、医者はいつもどおりお金は要らないのだと言って去っていった。後は手伝いに来ている家の者が、必要ならば何か手渡すだろう。
木賊は絢音の頭をそっと撫でると、せっかくの休日なのだから側に居ようと布団に潜り込んで横になった。無意識なのか軽くこちらを向いた絢音の顔から前髪を退ける。まるで里の外の人間のようだと思いながら、木賊は目を閉じた。





 ◇ ◇ ◇





絢音はその冬、特に体調を崩すこともなく順調に大きくなっていくお腹を嬉しく思いながら過ごした。医者には身体を鍛えていて良かったと言われ、その時はじめて無理に薙刀やら体術を習わせていた両親に感謝した。樹音と比較されながらも続けた甲斐があったようだ。
更に、絢音が安定期に入ったからということで、木賊が正式に風魔小太郎を襲名した。絢音は大きくなってきたお腹のことを考えて儀式には参列しなかったが、後から聞いた話では「一族の人間以外が出る行事ではない」と錦双子が言われたそうで、夫の晴れ舞台を拝めなかったのは残念だが胎教には良かったのかもしれない。

春になるころには既に家事をこなすことは難しく、そこは気を利かせた錦双子とその母親が何かと世話をやきにきてくれた。木賊の母が既に居ないということもあってか、もともと里の女性たちは「跡取りの世話ができる!」と意気込んでいたようだ。
子供の存在によってより里の女性たちに馴染んだ頃、ちょうど新緑も青々と茂り空には時折小さな入道雲が浮かぶ初夏。絢音がはじめて抱いた自分の子供は男の子だった。


「名前をお聞かせください!こう見えて書道が得意ですので、ぜひ一枚書かせていただきたいのです!」

「おめでとうございます、長、それに絢音様も。よろしければこちらを使ってください」


新しい長に子供が産まれたこと、しかもそれが男の子であるとなれば、例え里の中と言えども噂好きは女性の特権であることにかわりなく。瞬く間に話は広まり、任務で居ない者を除く多くの女性が我先にとお祝いを述べに来た。流石に身内にも挨拶が済んでいないうえ産後の間もない時期だからと、お祝いを置いていくだけのものがほとんどだったが、錦の双子だけは木賊が気を利かせて部屋へと招き入れてくれた。絢音もこの二人にはなかなか話す機会が無かったので嬉しく思い、身支度を簡単に整えると子供を抱いて二人を迎えた。
木賊と絢音の寝室のすぐ側にある部屋で、4人で簡単にお茶をした。絢音は相変わらず穏やかな表情をしている二人を見ると、なんだか日常が帰ってきたような気がして嬉しかった。


「お久しぶりです、絢音様」

「お子様も絢音様も、お元気そうでなによりです。」


双子は丁寧に頭を下げると、お祝いだと言って可愛らしい柄のガーゼタオルを渡してくれた。来られない母の気持ちだそうだ。
絢音はそれをありがたく受け取りつつ、双子を見て涙が零れそうになった。絢音自身も腹を蹴られ流産の恐怖からすっかり忘れていたが、任務で失敗したというあの日から双子を見分けるには十分すぎるほどの違いが生まれていた。弟の方は、あの任務で左腕の肘から先を失っていた。


「ごめんなさい、嫌なことを聞くかもしれないけれど、あなた、腕は…あの時に?」


そこではじめて、絢音は二人の下の名前を知らないことにも気づいた。こんなにも助けて貰っている相手なのに、名前すら聞いていなかった自分にも驚いた。
錦の弟は特に気にする様子もなく軽く微笑んだ。


「はい、あの日の任務で伊賀のものに。無力ぶりが目に見えてしまってお恥ずかしい限りですが、今は諜報任務を中心に行っております。」

「そうだったの…ごめんなさい、私ったら何も知らずに……」

「いえ、絢音様。長のお子を授かったのですから、他所のことに気兼ねしている場合ではなかったのです。弟のことを伝えずにいてくださった長には感謝しております。」


兄の方のセリフに木賊を見やれば、小さくすまないと言われ、絢音は何やらもどかしくてため息をついた。心遣いは嬉しいのだが、やはり蚊帳の外という感じがしてしまう。


「そうだ、今まで聞いていなかったのだけれど、二人の名前を聞いても良いかしら。今更になって申し訳ないけれど…」

「……絢音様、申し訳ございません」

「僕たちには、名乗る名前が無いのです」


双子の言葉に、絢音はしまったと思った。他所の血が混じっているという双子の家系は、何かとこの里で不便をしているはずだ。まさか名前も、とまでは予想できなかったが、予め木賊に話を聞いてから問えば良かったようだ。
絢音のそんな感情が顔に出ていたのか、双子は申し訳無さそうな顔をして続けた。


「錦の家は、元より里の外の人間です。例え里の中で生まれ育っても、風魔の人間として名前を授けることは出来ないのそうです」

「というのも、先々代の風魔小太郎であった方の発言だそうで、今後はどうなることやらといった状況ですが」


双子はちらりと木賊を見やると、すぐに視線を絢音へと戻した。それから絢音が抱いていた子供を見ると目元を緩めて言った。


「ところで、絢音様のお子様の名前は決まっているのですか?」

「里の皆には口外しませんので、お聞かせください」

「…この子は、千歳。末永く幸せに生きてほしいっていう先代様の願いと、それから木賊の名前や私の生家が色に関するものだったから、この子も色にちなんで、ね」


絢音が心苦しくなりながら言うと、双子たちは小さく「千歳」と呟いて、忘れまいとしているようだった。それからまだ綺麗な黒をしている髪の毛と、うっすら開いたところから見える青い瞳を褒め称え、風魔の人間らしからぬほど喜んでみせた。
まるで自分たちの弟か甥っ子が出来たようだと言う二人に、絢音はふと思い立った。


「木賊、筆と紙があるはずだから、取ってもらえるかしら」


きょとんとした木賊に差し出されたそれを受け取ると、絢音は樹音と共に習わされていた書道の授業を思い出しながら、出来る限り丁寧に筆を滑らせた。


「もしも、二人が良いと言ってくれるのであれば…名乗ることがあればこれを使いなさい。」

「「えっ?」」

「私は本来一色家の…二色家を含む一色一門の当主となるはずだった者。そこから外れた者同士、呼び名の候補を贈りたいのよ」


絢音がさっさと書き上げた文字を見て、双子たちは目を輝かせて身を乗り出してきた。
「二色 檜皮」「二色 朽葉」
先ほど言ったばかりなので彼らにもわかったのだろう。木賊の名前は緑色の一種だ。そして千歳も同じように緑色の和名からとっており、もちろん二人にと考えた檜皮(ひわだ)と朽葉(くちば)も同様だ。


「檜皮は、檜皮葺というものがあるように、家の屋根となるものよ。兄ならば家を継ぐことになるでしょうから、家族を守る殿方となれるように。朽葉は大地、万物を育てるもの。あなたが今やっている任務にも誇りを持てるよう、家族の地盤を支えるのはあなたの仕事よ」


二人は絢音が書いた紙を手に取ると、大事そうに持って絢音へと頭を下げた。そしてすぐに木賊を見やり、どうかこの名前を名乗らせて欲しいのだと頭を下げた。錦の家の者として名乗れずとも良いから、絢音の考えたこの名前を自分たちのものと、名乗れずとも自分たちのものとして思いたいのだと。
木賊は驚いたという顔をしていたが、すぐに穏やかな表情に戻ると二人の頭に手を載せて頷いた。


「お前たちが辛い仕打ちを受けていることは知っている。長となった以上、あれを続けさせるつもりもない。家名の文字は今までどおりのものを、名前は今絢音が書いたものを使うと良い。何か言われたら俺が言ったのだと、後ろ盾にしろ。」

「「ありがとうございます!」」

「もっとも、すぐに後ろ盾など要らぬほど成長するやもしれぬがな」


もとより木賊にも絢音にも懐いていたうえに、長としてという言葉が効いたのか、二人は嬉しそうに紙をたたむとこれまた丁寧に懐へしまいこんだ。先に立ち上がった兄に手を貸されながら弟も立ち上がると、二人は少し下がった場所でまた頭を下げた。


「長様、絢音様、本当にありがとうございます。」

「この誉れ、我が母にも伝えたく、失礼ながらこれにてお暇させていただきます」

「あぁ、気をつけて帰れ。お前たちははしゃぐと周囲が見えなくなる。良いな、檜皮、朽葉。」

「「はい!」」


双子--檜皮と朽葉はまだきらきらとした顔のままで、それでも丁寧にお礼を言うことは忘れずに去っていった。いつもは静かな足音も今だけはパタパタと聞こえてきて、恐らく帰ったら錦の母親に怒られるのだろうなと絢音は苦笑いした。
足音が聞こえなくなると、絢音は木賊へ向き直って頭を下げた。


「勝手なことをして申し訳ございません、木賊」

「構わん。錦の家のことは里に軋轢を生む。早々に俺が囲い込めばあの二人も、檜皮と朽葉も辛い思いをせずにすむだろうし、これは打算的と言われてもしょうがないが俺の株も上がる。お互い悪いことはないだろう」


先ほど双子にしたように、絢音の頭の上にも木賊の手が乗った。なんだか久々にされたような気がして、絢音は心地よくなり目を閉じた。やはり産後で疲れがとれきっていないのだろうか、頭を撫でられているうちにどんどんと眠くなってくる。
千歳もうつらうつらと船を漕ぎ始めた絢音につられて眠くなったのか、既に目を閉じて寝息をたてている。


「あまり無理をするな。体力も戻らぬうちから気を張りすぎると、体を壊すぞ」

「えぇ、そうします。今日はこれで、休ませていただきますね」

「運んでやる、じっとしていろ」


千歳ごと抱き上げられて、揺れを心地よく感じているうちに、すぐに布団の感触がやってきた。木賊が千歳を子守カゴに寝かせたのを見届けると、絢音もまた目を閉じた。「おやすみ」という声が耳元で聞こえ、穏やかな気持ちで眠りについたその夜は、不思議な夢を見たような気がした。
目覚めた時に覚えていたのは、どこか自分と似ている赤毛の少女が少し木賊に似た少年と一緒にいたことだけだた。少女の歌を穏やかな顔で聞いている少年の表情は、なんとなく檜皮と朽葉に似ているように思えた。










終。








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2015/03/30 今昔
親世代編、まだしばらく続きます。
絢音の後は樹音のお話を少し。そこから桑染と宍戸の家のお話へ……続くと良いな。

2015年3月27日金曜日

【仮想大江戸】番外編 親世代編02「純血なる一族」

風が心地よい。

絢音が暮らしていた一色一族の暮らす土地はそれなりに都会で、産業が発展してきたこのご時世では流行の最先端でもある場所だった。しかしそれに伴って川は汚れ空気は淀んでいたように思う。もちろん、各種工業を営む一色家とて対策を行っていなかったわけではないが、この風魔の里には遠く及ばないことは確かだ。

庭の端にある物干し竿にシーツやら着物やらが揺れる様子を少し眺めると、よし!と絢音は気合を入れてカゴを持つと立ち上がった。洗濯物が終わったところで、そろそろ昼食の支度にとりかからねばならない。慣れない主婦の仕事をこなすなかで良かったと思うのは、この家に姑が居ないことだろうか。口出しされるとやる気を無くす、という自分でも子供っぽいと分かる一面を持つ樹音としては、寂しい反面嬉しい気持ちもあるのだった。











【 仮想大江戸 お伽話 親世代編02「純血なる一族」 】











世間の喧騒から離れて風魔の里へと入ってから、すでに10ヶ月が経過しようとしていた。絢音は義務感こそあれ、一人の男性を相手にするのと同じように木賊と接していたし、彼もまた絢音を嫁として大切に扱ってくれていた。樹音が夢見ていたような甘く優しい新婚生活とは全く違うだろうが、絢音はこれも1つの幸せだと感じている。今では二人で少し寒くなってきた里の周りを散歩するのが楽しみだ。

風魔の忍びを率いる風魔小太郎、つまりはこの里の長である者の家は周囲より少しだけ大きく、また里の奥まった場所にあった。その反対側である里の入り口には、代々長の腹心でもある桑染という家の邸宅があり、それに挟まれるようにして数々の家が建っている。

絢音は時折やってくる風魔の一族から野菜を貰ったり、元気な子どもたちの相手をしながら次期長の新妻としての日々を過ごしていた。樹音だけを家に戻したことは後悔していない。むしろ、この里の若者たちが「己の鍛錬のためでもある」と入念に護衛をしてくれている。

不満なことがあるとすれば、里の者は感情が希薄で、女性よりも男性の方がそれが顕著だということだ。





「ごめんください」





台所で昼餉の用意をはじめたところで、玄関から声がかかった。絢音は一旦鍋の火を弱めると、エプロンを外しながら玄関へ駆ける。最近は少し体調が悪いのか、走ろうとするとめまいがする。それでも、留守を預かる嫁として妻として、そんな義務感で足を動かした。





「はーい、ただいま」





叫び返しながら玄関を覗くと、見覚えの無い青年が立っていた。風魔独特の白髪に灰色の瞳。両腕で1つの米俵を抱えており、細い腕なのにどこからあんな力が出るのか不思議でならない。

青年は風魔一族の成人の儀を終えているはずなのに、それにしては豊かな表情をこちらへ向けた。軽く口角があがり、目が細まる。





「こんにちは、奥様。僕は錦の家のものです、母に言われてこれを届けに参りました。」



「あら、ありがとうございます。夫にもしかと伝えますと、お母様にお伝え下さいね」



「はい。お昼時に申し訳ないです」



「良いのよ、どうせ任務で遅いのだろうから…あ、そうだ。良かったら金平糖を持って行ってくださらない?私の実家が送ってくれたのだけれど、どうにも量が多くって」



「よろしいのですか!ありがとうございます」





錦の家の者だと名乗った青年は嬉しそうに笑うと、絢音が玄関先に小分けにしておいておいた金平糖を受け取ってじっくりと眺めた。この里では外との交流が少ないためか、こうしたお菓子や若者が好むようなものが少ない。初めて見たとつぶやく青年に、絢音はまた無くなったらお出でというと、それこそ昼時に他所の子を引き止められないなと慌てて帰るように促した。



その日はどうにも錦という子のことが気になった。絢音と同い年くらいの人間は、誰もが無表情が標準装備されている。風魔の人間として任務をこなすということは、当然人も殺すことになるだろうし、感情が希薄になるのは分かる。木賊(とくさ)からも成人として認められるのは感情を殺す術を得たものだけだと聞いたことがある。

そんなとりとめもないことを考えながら義父と共に食事をし、家事をこなしているうちに一日はあっという間に終わってしまった。代わり映えしない一日で終わるはずだったのに、布団へ入ってもまだ錦のことは頭から離れなかった。



こんなことでは同じ布団で寝るようになった木賊に申し訳ないと思う。仕事を終えて帰宅した旦那に食事を出し、風呂を用意し、そして床での安らぎを与えるのが妻の努めだ。絢音の心が他所を向いていることなんて、木賊はすぐに気づいてしまうだろう。

風呂あがりの木賊が寝室へ来るのを待っている間に先日贈られた櫛で髪を梳いていると、背後の障子が静かに開かれた。気配を読もうとしなくとも、屋敷のこの部屋に入れるのは木賊と絢音だけだ。





「さっそく使っているのか」



「ええ、木賊からの頂きものですもの。大切に使わなくては」





そう返されたのがお気に召したのか、木賊は座っていた絢音を後ろから抱えるように腰を下ろした。絢音も櫛を枕元へ置くと、木賊の胸元へと背もたれる。





「今日、錦の家の者だという男の子がお米を持ってきてくださったの」



「……錦の家がか。もしや、妙に笑う男か?」



「あら、ご存知なの?」





どんな子がとも言っていないのにあの子のことだろうと思われる発言をした木賊に、絢音は複雑な気持ちになった。やはり、あのように表情豊かであることは里では異端児なのだろうか。





