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2018年10月1日月曜日

【仮想大江戸】 小話 「おしごと」

夜子はつっかけた草履をカラコロと鳴らして、石畳を歌わせていた。西日になりきらない少し斜めの日差しがちょっと暑い。

先程まで上がっていたお座敷で聞いた言葉が、頭の中に出てきて、そのまま消えてくれれば良いものを、台所の油汚れのようにベトついて離れない。夜子に直接関係する話ではないと、ほんの数年前までなら言えただろうけれど、今となっては自分のことを悪く言われるよりも辛い。
はあーあ、と二酸化炭素をたっぷりと吐き出した。


「おや、ヤっさんじゃないか!今夜はどこのお店に上がり込むんだい?」


引き止めるような声に振り返ると、石畳の両側に立ち並ぶ見世の間から中年の男性が顔をだした。夜子も見覚えのある、少し油ギッシュな顔は、確か遊郭街の入り口にある手引き茶屋の主だったはずだ。
携帯だって写真だってあるこの時代に、あえて似顔絵で花魁たちを紹介するその茶屋は、主の画力とトーク力、繋がっている遊郭の大きさから巷でも大人気。夜子も昔、似顔絵を書いてもらったように記憶している。何枚目かのレコードをリリースした時のことだ。


「手引き茶屋のおじさん、今晩はーっす。今夜はただのお散歩っすよ、楽器も置いてきちゃったし」

「なんだい、残念だなあ。じゃあまた昼間に来てやってくれや、さくら屋の振袖新造があんたから習いたいって言ってたぞ」


大江戸の街は夜だって明るい。この吉原近辺は特にそうだ。元締めである清白(すずしろ)家や地主の嘉萩(かしゅう)家の働きが大きいだろうけれど、夜子は何よりここに暮らす人達の気の持ちようのおかげだと思っている。

金に困った両親から売られてきた、まだ言葉も覚束ない幼女。
袖振り新造として姉女郎を支えようと、慣れぬ男の相手をする童女。
物心ついた時にはここに居て、誰のものかも分からぬ借金を懸命に返す少女。
年季を終えたのに、今度は花魁として使ってきた道具の借金に追われる遣手の女性。
せめてそんな女たちを守ろうとこの遊郭街に残った、心優しい老婆。

色んな人がこの街に暮らしている。
だからこそ、夜子はこの街が大好きだと思った。
自分たちの生活を底辺だと思っていても、ひとときの夢を見せるために艶やかさの皮を被って生きる強さ。夜子には真似のできなかったものばかりなのだ。誰かに救い出してもらって、どうにか自分を保つのが精一杯だった夜子には、この街の女性たちは輝いて見える。

