橙里は自分が嫌いだと思っている。
小さい頃からたいていのものは手に入るし、同じ年頃の子供たちよりもよほど多くのお小遣いをもらっていた。着物の質も上等だったし、薙刀やお琴なんていう習い事もしていた。ただそれが当人にとっても幸せかどうかと問われれば答えかねるし、自分でも幸せかどうかはもう少し時間がたたないと分からない。
「なー橙里ちゃん、早く遊びにいこうや?」
聞きなれない訛りまじりに話す少年を横目で見やって、橙里はため息をついた。
【 仮想大江戸 お伽話 敵襲編 】
神童だとか、そういうことは言われ慣れている。大人も寄ってこなければ子供も寄ってこない。すごいすごいと持て囃されるわりに、親友と呼べる相手は居ない。なんて寂しい子供だろうと子供ながらに思ってしまうのは、自分が所謂神童だからだろうか。
くだらないことに思考を回しながら、橙里は訛りの発生源である少年を見やった。
「ちょっと煩いですよ。私は明日までにこの書物を読み終えねばなりません。一人にしていただけませんか?」
江戸の別宅へと移り住んできてから、橙里はこの縁側で読書をするのがお気に入りだ。穏やかな風とよく見える空。問題があるとすれば、この少年がちょっかいを出してくることくらいだろうか。
「え~、だって橙里ちゃん、この前も同じこと言って遊びに行ってくれなかったやん」
「…手習いの先生がいらっしゃる度に宿題が出るんですよ?当たり前ではありませんか」
橙里にとっては当たり前のことを返答すれば、寄ってきていた少年----梔子徹は口を尖らせた。彼は少し年下の従兄弟で、橙里の家の分家である梔子家の三男坊だ。橙里にこのような軽い口をきいているのが大人に知れたら怒られるのだろうが、告げ口をするほど橙里は意地悪ではないと自負している。
「ともかく、私は江戸に遊びに来たんじゃありません。当主としての勉強をしに来ているんですから。」
この年令で学ぶ必要があるのかどうか分からない経済学。英語はもちろんポルトガル語や中国語、韓国語。英語はともかくとして、なぜ仲の悪い国の言葉を覚えなくては…と思うこともある。それでも辞めないのは、やめてもどうにもならないと分かっているからだ。
ただ、辞めないということと自ら進んでやりたいということは別物で、出来るなら橙里はこの小さい従兄弟と一緒に遊びに行ってしまいたいとは思っている。
戒愁家、といえば、この江戸でも地主として土地を収めている相模でも、大抵の人は「ああ、あの戒愁さんね」と知った顔をしてくれるだろう。それほどに戒愁の家は大きいし、行っている事業も手広い。
そんな家の第一子として生まれ、しかも男の子に恵まれなかったとなれば、当然橙里が後を継ぐことになる。元より努力は好きでないが、やることはやらねばと勉強に精を出した結果が「神童」という渾名だった。最初は反対していた親戚たちも、呉服から洋装の仕入れ、色街まで事業として抱えているこの家を支えられるのは橙里しかいない!などと調子のいいことを言い始めた。
橙里はセミも少なくなってきた木々を見上げてから、本の続きに目を落とした。
セミの一週間しかない命は、子孫を残すという色恋だけに注ぎ込まれる。少しだけその儚い命たちに感動し、そしてその生き様に憧れた。
「橙里様、本日の夜は梔子家の皆様と会食となっております。お支度をされなくては」
「分かりました。今向かいます」
侍女の声に本を閉じると、わきに置いてあった数冊の本も抱えて、橙里は自室へ戻った。
戒愁家の分家である梔子の家とは、定期的に会食が開かれている。会食と言ってもその内容は、本家が分家よりも上であると周囲にしらしめるためのものであり、無駄に贅沢な料亭で無駄に豪華な料理を食べるというもの。
江戸も相模も最下層の住民は不況を嘆いているというのに、この無駄遣いっぷりは一体何なのだろう。橙里はそう思いながら、真新しい薄桃色の着物に袖を通す。