「錦の家には双子が居る。兄は仕事の出来る奴だが、弟の方はてんで出来ない。弟は人殺しよりも小鳥や草花を愛でる方が向いている」



「…えぇ、そういう穏やかなことが似合う子でしたわ。金平糖をさし上げたのですけれど、とても喜んでくれて。あんな子も里に居るのだと…少し驚きました」



「珍しいことではある。人を殺せない忍びなど、なんの役に立てようか。」





そういう木賊はどこか寂しそうで、絢音を抱いていた腕にも少しだけ力が入ったように思う。確かに感情が読みにくい相手ではあるけれど、しっかりと側に居れば気持ちも汲み取れるようになる。錦ももしかしたら、里の中でイレギュラーだったとしても、いつか理解してくれる相手が現れるかもしれない。

絢音は錦のことを考えるうち、自分が木賊の拠り所にならなくては、いやなりたいのだ。と強く思った。木賊の方へ向き直ると首に腕を回し、自分の体重を使って布団へ横になる。そのまま頭を撫でながら小さな声で子守唄を歌ってみることにした。





「 ゆりかごのうたを かなりやが歌うよ 」





絢音は自分の背中に回された腕に自分も眠気を感じながら、自分の意識が途絶えるまで知っている限りの子守唄を歌い続けた。様々な重圧を感じるであろう一族の跡取りが、少しでも安らかに眠れるように、と。











翌朝、いつもより機嫌の良さそうな木賊を見送りに自宅の門まで出て行くと、今日の仕事に同行するらしい里の忍びたちが何人かやってきていた。皆一様に口を覆う布をつけているが、一人だけ太陽の光を目一杯反射するような灰色の瞳を見つけ、絢音は思わず小さく声をあげてしまった。

錦もまた絢音が出てきていることには気づいていたようで、小さく目礼をしてくれる。顔をあげたところでにっこりと微笑めば、あちらも目が細まり微笑んでくれたようだ。





「絢音、今日は一色家の護衛に入る」



「あら、そうですか。」



「詳細は聞かぬのか?」



「既に風間に嫁いだ身ですもの。生家は確かに心配ですけれど、木賊が向かうのでしたら心配はありませんわ」



「…そうか。嘉萩家との会食の護衛になる。早々に戻るはずだ」



「えぇ、家のことはお任せください。」





1つ頷いた木賊たちが里の外へと向かうのを見送るうち、絢音は少しだけ違和感を感じた。何がとは言えない程度のもので、わざわざ引き止めるのも気が引けたので絢音は今日も洗濯物から終わらせなくてはと自宅へと戻った。

いつもと同じように家事をこなすうち、日が暮れて夕食の支度でも始めようかという頃になってからだった。全身が静電気をもらったかのようにビリリとしびれたのだ。菜箸が床に転がった音で我に帰ると、絢音は変なこともあるものだと首をかしげた。菜箸を綺麗に洗って別の菜箸で料理を再開すると、今度は家の外から悲鳴やら何やらが聞こえてきた。

煮物も味が整ったので火を止めると、絢音はエプロンを外して家の外を覗いてみた。誰かが任務で怪我をしたとしても騒ぎになんてならないだろうし、そもそも騒ぎになったとしてもこんな里の奥まで喧騒が届くことはありえない。

では一体何が?という不安でソワソワとする手のひらにぎゅっと爪を立てて門の外まで小走りにでていくと、ちょうど木賊が戻ってきたところだった。一緒に任務に出ていた者も居るようで、更にその身内と思われる者も集まってきている。





「木賊!」



「絢音、近寄るな。血がつく」





言われて見てみれば、木賊は血まみれの何かを抱えていた。その何かが小さく震えたかと思うと灰色の何かが見え、少ししてからそれが目だと分かった。

灰色の瞳に気づいた途端、抱えられているのが人間で、その左足が無いこと、両腕が力なく垂れていることに気づいてしまい、絢音は口元へ手を持っていった。気持ち悪いわけではない、ただ驚いた。





「錦の家か!!これだから余所者は良くないと言っている!!」





しわがれた声で叫ぶ男性に、周囲に居た人間は一斉に黙り込んだ。

静かになった広場に、木賊たちがやってきた方、里の入り口の方から一人の青年が歩いてきた。錦にそっくりなその青年は舗装されていない里の道で足音を立てることもなく、しずしずと歩いている。その青年に気づいていないのか、叫んだ男性は更に続けた。





「錦の小僧はいつか問題を起こすと思っていた!見てみろ!若と一緒の任務で不祥事とは情けない!里の恥さらしが!!」



「弟がご迷惑をお掛けいたしました」





そこで初めて錦のそっくりさんに気づいたらしい男性は、目を見開いて彼を見た。恐らく今やってきた静かな彼が錦の双子の兄なのだろう。





「ですがどうか、曾祖母を悪く言うのは辞めていただきたい」



「はっ!誰が余所者の言うことなど聞き入れるものか!里の端に家を追いやられた意味を考えろ、愚か者め。最近じゃ余所者同士でつるんでるらしいじゃないか。まんまと長の家にもぐりこんだ雌狐と手を組んで、里を壊すつもりなのだろうに」





ジトッとした男の目線が、絢音を貫いた。

衝撃を受けるはずもない。絢音はふんと鼻で男性を笑うと、つかつかと歩みよった。自分の一族を守るという目的を果たすためにこの里へ嫁いだのだ。雌狐だなんだと悪く言われることなど百も承知でここへ来たのだ。





「木賊、錦の弟くんが助かる見込みは?」



「ある」



「じゃぁ早く運んであげてちょうだいな」





背後で木賊が部下に錦を預けたのを見届けると、絢音は絢音や錦を余所者と言い放った男性を見据えた。こちらが臨戦態勢なのを察しているのか、あちらもだいぶ構えている。しかし絢音は警戒されているという事実を誇らしく感じた。相手が自分を警戒しているのは、己に危害を及ぼす可能性があると認められているからだ。

その通りにしてくれよう、とニィっと口の端を持ち上げた。





「どうも、余所者の新妻ですわ」



「自覚があるようでなによりだな」



「あなたは自分が老害であるという自覚がないようですわね、名も知らぬお方」





背後で絢音と井戸端会議を繰り広げる奥様たちがくすくすと笑ったのが聞こえた。





「で?錦の家の何が気に食わないのかしら」



「雌狐め、貴様は知らぬやもしれぬが、この一族は他所の血を入れぬ純血を保ってきた。それが誇りだ」



「それで数が少ないという、ホコリやチリみたいな因習ですわね。存じておりますわ」



「黙れ!錦の家は4代前に外からの捕虜との間に子供を作った。その末裔があの双子だ。他所の血をもった、しかも畜生腹の子どもたちだ。里に良い影響を与えるはずがなかろう!」





全くその通りだ!と言いたげに頷いた男性が何人か居るのを見て、絢音は盛大にため息をついた。絢音はそれだけで済ませることが出来たものの、背後に何人か居る女性たちからは怒りの雰囲気すら感じる。元より捕虜の女性に子供を産ませるなど、いくら忍びとはいえ女性が受け入れられるはずもない。

まして徳川が世を治めていたような時代ならいざしらず、今どき女性だというだけで地獄へ落ちるだなんて信じている者もごくごく少数だ。絢音とてこのご時世に双子を貶めるような言い方をする人間が居るとは今この耳で聞くまで信じられなかったほどである。この里の女性たちが怒るのもしょうがないだろう。





「貴様もあの双子とは親戚になるのだろうな、なにせ二色の家のものを捕虜にしたのだから」



「あぁ、私の生家の親戚ですか。それは教えて頂いてどうもありがとうございます。今度からあの双子にもお菓子をお裾分けしなくては」



「畜生腹の次は雌狐!!しかもとんだ淫乱だな!身内が辱められて動じもしないとは!」



「あら、だって…わたくし既に風間の家の人間ですもの。あまり生家…しかも遠縁にこだわるだなんて、嫁として恥ずかしいですわ」



「余所者の分際で若の嫁と名乗るのか!跡取りも埋めぬような出来損ないが!!」





自分もだいぶ古めかしいことを言っている自覚はあったが、絢音はゆったりと歩み寄ると男性の首を片手で掴むとグッと腕を上へと伸ばした。思ったよりも簡単に首を絞めることに成功して驚いたと同時に、どんどんと口が軽くなっていく。





「随分と古めかしい考え方をされているのですね、名も知らぬお方。わたくしの生家も、わたくし自身のことも、好きに貶すが良い。ですが、それ相応の復讐はさせていただきますわよ」



「このアマァ!!」





絢音が持ち上げた男性と同意見らしい別の男性がこちらへクナイを振りかざし駆けて来たのを見て、妙に冷静に腕を下ろした。慌てて刃物を引っ込めた相手の上に男性を落とすと、更に後ろから危害を加えようとやってきた男性の蹴りをしゃがんで回避し、足の付根を蹴りあげて転ばせる。背後から寄ってきた男に蹴りを入れて女性陣の方へ跳ね返せば、その男はくノ一として一線で活躍していた彼女たちに袋叩きにされている。

寄ってくる人間は全て相手になってやる。余所者だからと、女だからと舐められるわけにはいかないのだ。絢音は殴ろうとした相手の手を掴み、別の相手の刃物を受け止めるとその両方を利き足で蹴飛ばした。



妙に体が軽い。先日からの体調不良が嘘のようにさらにもう一人を殴って沈めると、どうしてもがら空きになってしまっていた下腹部に衝撃を感じた。





「ハハッ、見ろよ…血なんて吐いてるぞ。汚ねぇな、土地を余所者の血で汚す気かよ!」





絢音の腹を蹴りとばした男性に言われて口元へ手を持っていけば、ぬるりと生ぬるい液体が付着した。べとっと地面へ垂れるそれを目で追うと、口からだけでなく、どうやら下腹部からも血が出ているらしい。月のめぐりで出るようなどす黒い色の血ではなく、口からも下腹部からも鮮血が垂れていた。

腹を蹴った男と他数人は下衆な笑いをあげていたが、女性たちと一部の男性からはため息とも何ともつかない悲鳴のようななにかがあがった。





「アンタたち、お嬢になんてことするの!」



「長、制裁の許可をください!!あんな連中、風魔の男じゃありません!」





そう叫ぶ女性の声がどこか遠くに聞こえた。

そういえば、来ても良いはずの月のものはきていない。元より定期的ではない方だとはいえ、今回はあまりにも遅い。ここのところ体調も悪かった。

あぁ、何故気付かなかったのだろう。あぁ、自分はなんてことをしてしまったのだろう。絢音とて一族の頂点にたつ家系へ生まれた身、跡取りの重要性はよくよく分かっているというのに。自分が迂闊すぎたのだ。失敗した。これは妻として、嫁として、あるまじき姿だ。



ごめんなさい。

そう口が勝手に動いたのは分かったが、耳に届いたのはかすかに唇をこすった空気の音だけだった。



後頭部がじんじんと痛くなり、手のひらはうまく動かない。呼吸も自覚できるほどに浅くなり、思考は働かない。

なによりも、嫁いだ身、人質としても身でありながらというよりも、木賊と居たかもしれないお腹の子への罪悪感で涙も出ない。





「騒ぐな」





木賊の低い声に、周囲が一層静まった。

歩み寄ってきた木賊に抱きしめられ、少しだけ呼吸は楽になったが、それでもまだまともに話すことはできなさそうだ。





「絢音について思うところがある者も多いだろう。他所の血を入れるのかと、風魔の誇りはどうなるのだと。俺はそんなことはどうでもよい。」



「若!何をおっしゃるか!!」



「問題は、血族として近すぎる者どうしが子をなすことで、より体の弱いものが増えたことだ。それを説明し、長の許可も得た上で俺は絢音を迎えた。気が済まぬという者は絢音と対戦し、全員敗れて納得したと思っていたが?」





木賊が周囲を見回すと、絢音に手をあげようとしていた男性たちは気まずそうに顔をそむけたり、逆に文句があると言いたげにこちらを見返したりしている。





「それでもまだ納得できないという者を治められないのは俺の責任だ。彼女に手あげるのは間違っているし、里の女衆に制裁を加えさせるわけにもいかぬ。文句があれば俺にけしかけろ。正面からでもそうでなくとも構わない。ただ、これ以上自分の妻を貶されて黙っていられるほど、俺は馬鹿でもなければ無頓着でもない」





今度こそ、絢音は堪え切れずに木賊の胸元へ縋り付いた。次期当主の嫁たる自分が人前で弱みを見せるなどあってはならない。そう思い続けていたのに、過呼吸になるほどの涙は押さえつけられなかった。

そのままボンヤリとしてきた頭で把握できたのは、背後から錦の兄が飛び出してきて、絢音の腹を蹴った男の顎下へ、膝を入れたことだけだった。











 ◇ ◇ ◇











錦の片割れが男を沈めた途端、女性陣から拍手が巻き起こった。本当はこんな大袈裟なことにはしたくなかったのだが、どこかこうして人前で絢音を庇えたことはとても意味があるように思える。木賊は泣きつかれたのか気を失った絢音を抱き上げると、周囲の女性たちを見渡した。

誰もがスッキリしたような笑顔を浮かべつつも、口々に絢音を心配するような声をかけてくる。いつの間に里に馴染んだのか不思議であると同時、共に過ごす季節も3つ目ともなればこのくらいなのだろうかとも思える。





「若!お嬢の体が最優先です!」



「早くお医者様に見せなくてどうするのですか!」



「お嬢はずっと、若のお子を産むのだと意気込んで…いえ、喜んでいらっしゃったのに!最近はお体が辛そうなのに無理して家事もこなして…」



「錦の子のことも、身内と知らずに優しく接していたのですよ。なんて優しい子!まだこんなに若いのに!」





口々に言う女衆に謝罪と礼を返していると、錦の兄がこちらへとやってきた。どうやら女性たちが引くのを待っているようだったので視線を投げれば、気を利かせた女性たちが騒いだ男たちの制裁に向かったため、錦は苦笑いしてよってきた。

こうして見ると、弟とよく似ている上に、風魔という一族の中ではかなり表情豊かだ。絢音は年下に惹かれる女性ではないが、この里に居ればこうした世間的な感覚を持った人間と関われるのは貴重な時間だっただろう。





「若、我が身内の任務失敗、大変申し訳ございません。」





丁寧に頭をさげた錦はすぐに頭をあげると、手のひらで木賊の自宅の方をさして戻るように促してきた。妙に気が回るところも、どうにも一族らしくはないと思うが、それを違和感に感じることはない。

先ほどの男たちのように気味悪く思う連中も居るのだろうが、木賊はむしろこういった態度は好感が持てた。





「後日、俺からお見舞いを届けさせてください。」



「気遣い感謝する、お前たちならば絢音も喜ぶだろう」





それだけ言うと木賊は女性たちに咎められる前にと、錦に医者へ走るよう頼んで自宅へと戻った。



その後、錦に呼ばれた医者は目出度いやら許せないやら、ともかく勇んでやってきて診察をしていった。「女の体になにをするんだ」と終始男への文句を言っていた医者は、体が男で心が女なのだと、連れてきた錦に言われて知った。

錦も仲が良いらしいその医者に礼を言って玄関先においてあった金平糖を持たせて見送ると、木賊は眠ることなく絢音の隣に座り続けた。なんとなく、隣に寝てはいけない気がしたのだ。



自分からこの家へ嫁ぐと宣言したあの時には驚いたが、今日まで嫁であらねばと思う一方で自然とこちらへ好意を傾けてくれていた。共に過ごす時間が長いせいか急激に近づいた距離に、お互い戸惑いはもっていた。それでも、絢音はあのように、不特定多数の他人が居る前で「風間の嫁である」ということを誇りに思うと言い放ってくれたのだ。それがどれほどに嬉しいことか、彼女はきっと分かっては居ない。