こんなことを言ったら、花魁たちからどやされてしまうだろうけれど。


「分かった、明後日なら時間とれるから向かうよって、伝えてほしいっす」

「おう、任せとけ。……それとなあ、紅のお嬢ちゃん」


手をひらひらさせながら立ち去ろうとした夜子は、その体制のまま耳だけを戻した。


「なんでまた、今夜はそんな顔で歩いてるんだい。これから、綱渡りかバンジージャンプかって顔じゃあ、そりゃお店には入れねえなあ」


手引き茶屋の主は、心の底から心配している声でそう言った。


「多分、おじさんやこの街の人に言ったら、刺されても文句は言えない悩みっすよ」

「なんだ、まさか…紅の家が繋がったっていうあの風魔一族の関連かい」

「こんな時代にまだ忍者なんてものが必要とされるから、みんな頑張ってるんっすよ。一族は悪い人じゃない」

「でも、あの連中は人を殺す」


ああ、まただ。
どうして遊郭街の人も、その外に住むこの地域の人も、こうして誤解しているのだろう。


「なんでも、昨夜だって足抜けしようとした女郎を一人、殺して寺へ運んだって噂だ。あんたも家の繋がりじゃあ難しいかもしれないが、疎遠にしておくほうがよっぽど良い」


こうして、悪い噂が流れているというのは、彼ら風魔一族の仕事が成功している証拠だ。
そう思い込んで、夜子は精一杯の笑顔を浮かべた。


「ご忠告ありがとう、おじさん。まあ、うちの母上に話はしてみるっすよ!」





遊郭街を出た夜子は普通の道をてくてく歩き、そして森に入り、川辺を歩き、足跡も残らぬよう、万が一にも追跡などされていないことをたっぷり確かめたうえで帰路についた。
大江戸の街に寄り添うようにある山、霊的な場所としても有名なそこは、普通の人ならば近づかない。ふもとにあるお寺や神社の関係者が時折に榊を取りに来る程度だ。
そんな山の中腹にある丸太を建てて作った塀の内側へ入ると、周囲の森の神聖な雰囲気からは離れた活気ある景色が目に入る。世間のイメージからは到底想像できないであろうこの下町のような場所が、風魔一族の里だ。


「あ、夜子お姉さま!おかえりなさいませ!」

「おかえりなさい!今夜はわたしたちがご飯作ったから迎えに来たの!」


門のようになった場所からまっすぐに大きな道が伸び、両側には木造平屋が立ち並び、時折近代的な2階建て程度の住居も見受けられる。中央道の最奥には、もっとも大きく、もっとも厳かな屋敷が建っている。そこが、夜子の帰るべき場所、風間邸。
その屋敷の方からこちらへ向けて、薄い緑色の髪の毛をサイドテールにした同じ顔がふたつ、到底笑顔で走れる速度ではないだろうという速さで突っ切ってくる。


「ただいま、柳、葵。」

「お仕事お疲れ様。今夜は三人でお風呂入ろうね」

「その前に夕飯ゆっくり食べようよ。今日は久々に兄ちゃんも帰ってきたんだし」

「あれ、常磐、こんな早い時間に帰ってきたの?」

「「うん!」」


サイドテールの同じ顔--柳と葵の双子に両サイドを固められ、夜子は引きづられるようにして屋敷へと歩いた。


「そういえば、昨夜来た子はどうなったの?」

「ああ、付廻しの子ね。渋谷(しぶたに)のお家で引き取ってくれることになって、名前は本名のユリナにするんだって」

「良かったねえ、ユーちゃんも。わたしたち年齢近いから色々お世話してきたんだけど、客の男にお店のルール無視した乱暴されてて、それが嫌だったんだって」


遊郭街での「付廻し」ということは、花魁の一番下の階級だ。けれど禿や袖振り新造はつかない。もしかしたら先輩花魁から何かいじわるでもされていたのかもしれない。清白屋だったらそんなことないのにな、と夜子は知り合いの楼主と女性のことを思い出した。


「で、それを聞いた他の花魁さんたちが、勝手に足抜け話を捏造したらしいよ。」

「それで常磐に以来が来たのね。この制度が出来て本当に良かったね、その子」

「ほんと!夜子お姉さまが来てから里のお仕事も変わったし!」

「同い年くらいの女の子も増えたから色々楽しいし!わたしたちが忍びデビューする前は、普通に花魁ちゃん殺しちゃってたんでしょ?お姉さまが来た後で良かった」


夜子の恋人、というよりも既に家族と呼べるべき人。風間常磐その人こそがこの一族と里の主である風魔小太郎だ。夜子がやってきて常磐と二人、様々な制度や仕事の見直しを行うまでは、前体制の腐った仕事の仕方をしていたのだそうだ。


「ユーちゃんね、常磐兄様に直々にお手紙で感謝をって言って、色々書いてたみたい。あの花魁ちゃんたちの家を援助してるのが紅家だって聞いて、驚いてたよ」

「お姉さまの意見は最初はジジババは文句言ってたけど、今じゃみんな感謝しかしてないよね」


それこそ、今日何度も街で聞かされてきたあの話のような仕事を。だから、茶屋の主が言っていたことは、ほんのちょっと前までは事実だったのだから、夜子が落ち込むのもお門違いではある。

自分の大切な人が、守るべきものを守るためにやっていることを誤解されるのは辛い。
けれど、足抜けした子の安否が不明で死んだと思われているからこそ、この里へ迎え入れられた女性たちは数年後の社会復帰を目指すことができるのだ。

