【 仮想大江戸 お伽話 出会い編 】
たしかこれは祖母が言った言葉だったか、と都子は流れる雲を見て考えた。もうすぐ10歳の誕生日を迎えるのだが、未だに街中に出て行ったことがない。近所の山の中や小さな小間物屋には祖父に連れられて行ったことがある。少人数でお座敷を借りきった食事にも行ったことはある。だがそれだけだ。人が大勢通るような場所やなんかには行ったことがない。
これがおかしいことだと気づいたのは、先日近所にやってきた移動図書館で借りた小説を読んだからで、それが無ければ今後も知らないままだっただろう。しかし「おかしいこと」と分かっても反抗しないのは、都子自身が必要最低限しか外に出れない理由をよくよく理解しているからだ。
「都子さん、お仕事の時間ですよ」
夕暮れで空が赤くなった頃、竹林に囲まれた離れの入り口で、侍女の声が聞こえた。都子は予め整えてあった荷物を持つと、障子戸をあけてお香の匂いをまとわせながら渡り廊下へと出た。侍女に促されるままに仕事場へと向かう。
背負うのは家の名前と威信と誇り、それから相棒である楽器だ。
<和楽器奏者の神子>
仰々しい通名は、先代である母や祖母が呼ばれていたもので、周囲はその後を継ぐのであろう都子のこともそう呼んだ。父の遺伝なのか赤色や桃色がまじったような髪の毛を見て「赤鬼の子」と呼ぶ人さえも居る。
そんな偉大なものではない。ただ物心がついた頃から楽器に触れて、言葉を発すると同時に歌うことを教わっただけの普通の人間だ。決して鬼やら神やらの子ではない。
「本日は料亭『いろは』にて舞と歌をとのご依頼を受けております」
「承知しました。」
背負った三味線を担ぎなおすと、都子は仕事用の上等な着物に見を包んで家を出た。
こんな豪華な着物に興味はない。というか洋服が好きだ。こんな動きづらい格好をし続けるなんて、西洋化がすすんだ今日では信じられないと思う。思うだけで言わないのは、今の仕事は親の代から引き継いだものであり、少しでも家計の助けになれているのも親のおかげ、今こうして暮らしていけるのは全て親のおかげだと理解しているからに他ならない。
「そういえば先日、遠江の方で風魔の忍びによる村焼きがあったようですね」
静かに走る車の運転席から侍女が言う。そういえばそんな話を聞いたなと、都子は瓦版を思い出しながら答えた。
「ええ。確か、当主の独断行動だったとか。次期当主候補が現代当主を殺めるたかちでことは収束したと」
「先代派と当代派で内部が荒れていることも考えられます。本日の料亭は比較的風魔の里に近い場所ですので、どうかお気をつけ下さい」
忍者相手に何をどう気をつけろというのだろうか。そもそも、今日の仕事は料亭で開かれる政治家の会食で、ちょっと歌ってちょっと楽器を演奏して、ついでにちょっと踊るだけではないか。そんな場所に忍者という職種のものが忍び込んでくるだなんて思えない。
確かに今どきの政治家たちは護衛だったり諜報活動に、古き時代から生き残った忍者を雇うこともあるらしいが、身内だけの会食なのにどうして忍者が必要になるのだろう。
都子は口でだけ「分かりました」と答えると、止まった車のドアが開かれるのを待って降車した。
今日の舞台は豪華な料亭だ。色とりどりの花をかたどった飾りに、眩しいほどの提灯や灯籠。贅の限りを尽くしたその料亭の様子に、都子はほとほと帰りたくなった。こういうのを税金の無駄遣いというのだろうなと、こぼれ落ちるため息を止めておくのが大変だ。
「ようこそお出で下さいました。あの有名な都子さんをお迎えできるだなんて、当料亭末代までの誇りでございます」
都子が店の扉をくぐると、そんな大仰な挨拶が飛んできた。中年の人の良さそうな店主であろう男性が美しい姿勢で礼をしてくる。都子も慌てて礼を返すと、にっこりと微笑んだ。
「本日はお招きいただきまして、誠にありがとうございます。短い時間ではございますが、どうぞよろしくお願いいたします。」