この里では極力血が遠い者同士を結ばせ、ほとんどが婚姻統制によって子をなしている。感情が希薄な者が多いこの里ではそれが当たり前だったはずなのに、長となる自分は相手に思われ相手を思って子をなそうとしている。これがどれほど希少なことか。



布団のうえから絢音の腹に手をのせると、木賊は申し訳無さで胸がいっぱいになるのを感じた。幸いにも絢音の身体に怪我は無いとのことで、子供も里の医者に言わせれば無事な可能性もあると。心配しすぎたらしい部下の女性が、母子の安全を守るのだというお呪いをしにもきた。木賊も大丈夫だと信じているが、心配でならない。





「ありがとう」





木賊はそう小さく告げると、絢音が以前歌っていた子守唄を覚えている限りで口ずさんだ。少しでも気を張りすぎる可愛らしい嫁が、ぐっすりと休めるようにと。



























終。





















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2015/03/27 今昔

2015年3月2日月曜日

【仮想大江戸】番外編 親世代編「艶やかなる一族」

今は昔、竹取の翁よりもはるか昔の話である。

平安とよばれたまこと雅なる時代に入る前、日本という国はいくつかの家々が支配していた。江戸を治める嘉萩家とそれを守護する風魔一族。遠江(とおとうみ)に住まう一色家と七色家、さらに京を守護する紅家と親しい甲賀一族、東北の地を治める蒼天一族。その他にも大小様々な地方領主によって均衡を保っていた日本で、その薄い壁を破ろうとする者は少なくなかった。

いつしか、一色と七色はほとんど同じ血族となり、蒼天一族が勢いを弱め、嘉萩家が関東を集中に収めるようになり、紅家が江戸に分家を置くようになる。これが大江戸歴のはじめのお話である。











【 仮想大江戸 お伽話 親世代編「艶やかなる一族」 】











そんな竹取物語から時代は流れ、大江戸歴は1900年台も後半に入っていた。

一色、といえば、日本の中程に位置する遠江を治める一門の当主として有名な家柄である。大江戸歴が始まる前から続くとも言われるそれは、この大江戸歴1960年台でも変わらない栄誉を誇っている。一色絢音は、そのことに誇りを持っていると言っても良い。

一族特有の青い髪の毛と瞳は、どこにっても注目の的であり、ちょっとの問題であれば周囲が勝手に解決してくれる。それは一族が代々、統治や地方産業である農業に工業、繊維機械系を一手に守っていることからくるものであり、絢音がこれからも守らねばと思うものである。



と、周囲は絢音のことはそう信じてやまないだろう。





「馬鹿じゃないかしらねぇ、本当に」





大きなあくびとともにそう言うと、絢音は邪魔な前髪を耳にかけた。この河川敷は気持ち良い風が吹くのが好きで、学校帰りによくこうして暇をつぶすのだ。ここの辺りは近所では少し治安が悪いといわれていて、一族の人間は近寄らない。逆に絢音が居ても「いつも人に囲まれていて大変なのね」と変に気を使って誰も寄ってこない。



代々地方産業を行っている企業に出資していることは事実だし、一族の人間がそういった会社に多く務めているのも確かだ。しかしそれを誇りに思うのではなく、驕り己の私腹を肥やすことを考える人間が多い。政略結婚で愛のない夫婦も多く、かくいう絢音も双子である樹音も婚約者が居る。

そんな一族を好きになれ?誇りに思え?周りはいつも無茶なことを言うもので、絢音は17歳という年齢で既に諦めを覚えている。双子の樹音は伸ばし続けている一族の象徴とも言える青髪も、絢音はなんだか気に食わなくて切ってしまった。あの時の両親の顔を思い出すだけでも腹が捩れるほどに笑いがこみ上げてくる。





「馬鹿は絢音でしょう?そうやって皆をおちょくって遊んでばかり。」





ひざ上まで丈を短くした着物の裾を抑えながら、見た目は絢音にそっくりな少女が隣に座り込んだ。言うまでもなく仲の良い双子の樹音であり、地面にすりそうな丈の着物にスリットを入れている絢音とは正反対な性格は大変に好ましい。





「だって。先週末婚約者の方にお会いしたでしょう?何よあれ、気持ちの悪い声をして…ありえないわ」



「でも、収入が安定してるイケメンでしょう?良いじゃない。将来安泰」



「無理!あんな気味の悪い声の人と暮らしていくだなんて無理!ぜったいに嫌!」



「じゃぁ、誰なら良いの?」



「一族に居るわけがないでしょう?私のお眼鏡に叶う良い声の男性だなんて」



「あらあら、ふふっ。知ってるのよ?寺子屋の望月様、良い声だって言ってたでしょう?」



「同い年くらいの連中なら、って話よ。もっと低くて優しい声の人が良い。ついでに財力があって顔が悪くなければ良い」





はーあと盛大なため息をついて寝転がると、隣で樹音がまたもや声をあげて笑った。くすくすという笑い方は、樹音の穏やかな性格によく合っていると思う。双子だというのに、どちらかというと大人っぽいと言われることが多い絢音と、歳相応で清楚で純粋と言われる樹音とではタイプが違いすぎる。もちろん言い寄ってくる男性も違う。

そういえば最近は10も年上の男性に求婚されたっけなぁと思い出していると、歪な形の雲が流れていった。あの形、なんとなく気に食わない。





「でも望月様は良い候補なのね、覚えておくわ。ところで、絢音ってばよくここに来るみたいだけれど、この辺りは治安が悪いから気をつけた方が良いわよ。早く帰りましょう」





隣で樹音が立ち上がり、着物のおしりについた草をぽんぽんと払った。絢音も両親がうるさく言う前に帰ろうかと立ち上がり、そこで違和感を覚えた。





「一般人としてはなかなかだ」





そう言われたと気づいた時には、顔に何か麻袋のようなものを被せられたのか視界は塞がれ、両手両足を縛り上げられる感覚があった。何をするの!と叫んだが、地面から足が離れてお腹に衝撃が走った。

周囲で男性が「手厚く扱え」と言っているのが聞こえる。なかなかに良い声じゃないかと思った次の瞬間には自分の足の方向に進んでいくのを感じた。どうやら俵担ぎでどこかに運ばれているらしい。



絢音はしまったと思うと同時に、必死に足音を数えた。4人分だろうか。ということは、一緒に居た樹音も一緒にさらわれている可能性がたかい。地元でも名高い家の娘だ。身代金目的の誘拐があってもおかしくない。

試しに顔を蹴ってやろうかと足を動かしてみたが、膝裏に手を添えられて終わりだった。





「ちょっと、あの…降ろしていただくか、もう少しっ…丁寧に運んでくださいませんか?」





絢音の前方、進行方向の反対から樹音の声がした。すぐに「ありがとうございます。」と続いたので、何か抱えられ方に変わりがあったのだろう。絢音は樹音の声に少しだけ冷静さが戻るのを自覚しながら、どうにか息を吸い込んだ。それから出来る限り落ち着いて聞こえるよう、自分を運ぶ人間と並走している人間が居るあたりに向かって言った。





「貴方がた、私たちをどうするおつもりなのかしら?」





しばし考えるような間があったが、すぐに男性の声が返ってきた。





「一色樹音の方は平穏に埋もれていたかったようだが、お前はこういう異常事態を待ち望んで居たのだろう?ならばこの事態を喜んで受け入れるが良い。何、悪いようにはしないさ」





はじめに、二人のことを丁重に扱えと言った声と同じだ。

絢音は仕方なしに返事もせずに黙りこみ、彼らの目的地へつくのを待つことにした。







運ばれているうちに酔わなかったのは奇跡だと知ったのは、板の間六畳ほどの部屋へ投げ出された時に樹音が青い顔をしているのを見てからだった。目隠しはされなかったものの手足の拘束はそのままで、二人はひんやりとした床の上で身を寄せ合った。

降ろされた時に見えたのは、緑色の縁取りがされた忍び装束で、世間のことにあまり興味が無かった二人でも分かったことがあった。自分たちは風魔の忍びにさらわれたのだ。





「風魔一族、だよね」



「そうね、でもあの家って確か江戸の嘉萩家と密着しているんじゃなかったかしら?どうして私達を?嘉萩家の邪魔になるような存在なのかしら。江戸からこっちに向けて領地を広げたい、とか」





絢音の言う予想が正しいかどうかは分からないし、かと言って何か喋っていないと落ち着いて居ることは難しかった。

二人が他愛もないことを話しているうちに、忍び装束の女性がなになら竹で出来た衣装箱のようなものを持って入ってきた。彼女は間違うことなく絢音の方を見ると、懐から短刀を取り出して手足の拘束を切った。縛られていたところは少し赤くなっているものの、そう跡は残らなさそうだ。





「こちらに着替えて下さい。若様がお呼びです」



「……分かりました」





逆らっても良いことはないだろうと、差し出された衣装箱を開くと、中には深緑色の美しい着物が収められていた。深い青髪と合いそうな金色の簪も入っている。





「絢音、行くの?」



「行かなくちゃ何も始まらないじゃない」



「オカシイわ。だって……だって、相手は…」





オカシイのは樹音の方だ。

絢音はその言葉をすんでで飲み込むと、さっと着替えを済ませることにした。先ほどあの男性に言われたばかりだ。樹音は普通が一番だというが、絢音は一色家の普通を壊してやりたい。だったら、絢音が出て行って要求を聞き、樹音だけでも元の場所へ帰してやるのが正解だろう。

双子だからといって、何から何まで同じでなくてはならない道理はない。

着替え終えると、やはり全体的に落ち着いた色合いで大人っぽく、かつ質もなかなかに良いものであることが伺える。絢音は気が引き締まる思いで女性の後ろについて部屋を後にした。背後から樹音が呼ぶ声が聞こえたが、聞こえないフリを決め込んだ。





女性の後ろを歩いて行くと、この建物はちょっとした城と呼んでも良いほどに広い屋敷であるらしい。階段を登って長い廊下を歩き、右へ左へ歩くうちに、絢音は先ほど居た場所へ戻れる自信は早々に失った。

女性は1つの部屋の前で膝をつくと、中へ向かって声をかけた。s





「若様、一色絢音をお連れいたしました。」





無言で内側から襖が開けられ、部屋の中に二人の男性が居るのが見えた。一人は初老と言える、絢音の両親と同じくらいの年齢で、もう一人は絢音より少し年上であろう青年だった。





「一色絢音、手荒なマネをしてすまないな。息子にはキツく言い聞かせた、女性は丁重に扱えと」





初老の男性の言葉で、彼らが親子であるとわかると、絢音には二人がそっくりに見えてきた。もちろん、同じ忍び装束で同じような髪型をしているからかもしれない。

黒に緑色の縁取りがされた装束と、真っ白な白髪、それから緑色の瞳。どれも美しいと思わされる。それを言えばきっと樹音に「オカシイ」と言われるのだろうが、絢音にはそれらが美しく見えた。





「いえ、構いません。それよりも、わたくしをここへお呼びになった理由を伺えませんか。」





絢音の言葉に、初老の男性は楽しそうに笑うと対面にある座布団を進めてきた。絢音は逆らうこともなく、いつも家で言われる通りにそっと座った。





「私の名は風魔小太郎。これは息子の木賊(とくさ)だ。」



「一色絢音と申します。」



「我々が誰の依頼で動いているか、検討が付いているのではないかね?どうだい、お嬢さん」





風魔小太郎と名乗ったそれに、彼がこの一族の当主であることが分かり、絢音は自分の名前すら言うだけで声が裏返りそうになった。





「いえ…風魔は江戸の嘉萩と親しいと聞きますが、嘉萩が一色に手を出す理由が分かりません。」



「なるほど。正解は甲賀だ」



「……信じません」



「何故?」



「忍びがそう簡単に雇い主を明かすとは思えませんので。この場で私を殺すおつもりなら分かりませんが。」





シンと、静寂が耳に痛くなるほどに響いた。

背後の女性はいつの間に消えたのか気配は無く、癖のある白髪を後頭部で結わえた木賊と呼ばれた息子も動く気配はない。誰かが発する衣擦れの音も無く、ただ自分の呼吸音だけが大きく聞こえる。

相手からのプレッシャーがこんなにも辛いと感じたのは、自分のイタズラがバレて父親に怒られた10歳の誕生日以降はじめてだった。





「父上、俺が説明しよう」





沈黙を破ったのは、想定外にも木賊であった。座ったままで少し前へ出てくると、父親である風魔小太郎の返事も待たずに絢音と視線をあわせ、口を開く。





「今回の件、元凶は甲賀の一部と癒着している望月家だ。」



「…は?」



「あの家は甲賀忍者へ2つの命令を行っている。一色の娘二人を拉致すること。そして辱めて殺せと言われている。」



「あの望月家が?我が家を?呆れた。叔父上があの家の工場を僻地へ追いやったからって、本家筋の私達に手を出すだなんて、少し頭が足りないように思うわ」



「俺も同意見だ。そこで、本来甲賀を従えている紅家と甲賀本筋から依頼があった。風魔で二人を保護してくれと」





絢音は言葉の端々から、甲賀という一族が恐らく2つに割れているのだろうと考えた。紅の家は元より「色彩家」と呼ばれる色を家名に持つ家であり、一色とは交流がある。





「元の家へ戻すのは簡単だが、いつ甲賀に狙われるとも分からない。一旦は引くだろうが、問題はその後だ。忍びとの繋がりがない一族が撃退するには、甲賀はいささか大きすぎる」



「なるほど。…では、わたくしはここへ残りましょう」





木賊と風魔小太郎が驚いて目を見開いた様子が、絢音には愉快でならない。パッと思いついただけの案ではあるが、口にしてみる価値はあるだろうと、すっと伸ばした背中に誇りを精一杯に背負って言い放った。





「わたくしがここへ嫁入りすれば、一色の家も保護対象となりますね。それであれば、樹音の方は帰っても問題は有りますまい。見たところ、木賊様とわたくしは年の頃も近い様子。もちろん、風魔の長であらせられる小太郎様の元へと仰るのであれば、喜んでご奉仕いたしましょう」



「お前は…自分の身を差し出すのか?」



「くさっても血縁。我が一族を守るためなのであれば、わたくしはこの身を差し出すことに何の躊躇いもございません」





どうぞお側に置いてくださいまし、と丁寧に頭を下げる。相手が世間では恐れられる忍びの一族であるということは然程問題ではなく、それよりも絢音にとって重要なのは樹音を家へ帰してやることなのだ。こういった非現実的で愉快な出来事が好きな絢音とは違う。樹音は平穏を望む人間だ。だからこそ、絢音が残ることで樹音を家へ戻すのが最優先。

彼らが簡単に頷くとは思えないが、試して駄目なら次の手を試せば良い。次はどんな方法でここへ残ると言ってみようか。





「分かった。嫁に来い」



「木賊。お前は少し黙っておれ」



「親父、それは無理だ。身を挺してでも一族を守る。風魔に今必要な『感情』だと俺は思う。何よりこんなべっぴんさんが頭下げて頼んでるのに断るなんて、男がすたるぞ。あ、もう手遅れだったか?」



「青臭いガキが何を言う。」





絢音は二人にやりとりが想定の範囲外のそのまた外側であることに、笑うよりも唖然としてしまった。先ほどからずっと無表情だった木賊がそんな言い草をするとは思わなかったし、絢音の嫁入りという申し出を了承してくれたことも想定外だ。





「元より風魔は他族の血を入れぬ。そういう決まりだ。」



「ではその掟は俺が覆そう。桑染の家は俺がどうにかする。息子の晴れ姿が見たくないのか?」





まるで女の子のような言い分ではあるが、木賊の粘り強い言い訳に負けたのか、最終的に風魔小太郎も首を縦に振った。背後で女性の驚いた声があがり、絢音はまだ女性が居たのかと気づいた。何かと心臓に悪そうな一族ではあるが、これで一色の家を守ることができる。