このシステムをきちんと回している彼のことを思い、夜子は少しだけ足を早めた。


「じゃあ今度はユリナちゃんも誘って買い物行こうか!」

「「行くー!」」


早く会いたい。そして話したい。言いたい。
私はあなたの仕事を誇りに思っているのだわ、と。








2018/10/01 今昔 都子
ツイッターで見かけた診断より。
今昔 都子は「レコード」「綱渡り」「草履」の3語で物語を書いてください。長さは問いません。
https://twitter.com/konjaku0385/status/1046674845142986752


2015年6月5日金曜日

【仮想大江戸】 小話 「金魚すくい」

※ 楽曲からイメージした小話




【金魚すくい】





「見てみて!射的!」


あたしは常盤の浴衣を引っ掴むと、下駄と地面が立てるカラコロという音に気分を高揚させながら走りだした。
目の前に続く道には、色とりどりの提灯が柔らかい光を放っており、両脇には話に聞いたことがあっただけの屋台たち。あたしの浴衣は白地に赤い金魚が泳いでいるけれど、正直今日のあたしも金魚の気持ちだ。
まだ日の高いうちから紅の家にやってきた常盤は、あたしの母と祖母を言いくるめてあたしの居る離れまでやってきた。いつもなら勝手に塀を乗り越えてやってくるというのに、正攻法でやってきたのだ。理由を聞いてみれば、両手に抱えるようにして色とりどりの浴衣をみせられた。


「どれが好みだ?」

「は?」

「俺はこういうのは詳しくないのでな…お前が好きそうなものを、とりあえず全て持ってきた」


言われて、常盤の持っている浴衣を1つずつ畳の上に広げていくと、あたしよりも彼の方がわくわくしているようで、楽しげに続けた。


「今日は夏祭りの初日だ。昨夜は前夜祭の宮入りで何も見れていないのだろう?」

「お宮入り以外でお祭りに行ったことないわ。大抵、近所の料亭でお仕事があったから…」

「今年の予定は空いていると、夜子の母上に聞いてきた。だから、今年は一緒に行くぞ」



なんでも器用にできるくせに、浴衣の着付けは自分じゃできないという常盤に、紺色に銀糸が織り込まれた浴衣を着せた。顔を隠す必要はないだろうけれど、あたしの持っていたお祭りの知識を総動員して、狐のお面も持ってきた。
あたしの方も、常盤が選んでくれた浴衣から一番気に入ったものを着て、帯も髪飾りも常盤に選んでもらった。

まるで、恋人という関係のようだと思う。

特に、どちらから好きだ何だと言ったことがあるわけではない。そりゃ、言われたら嬉しいだろうけれど。今のところ、あたしも常盤も言わなくても分かっているのだ。

ヨーヨーを片手に走って行く子どもたちを見て、いつか自分たちも親になるのかななんて話をしてみたり。
あの屋台の料理は美味しかったから作れるように頑張ってみるね、なんて話をしてみたり。
そんな淡い、幸せを描くだけで今は十分だ。


紅の家はとても内向的で、外部の人間を寄せ付けない。そういう意味では風魔に似ているのかもしれない。大きな違いがあるとすれば、女系の一族ということくらいだろう。
だからあたしも、母や祖母には逆らえない。そう思って過ごしていた。言われるがままに芸を磨き、仕事をして、いつの日か両親が決めた相手と結婚する。そしてまた女の子を産まなくてはならないのだと、そう信じきっていた。枠組みの中に囚われて、それ以外の考え方が出来なかったのだ。言ってみれば、金魚すくいのケースに入れられた、あの赤い魚たちと同じ。
紅の家の女性はその芸と特殊な髪色が原因で、裏では高値で取引される。赤い髪の毛に赤い瞳。それだけで人攫いに遭うかもしれないのに、親の作った囲いから出る勇気はあたしにはなかった。