「いやはや、まだ10にならないと伺っていましたが、これならどこに出しても恥ずかしくない。流石は神子の娘さんだ。さあさ、こちらへどうぞ」
先ほど見せてくれた笑顔のままで奥へと案内してくれる店主に、都子は内心で盛大なため息をついた。やはりこの人も「神子」だの「赤鬼の子」だのというものに目が眩んでいる。確かに音楽や芸能を始めたのは家柄のためであるが、奏法も得意なジャンルも母とは似ても似つかない。これは都子だけの音楽であり、神子の音楽ではない。
音楽や芸能に詳しくない人には大差ないのかもしれないが、家の名前で一即多にされるのは耐え難かった。まるで自分の存在は小さくて家の名前に乗っているだけと言われているような気持ちにされてしまうのだ。
控室につかうらしい四畳半の部屋に通されて、都子は楽器の調整をはじめた。出されたお茶とお菓子は失礼にならない程度に手を付けた。本来なら歌ったりする前には食事をしない方がいいのだが、食べないのもまた問題だ。
時間になると先ほどの店主ともう一人女性がやってきて、都子がもてなす客人たちの部屋へと案内された。控室から少し離れた場所にあった部屋では、脂ぎった男性と、それから軍人かと問いたくなるようながたいのいい男性、それに頭の良さそうないかにも政治家ですという男性が二人。合計で4人の男性が食事を始めるところだった。
「おや、噂の神子さんの登場だね」
「いやぁ指名しても来てもらうのには運が必要だと聞いていたので心配していたが、可愛らしい赤鬼の子だ。お会いできて嬉しいよ」
「お初にお目にかかります、私、本日の芸姑を務めます都子と申します。」
にっこりとよそ行きの笑顔を見せると、脂ぎった男性が満足そうに頷いた。正直気持ち悪い。お金の匂いがする。お金と権力で女性を侍らせることに慣れている成人男性の目だ。
(気持ち悪い)
幼い頃からこうして大人相手に商売をしていれば、嫌でも分かるようになるものだ。けれどここで自分が相手について何か勘づいたと思われてはいけない。情報戦でも常に女性は弱いと思われていなくては、後々やりづらくなるのだ。
祖母の言いつけをきちんと守り、都子は食事のBGMにすべく三味線を奏ではじめる。ひっそりと彼らの会話に耳をたてるが、そこで把握した内容は自分の胸の内に収めておく。芸姑とは口が固くなくては出来ない仕事だ。
「そういえば、江戸の四条通に新しく土地を買いましてな。先日のあのご依頼、どうにかなりそうですぞ」
「いやはや、小太郎殿の尻拭いというのも…大変ですな」
「何を言う、小太郎様のお陰で今の我々があるのだから、感謝こそすれ文句はない」
小太郎、とは誰だろうか。誰か有名な政治家だっただろうかと思いながら、食事の済んだ彼らのために、料亭専属の芸姑3人を呼んで舞の披露にうつった。ここからは酒が入った彼らの相手になるので、まだ気が楽だ。特に酒で軽くなった口から色々と話を聞けるのが楽しい。
男たちは都子が窓際で踊るのを見ながら酒を飲み、楽しげに談笑している。酒の威力とは恐ろしいもので、本当に話しても良いのかと疑いたくなるような言葉が飛んできた。
「小太郎様のためとはいえ、流石に法を破るのは肝が冷えるな」
「何を言うか、その程度で音を上げては風魔の皆様に示しがつかぬぞ」
「そうだ、あのお方の死後もこうしてお仕えしてこそだ」
車の中で「関わるはずなんてない」と馬鹿にしていた風魔一族の関係者が、今目の前に4人も居るというのだろうか。少しぎこちなくなった舞を必死に元に戻して、都子は何事もなかったかのように踊り続ける。
「それにしても、次の当主はまだ15にもならない子供だそうじゃないか」
「実力はあると聞いたが…まだ子供ではなぁ。他に跡継ぎは居なかったのか?」
「まだ13…だったか?だから今は年長者が当主代理をしているそうだぞ。」
「なんでも、他の跡取り候補たちは大半が小太郎様派で、あの遠江の乱で殺されたそうだ。末恐ろしいな、まだ中学生くらいの餓鬼が大人を何人も殺したんだぞ」