今まで嫌っていた自分の家のためにどうしてここまでしてしまうのかは分からない。それでも絢音は今自分がしたことが、とても誇らしく感じるのだった。









 ◇ ◇ ◇











「ほら、次!……もう居ないのかしら?思ったよりも弱いのねぇ、風魔の中忍っていうのは。いいわ、上忍の方はいらっしゃいませんこと?私の実力が知りたいの、ご協力いただけませんかしら」





木賊は縁側に腰掛けて緑茶をすすりながら、どこか明後日の方向に目を向けた。

庭先では、一族の中でも平均的な能力を持っている「中忍」たちを相手に、絢音が手合わせを行っている。もちろん、本来忍びが得意とするような闇討ちや護衛ではなく、純粋な戦闘能力をぶつけあっている。





「おいおいおいおい!おねーさんが頑張ってるじゃねぇか!お前ら全員腰抜けかよ!オレがやってやらぁ!!」





確かあの者は愛染の家のものだっただろうか。絢音より年上の男性がノリノリで仕掛けていくも、軽く足払いされ背後を取られ、最後は「気づいたらこうなってました」というような顔で地面に転がっているのだ。

最初こそ、今さっき挑戦した男性のように、「里の外の人間と戦いたい」だの「一族以外がこの里に嫁ぐなんてありえない」だのと憤った連中が勝負を挑んでいた。しかし今は全員が全員遠巻きに絢音を見るばかりになっている。それもそうだ。中忍衆は決して弱くない。それをあっさり倒してしまう絢音の存在が非常識すぎて、どう関わって良いか分からなくなっているのだろう。



本来、風魔は忍びの三大勢力で唯一古い因習を守り続けている一族で、里の外の人間と比べると極端に感情が希薄だ。故に婚姻統制で愛情なき夫婦も多く、子供も義務感から産まれてくることが多い。木賊の両親のように恋愛結婚というのはごく稀だ。そしてその稀な両親を持つからこそ木賊も思う。出来るなら女性に惚れてみたいと。身を焦がすような思いを抱き、そんな相手を幸せにするために契りを交わしたいと。

絢音は強い。木賊が守る必要があるか分からい程度には実力を持っている。どうやってあの身体能力を身につけたのかはまだ知らないが、向かってくる相手を的確に倒す強さも、その横顔に感じる凛々しさもとても好ましく思える。出来るなら、手の届く場所に置いておきたい。





「木賊!」





庭先で絢音が声をあげた。





「貴方が手合わせしてくださらない?もう誰も相手をしてくれないのよ、少しだけ、駄目?」





これから先、側に置きたい以上の感情を彼女へ抱くのかどうかは全く予想が出来ない。それでも木賊は、今絢音が自分を頼ってくれることが嬉しい。彼女の願いを叶えたいと思えることが嬉しい。

幼い頃に殺された感情がこれからどうなっていくのか。絢音の隣で確かめたいと、そう願うばかりだ。





















2015/03/02 今昔

2014年12月10日水曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・珊瑚編

本家に最も近い分家。その家に生まれた第一子で長男が、どれほどの重荷を背負って生きて行くことになるのだろうか。そんな人生を予想した時に、結婚相手が決められているだろうということは想像に難くない。けれども、そう意気込んでいたものを覆されるというのは些か腹が立つというものである。






【 仮想大江戸 お伽話 珊瑚 編 】






戒愁珊瑚(かしゅうさんご)は、戒愁家という名前を持つただ2つの家柄のうち、分家側に生まれた身であった。丁度珊瑚の母親と、母親の兄嫁とが同時期に身籠り、お腹にいる子供たちが男女であると分かった時から二人は許嫁であった。戒愁家の習わしに従って珊瑚と名付けられた彼は、生まれる前から婚約者が決まっていたのである。
古くは大江戸歴が3桁の頃から続く戒愁という大きな血筋は、今や日本の政治だけではなくエンターテイメント事業や工業、林業農業と様々な分野に人脈を持っている。そんな一族の本家の少女を嫁に迎えることがが決まっていたのだ。
そんな珊瑚は今、戒愁家の邸宅にある離れを自室とし、周囲を囲む竹林の向こうから聞こえる歌声を聞きながら書物に目を落としていた。淡い桃色の髪の毛はこの国では珍しく、女中たちからは「可愛らしい若殿」と目に入れても痛くないほどに可愛がられている。だが、それだけなのだ。


「若殿、お薬の時間になりました」

「はい、どうぞ。入ってください」


布団の上に座ったままで答えると、みな同じ形に髪の毛を結い上げた女中が3人入ってくる。まだ8時過ぎだというのにきっちりと着込んで働いている様子は、少し申し訳なくなるほどだ。それを言えばこの家に使えることが喜びだのなんだのと言われてしまうため、珊瑚はおとなしく羽織を肩にかけてもらい、温かい朝食を食べ、そして苦くないように蜂蜜と葛湯で甘くした薬を飲んだ。
それらを済ませると、女中たちは嬉しそうに出て行く。障子戸が閉まる直前、女中の一人が追加の本が必要かと聞いてきたので、珊瑚はお礼と一冊の書物を告げた。

離れの一室は16畳の和室と、それをコの字に囲む板の廊下。さらに廊下で囲まれていない側には4畳ほどの板の間がある。板の間には万が一に備えた様々なものが入っており、夜間は護衛の人間もそこに寝泊まりしているらしい。
そもそも何故そのような環境で過ごしているのかといえば、理由は単純明快、珊瑚がとても病弱であり日常生活に支障をきたすからだ。


「君がため 惜しからざりし 命さへ…」


本家の3番目の子供であり次女の蜜柑は産まれる前からの婚約者であった。しかしながら、珊瑚は4歳になる頃に喘息持ちであり気管支が弱く、偏頭痛持ちで病弱という、なんとも当主には向かない体質であることがわかったのだ。両親はその分、座学で当主を支えるべきだと考えを改め、次男である甚三(じんざ)へと当主の座を譲らせて珊瑚には座学を嗜ませた。
珊瑚が以前実際に送ったことのある百人一首の1つである詩から、下の句を頭のなかで反芻していると、女中が出て行った障子戸にすっと影が見えた。


「長くもがなと 思ひけるかな、ですか。随分と心が弱っているようですね」

「蜜柑さん…」


自分のそれとは全く違う、細く高い女子の声。入ってくださいと促すと、綺麗な所作で障子が開かれた。戒愁家の次代当主である蜜柑が着ていた藤色の着物は、以前珊瑚が父親が懇意にしている呉服屋に頼んで贈ったものだった。その事実に少しばかり安堵しつつ、珊瑚は居住まいを正して机の片側に置かれていた座布団を薦めた。
蜜柑の背後から同い年くらいの少年が入ってきたが、彼は無言で障子戸のすぐ側に正座してしまった。蜜柑も気に留めていない様子を見ると、護衛か何かだろうか。


「それで。藤原義孝の詩を詠むだなんて、どういった心情なんですか?」

「いえ…ただ、少し昔のことを思い出してしまって。一日千秋とは言いますが、蜜柑さんとの婚約が解消されてからは、一日がとても長いのです。日がな一日勉強しかしていないということもありますが、まるで世界が色を失ったようで…」

「はい、ストップ!」


蜜柑に静止の言葉をかけられて、珊瑚は慌てて口をつぐんだ。自分が思っていることを、知っている言葉の限りを尽くして喋り続けるのは悪い癖だと自覚している。


「私も、婚約が解消されたことには驚きましたが…こればかりは仕方がありません。一族を束ねるものとして、確実に血を残していく必要があるんですから。」

「そうですね」

「最近知り合った友人も、同じように一族の血を繋げることを重視している人が居ます。話を聞くと面白い人ですよ。今度引き合わせましょう」


蜜柑の背後に居た少年がギョっとした顔をしたが、そんなに凄い人間なのだろうか。珊瑚はしばし思案し、口を開いた。


「ま、僕は別に蜜柑さんのこと好きでもなんでもなかったので問題ありません」

「失礼ですね。元婚約者の前でそのような口のききかたは…」

「だってそうでしょう。お互いどんな人間なのかも知らないんですから、好きになりようがありません。一族のために結婚するというのも薄ら寒い話ですし」


ひょいと肩をすくめてみせれば、蜜柑はひどく大きくため息をついた。どうやら珊瑚の回答はお気に召さなかったらしい。もちろん、第一子でもなく女性である蜜柑は、最初から当主候補であったわけではない。そのためか珊瑚よりも立場に縛られないことを好むし、何よりも責任の重さを疎ましく感じているようにも見える。
護衛が背後の少年一人だけというのも、彼女が気を許せる相手のみを連れ歩いている証拠だろう。


「確かに…その友人も血族を守りつつも好きな人と添い遂げる道を選ぶようですから、珊瑚の言い分が間違っているとは思いません。ですが、あなたも一族の中で1つの家系の長になるのですから、早々にお見合いでもしてくださいね」

「ええ、もちろん」

「蜜柑さん、そろそろ行かないと時間がなくなります」

「あぁ…麗奈たちを待たせてしまいますね。」


蜜柑がその場を辞そうとすると、背後に控えていた少年がすっと立ち上がり、蜜柑にも負けないほどの所作で障子戸を開いてみせた。どうやらただの護衛というわけでもないらしい。珊瑚が少し目を見開いて見ていると、少年は小さく会釈をして先に蜜柑を通した。
それから少年は振り返ると、改めて膝を揃えて座った。更には深々と頭が下げられる。


「申し遅れました。梔子剣と申します」

「あぁ…梔子の家の……そうか、蜜柑さんは君に護衛を任せているんだね」


戒愁家に連なる一族の中で、最も武術に秀でた家柄である梔子は、毎世代の当主の護衛を務めることが責務だ。所作がしっかりとしつけられていることも、蜜柑が一人しか連れ歩かないことにも納得できた。


「珊瑚様へのご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げます」

「気にしないで。顔をあげてほしいな。君のこと、蜜柑さんも気を許してるみたいだったし。僕から言うのも変な話だけれど…彼女のこと、よろしくね。」


にっこりと微笑んでみせると、剣と名乗った少年もまた心得たというように神妙な顔つきで頷いた。それから、弓道をやっているのか独特な動きで立ち上がると、少し先に行ってしまった蜜柑を追いかけるように部屋から出て行った。

藤原義孝は、思いが通じあった直後に病でこの世を去ったという。
珊瑚は、婚約をしていながらも両思いではなく、さらに病のせいで婚約破棄となった自分の身の上と、彼の詠んだ詩がどことなく被って見えるのだ。自らの行いのせいではなく、病というどうしようもないもののせいで、手に入れられるはずのものを失う。
同時に様々な責務からも開放されてはいるのだが、その責務でさえも失ったという喪失感は拭えない。藤原義孝も、死後は珊瑚と同じような気持ちになったのだろうか。などとも思ってしまう。


「ほら剣、遅いですよ。麗奈たちを待たせているんですから、早くしてください」

「待ってください!こう見えても一応梔子の長子なので立場とか身分というものが

「私の連れとして来ているんですから、肩肘張りすぎです。そのくらい気づきなさい」

「あっ、はい…すみません……」


自分といる時よりも随分とリラックスした様子の蜜柑の声が聞こえ、珊瑚はなんだか胸の奥がこそばゆいような感じがした。障子越しに入ってくる朝日のような、簾越しに見る十六夜の月のような。そんなほっこりと暖かな何かを感じながら、珊瑚はまた読書を続けようと本を開くのだった。


いつか自分も、あんな風に笑い合える誰かと巡り会えるのだろうか。
そして願わくば、君が幸せでありますよう。






終。

2014年12月2日火曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・桑染編

その男は当主に忠誠を誓っていた。しかしながら、それは「当主」という存在に信頼をおいているのであって、先代の当主であった風間木賊(かざまとくさ)個人に信頼を置いていたわけではない。これは恐らく、彼以外の男たちにも同じことが言えるだろう。それが、「風魔」という特殊な一族の特徴であるからだ。






【 仮想大江戸 お伽話 閑話・桑染編 】






世の中には不思議なことがいくつもある。そう思われていたのはだいぶ前の話であるが、大江戸歴が2000年を超えた今でも摩訶不思議な出来事というものは存在するはずなのだ。しかしながらそれが世に語られないのは、当事者たちが必死に隠し守っているからなのである。
その1つであるのが忍という者たちであり、風魔一族である。

男の名前は桑染一真(くわぞめかずま)と言った。風魔としての例に漏れず、真っ白な髪の毛とそれとは対照的な濃い色の瞳。そして父親である桑染家の当主から受け継いだ忍としての技術。どれもが一真の自信であり、誇りであり、これから守り続けていくべきものだ。
ただ問題があるとすれば、それは一真が「出来損ない」と呼ばれることだった。
以前、庭で雀が怪我をしているのを見つけた。それを丁寧に世話をしてやっているところを偶然にも風魔の里の者に見られ、「なぜ世話をしているのか」と問われた。それに「可哀想だと思ったからだ」と答えたところ「こいつは忍として出来損ないだ」と言われたのだ。
全くもって理解に苦しむ。自分より弱い者を守ることが忍ではないのだろうか。幼いながらに納得ができず、母親に相談した記憶もある。


「あの雀は元気にしているだろうか…」


縁側に腰掛けて空に向かってつぶやけば、どこかでカラスの鳴き声がした。「生きているわけがないだろう」と言われたような気がして、一真は眉をひそめた。

風魔の里では、成人の儀式というものが行われる。それは感情を完全に押し殺し、当主の命じるままに動けるようになることだ。故に、雀を可哀想と感じた一真は風魔としては出来損ないである。里の者達はそう言った。
暦が冬に変わり息が白くなりはじめた夕暮れは、やはりさむい。成人の儀式を終えているとはいえども、一真もまだ15になる子供だ。風邪をひくことはないだろうが、身体を万全に整えておくことも任務のうちである。


「一真、居るか?」


庭先からした声に顔を向ければ、見慣れた白髪が居た。その白髪の中には一房だけ緑色の髪の毛が混じっている。当主の息子であり、謀反を起こした先代を始末し次代の当主として認められつつある少年。桑染の一家が全力で守るべき対象であり、そしてなにより、一真にとって彼は幼なじみでもある。


「若様、どうなされたのです?」

「やめろ気持ち悪い。俺が当主になったとしても、別に幼馴染であることに変わりはないだろう。」

「変わるでしょう、周りがお前を見る目が。」


彼の名前をいちいち脳内に呼び起こすまでもなく、一真の中に「風間常磐」という人間は色濃く存在している。それこそ、いつぞや手習いの本で読んだ、赤い魚の中に一匹混じった黒い魚と同じほどの存在感だ。


「それで、わざわざ何用で?自宅からは随分遠いだろうに」

「千歳と朽葉の墓参りだ」

「あぁ…お兄さんたちのか」


常磐とは歳の離れた兄たちは、彼の母親と同じ頃に流行病で亡くなった。常磐はまだ幼く兄たちの記憶はおぼろげであるようだが、一真は少しだけ覚えていることがある。


「ちゃんとお団子は用意したみたいだな」


兄である千歳も朽葉も団子とまんじゅうが好きなのだ。常磐はさほど甘味に興味はないようだったが、墓参りの度に美味しいと評判の店を探しては新しい団子を備えているようだ。そして今日もまた包を持っており、これから墓参りに行くのだろう。せかっくだから自分も着いて行こうかと一真が立ち上がりかけると、常磐はそれを手で制した。