「はぐれるぞ」


そう言って手を繋いで、だいぶ違うはずの歩幅を合わせてくれる。常盤の手に繋がれているうちは、ビニール袋に移った金魚だ。常盤の思う場所に連れて行ってもらえる。
あたしと同じように白髪と緑の瞳で、周囲にはあっという間に風魔の人間だとバレるだろう。けれど彼は強い。始めて出会った料亭の事件の時もそうだった。あたしを庇って、守ってくれた。今だってそうだ。いくら高値がつく紅の女だと言っても、風魔の忍びと一緒ならば余程の馬鹿出ない限り手を出してこないだろう。


「手…」

「ん?どうした?」

「つなぎ方、こっちがいい」


くっついていた自分の指同士の間へ常盤の指を絡め取れば、まあ…所謂そういうつなぎ方になる。皮膚の接触面積が増えるからか、妙な安心感がある。

紅の家の中に居るあいだは、何も感じない日常の中を泳ぐだけの金魚だったあたし。
狭い世界から、あなたがあたしを掬いあげてくれた。出会ったのが偶然でも、手を伸ばしてくれたのは、常盤の意思のはず。あたしを一番に考えてくれる、大切な、唯一の相手だと思っている。そんなことは照れくさいので絶対に言わないけれど。


「っふ。乙女だな。」

「うーしゃい!」

「何を言う。可愛いからそう言っているまでだろう?」


慌ててつなぎ方を元に戻そうとしたあたしの手をグっと引き寄せると、常盤の唇が耳に触れた。


「いつも以上に可愛い。連れ帰りたいくらい、好きだ」


訂正しよう。
あたしも負けじと常盤の耳元へ口を寄せた。


「あ、あたしだって…好き、だ……ばかぁ!」







2015/06/05 今昔
歌手:藤田麻衣子
曲名:金魚すくい


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【仮想大江戸】 小話 「今でもあなたが」

※ 楽曲からイメージした小話
※ 親世代編のネタバレ注意


【 今でもあなたが 】


木賊は腹の傷を庇いながら布団の上に起き上がった。
愛した人を取り戻そうとしたことを後悔はしていないが、周囲に大きな迷惑をかけたことは後ろめたく思っている。
絢音が流行病に倒れた時、二人の間に産まれた長男と、それから養子として引き取った少年が亡くなった。あの病がなければ、常盤の成人の儀を早急に執り行う必要もなかった。そして、木賊自身も絢音を追い求めて禁術に手を出すことはなかった。己の弱さを実感すると共に、子どもたちの世代に申し訳ない気持ちで潰れそうになる。
木賊はふと自分の手のひらを見つめてみた。
木賊を生かしておくと判断したのは、絢音の姪である麗奈と、常盤と恋仲だという夜子という少女だった。親殺しの相手とはいえ友人の親、友人の義理の親になるかもしれない人。そんな相手が憎くとも殺したいとは思わない。絢音の妹である樹音そっくりの顔でそう言った。
物思いにふけっていても忍びとしての習性は抜けないもので、自室へ近づいてくる気配を感じて顔をあげた。

「お義父さん、夜子です。入っても宜しいですか?」

どことなく、絢音に似ていると思う。
人前で負けを認めたくないところや、強気を装っていても本当は甘えてしまいたいところ、限られた人の前でしかそれを見せないと徹底しているところ、よく響く声や下に向きがちな視線。異性の親と似た相手に惹かれるという話は聞くが、母親との記憶が希薄であるだろう常盤もその傾向にあるのかと思うと、なんだか頬が緩むような気がした。

「どうした?一人でここへ来るとは珍しいな」
「1つお伺いしたことがあります。もし…余所者である私に話して聞かせてもいい話であれば、お聞かせください。」
「いいだろう。どうしたんだ?」

もうお前は他人じゃない、と言ってやりたいのはやまやまだが、絢音がくぐり抜けてきたあの余所者を排除するような動きが、また繰り返されるかもしれない。そう思うと、簡単にそう口にすることははばかられる。

「成人の儀では、大切な人を殺すというのは本当ですか?」
「…どこでその話を聞いたんだ」
「里の外に流れてくる、数少ない風魔の噂のひとつです」
「そうか…外へは、そのように流れているのか…」