「もっとも、お金のある家の人がお金を使って潤滑油にならなくては、という考えもよく分かるのだけど…」
それにしたって、ほぼ毎月のように行われる会食の度に二着の着物が父親から送られてくるのは、流石にお金の使いすぎだと思うのだ。いったいどこからそんなお金を稼いでいるのやら。
そんなことは今気にしてもしょうが無いか、と、お気に入りの髪飾りで髪の毛をまとめると、橙里は侍女が車を用意して待っているであろう玄関へと向かった。
◇ ◇ ◇
その夜の会食はいつにも増して豪勢な場所で行われた。色街の一角にある芸姑を呼んで食事が出来る店で、この辺りでは一番お金がかかると言われている。
「今宵の芸姑には『神子』と呼ばれる娘を呼んでおります。戒愁のお嬢様と丁度同い年くらいでしょうな」
「そうか、それは楽しみだ。あの赤鬼を呼べるとは…いやはや、流石この料亭は格が違いますな」
「お祖父様、『赤鬼』とはなんです?」
「5歳になった頃から頭角を現しはじめた楽器奏者の少女のことだ。その腕は熟練の奏者も敵わぬこと、赤っぽい髪をしていることから『赤鬼』と呼ばれておる。」
「予定は半年先も取れるかどうか。彼女を呼べるのは吉兆と言われているのですよ」
祖父と店員の言葉をBGMに店内を歩いて行くと、玄関を進んだ一階の中央は吹き抜けになっており、中央の池を囲むように廊下があり周囲は狭めの個室があるようだ。さらに二階も三階もほとんど同じ作りなようで、二階の廊下で胡弓を演奏している女の子と目があった。
真っ青な髪の毛をゆったり流した少女は、身の丈は橙里と然程変わらないのにとても大人びて見えた。やはりこの色街に出入りしているだけあって、色々と精神的に大人なのかもしれない。
「本日は二階の竹の間をご用意しております。どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
店員に案内されて木製のエレベーターで二階へあがり、玄関とは吹き抜けを挟んで反対側の和室に通された。祖父と橙里、それから梔子からは従兄弟である徹とその兄の剣、梔子の当主。5人しか居ないというのにとても広い部屋を取ったようだ。相模ではここまで大きな部屋を取ったことはない。祖父が何をしたいのか考えが読めず、橙里はくしゃみを我慢するような顔で障子戸の中へ入った。
16畳程あろうかという部屋に、たった5人。髭面の祖父と軍人のように荘厳な雰囲気を醸し出す叔父。子供が3人も居るとはいえ、この状況ではしゃげるほど橙里も従兄弟たちも鈍感ではなかった。
「さて、梔子。お前さんに聞いておかねばならぬことがあってな」
「料理も出てきていないのにさっそく本題か?」
「私が急かしたい理由はよく分かっているだろう?我ら相模の土地を収めてきた。土地につく一族の守りによってその地盤は固められたと言っても良い。それが今になって何故、そのように他所へ頼るのか。それではあまりにも礼節を欠いている」
祖父の言いたい内容は橙里にはさっぱりだったが、叔父の方は意味を重々理解しているのか苦い顔をした。丁度楽器を持って入ってきた少女、先ほど店員が「神子」だの「赤鬼」だのと呼んでいた少女の存在で、一時会話はとぎれた。
後ろから料理を運んできた女中たちのタイミングを見計らいつつ、三味線を手にした少女は口上を述べると、さっさと演奏に入る。橙里も聞いたことのある古典音楽は、煩くもなく、沈黙が嫌になるでもない程よい音量で流れ始めた。
「何を言っている?我々は偶然傷ついたあの方々を発見し、そして保護しただけだ。恩を仇で返すようなマネは間違ってもしていない」
「……内情についてはなにも聞いていないということか?」
「内情?あの方々が我々に何か話をするとでも?」
橙里はテーブルの丁度剣の前にあるしゃぶしゃぶサラダのお皿から小皿へ取り分けようと半立になった。祖父と叔父の話は聞いてはいるが、内容を噛み砕いて咀嚼するのはなかなか難しい。