「いや、墓参りは済ませた。この包は土産だ」

「土産…?家のものにか?」


確かに当主として忍として実力がある常磐だが、それでも普通の人間としての能力はとんでもなく低い…どころの騒ぎではなく、一真が知るところでは自転車に乗るのに年齢制限は無い、といった一般常識が欠落しているレベルだ。
以前二人で任務で市街地へ出た際には、走りゆく車を見てはあれが良いだのこれが良いだのと楽しげに笑っていたのも記憶に新しい。一真の場合は元より世間に紛れ込むような任務を得意とする一家であったため、もちろん車やら世情にも明るい。そうでなくとも、普通に里で暮らしている者たちよりも、常磐は圧倒的に欠けているはずなのだ。
その常磐が土産を持っているなど。明日は雨が降るだろうか。もしからしたら槍が土砂降りになるかもしれない。一真が屋根瓦の心配をしていると、その顔を何と受け取ったのか常磐は照れくさそうに笑った。


「今夜から、夜子が屋敷に来るのでな。」

「は?……夜子って………あの紅一族の末裔が風魔の里に…?お前、何考えてるんだ…?」

「あわよくば今夜は

「やっぱり言わなくて良い!!」


一真は危うく聞いてしまいそうになった内容を予測して頬を染めると、慌てて冷静な顔を取り繕った。
紅、という家は、たとえ音楽や芸事に精通していなくとも名前を知っているほど、この国の音楽に大きな影響を与えている女系家族だ。その家の末裔に、常磐が熱を上げている。という噂は耳にしていたものの、政治的な意味合いが強いとばかり思っていた。


「その…和菓子は茶請けにするのか?」

「あぁ、あいつは和菓子が好きだからな。特にこの店の猫まんじゅうは好んで食べるらしい」


わざわざ幼い少女のために和菓子を買いに行ったと言うのだろうか。風魔の当主が、女のために?一真は混乱で回りづらい舌をどうにか動かし、常磐に視線を向けた。


「で、夜ってことは当然食事をして帰るんだよな?」

「今回は泊まりだ」

「……ちゃんと別の部屋だろうな…?」

「何故部屋を分ける必要が有るんだ?」


心の底からキョトンという顔をしてみせた常磐に、一真は全身の力がぐったりと抜けていくのを感じた。だめだコイツ、早くどうにかしないと。
一般常識に欠けている、ということを踏まえてもだ。婚前の男女が同じ部屋で寝るというのはまずいのではないだろうか。まして彼は風魔の当主だ。弱みになりうるものは全て排除しなくてはならない。これは桑染の家がどうにか正してやらねばならぬことだ。もし、その赤鬼と呼ばれる紅の末裔が常磐のものになったとしても、当主の妻たるもの子供も残さぬうちに死なれては困る。つまりそこそこ強くなくては認められないのだ。
一真は相変わらず世間を変なレンズ越しに見ている常磐に言い放った。


「その赤鬼が来たら、私にも会わせてくれ」

「ウチに何の用ッスか?」

「うわぁ!?」


両肩に、ポン。と何かが乗ったのが分かった。


「夜子、来ていたのか。随分と早かったな、まだ日暮れ前だぞ」

「夕方からのお仕事がドタキャンになったの。メール入れておいたんだけど、見てない?」

「すまない、受信されてないみたいだな」


あっれーまじか。それは辛いー。風魔の里って電波悪いの?
と、口でプンスカという擬音を言いながら、その何かは一真の上から退いた。背後に移動した気配を追いかけて目を向ければ、そこには綺麗な赤黒い髪の毛を部分的に結い上げた、和服姿の少女が立っていた。背中には黒いケースを背負っており、何か楽器が入っているのだろうことが分かる。跳ねまわったために落ち着かない髪の毛を撫でる手は、楽器の演奏のせいか同じ年頃の娘よりも少し節が太いように見える。
可憐な少女の手というよりも、働く女性の手といった感じだ。あずき色の着物の上には灰色の羽織を着ており、その羽織には小さく品よく、銀糸で家紋が刺繍されている。髪飾りには鳥の飾りが着いており、赤毛によく映える金色は、さながら夕焼けを舞い踊るトンビのようでもある。
その背格好と家紋を見て、一真は瞬時に気づいてしまった。この少女こそが紅一族の末裔である赤鬼に間違いない。


「で、常磐、この御方は?」

「彼が桑染一真、代々当主の補佐を務めている一族だ。」

「はじめまして、私、紅夜子と申します。どうぞ、お見知り置きを」


丁寧にお辞儀してみせた少女は、どこか常磐の母を思わせるような妖艶さがあった。見たところ自分や常磐よりも少し年下のようだが、その年齢でそのゆったりとした所作が出来るものなのかと疑いの視線を向けたくなる。
一真もどうにか自己紹介をすると、お辞儀を返した。

圧倒された。その場に居るだけだというのに、存在感が大きいのだ。初めて常磐に会った時と同じような、頭が上がらないという動物的な本能を感じてしまう。


「いかがですか、ご当主の補佐殿。あたくしは…お眼鏡にかないまして?」


女豹か、女郎蜘蛛か。捕食される側はこんなにも怖いのかと、一真は生唾をのみこんだ。


「夜子、あまり一真を虐めてやるな」

「え~、いじめてるつもり無いもん」


常磐に肩を叩かれた途端に和らいだ空気に、一真は大きく息を吸った。どうやら無意識に呼吸が浅く小さくなっていたらしい。このような少女相手に悔しいと思うが、それと同時に、これならば常磐に相応しい。そう感じた。


「ほら、あまりこいつの休日を潰すのも申し訳ない。行くぞ」

「いつも潰しにきている常磐には言われたくないな。ほら、さっさと行った。一族の未来はお前にかかってるんだからな」


そう言えば、常磐も何を言われたのか察したらしく、赤鬼と呼ばれる少女の手を柔らかく握ると自宅の方へと歩き出した。

今、先代風魔の残した事件のために、江戸も風魔の里も落ち着きが無い。これから動乱の時期を迎えるのは確かであると、一真は考えている。そしてその中で、ごく少数であるこの一族が生き残っていくためには、当主となる常磐の働きが重要になるだろう。
さらに言うのであれば、彼の働きには一真たち風魔に属する人間の働きが直結しているし、何よりもあの赤鬼が影響しているだろう。一時は感情を完全に失っていたように見えた常磐が、ああして一人の少女を大切そうに扱っているのだ。赤鬼の影響力は計り知れない。
もしかしたらこの先風魔の未来を変えるのは、常磐一人ではなくあの二人になるのかもしれない。一真はどこかホクホクと温かい気持ちと、常磐に対する滅びればいいのにという相反する気持ちを抱えて自室へと引き上げた。
外では雀が大空へと飛び立ったところであった。





終。

2014年9月19日金曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・常磐編



暗い場所に居た。
床は冷たく、両腕を広げると壁と壁に手がつくくらいの、正方形の「何か」の中。俺はその何かの中でひたすらに時間が経つのを待っていた。
この何かから出されるまで、俺は自分の一族の一員だと認められないらしい。なんて古臭い因習だと思う。髪の毛の色やら、感情やら。どうだっていいじゃないか。俺が一番任務をこなせることに変わりない。
だから早く、ここから出せよ。


出せ。

そして----




 -----殺させろ。








【 仮想大江戸 お伽話 閑話・常磐編 】








赤いものは好きだ。特に血の色が好きだ。人肉の色も嫌いじゃないが、夕日が山へ沈んでいく時の汚い茜色が好きだ。
明るい場所は嫌いだ。目が痛い。俺を拒絶するように、光は俺に害をなす。昼間は嫌いだ。太陽が空に登って、いつどこからでも俺を狙ってくる。

この感覚は誰しもが持っているものだと思ったが、どうやら違うらしい。同じ一族の子供の中でも、俺は特異な存在らしかった。


風魔一族。この名前を出せば大抵の人間は大人しくなるくらい、大きく有名な忍びの一族。世襲制で血統を重んじ、当主の命令1つで全てが決まる。要するに独裁政権。
血を薄めないために一族の中で子供を作る必要があるが、任務を遂行するために幼いころ感情を殺す儀式を行う。つまり恋だ愛だなんていうものは精神疾患でしかない。あるのは主への忠誠心と一族を守る誇りだけ。

愛が無いならどうして俺は生まれたのか?

当主である父親と嫁入りした母親は、婚姻統制。つまり血が濃くなりすぎないよう、一族の中で一番遠い血を持った者同士で結婚したらしい。跡取りが欲しいからと、兄の次に俺を。それから弟と、妹を二人。それだけの兄弟を産んで母親は死んだ。流行病だったらしい。
一族の中でばかり血を混ぜるから、忍びとして優秀な反面、病に弱くなるんじゃないだろうか。これくらいのことは適当に頂戴してきた医学書を見ればすぐに分かることだ。どうして誰もそれを指摘しないのか。

障子越しに降り注ぐ月明かりを頼りに本を読んでいれば、廊下に足音はなく気配だけがやってきた。


「常磐様、ご当主様がお呼びです」

「今行く」


なんでこの家に仕える者は足音をたてないのだろう。意味が分からない。気配を消さなかっただけまだマシかもしれないが…。

父親の居る屋敷で最も奥まった場所にある部屋へ立ち入ると、珍しく夕食を共にするらしい。膳が運ばれてきた。肉じゃががある。確か父親の好物だっただろうか。


「常磐、お前も今年で7つになるな。」

「はい、父上」


父親のことは嫌いだ。母親が亡くなる前から、時折別の女の匂いをさせていることが多かった。こいつだって風魔一族なのだから愛情なんてものは持っていないはずなのに、どうして他の女性に手をだすのだろうか。気色悪い。


「次の新月に、儀式を執り行う」

「……承知いたしました」


ついに来たらしい。所謂、成人の儀式のようなものだ。
俺たち風魔一族は、両親が認めた時から任務の手伝いをするようになり、徐々に仕事に慣れていく。その過程で徐々に髪色が抜けていく。そして最後にこの儀式を終え、髪の毛の色が抜けきったら一人前になれる。正直、髪の毛の色などどうでもいい。
俺が一番任務が上手くて、一番殺せることに変わりはない。

儀式は、何も食べれない、何も見えない、狭い暗闇の中で髪色が無くなるまで死なずに過ごすこと。暗闇の中、という表現になったのは、実際にその暗闇がどこにあるのか分からないからだ。
人によって儀式の長さは違う。中には何もない空間に気が狂って死ぬ者も居るという。つまり、その闇と無に耐えられなければ、風魔として忍びの任務は務まらないということだ。




そして俺は、翌日目が覚めた時には暗闇の中に居た。
床は冷たく、両腕を広げると壁と壁に手がつくくらいの、正方形の「何か」の中。

大好きな血の色も、母親が俺の名前に付けたように綺麗な緑色の山も見えない。
確かにこれは気が狂いそうだ。

気持ち云々の前に、水も食事も与えられないのだ。まずはそこを解決しなければ、流石に1週間が限界だろう。



(早く任務に行きたい…)


(早く、人を殺したい)


(殺させろ)

(早く)
(早く)

(早く)

(早く殺させろ)



(殺させろ!)




何を念じても、父親には届かないらしい。立ち上がって腕を伸ばしても届かない天井。運動するにも狭すぎる暗闇の中で、苛立ちばかりが募っていく。
時間の経過が分からない。苦痛だ。早く任務に戻りたいのに。


<Yah- hiyah- ie- nh-Aha->


狭い闇の向こうで、聞きなれない歌声が聞こえた。
日本の民謡のような、中東の民族音楽のような独特な節回し。
中低音の裏声で、暗闇を作り出している箱のようなものが振動している。歌声で物体を共鳴させられる人間は少なくないが、この大きさのもの、まして屋外の地声でここまで響かせられるものなのだろうか。
そこまで考えてから、俺は歌声の主が外で歌っているらしいことに気づいた。声は暗闇全体を振動させているためわかりづらいが、斜め上の方向から聞こえてくる。歌い手が高い位置にいるのか、はたまたここは土の中なのか。

歌声はまだ続いていく。
俺の大好きな、血の色ににた赤い色を想像させる歌声。気高く、華々しく、荘厳で背筋がぞわりと凍りつくような歌声。知らない曲だというのに、暗闇の中で聞き入ってしまう。


「誰か…居る?」

「っ!」


歌声がやみ、唐突にこちらに向かって声が飛んできた。空間全体を震わせていた歌ではなく、確実に俺の居る場所を捕らえて発せられたまっすぐな声。然程年齢の変わらないであろう少女の声に、俺は思わず返事をした。


「ここに居るんだ!」

「……アマイモン?」


なぜ悪魔であり大地の王の名前が出てきたのかは簡単に想像がついた。ここは恐らく土の中。土の中に縦長の箱が埋められているのだろう。


「違う。訳あってここに居るんだ。出るわけにはいかない」

「そう。なんか、昨夜と響き方が違うと思ったら、誰かが地下に部屋をこしらえたのか。」

「今の歌は、なんという歌なんだ?」

「知らない」


そっけない返事に、涙が出そうになった。


「知らないとは…?」

「私が作った曲だから、まだ曲名はないの。」


そっけなさから一転して嬉しそうな声で言った少女に、俺はどうやら1つの感情を植え付けられたらしい。
その声がほしい。


出来るのならば、素手でその喉を引き裂いてその血の色を見てみたい。手でなくとも、喉笛に噛み付いたらいいだろうか。彼女の綺麗な赤色の血は、さぞかし美味であることだろう。あぁ、ゾクゾクする。
顔も知らない相手を殺したいと願うなど、始めてのことだった。


「そうだ、そこから出れないなら暇でしょう?私と一緒に曲名考えてよ」

「構わない。だが、1つ聞いても良いだろうか」

「何?」

「俺は常磐。お前の名前が知りたい」

「……」


少女が少し迷う気配がした。


「私は、夜子。赤鬼って言う方が、知ってる人多いかもしれないけど」


夜子。
小さく呟いた。

これで探せる。この儀式さえ終わってしまえば、この少女を探し出し自らの手で引き裂いて血肉を貪り、眼球は繰り抜いて部屋に飾っても良いだろう。大腿骨を削りだして使いの鳥たちを呼ぶための笛を作ってもいい。
あぁ、なんと素晴らしいのだろう。


「それじゃぁ常磐。もう一度歌うから聞いててね」


呼ばれた名前に心臓が破裂しそうなほどの衝撃を受けつつ、俺はもう一度紡がれる異国風の旋律に耳を傾けた。




あぁ、この歌が、曲が愛おしい。お前が愛おしい。
少しだけ待っていてくれ。
すぐに、殺しに行ってあげるから。











終








2014/09/19 今昔 夜子

【仮想大江戸】番外編 閑話・千草編




はじめまして。
困った顔でそういった女の子は、都会育ちの他の子供たちと違って、とても素直そうだった。





【 仮想大江戸 お伽話 閑話・千草編 】




自分より少し年下の少女・浅葱がこの妓楼にやってきた時は、連れた来た友人の頭を精一杯の力で殴り飛ばしてやろうかと思ったくらいだ。もちろん、事前に連れてくることや事情を聞いていたからそんなことはしなかったけれど、どんなところに連れて行くのかくらいは説明すべきだと、オレは何度も言ったはずだ。


「しばらく…いや、今後この子が死ぬまで預かってくれ」

「それって、暗にこの妓楼で働かせろって言ってる?」


真っ白な髪の毛を緩く結い上げ、気だるそうな、けれど感情の見えない深い緑色の瞳をこちらへ向けた友人に、オレはため息をつくしか出来ない。


「暗喩ではない、明朗に『引き取れ』と言ったつもりだったが……」

「あー、うん。常磐が頭良いのは分かったから、ちょっと黙ろう」


相模のあたりを牛耳っている忍びの一族「風魔」。その当主である風魔小太郎の息子さんが常磐だ。どうしてオレと知り合いなのかは…まぁ思い出したくもないので置いておこうか。
ともかく、オレの視界に無表情の友人と、その友人に連れて来られて内装が珍しいのウロウロソワソワしている少女が居ることに変わりはない。