恐ろしいのはこんな場所でその会話ができるアンタたちの脳みそだ。
そう言ってやりたい唇を必死に噛み締めて、どうにか舞を終わらせた。芸姑たちはさっさと楽器を手に脇へはけてしまい、都子も丁寧な礼をするとさっと後を追いかけた。これ以上あそこに居て何か聞くのは危険なような気がしたのだ。
「おっと神子のお嬢さん、よければ少し歌ってくれないか」
「は、い。お任せくださいませ」
しくじった。これ以上彼らの話を聞くのは危ないと分かっているのに、呼び止める隙を作ってしまった自分を嘆いた。
「それにしても、小太郎様はなぜあの村を襲ったのか…」
また、噂の小太郎という人物----恐らく風魔の当主であるという風魔小太郎のことだろうその人の話を始めた4人に、都子は地団駄を踏みたい気持ちで三味線を構えた。歌が少し進んでも彼らの小太郎に関する話は止まることはなかった。
都子の歌が終わると同時、目の前が真っ暗になった。
「申し訳ないが、小太郎という名前は代々当主が受け継ぐ名前だ。じきにその名は俺のものになる。軽々しく口にしないでもらおうか。」
ほとんど黒に見える、緑色の忍び装束。視界を覆ったのは目の前に立膝をしている男性らしかった。何が起こったのか分からずアウトロを自動演奏していた手が止まると、それを合図にしたように目の前に居た男性が動いた。
右手に持っていたらしいクナイで右端の男性の喉を掻っ切り、続いて右手を正面に戻すことで隣の男性の米噛みを強打する。立ち上がった勢いで3人目の首を蹴飛ばすと、残った脂ぎった男性の首筋に刀を添えた。顔は不気味な表情のないお面で隠れていて見えない。
あっという間の出来事に都子がポカンとしていると、残った男性はヒイと哀れな声で息をのんだ。
「お、お前が…親殺しの当代当主かッ!」
「そうだ。さて、幾つか尋ねよう。先代風魔小太郎の名前を使って何をしていた。」
「言うものか!」
「よほど薬を使われたいらしいな」
すっとワントーン低くなった声に、視線すら向けられていない都子は背筋が震え上がるのを感じた。
「……っく、小太郎様の悲願であった再度の鎖国を実現しようとしていたまでだ」
「あぁ、やはりな。ふむ、これで貴様に用はない。」
低い声のままで言った彼に、都子はぞくりと後頭部から腰にかけてが震えた。
先ほどの話を総合して考えれば、今目の前に居る目と口の穴が空いただけのようなお面をつけた彼は、現代に生き残っている数少ない忍術使いの一族である風魔の当主だ。それも都子と然程年齢も変わらない男の子。そんな彼は、今目の前であっさりと大人4人を倒してみせた。
その事実が恐るべきことだと分かっているのに、都子はどうしても恐怖よりも歓喜を感じずには居られない。その手にした楽器や耳、体に響いてくる低い声も、圧倒的な強さも。憧れのほうが大きく上回ったのだ。
「さて、もう1つの仕事を済ますとするか」
顔のないお面が、こちらを振り向いた。真っ白な髪の毛がふわふわと空気を含んで揺れている。彼はお面を外すと、結んでいた紐でお面を腰に結びつけた。
都子は驚かざるを得なかった。本当に、自分より少し大きい程度の少年がそこには居た。丹精な整った顔立ちに、真っ白な髪の毛。一房だけ緑色の髪の毛があるが、染めているのとは違うらしい。
「お前が、都子だな」
「は、はい。間違いありません」
三味線抱きしめるようにすると、彼は申し訳無さそうに眉を下げて微笑んだ。視線を合わせるように立て膝をすると、こちらの顔を覗きこんでくる。
「すまないな、怖がらせたいわけじゃない。…ただ、お前を誘拐しに来ただけだ」
「そ、それは一体…」
「先日、近所に移動図書館が来ただろう?あれはうちの家業の1つだ」
忍者がなぜ図書館。そう思ったのは相手にも伝わったのか、彼はふふっと微笑んでみせた。
「俺は風間常磐。お前の歌が好きだ。」
「かざ、ま…ときわ?」
「ああ。好きに呼べばいい。」
もう一度、常磐、と彼の名前を呟くと、彼は満足そうに頭を撫でてくれた。不思議と怖くはなく、都子は三味線を抱いていた腕を緩めた。