何より、この難しい会話に橙里が混ざることはないだろう。
「……む、遠い…」
「橙里さん、オレが取りますよ」
「あ、ありがとうございます」
剣に小皿を手渡し、サラダを取ってもらう。もとから梔子の従兄弟たちは江戸に住んでおり、しかしながらこちらへ越してきてからも剣はあまり遊びに来なかった。徹と比べると遊びに来た回数は半分にも満たないだろう。
(一度しか顔見せに行かなかった私はそれ以下だけれど…)
ごまだれが程よく効いたサラダを頬張りながら、橙里はまた祖父たちの会話に耳をそばだてた。
しばらく他愛も無い話や政治の話、その他ちょっとしたことを色々と話す祖父たちの会話を聞いているうち、会食はあっけなく終わってしまった。去り際に「赤鬼」と呼ばれていた楽器奏者の少女と目があった以外は、いつも通りの会食だった。
二軒目で飲んでくるという祖父と叔父を見送り、橙里は剣と徹と3人で車に乗り込むと運転手に出発を告げた。祖父たちは戒愁家の車で行ってしまったので、まずは橙里を届けてから剣たちは帰宅するらしい。
特にこれといった会話もしないまま、流れる町並みをぼんやりと眺める。いつも通りというものが素晴らしいことはしっている。高熱を出して寝込んだ時に、健康でいることが良いことだと実感するのと同じだ。普段はこうして「つまらない」と嘆いていても、いざ事件が起きれば「普通」が恋しくなるのだろう。
橙里は街灯に照らされて歩く人々を見ながら、自分の大人になった姿を想像した。恐らく、戒愁家に連なる家のどこかの長男か次男を婿にもらって、家業を回していくことになる。街中に暗い場所が無いのと同じで、橙里の将来には何も問題はないのだろう。問題が起きたと居ても戒愁という家が片付けてしまうだろうから。
「橙里さん、着きましたよ。」
剣に呼びかけられて気付き、橙里ははっと我に返った。運転手に告げたお礼がいつもより上ずる。運転手ではなく剣が開けてくれたドアから彼の手を借りて車から降りると、橙里はパッパと着物の裾を整えた。
「橙里さん。明日…こっちへ遊びに来てもいいですか?」
「突然ですね。構いませんよ、食事時にいらっしゃるようでしたら、朝のうちに連絡をくださいね」
「はい!ありがとうございます。それでは、おやすみなさい」
剣に見送られて家へ入ろうとした瞬間、何やら足元に違和感を感じた。さっと視線を下げると、足首よりちょっと上の高さに糸が張られており、橙里の視界の中でその糸は無情にも切れてしまった。
「何者っ!?」
様子見と我が身を守るために一歩下がると、屋根の上から目の前に忍び装束の男性が飛び降りてきた。深い青色の忍び装束はどこのものだろうか。ガタイがいいわけではないが、しなやかな身のこなしをしているように見える。
「戒愁橙里、梔子剣、お命頂戴する」
男はすっとこちらへ何も持っていない手を伸ばしてきた。凶器も持っていないのにどうやって攻撃してくるつもりなのだろう。
「橙里さん下がって!」
のんきに考えていた橙里の目の前に飛び出してきた剣は、男の手を左手で払いのけると鳩尾に右拳を打ち込んだ。
「あの手に気化性の毒が塗ってある!…橙里さんへの悪意を持った、嫌な匂いがするッ」
「剣?」
「橙里さんは下がっててください!」
「橙里ちゃん、こっちや」
徹に手を引かれて車の側まで行くと、剣と忍びは対峙し、微かに指や腕を動かしてなにやらやりとりをしているようだった。武術の達人になると、筋肉の動きで相手の動きを読み、動き出しの時点で全てが決する。薙刀の先生がそんなことを言っていたと思い出した。
忍び装束を着込んだ男性が、ふと顔をあげた。
「気づかれちまったッスね~!」
男性が顔を向けた先、戒愁邸の庭木のうえのほうから声が降ってきた。
「お前、何者だ!」
「伊賀の忍びが風魔のお膝元で何をしようとしてるんッスか?ウチらが黙って見てるとでも思ったん?」
「そこかッ!!」