絢爛な屏風、賑やかに吊るされた提灯、縁に鮮やかな刺繍がされた畳、磨き上げられた板の間。そして店中を流れる木製の小さな水路。

ここは妓楼だ。
女性が芸を売る場所で、体を売ることもある場所。法律上は売春行為は規制されているので、あくまでも「店内では女性スタッフと恋愛自由」と謳っている。超グレーゾーン経営だ。それはオレの実家であるこの妓楼だけでなく、この吉原と呼ばれる色街一体のお店全てに通じること。
そんな法律的にも人道的にも、この子の将来的にもよろしくない場所へ、どうしてこの常磐はこの子を連れてきたのだろう。他に頼れる場所なんていくらでもあるだろうに。まして、彼は風魔一族の次期当主。裏社会の権力はそんじょそこらの政治家じゃ敵わないレベルで持っているというのに。


「それで、どうして浅葱ちゃんをオレのところへ?常磐が預かればいいんじゃないの?」

「俺のところへ?馬鹿か、貴様。俺のところへ来て世間で暮らしていくための能力が身につくと思うのか?闇社会で一財産稼ぎたいというのなら話は別だがな」


あ、意外とコイツしっかり考えてるんだ。でも他所に預けて警護だけするっていう発想がないあたり頭硬いよなぁ。
なんて常磐を見下ろすと、不機嫌そうに目を細めて見上げてくる。

忍者なんて、日常生活を普通に送っていれば出会うことなんてない。だからオレはこいつがどんな風に育って、オレやこの子、それから最近気に入っているという女の子をどういう目で見ているのかは分からない。
信用出来るのは、こうして無表情な目で発した言葉だけで、それでは信頼に足らないという大人も多い。


「分かった、我が家で引き取るよ。ただし、自分でお金を稼げるようにするとしても、ここで学べるのは芸だけだ。その辺りは、常磐も気にかけてやってくれよ?」

「気にかける?…菓子でも送りつけたら良いのか?」

「うーん…ま、それでいいや。」


オレたちが話に切りをつけようとしたところで、


ばっしゃーん


大きな水音がした。
慌てて振り返ると、店の中に流している水路からざばっと浅葱ちゃんが顔を出した。びっしょり濡れた髪の毛が顔に張り付いて、海のお化けのような出で立ちになっている。


「あ~あ~!!満さん、タオル持ってきてー」


オレはともかく女中さんにタオルを頼むと、浅葱ちゃんに駆け寄って水路から引っ張りあげた。浅葱ちゃんは落ちるとは思っていなかったのか呆然と目を見開いていて、なんだか少しおかしかった。


「ごめんなさい…」

「いいよ。どこか痛くない?」

「大丈夫…です。」

「よかった」


オレと数歳しか違わないはずの浅葱ちゃんは、なんだかとても幼く見えた。オレは生まれも育ちもこの江戸だから分からないけど、他所の小さい子はみんなこんな感じなんだろうか。機会があれば常磐のお気に入りちゃんにもあってみたいものだ。

女中さんが持ってきてくれたタオルで浅葱ちゃんを拭いてやると、常磐は仕事の時間だと言って去っていった。今日もきっと、オレには想像も出来ないような危ない仕事に手を出すのだろう。
一般人に生まれて良かったなーと思う反面、少し常磐の生き様に憧れてしまう自分に嫌悪感。


「お兄さん…」

「ん?」


濡れた着物を着替えさせようと、家にあがるように促すと、浅葱ちゃんは少し躊躇うようにオレの着物を引いた。


「常磐の髪の毛って、どうして白いの?年齢は、私よりちょっとお兄さんなだけだと思うんだけど…」


あぁ、そうか。

この年齢で白髪になることは少ない。そして、風魔一族が意図的に白髪にしていることも、その方法もこの子は知らないのだろう。
いや。普通は、知らないのだ。
オレは話すべきか少し悩んでから、やはり知っておくべきかと口を開いた。


「常磐の一族の習わしなんだよ。一人前になるために、髪の毛が白くなるようにするんだ」

「…染めるの?」

「染めない。もっと、怖くて痛い方法で白くするんだ」


風魔一族は、感情がない。希薄ではなく、完全に無い。その証拠が、白髪。

常磐に少しだけ聞いたことがある。
過酷な訓練と、それから絶対的な絶望。それを与えられるうちに、瞳から光は抜け、髪色は白くなる。もともとは黒髪が多い一族らしいけれど、それを知るのは身内とごく一部の部外者のみ。一族の中で婚姻統制が行われることも多く、恋愛なんて無いに等しい。

絶対的な絶望とやらの内容は怖くて聞いていない。オレは痛々しいのは嫌いだし、グロテスクなのも嫌だ。


「でも、常磐は一房緑だった。一人前じゃないってこと?」

「あぁ、あれはね…一人前になった後で、色が戻ったらしいよ」


本当か嘘かは知らないけれど、例の常磐のお気に入りちゃんが感情を取り戻させてしまったらしい。だから常磐とオレの関係もちゃんと続いているというわけだ。感情が完全に無い人と付き合っていけるわけがない。常磐は少しだけれど、他の風魔よりも感情の振り幅が大きい。
無だった感情を有に変えたのがお気に入りちゃんだそうだ。それ以来、常磐の人生は変わったことだろう。知らなかった感情を1つ覚えるだけでも世界は変わって見える。それは我が家に務める芸子さんたちを見ていれば分かることだ。
客であったはずの男に惚れて出て行くのを見送ると、その芸子がいかに幸せで満ち足りているかが分かる。お気に入りちゃんの話をする時の常磐は、そういう時の芸子に似ているのだ。


「オレにも見つかるといいんだけどね」


新しい感情を、教えてくれる相手が。
所謂、運命の人だとか、赤い糸で結ばれた相手とかいうやつだ。


「そっか。常磐は大事な人が居るのか…羨ましい」


浅葱ちゃんの小さな声は、妙に屋敷の中へ響いたように感じた。
昼間の静かな屋敷の中へ、すっと通る声。揺れる空気。一瞬、彼女が大人なんじゃないかと錯覚するような憂いを帯びた声。我が家で一番の歌い手よりもよほど可愛らしく色っぽい声だったように思った。
美しいとかそんなものじゃない。麗しい。


「決めたよ」


オレはすこし腰を折って浅葱ちゃんと視線をあわせると、その綺麗な瞳を覗きこんで言った。


「オレが浅葱ちゃんの芸名を決めてあげる。」

「芸名?」

「そう。ここはね、女の人が歌や楽器、踊りでお金をもらう場所だ。そこで使う芸名。浅葱ちゃんだけの、新しい名前だ」

「名前…!ありがとう、千草!」


満面の笑みで呼ばれた名前は、やはり凛としていてオレの心が波打ったような気がした。
女社会の妓楼で生き抜く術をきちんと教えてあげなくちゃ、このオレが。

後から思い返すと、この時感じた保護欲とやらは、「新しい感情」だったのではないかと思う。













終。

















2014/09/19 今昔

2014年7月31日木曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・剣編


オレには幼なじみで従兄弟の女の子が居る。紫とかピンクとか、そんな言葉じゃ表せないような髪色が凄く綺麗で、頭もよくて。でもオレからみると「本家の長女」である幼馴染----橙里とオレは、今は仲良くなってはいけない。






【 仮想大江戸 お伽話 閑話・剣編 】







橙里はそういう家の上下関係とかには敏感だ。けれど本人がそういうのを気にしているわけじゃない。ただ、オレと仲良くすると大人たちがあまりいい顔をしないから、それを敏感に察知してオレや弟の徹を守ってくれているんだ。
本当はオレが男だから、女の橙里を守ってやらなくちゃならないのに。ずっとそう思ってきた。


「剣、お稽古の時間です」

「はい、先生!よろしくお願いいたします!!」


道着に着替えて、基礎体力をつけるための走り込みに筋トレ、それから打ち込み。剣術の師範代の教えを忠実に再現するべく日々鍛錬。橙里を守れるだけ強くなるために、橙里を守れるようになるまで近づかないと決めた。家の取り決めである会食は顔を出すが、それ以外はオアズケだ。

この日本には何人も「超人」と呼ばれる人間がいる。
筆頭は戒愁家の本邸がある相模に住むという「風魔一族」。魔術だか忍術だか、とにかく怪しい術を使う一族で、身体能力も高い。忍者の生き残りだそうだ。
それから「紅」。この家は女系で、代々女性は音楽や絵画など芸術に秀でた才能を見せている。今の末代は「赤鬼」と呼ばれているらしい。こ、怖くなんかないぞ!

江戸に居ると言われてるのは「清白千草」。情報通の男らしく、そいつに高値で情報を買う政治家が後を絶たないらしい。
経済面で言うなら「戒愁家」。言わずもがな橙里の実家で、日本経済を支える大きなお家。

オレの家、「梔子」はその戒愁の分家であり、代々剣術や槍術、馬術を極めてきた。オレにもその才能はきちんと受け継がれているはずなのに、学校以外で比べるとまだまだ弱い。


「剣!!右足の踏み込みが甘い!!体重ではなく重心を前に持っていけッ」

「はい!」


なんでもう一歩踏み込めないのかオレなりに考えてみる。慣れてないから?いや、物心ついた時には竹刀も木刀も握ってるんだ。慣れてないわけがない。オレの頭が悪いからか!!そうか…それは……あれだ、どうしようもないな!でも頭が悪かったら橙里の近くにいつまで経っても行けないよな。
でもオレが本当に近づいてもいいのか?なんて、邪念ありまくりの状態で受けたその日の稽古は散々だった。




 ◇ ◇ ◇




オレが打ち身だらけになった稽古からしばらくして、定期開催されている戒愁家との会食の日になった。いつも通り、普段より少しだけ上等な着物を着せられる…と思いきや、今日は新品の洋服だった。
橙里はいつも綺麗な和服を着てくるから、オレも洋服じゃなくて和服がいいなぁ…なんて。


「万が一の時、洋服の方が橙里様を守れるのではありませんか?」

「なるほど!!そうだよな、なら今日は洋服で行く!」


そうか、和服より洋服の方が戦いやすいのか!確かに袴がバサバサしないもんな!侍女さんすげえ!頭いい!!

そんなワケでオレは弟の徹と親父と一緒に会食に向かった。洋服はやっぱり動きやすい。戦争が終わって西洋文化が入り始めてから、日本でも洋服が着られるようになってきた。でもなんでか今の時代になっても和服を着てる人は多いんだよなぁ。特に袴姿…ハイカラさん的な格好の人だ!
その夜も橙里は可愛い着物に見を包んでいて…あ、くっそ……可愛いじゃねえか!!ただ、袖も長いから食べ物を取る時は大変そうだ。


「……む、遠い…」


むってなんだ、むって!!可愛すぎか!!


「橙里さん、オレが取りますよ」

「あ、ありがとうございます」


我ながら、面と向かった時に「橙里さん」としか呼ぶ勇気のない己が情けないぜ。本家と分家っていう壁で、少し躊躇ってしまう小心者だ。いっそ小さい頃みたいに「橙里ちゃん」って…いや、男らしくないから無しだな!


「うん、ごまダレ美味しい」


…橙里のしゃぶしゃぶサラダにかかっているごまダレの量がおかしい。というか、ごまダレに豚肉とレタスが浸ってるという方が正しいな、あれ。そんなちょっと抜けてるところも可愛いぜ!言えないけどな!

そして本家の当主さんとオレの親父とで飲みに行ってしまった後、オレたちは戒愁家に橙里を送り届けに行った。


「何者っ!?」


そう叫んで一歩下がった橙里の足元を見ると、玄関に向かう途中に糸が張られている。誰かが橙里を狙ったのか?
屋根の上から目の前に忍び装束の男性が飛び降りてきた。深い青色の忍び装束は、確か伊賀忍者のものだな。


「戒愁橙里、梔子剣、お命頂戴する」


オレもかよ!!
男はすっと橙里へ何も持っていない手を伸ばしてきた。その手に意識を向けると、ふと人間からするはずの無い匂いがした。


「橙里さん下がって!」


男の手を左手で払いのけると鳩尾に右拳を打ち込む。咳き込んで数歩下がった男に、ザマァミロと笑ってやる。


「あの手に気化性の毒が塗ってある!…橙里さんへの悪意を持った、嫌な匂いがするッ」

「剣?」

「橙里さんは下がっててください!」

「橙里ちゃん、こっちや」


徹が橙里を保護したようだ。
とはいえ、伊賀忍者なんて本職の忍者相手に、オレはどこまで橙里を守れるんだろうか。せめて徹が気を利かせて橙里と二人安全な車内に入ってくれれば…って運転手はなにしてるんだ?
我が家の運転手なら多少戦えるはずなのに。

ああ、もう。なんで帯刀してないんだ、こういう時に限って!!
そんなことを思っていると、黒い忍び装束の女の子が現れた。オレよりちょっと年下…橙里と同じくらいの年齢に見える。それなのに、忍者相手に軽々と拘束して見せた。

つ、強い…。オレより年下なのに、強い!
その女の子は都子と名乗ると、去り際にオレたちのところへとやってきた。


「剣さん、良い嗅覚してるッスね。将来が楽しみっす!」

「あ、ありがとうございます!!」


褒められたー!!
オレ、オレ…すっげえ人に褒められた!!


「ウチもちょっと他のヤツの始末に手間取ってたんで、剣さんが居なかったら橙里さんも危なかったんっすよ」

「役にたてたということですか!!」


ちょっと前にあった剣術の訓練のことを思い出した。あんなふうに師範代に怒られてばかりのオレだったけど、少しは橙里を守る役にたてたんだ。これがどれほど素晴らしいことか、きっと誰に話しても分かってもらえないだろう。
オレにとって橙里とは守るべき対象であり、甘酸っぱい言葉で言うなら初恋の人だ。番犬だとかガーディアンだとか、そんなものにオレはなりたい。橙里が幸せになれるなら、結ばれるのは別にオレじゃなくてもいい。…いや撤回、できればオレがいい。


「役に立てたみたいですよ、橙里さん!!」

「ええ、そうですね…」


苦笑いだったけれど、橙里は笑ってくれた。それが嬉しくてはしゃいでいる間に、都子とその連れの忍者はどこかへ行ってしまったようだ。


「なぁ、あの人すっげー強かった!もしかしたら弟子入りとかさせてくれねぇかなぁ」


そうしたらもっと強くなって、一人でも橙里のこと守れるようになるかもしれないもんな!そんで、その時は…その時こそは……。

オレは後ろで呆れたように笑う橙里の声を聞きながら、いつになるかも分からない未来に思いをはせた。














終












2014/07/31 今昔 都子

2014年7月30日水曜日

【仮想大江戸】番外編03「敵襲」

橙里は自分が嫌いだと思っている。

小さい頃からたいていのものは手に入るし、同じ年頃の子供たちよりもよほど多くのお小遣いをもらっていた。着物の質も上等だったし、薙刀やお琴なんていう習い事もしていた。ただそれが当人にとっても幸せかどうかと問われれば答えかねるし、自分でも幸せかどうかはもう少し時間がたたないと分からない。


「なー橙里ちゃん、早く遊びにいこうや?」


聞きなれない訛りまじりに話す少年を横目で見やって、橙里はため息をついた。






【 仮想大江戸 お伽話 敵襲編 】






神童だとか、そういうことは言われ慣れている。大人も寄ってこなければ子供も寄ってこない。すごいすごいと持て囃されるわりに、親友と呼べる相手は居ない。なんて寂しい子供だろうと子供ながらに思ってしまうのは、自分が所謂神童だからだろうか。
くだらないことに思考を回しながら、橙里は訛りの発生源である少年を見やった。