礼儀正しく座っている夜子の顔は心なしか暗い。その負の感情を見せてくれるようになったのはここ最近で、幼い頃の常盤の話を聞かせているからか、心を開いてきてくれたようだ。

「風魔は、身内殺しをするような一族ではないと、私は思っているのです。長の命令は絶対。お金や権力には靡かないと有名な一族であるのに、その大切な身内を殺すようなことをするとは思えなくて…」
「あぁ、ありがとう。常盤の嫁さんは本当にものをしっかり見てくれている」
「っ…!」

嫁という言葉に過剰に反応してみせるところは、絢音とは違うようだ。絢音はむしろ、自ら嫁にと売り込んできたうえに、当主の妻であるということに誇りを持っているようだった。

「成人の儀は、始めて暗殺の仕事を請け負うことだ」
「…幼い頃からその任務につくこともあると、常盤には聞きました。」
「奴は例外だ。その手の仕事を好んでいたからな…」
「では、成人の儀とは具体的になにが行われるんですか?」
「……お前が殺したのは、誰かが大切に思う相手だ。愛しいと思う人を殺したのだ。そう言い聞かせて暗闇に閉じ込める。そうして過度のストレスを与えて感情を押し殺す術を学ぶのだ。」

暗闇、といっても、その定義は人によって様々だ。木賊は自宅の地下にある座敷牢だったし、常盤の時には少々過酷だとは思ったが一番危険な方法を取り入れた。箱に詰めて地面へ埋めたのだ。

「では、常盤は自分の大切な人を殺めたわけではないのですね…」

ほっとしたように言う少女に、木賊は微笑ましく思い頬をゆるめた。

「私は、風間家当主の妻として、彼を支えていく覚悟を決めました。まだ時期ではないと判断し、常盤には返事をしていません。しかしながら、若輩者ゆえご無礼もあるかと存じます。どうか、暖かなご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします。」

まっすぐな背中で言い、そして優雅に礼をした少女は、やはり絢音に似ていた。
そして思うのだ。亡くなって何年も経過する、それから言い寄ってくる女性が居なかったわけでもない。それでも、やはり絢音が一番であり唯一であると。そう思ってしまうのだ。
木賊は好きなのだ、絢音を思い出させてくれる夜子の声が。
絢音にそっくりなその声を聞くだけで、涙が出る。それはきっと、今でも彼女を愛しているからなのだろう。
涙した木賊に慌てる目の前の少女と、自分が愛した女性との息子が、幸せであれるようにと、木賊は心の底から祈った。






2015/06/05 今昔
楽曲は
歌手:藤田麻衣子
曲名:今でもあなたが

2014年12月10日水曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・珊瑚編

本家に最も近い分家。その家に生まれた第一子で長男が、どれほどの重荷を背負って生きて行くことになるのだろうか。そんな人生を予想した時に、結婚相手が決められているだろうということは想像に難くない。けれども、そう意気込んでいたものを覆されるというのは些か腹が立つというものである。






【 仮想大江戸 お伽話 珊瑚 編 】






戒愁珊瑚(かしゅうさんご)は、戒愁家という名前を持つただ2つの家柄のうち、分家側に生まれた身であった。丁度珊瑚の母親と、母親の兄嫁とが同時期に身籠り、お腹にいる子供たちが男女であると分かった時から二人は許嫁であった。戒愁家の習わしに従って珊瑚と名付けられた彼は、生まれる前から婚約者が決まっていたのである。
古くは大江戸歴が3桁の頃から続く戒愁という大きな血筋は、今や日本の政治だけではなくエンターテイメント事業や工業、林業農業と様々な分野に人脈を持っている。そんな一族の本家の少女を嫁に迎えることがが決まっていたのだ。
そんな珊瑚は今、戒愁家の邸宅にある離れを自室とし、周囲を囲む竹林の向こうから聞こえる歌声を聞きながら書物に目を落としていた。淡い桃色の髪の毛はこの国では珍しく、女中たちからは「可愛らしい若殿」と目に入れても痛くないほどに可愛がられている。だが、それだけなのだ。