「神子の家のことは知っている。ほとんど幽閉されているそうだな。俺がその日常を壊してやっても構わない。」
「…それが、私を誘拐するということですか?」
「あぁ、うちの里で、好きな目的で、好きなだけ歌って、好きなだけ演奏してくれ」
都子はしばし視線を逸らして考えた。
ここで彼に付いて行けば、今よりも「普通の女の子」としての生活をさせてもらえるだろう。神子だの赤鬼の子だのと呼ばれることはなくなり、好きに外へ遊びに行けるようになる。今のように離れに一人で暮らすことは無くなるはずだ。
「とても、魅力的なお誘いです。」
「…その言い方は、俺とは来れないということか?」
「私が生まれたのもこうして仕事をしているのも、全ては母や祖母があったからです。家を出て行くのは裏切りのような気がします。その、常磐のお誘いはとても嬉しいのですが…」
「構わない。では、今後は俺がお前の演奏を聞きにお邪魔するとしよう。」
え?とマヌケな声をあげると、常磐はまた愉快そうにクスクスと笑った。そして都子を俵担ぎで持ち上げると、襖を開けて廊下へ立たせた。廊下には常磐と同じ忍び装束の男性が二人居て、常磐の顔を見ると驚いて見せた。
「常磐様、お顔を…」
「あぁ、見せた。悪いか?俺が気に入った相手だから見せた。」
「しかし、次期当主になるお方がそのように軽々しく顔を見せては、後々問題になりかねませんぞ」
ムスッとする男性二人に、常磐は腰につけていたお面をもう一度付け直し始めた。お面越しのくぐもった声で、このお面は良くない。格好わるい。狐のお面に変えよう。そんなことを呟いていた。
「さて都子。今から中に居る4人を叩き起こして、悲鳴なりをあげさせてから始末する。お前は俺が来て一番に追い出されたので何があったか知らない、いいな?」
「はい、分かりました」
頷けば、また頭を撫でられる。常磐と男性二人は中に入ると襖を閉めて、それから少して中から悲鳴があがった。
そこから先は先ほど常磐が言ったような筋書きになり、店主がやってきて都子に事情を聞き、襖を開けると4人が死んでいることに驚いて警察へ連絡を入れた。都子もやってきた警察に事情聴取を受けたが、お咎めなし。犯人について何か思い出したことがあれば言うようにとだけで、自宅へ戻された。
非日常とは案外常に側にあるのかもしれない。そう思わせられた事件の後、都子は何となく楽器を演奏するのが楽しくなった。
◇ ◇ ◇
事件から数日後、新緑はすっかり逞しい若葉になり、離れの周りにある木々は月明かりに照らされて静かに佇んでいる。都子は縁側にでて篠笛を構えた。一番好きな楽器をこの穏やかな明かりの下で吹きたいと思ったのだ。家の周りには広い森があるため、近所迷惑になるということもない。
今日は何を吹こうかと思いながら、いつも吹いている異国動揺を演奏する。篠笛は開いている穴の数と、穴同士の間隔で演奏出来る音が変わる。この楽器の仕組みを考えた人は本当に頭がいいと思う。
「いい曲だな。」
木の枝から、声がした。数日ぶりに聞く心地よい低い声に、都子はバッと顔をあげた。
月を背景に樹の枝でくつろぐ姿は、先日見たとおりの忍び装束で、腰にはあのお面がついている。
「仕事帰りだったのだが、笛の音がしたので覗いてみた。邪魔だったか?」
「いえ、そんなことは。」
常磐はすっと音もなく木から飛び降りると、都子の隣へやってきて縁側へ腰掛けた。
「他の曲は聞かせてくれないのか?」
妙に大人びているくせに拗ねたように言うその声が面白くて、幸せな苦笑いをしながらもう一度唄口を唇に添えた。
非日常とは、常に側にあるものらしい。
そしてその非日常もいずれ日常へと変わっていくのだ。
月夜の空に響く横笛の音は、いつにも増して凛々しく美しいように感じられた。
終。
2014/07/25 今昔
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