「ちょっと煩いですよ。私は明日までにこの書物を読み終えねばなりません。一人にしていただけませんか?」


江戸の別宅へと移り住んできてから、橙里はこの縁側で読書をするのがお気に入りだ。穏やかな風とよく見える空。問題があるとすれば、この少年がちょっかいを出してくることくらいだろうか。


「え~、だって橙里ちゃん、この前も同じこと言って遊びに行ってくれなかったやん」

「…手習いの先生がいらっしゃる度に宿題が出るんですよ?当たり前ではありませんか」


橙里にとっては当たり前のことを返答すれば、寄ってきていた少年----梔子徹は口を尖らせた。彼は少し年下の従兄弟で、橙里の家の分家である梔子家の三男坊だ。橙里にこのような軽い口をきいているのが大人に知れたら怒られるのだろうが、告げ口をするほど橙里は意地悪ではないと自負している。


「ともかく、私は江戸に遊びに来たんじゃありません。当主としての勉強をしに来ているんですから。」


この年令で学ぶ必要があるのかどうか分からない経済学。英語はもちろんポルトガル語や中国語、韓国語。英語はともかくとして、なぜ仲の悪い国の言葉を覚えなくては…と思うこともある。それでも辞めないのは、やめてもどうにもならないと分かっているからだ。
ただ、辞めないということと自ら進んでやりたいということは別物で、出来るなら橙里はこの小さい従兄弟と一緒に遊びに行ってしまいたいとは思っている。


戒愁家、といえば、この江戸でも地主として土地を収めている相模でも、大抵の人は「ああ、あの戒愁さんね」と知った顔をしてくれるだろう。それほどに戒愁の家は大きいし、行っている事業も手広い。
そんな家の第一子として生まれ、しかも男の子に恵まれなかったとなれば、当然橙里が後を継ぐことになる。元より努力は好きでないが、やることはやらねばと勉強に精を出した結果が「神童」という渾名だった。最初は反対していた親戚たちも、呉服から洋装の仕入れ、色街まで事業として抱えているこの家を支えられるのは橙里しかいない!などと調子のいいことを言い始めた。

橙里はセミも少なくなってきた木々を見上げてから、本の続きに目を落とした。
セミの一週間しかない命は、子孫を残すという色恋だけに注ぎ込まれる。少しだけその儚い命たちに感動し、そしてその生き様に憧れた。


「橙里様、本日の夜は梔子家の皆様と会食となっております。お支度をされなくては」

「分かりました。今向かいます」


侍女の声に本を閉じると、わきに置いてあった数冊の本も抱えて、橙里は自室へ戻った。
戒愁家の分家である梔子の家とは、定期的に会食が開かれている。会食と言ってもその内容は、本家が分家よりも上であると周囲にしらしめるためのものであり、無駄に贅沢な料亭で無駄に豪華な料理を食べるというもの。
江戸も相模も最下層の住民は不況を嘆いているというのに、この無駄遣いっぷりは一体何なのだろう。橙里はそう思いながら、真新しい薄桃色の着物に袖を通す。


「もっとも、お金のある家の人がお金を使って潤滑油にならなくては、という考えもよく分かるのだけど…」


それにしたって、ほぼ毎月のように行われる会食の度に二着の着物が父親から送られてくるのは、流石にお金の使いすぎだと思うのだ。いったいどこからそんなお金を稼いでいるのやら。
そんなことは今気にしてもしょうが無いか、と、お気に入りの髪飾りで髪の毛をまとめると、橙里は侍女が車を用意して待っているであろう玄関へと向かった。




 ◇ ◇ ◇




その夜の会食はいつにも増して豪勢な場所で行われた。色街の一角にある芸姑を呼んで食事が出来る店で、この辺りでは一番お金がかかると言われている。


「今宵の芸姑には『神子』と呼ばれる娘を呼んでおります。戒愁のお嬢様と丁度同い年くらいでしょうな」

「そうか、それは楽しみだ。あの赤鬼を呼べるとは…いやはや、流石この料亭は格が違いますな」

「お祖父様、『赤鬼』とはなんです?」

「5歳になった頃から頭角を現しはじめた楽器奏者の少女のことだ。その腕は熟練の奏者も敵わぬこと、赤っぽい髪をしていることから『赤鬼』と呼ばれておる。」

「予定は半年先も取れるかどうか。彼女を呼べるのは吉兆と言われているのですよ」


祖父と店員の言葉をBGMに店内を歩いて行くと、玄関を進んだ一階の中央は吹き抜けになっており、中央の池を囲むように廊下があり周囲は狭めの個室があるようだ。さらに二階も三階もほとんど同じ作りなようで、二階の廊下で胡弓を演奏している女の子と目があった。
真っ青な髪の毛をゆったり流した少女は、身の丈は橙里と然程変わらないのにとても大人びて見えた。やはりこの色街に出入りしているだけあって、色々と精神的に大人なのかもしれない。


「本日は二階の竹の間をご用意しております。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」


店員に案内されて木製のエレベーターで二階へあがり、玄関とは吹き抜けを挟んで反対側の和室に通された。祖父と橙里、それから梔子からは従兄弟である徹とその兄の剣、梔子の当主。5人しか居ないというのにとても広い部屋を取ったようだ。相模ではここまで大きな部屋を取ったことはない。祖父が何をしたいのか考えが読めず、橙里はくしゃみを我慢するような顔で障子戸の中へ入った。

16畳程あろうかという部屋に、たった5人。髭面の祖父と軍人のように荘厳な雰囲気を醸し出す叔父。子供が3人も居るとはいえ、この状況ではしゃげるほど橙里も従兄弟たちも鈍感ではなかった。


「さて、梔子。お前さんに聞いておかねばならぬことがあってな」

「料理も出てきていないのにさっそく本題か?」

「私が急かしたい理由はよく分かっているだろう?我ら相模の土地を収めてきた。土地につく一族の守りによってその地盤は固められたと言っても良い。それが今になって何故、そのように他所へ頼るのか。それではあまりにも礼節を欠いている」


祖父の言いたい内容は橙里にはさっぱりだったが、叔父の方は意味を重々理解しているのか苦い顔をした。丁度楽器を持って入ってきた少女、先ほど店員が「神子」だの「赤鬼」だのと呼んでいた少女の存在で、一時会話はとぎれた。
後ろから料理を運んできた女中たちのタイミングを見計らいつつ、三味線を手にした少女は口上を述べると、さっさと演奏に入る。橙里も聞いたことのある古典音楽は、煩くもなく、沈黙が嫌になるでもない程よい音量で流れ始めた。


「何を言っている?我々は偶然傷ついたあの方々を発見し、そして保護しただけだ。恩を仇で返すようなマネは間違ってもしていない」

「……内情についてはなにも聞いていないということか?」

「内情?あの方々が我々に何か話をするとでも?」


橙里はテーブルの丁度剣の前にあるしゃぶしゃぶサラダのお皿から小皿へ取り分けようと半立になった。祖父と叔父の話は聞いてはいるが、内容を噛み砕いて咀嚼するのはなかなか難しい。
何より、この難しい会話に橙里が混ざることはないだろう。


「……む、遠い…」

「橙里さん、オレが取りますよ」

「あ、ありがとうございます」


剣に小皿を手渡し、サラダを取ってもらう。もとから梔子の従兄弟たちは江戸に住んでおり、しかしながらこちらへ越してきてからも剣はあまり遊びに来なかった。徹と比べると遊びに来た回数は半分にも満たないだろう。


(一度しか顔見せに行かなかった私はそれ以下だけれど…)


ごまだれが程よく効いたサラダを頬張りながら、橙里はまた祖父たちの会話に耳をそばだてた。


しばらく他愛も無い話や政治の話、その他ちょっとしたことを色々と話す祖父たちの会話を聞いているうち、会食はあっけなく終わってしまった。去り際に「赤鬼」と呼ばれていた楽器奏者の少女と目があった以外は、いつも通りの会食だった。

二軒目で飲んでくるという祖父と叔父を見送り、橙里は剣と徹と3人で車に乗り込むと運転手に出発を告げた。祖父たちは戒愁家の車で行ってしまったので、まずは橙里を届けてから剣たちは帰宅するらしい。
特にこれといった会話もしないまま、流れる町並みをぼんやりと眺める。いつも通りというものが素晴らしいことはしっている。高熱を出して寝込んだ時に、健康でいることが良いことだと実感するのと同じだ。普段はこうして「つまらない」と嘆いていても、いざ事件が起きれば「普通」が恋しくなるのだろう。
橙里は街灯に照らされて歩く人々を見ながら、自分の大人になった姿を想像した。恐らく、戒愁家に連なる家のどこかの長男か次男を婿にもらって、家業を回していくことになる。街中に暗い場所が無いのと同じで、橙里の将来には何も問題はないのだろう。問題が起きたと居ても戒愁という家が片付けてしまうだろうから。


「橙里さん、着きましたよ。」


剣に呼びかけられて気付き、橙里ははっと我に返った。運転手に告げたお礼がいつもより上ずる。運転手ではなく剣が開けてくれたドアから彼の手を借りて車から降りると、橙里はパッパと着物の裾を整えた。


「橙里さん。明日…こっちへ遊びに来てもいいですか?」

「突然ですね。構いませんよ、食事時にいらっしゃるようでしたら、朝のうちに連絡をくださいね」

「はい!ありがとうございます。それでは、おやすみなさい」


剣に見送られて家へ入ろうとした瞬間、何やら足元に違和感を感じた。さっと視線を下げると、足首よりちょっと上の高さに糸が張られており、橙里の視界の中でその糸は無情にも切れてしまった。


「何者っ!?」


様子見と我が身を守るために一歩下がると、屋根の上から目の前に忍び装束の男性が飛び降りてきた。深い青色の忍び装束はどこのものだろうか。ガタイがいいわけではないが、しなやかな身のこなしをしているように見える。


「戒愁橙里、梔子剣、お命頂戴する」


男はすっとこちらへ何も持っていない手を伸ばしてきた。凶器も持っていないのにどうやって攻撃してくるつもりなのだろう。


「橙里さん下がって!」


のんきに考えていた橙里の目の前に飛び出してきた剣は、男の手を左手で払いのけると鳩尾に右拳を打ち込んだ。


「あの手に気化性の毒が塗ってある!…橙里さんへの悪意を持った、嫌な匂いがするッ」

「剣?」

「橙里さんは下がっててください!」

「橙里ちゃん、こっちや」


徹に手を引かれて車の側まで行くと、剣と忍びは対峙し、微かに指や腕を動かしてなにやらやりとりをしているようだった。武術の達人になると、筋肉の動きで相手の動きを読み、動き出しの時点で全てが決する。薙刀の先生がそんなことを言っていたと思い出した。
忍び装束を着込んだ男性が、ふと顔をあげた。


「気づかれちまったッスね~!」


男性が顔を向けた先、戒愁邸の庭木のうえのほうから声が降ってきた。


「お前、何者だ!」

「伊賀の忍びが風魔のお膝元で何をしようとしてるんッスか?ウチらが黙って見てるとでも思ったん?」

「そこかッ!!」


男性の手からクナイが飛んでいく。矢のような勢いで飛んでいったクナイが、木に刺さる音がした。


「ところがぎっちょん!!」


男の背後から、黒い服を身にまとった少女が飛び降りてきた。確かに先ほどまで木の上から声が聞こえていたと思ったのだが、玄関の上の屋根に居たらしい。
橙里が目を丸くしていると、少女はいとも簡単に男の腕を捻り上げて拘束してしまった。


「いんやぁ~、舐められたもんッスねぇ。『赤鬼』の通名が楽器から付いたと思ったら大間違いッスよ?」

「ッ!?お前、風魔の赤鬼か!?」

「にゃっはっは、流石にそっちは知ってるみたいッスね。さて、次期党首に引き渡されるのと、風魔小太郎に引き渡されるのとどっちが良いッスか?選ばせてあげますよ」


唖然としていると、橙里の右肩がぽんと叩かれた。驚いて飛び上がるように振り返ると、そこには狐のお面をつけた深緑色の忍び装束を身にまとった者が立っていた。服の色が違うので、もしかしたら彼らとは違う流派の忍者なのかもしれない。
男を拘束している少女の服装も忍びのように見えるが、首元が中国の民族服のようになっていたり、黒地に赤と緑の糸で華の刺繍が入っていたりとどちらの味方なのか分からない。三つ巴だったら困るなと橙里が思っていると、少女は狐面の人物に声をかけた。


「あ、ようやく裏、片付いたんッスか?」

「あぁ。待たせたね。すまないな、お前の手を煩わせることになった」

「気にしないで欲しいッスよ。手伝いを申し出てるのはウチなんッスから」


狐面の人物----声からして男性というよりもまだ少年と呼ぶべき年齢のような彼は、拘束されている男に近づくと小声で会話を始めた。脅して情報でも引き出しているのだろう。


「あの、これは一体…」

「あー、ウチが説明するっす。あ、ウチは都子。アンタさんらは戒愁橙里に梔子剣と徹じゃんね?まー、あの忍びは伊賀の者で、何かよく分からんけどこの街のお偉いさんとツルンで戒愁家を没落させようとしてたんッスよ。んで、お祖父様からの要請でウチらがご自宅周辺を見まわってたってわけッス!おーけー?」


軽い口調で淀むことなく喋り続けた少女----都子に、橙里は首をかしげた。


「えっと、先ほどの料亭にも居た…」

「そうッス!ウチの本職は楽器ッスからね!」


カラカラと愉快そうに笑う都子は、男とのやりとりで転んだままになっていた剣に手を差し出した。剣もまた毒気を抜かれたのか素直にその手をとった。


「剣さん、良い嗅覚してるッスね。将来が楽しみっす!」

「あ、ありがとうございます!!」

「ウチもちょっと他のヤツの始末に手間取ってたんで、剣さんが居なかったら橙里さんも危なかったんっすよ」

「役にたてたということですか!!役に立てたみたいですよ、橙里さん!!」

「ええ、そうですね…」


都子のコミュニティ能力の高さに圧倒されるがままに剣の言い分を肯定すると、剣は嬉しそうに飛び跳ねた。尻尾があったら音がするほど振り回してイそうなほどの喜びようは、とても年上には見えない。


「都子、聞きたいことは聞けた。帰るぞ」

「はいッス!んじゃ、お二人とも、またお会いすることがあれば!」


狐面の男性に呼ばれた都子は、片手をひょいとあげると屋根の上に飛び乗り、夜の空に消えるように見えなくなってしまった。

とりあえず橙里が把握できたのは、伊賀の忍びに襲われそうになったことと、それを狐面の彼と都子が助けてくれたということだけだった。その程度でも確かに日常を壊されたはずなのだが、不思議と嫌な感じはしない。
むしろ、これからも何か起こるのではないだろうかという期待で胸が一杯になった。彼女たちが何者なのだろうか、もしかして弟子入りをさせてもらえないだろうかと騒ぐ剣を無理やり車に押し込めて、橙里は妙に疲れたと肩を回しながら梔子家の車を見送った。










終。
















2014/07/30 今昔 都子

2014年7月25日金曜日

【仮想大江戸】番外編02「出会い」

「いいですか、女というものは常に世の中の殿方から下に見られているものでえす。しかしこれに憤ってはなりません。その弱さは最強の武器になるのですから、相手よりも自分が強いということがバレてはならないのです。」






【 仮想大江戸 お伽話 出会い編 】






たしかこれは祖母が言った言葉だったか、と都子は流れる雲を見て考えた。もうすぐ10歳の誕生日を迎えるのだが、未だに街中に出て行ったことがない。近所の山の中や小さな小間物屋には祖父に連れられて行ったことがある。少人数でお座敷を借りきった食事にも行ったことはある。だがそれだけだ。人が大勢通るような場所やなんかには行ったことがない。
これがおかしいことだと気づいたのは、先日近所にやってきた移動図書館で借りた小説を読んだからで、それが無ければ今後も知らないままだっただろう。しかし「おかしいこと」と分かっても反抗しないのは、都子自身が必要最低限しか外に出れない理由をよくよく理解しているからだ。