「若殿、お薬の時間になりました」

「はい、どうぞ。入ってください」


布団の上に座ったままで答えると、みな同じ形に髪の毛を結い上げた女中が3人入ってくる。まだ8時過ぎだというのにきっちりと着込んで働いている様子は、少し申し訳なくなるほどだ。それを言えばこの家に使えることが喜びだのなんだのと言われてしまうため、珊瑚はおとなしく羽織を肩にかけてもらい、温かい朝食を食べ、そして苦くないように蜂蜜と葛湯で甘くした薬を飲んだ。
それらを済ませると、女中たちは嬉しそうに出て行く。障子戸が閉まる直前、女中の一人が追加の本が必要かと聞いてきたので、珊瑚はお礼と一冊の書物を告げた。

離れの一室は16畳の和室と、それをコの字に囲む板の廊下。さらに廊下で囲まれていない側には4畳ほどの板の間がある。板の間には万が一に備えた様々なものが入っており、夜間は護衛の人間もそこに寝泊まりしているらしい。
そもそも何故そのような環境で過ごしているのかといえば、理由は単純明快、珊瑚がとても病弱であり日常生活に支障をきたすからだ。


「君がため 惜しからざりし 命さへ…」


本家の3番目の子供であり次女の蜜柑は産まれる前からの婚約者であった。しかしながら、珊瑚は4歳になる頃に喘息持ちであり気管支が弱く、偏頭痛持ちで病弱という、なんとも当主には向かない体質であることがわかったのだ。両親はその分、座学で当主を支えるべきだと考えを改め、次男である甚三(じんざ)へと当主の座を譲らせて珊瑚には座学を嗜ませた。
珊瑚が以前実際に送ったことのある百人一首の1つである詩から、下の句を頭のなかで反芻していると、女中が出て行った障子戸にすっと影が見えた。


「長くもがなと 思ひけるかな、ですか。随分と心が弱っているようですね」

「蜜柑さん…」


自分のそれとは全く違う、細く高い女子の声。入ってくださいと促すと、綺麗な所作で障子が開かれた。戒愁家の次代当主である蜜柑が着ていた藤色の着物は、以前珊瑚が父親が懇意にしている呉服屋に頼んで贈ったものだった。その事実に少しばかり安堵しつつ、珊瑚は居住まいを正して机の片側に置かれていた座布団を薦めた。
蜜柑の背後から同い年くらいの少年が入ってきたが、彼は無言で障子戸のすぐ側に正座してしまった。蜜柑も気に留めていない様子を見ると、護衛か何かだろうか。


「それで。藤原義孝の詩を詠むだなんて、どういった心情なんですか?」

「いえ…ただ、少し昔のことを思い出してしまって。一日千秋とは言いますが、蜜柑さんとの婚約が解消されてからは、一日がとても長いのです。日がな一日勉強しかしていないということもありますが、まるで世界が色を失ったようで…」

「はい、ストップ!」


蜜柑に静止の言葉をかけられて、珊瑚は慌てて口をつぐんだ。自分が思っていることを、知っている言葉の限りを尽くして喋り続けるのは悪い癖だと自覚している。


「私も、婚約が解消されたことには驚きましたが…こればかりは仕方がありません。一族を束ねるものとして、確実に血を残していく必要があるんですから。」

「そうですね」

「最近知り合った友人も、同じように一族の血を繋げることを重視している人が居ます。話を聞くと面白い人ですよ。今度引き合わせましょう」


蜜柑の背後に居た少年がギョっとした顔をしたが、そんなに凄い人間なのだろうか。珊瑚はしばし思案し、口を開いた。


「ま、僕は別に蜜柑さんのこと好きでもなんでもなかったので問題ありません」

「失礼ですね。元婚約者の前でそのような口のききかたは…」

「だってそうでしょう。お互いどんな人間なのかも知らないんですから、好きになりようがありません。一族のために結婚するというのも薄ら寒い話ですし」


ひょいと肩をすくめてみせれば、蜜柑はひどく大きくため息をついた。どうやら珊瑚の回答はお気に召さなかったらしい。もちろん、第一子でもなく女性である蜜柑は、最初から当主候補であったわけではない。そのためか珊瑚よりも立場に縛られないことを好むし、何よりも責任の重さを疎ましく感じているようにも見える。
護衛が背後の少年一人だけというのも、彼女が気を許せる相手のみを連れ歩いている証拠だろう。