男性の手からクナイが飛んでいく。矢のような勢いで飛んでいったクナイが、木に刺さる音がした。
「ところがぎっちょん!!」
男の背後から、黒い服を身にまとった少女が飛び降りてきた。確かに先ほどまで木の上から声が聞こえていたと思ったのだが、玄関の上の屋根に居たらしい。
橙里が目を丸くしていると、少女はいとも簡単に男の腕を捻り上げて拘束してしまった。
「いんやぁ~、舐められたもんッスねぇ。『赤鬼』の通名が楽器から付いたと思ったら大間違いッスよ?」
「ッ!?お前、風魔の赤鬼か!?」
「にゃっはっは、流石にそっちは知ってるみたいッスね。さて、次期党首に引き渡されるのと、風魔小太郎に引き渡されるのとどっちが良いッスか?選ばせてあげますよ」
唖然としていると、橙里の右肩がぽんと叩かれた。驚いて飛び上がるように振り返ると、そこには狐のお面をつけた深緑色の忍び装束を身にまとった者が立っていた。服の色が違うので、もしかしたら彼らとは違う流派の忍者なのかもしれない。
男を拘束している少女の服装も忍びのように見えるが、首元が中国の民族服のようになっていたり、黒地に赤と緑の糸で華の刺繍が入っていたりとどちらの味方なのか分からない。三つ巴だったら困るなと橙里が思っていると、少女は狐面の人物に声をかけた。
「あ、ようやく裏、片付いたんッスか?」
「あぁ。待たせたね。すまないな、お前の手を煩わせることになった」
「気にしないで欲しいッスよ。手伝いを申し出てるのはウチなんッスから」
狐面の人物----声からして男性というよりもまだ少年と呼ぶべき年齢のような彼は、拘束されている男に近づくと小声で会話を始めた。脅して情報でも引き出しているのだろう。
「あの、これは一体…」
「あー、ウチが説明するっす。あ、ウチは都子。アンタさんらは戒愁橙里に梔子剣と徹じゃんね?まー、あの忍びは伊賀の者で、何かよく分からんけどこの街のお偉いさんとツルンで戒愁家を没落させようとしてたんッスよ。んで、お祖父様からの要請でウチらがご自宅周辺を見まわってたってわけッス!おーけー?」
軽い口調で淀むことなく喋り続けた少女----都子に、橙里は首をかしげた。
「えっと、先ほどの料亭にも居た…」
「そうッス!ウチの本職は楽器ッスからね!」
カラカラと愉快そうに笑う都子は、男とのやりとりで転んだままになっていた剣に手を差し出した。剣もまた毒気を抜かれたのか素直にその手をとった。
「剣さん、良い嗅覚してるッスね。将来が楽しみっす!」
「あ、ありがとうございます!!」
「ウチもちょっと他のヤツの始末に手間取ってたんで、剣さんが居なかったら橙里さんも危なかったんっすよ」
「役にたてたということですか!!役に立てたみたいですよ、橙里さん!!」
「ええ、そうですね…」
都子のコミュニティ能力の高さに圧倒されるがままに剣の言い分を肯定すると、剣は嬉しそうに飛び跳ねた。尻尾があったら音がするほど振り回してイそうなほどの喜びようは、とても年上には見えない。
「都子、聞きたいことは聞けた。帰るぞ」
「はいッス!んじゃ、お二人とも、またお会いすることがあれば!」
狐面の男性に呼ばれた都子は、片手をひょいとあげると屋根の上に飛び乗り、夜の空に消えるように見えなくなってしまった。
とりあえず橙里が把握できたのは、伊賀の忍びに襲われそうになったことと、それを狐面の彼と都子が助けてくれたということだけだった。その程度でも確かに日常を壊されたはずなのだが、不思議と嫌な感じはしない。
むしろ、これからも何か起こるのではないだろうかという期待で胸が一杯になった。彼女たちが何者なのだろうか、もしかして弟子入りをさせてもらえないだろうかと騒ぐ剣を無理やり車に押し込めて、橙里は妙に疲れたと肩を回しながら梔子家の車を見送った。
終。
2014/07/30 今昔 都子
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