「都子さん、お仕事の時間ですよ」


夕暮れで空が赤くなった頃、竹林に囲まれた離れの入り口で、侍女の声が聞こえた。都子は予め整えてあった荷物を持つと、障子戸をあけてお香の匂いをまとわせながら渡り廊下へと出た。侍女に促されるままに仕事場へと向かう。
背負うのは家の名前と威信と誇り、それから相棒である楽器だ。


<和楽器奏者の神子>


仰々しい通名は、先代である母や祖母が呼ばれていたもので、周囲はその後を継ぐのであろう都子のこともそう呼んだ。父の遺伝なのか赤色や桃色がまじったような髪の毛を見て「赤鬼の子」と呼ぶ人さえも居る。
そんな偉大なものではない。ただ物心がついた頃から楽器に触れて、言葉を発すると同時に歌うことを教わっただけの普通の人間だ。決して鬼やら神やらの子ではない。


「本日は料亭『いろは』にて舞と歌をとのご依頼を受けております」

「承知しました。」


背負った三味線を担ぎなおすと、都子は仕事用の上等な着物に見を包んで家を出た。



こんな豪華な着物に興味はない。というか洋服が好きだ。こんな動きづらい格好をし続けるなんて、西洋化がすすんだ今日では信じられないと思う。思うだけで言わないのは、今の仕事は親の代から引き継いだものであり、少しでも家計の助けになれているのも親のおかげ、今こうして暮らしていけるのは全て親のおかげだと理解しているからに他ならない。


「そういえば先日、遠江の方で風魔の忍びによる村焼きがあったようですね」


静かに走る車の運転席から侍女が言う。そういえばそんな話を聞いたなと、都子は瓦版を思い出しながら答えた。


「ええ。確か、当主の独断行動だったとか。次期当主候補が現代当主を殺めるたかちでことは収束したと」

「先代派と当代派で内部が荒れていることも考えられます。本日の料亭は比較的風魔の里に近い場所ですので、どうかお気をつけ下さい」


忍者相手に何をどう気をつけろというのだろうか。そもそも、今日の仕事は料亭で開かれる政治家の会食で、ちょっと歌ってちょっと楽器を演奏して、ついでにちょっと踊るだけではないか。そんな場所に忍者という職種のものが忍び込んでくるだなんて思えない。
確かに今どきの政治家たちは護衛だったり諜報活動に、古き時代から生き残った忍者を雇うこともあるらしいが、身内だけの会食なのにどうして忍者が必要になるのだろう。
都子は口でだけ「分かりました」と答えると、止まった車のドアが開かれるのを待って降車した。

今日の舞台は豪華な料亭だ。色とりどりの花をかたどった飾りに、眩しいほどの提灯や灯籠。贅の限りを尽くしたその料亭の様子に、都子はほとほと帰りたくなった。こういうのを税金の無駄遣いというのだろうなと、こぼれ落ちるため息を止めておくのが大変だ。


「ようこそお出で下さいました。あの有名な都子さんをお迎えできるだなんて、当料亭末代までの誇りでございます」


都子が店の扉をくぐると、そんな大仰な挨拶が飛んできた。中年の人の良さそうな店主であろう男性が美しい姿勢で礼をしてくる。都子も慌てて礼を返すと、にっこりと微笑んだ。


「本日はお招きいただきまして、誠にありがとうございます。短い時間ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。」

「いやはや、まだ10にならないと伺っていましたが、これならどこに出しても恥ずかしくない。流石は神子の娘さんだ。さあさ、こちらへどうぞ」


先ほど見せてくれた笑顔のままで奥へと案内してくれる店主に、都子は内心で盛大なため息をついた。やはりこの人も「神子」だの「赤鬼の子」だのというものに目が眩んでいる。確かに音楽や芸能を始めたのは家柄のためであるが、奏法も得意なジャンルも母とは似ても似つかない。これは都子だけの音楽であり、神子の音楽ではない。
音楽や芸能に詳しくない人には大差ないのかもしれないが、家の名前で一即多にされるのは耐え難かった。まるで自分の存在は小さくて家の名前に乗っているだけと言われているような気持ちにされてしまうのだ。

控室につかうらしい四畳半の部屋に通されて、都子は楽器の調整をはじめた。出されたお茶とお菓子は失礼にならない程度に手を付けた。本来なら歌ったりする前には食事をしない方がいいのだが、食べないのもまた問題だ。

時間になると先ほどの店主ともう一人女性がやってきて、都子がもてなす客人たちの部屋へと案内された。控室から少し離れた場所にあった部屋では、脂ぎった男性と、それから軍人かと問いたくなるようながたいのいい男性、それに頭の良さそうないかにも政治家ですという男性が二人。合計で4人の男性が食事を始めるところだった。


「おや、噂の神子さんの登場だね」

「いやぁ指名しても来てもらうのには運が必要だと聞いていたので心配していたが、可愛らしい赤鬼の子だ。お会いできて嬉しいよ」

「お初にお目にかかります、私、本日の芸姑を務めます都子と申します。」


にっこりとよそ行きの笑顔を見せると、脂ぎった男性が満足そうに頷いた。正直気持ち悪い。お金の匂いがする。お金と権力で女性を侍らせることに慣れている成人男性の目だ。


(気持ち悪い)


幼い頃からこうして大人相手に商売をしていれば、嫌でも分かるようになるものだ。けれどここで自分が相手について何か勘づいたと思われてはいけない。情報戦でも常に女性は弱いと思われていなくては、後々やりづらくなるのだ。
祖母の言いつけをきちんと守り、都子は食事のBGMにすべく三味線を奏ではじめる。ひっそりと彼らの会話に耳をたてるが、そこで把握した内容は自分の胸の内に収めておく。芸姑とは口が固くなくては出来ない仕事だ。


「そういえば、江戸の四条通に新しく土地を買いましてな。先日のあのご依頼、どうにかなりそうですぞ」

「いやはや、小太郎殿の尻拭いというのも…大変ですな」

「何を言う、小太郎様のお陰で今の我々があるのだから、感謝こそすれ文句はない」


小太郎、とは誰だろうか。誰か有名な政治家だっただろうかと思いながら、食事の済んだ彼らのために、料亭専属の芸姑3人を呼んで舞の披露にうつった。ここからは酒が入った彼らの相手になるので、まだ気が楽だ。特に酒で軽くなった口から色々と話を聞けるのが楽しい。
男たちは都子が窓際で踊るのを見ながら酒を飲み、楽しげに談笑している。酒の威力とは恐ろしいもので、本当に話しても良いのかと疑いたくなるような言葉が飛んできた。


「小太郎様のためとはいえ、流石に法を破るのは肝が冷えるな」

「何を言うか、その程度で音を上げては風魔の皆様に示しがつかぬぞ」

「そうだ、あのお方の死後もこうしてお仕えしてこそだ」


車の中で「関わるはずなんてない」と馬鹿にしていた風魔一族の関係者が、今目の前に4人も居るというのだろうか。少しぎこちなくなった舞を必死に元に戻して、都子は何事もなかったかのように踊り続ける。


「それにしても、次の当主はまだ15にもならない子供だそうじゃないか」

「実力はあると聞いたが…まだ子供ではなぁ。他に跡継ぎは居なかったのか?」

「まだ13…だったか?だから今は年長者が当主代理をしているそうだぞ。」

「なんでも、他の跡取り候補たちは大半が小太郎様派で、あの遠江の乱で殺されたそうだ。末恐ろしいな、まだ中学生くらいの餓鬼が大人を何人も殺したんだぞ」


恐ろしいのはこんな場所でその会話ができるアンタたちの脳みそだ。
そう言ってやりたい唇を必死に噛み締めて、どうにか舞を終わらせた。芸姑たちはさっさと楽器を手に脇へはけてしまい、都子も丁寧な礼をするとさっと後を追いかけた。これ以上あそこに居て何か聞くのは危険なような気がしたのだ。


「おっと神子のお嬢さん、よければ少し歌ってくれないか」

「は、い。お任せくださいませ」


しくじった。これ以上彼らの話を聞くのは危ないと分かっているのに、呼び止める隙を作ってしまった自分を嘆いた。


「それにしても、小太郎様はなぜあの村を襲ったのか…」


また、噂の小太郎という人物----恐らく風魔の当主であるという風魔小太郎のことだろうその人の話を始めた4人に、都子は地団駄を踏みたい気持ちで三味線を構えた。歌が少し進んでも彼らの小太郎に関する話は止まることはなかった。

都子の歌が終わると同時、目の前が真っ暗になった。


「申し訳ないが、小太郎という名前は代々当主が受け継ぐ名前だ。じきにその名は俺のものになる。軽々しく口にしないでもらおうか。」


ほとんど黒に見える、緑色の忍び装束。視界を覆ったのは目の前に立膝をしている男性らしかった。何が起こったのか分からずアウトロを自動演奏していた手が止まると、それを合図にしたように目の前に居た男性が動いた。

右手に持っていたらしいクナイで右端の男性の喉を掻っ切り、続いて右手を正面に戻すことで隣の男性の米噛みを強打する。立ち上がった勢いで3人目の首を蹴飛ばすと、残った脂ぎった男性の首筋に刀を添えた。顔は不気味な表情のないお面で隠れていて見えない。
あっという間の出来事に都子がポカンとしていると、残った男性はヒイと哀れな声で息をのんだ。


「お、お前が…親殺しの当代当主かッ!」

「そうだ。さて、幾つか尋ねよう。先代風魔小太郎の名前を使って何をしていた。」

「言うものか!」

「よほど薬を使われたいらしいな」


すっとワントーン低くなった声に、視線すら向けられていない都子は背筋が震え上がるのを感じた。


「……っく、小太郎様の悲願であった再度の鎖国を実現しようとしていたまでだ」

「あぁ、やはりな。ふむ、これで貴様に用はない。」


低い声のままで言った彼に、都子はぞくりと後頭部から腰にかけてが震えた。
先ほどの話を総合して考えれば、今目の前に居る目と口の穴が空いただけのようなお面をつけた彼は、現代に生き残っている数少ない忍術使いの一族である風魔の当主だ。それも都子と然程年齢も変わらない男の子。そんな彼は、今目の前であっさりと大人4人を倒してみせた。
その事実が恐るべきことだと分かっているのに、都子はどうしても恐怖よりも歓喜を感じずには居られない。その手にした楽器や耳、体に響いてくる低い声も、圧倒的な強さも。憧れのほうが大きく上回ったのだ。


「さて、もう1つの仕事を済ますとするか」


顔のないお面が、こちらを振り向いた。真っ白な髪の毛がふわふわと空気を含んで揺れている。彼はお面を外すと、結んでいた紐でお面を腰に結びつけた。
都子は驚かざるを得なかった。本当に、自分より少し大きい程度の少年がそこには居た。丹精な整った顔立ちに、真っ白な髪の毛。一房だけ緑色の髪の毛があるが、染めているのとは違うらしい。


「お前が、都子だな」

「は、はい。間違いありません」


三味線抱きしめるようにすると、彼は申し訳無さそうに眉を下げて微笑んだ。視線を合わせるように立て膝をすると、こちらの顔を覗きこんでくる。


「すまないな、怖がらせたいわけじゃない。…ただ、お前を誘拐しに来ただけだ」

「そ、それは一体…」

「先日、近所に移動図書館が来ただろう?あれはうちの家業の1つだ」


忍者がなぜ図書館。そう思ったのは相手にも伝わったのか、彼はふふっと微笑んでみせた。


「俺は風間常磐。お前の歌が好きだ。」

「かざ、ま…ときわ?」

「ああ。好きに呼べばいい。」


もう一度、常磐、と彼の名前を呟くと、彼は満足そうに頭を撫でてくれた。不思議と怖くはなく、都子は三味線を抱いていた腕を緩めた。


「神子の家のことは知っている。ほとんど幽閉されているそうだな。俺がその日常を壊してやっても構わない。」

「…それが、私を誘拐するということですか?」

「あぁ、うちの里で、好きな目的で、好きなだけ歌って、好きなだけ演奏してくれ」


都子はしばし視線を逸らして考えた。
ここで彼に付いて行けば、今よりも「普通の女の子」としての生活をさせてもらえるだろう。神子だの赤鬼の子だのと呼ばれることはなくなり、好きに外へ遊びに行けるようになる。今のように離れに一人で暮らすことは無くなるはずだ。


「とても、魅力的なお誘いです。」

「…その言い方は、俺とは来れないということか?」

「私が生まれたのもこうして仕事をしているのも、全ては母や祖母があったからです。家を出て行くのは裏切りのような気がします。その、常磐のお誘いはとても嬉しいのですが…」

「構わない。では、今後は俺がお前の演奏を聞きにお邪魔するとしよう。」


え?とマヌケな声をあげると、常磐はまた愉快そうにクスクスと笑った。そして都子を俵担ぎで持ち上げると、襖を開けて廊下へ立たせた。廊下には常磐と同じ忍び装束の男性が二人居て、常磐の顔を見ると驚いて見せた。


「常磐様、お顔を…」

「あぁ、見せた。悪いか?俺が気に入った相手だから見せた。」

「しかし、次期当主になるお方がそのように軽々しく顔を見せては、後々問題になりかねませんぞ」


ムスッとする男性二人に、常磐は腰につけていたお面をもう一度付け直し始めた。お面越しのくぐもった声で、このお面は良くない。格好わるい。狐のお面に変えよう。そんなことを呟いていた。


「さて都子。今から中に居る4人を叩き起こして、悲鳴なりをあげさせてから始末する。お前は俺が来て一番に追い出されたので何があったか知らない、いいな?」

「はい、分かりました」


頷けば、また頭を撫でられる。常磐と男性二人は中に入ると襖を閉めて、それから少して中から悲鳴があがった。
そこから先は先ほど常磐が言ったような筋書きになり、店主がやってきて都子に事情を聞き、襖を開けると4人が死んでいることに驚いて警察へ連絡を入れた。都子もやってきた警察に事情聴取を受けたが、お咎めなし。犯人について何か思い出したことがあれば言うようにとだけで、自宅へ戻された。
非日常とは案外常に側にあるのかもしれない。そう思わせられた事件の後、都子は何となく楽器を演奏するのが楽しくなった。



 ◇ ◇ ◇



事件から数日後、新緑はすっかり逞しい若葉になり、離れの周りにある木々は月明かりに照らされて静かに佇んでいる。都子は縁側にでて篠笛を構えた。一番好きな楽器をこの穏やかな明かりの下で吹きたいと思ったのだ。家の周りには広い森があるため、近所迷惑になるということもない。

今日は何を吹こうかと思いながら、いつも吹いている異国動揺を演奏する。篠笛は開いている穴の数と、穴同士の間隔で演奏出来る音が変わる。この楽器の仕組みを考えた人は本当に頭がいいと思う。


「いい曲だな。」


木の枝から、声がした。数日ぶりに聞く心地よい低い声に、都子はバッと顔をあげた。
月を背景に樹の枝でくつろぐ姿は、先日見たとおりの忍び装束で、腰にはあのお面がついている。


「仕事帰りだったのだが、笛の音がしたので覗いてみた。邪魔だったか?」

「いえ、そんなことは。」


常磐はすっと音もなく木から飛び降りると、都子の隣へやってきて縁側へ腰掛けた。


「他の曲は聞かせてくれないのか?」


妙に大人びているくせに拗ねたように言うその声が面白くて、幸せな苦笑いをしながらもう一度唄口を唇に添えた。

非日常とは、常に側にあるものらしい。
そしてその非日常もいずれ日常へと変わっていくのだ。
月夜の空に響く横笛の音は、いつにも増して凛々しく美しいように感じられた。








終。













2014/07/25 今昔