「確かに…その友人も血族を守りつつも好きな人と添い遂げる道を選ぶようですから、珊瑚の言い分が間違っているとは思いません。ですが、あなたも一族の中で1つの家系の長になるのですから、早々にお見合いでもしてくださいね」

「ええ、もちろん」

「蜜柑さん、そろそろ行かないと時間がなくなります」

「あぁ…麗奈たちを待たせてしまいますね。」


蜜柑がその場を辞そうとすると、背後に控えていた少年がすっと立ち上がり、蜜柑にも負けないほどの所作で障子戸を開いてみせた。どうやらただの護衛というわけでもないらしい。珊瑚が少し目を見開いて見ていると、少年は小さく会釈をして先に蜜柑を通した。
それから少年は振り返ると、改めて膝を揃えて座った。更には深々と頭が下げられる。


「申し遅れました。梔子剣と申します」

「あぁ…梔子の家の……そうか、蜜柑さんは君に護衛を任せているんだね」


戒愁家に連なる一族の中で、最も武術に秀でた家柄である梔子は、毎世代の当主の護衛を務めることが責務だ。所作がしっかりとしつけられていることも、蜜柑が一人しか連れ歩かないことにも納得できた。


「珊瑚様へのご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げます」

「気にしないで。顔をあげてほしいな。君のこと、蜜柑さんも気を許してるみたいだったし。僕から言うのも変な話だけれど…彼女のこと、よろしくね。」


にっこりと微笑んでみせると、剣と名乗った少年もまた心得たというように神妙な顔つきで頷いた。それから、弓道をやっているのか独特な動きで立ち上がると、少し先に行ってしまった蜜柑を追いかけるように部屋から出て行った。

藤原義孝は、思いが通じあった直後に病でこの世を去ったという。
珊瑚は、婚約をしていながらも両思いではなく、さらに病のせいで婚約破棄となった自分の身の上と、彼の詠んだ詩がどことなく被って見えるのだ。自らの行いのせいではなく、病というどうしようもないもののせいで、手に入れられるはずのものを失う。
同時に様々な責務からも開放されてはいるのだが、その責務でさえも失ったという喪失感は拭えない。藤原義孝も、死後は珊瑚と同じような気持ちになったのだろうか。などとも思ってしまう。


「ほら剣、遅いですよ。麗奈たちを待たせているんですから、早くしてください」

「待ってください!こう見えても一応梔子の長子なので立場とか身分というものが

「私の連れとして来ているんですから、肩肘張りすぎです。そのくらい気づきなさい」

「あっ、はい…すみません……」


自分といる時よりも随分とリラックスした様子の蜜柑の声が聞こえ、珊瑚はなんだか胸の奥がこそばゆいような感じがした。障子越しに入ってくる朝日のような、簾越しに見る十六夜の月のような。そんなほっこりと暖かな何かを感じながら、珊瑚はまた読書を続けようと本を開くのだった。


いつか自分も、あんな風に笑い合える誰かと巡り会えるのだろうか。
そして願わくば、君が幸せでありますよう。






終。

2014年12月2日火曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・桑染編

その男は当主に忠誠を誓っていた。しかしながら、それは「当主」という存在に信頼をおいているのであって、先代の当主であった風間木賊(かざまとくさ)個人に信頼を置いていたわけではない。これは恐らく、彼以外の男たちにも同じことが言えるだろう。それが、「風魔」という特殊な一族の特徴であるからだ。






【 仮想大江戸 お伽話 閑話・桑染編 】






世の中には不思議なことがいくつもある。そう思われていたのはだいぶ前の話であるが、大江戸歴が2000年を超えた今でも摩訶不思議な出来事というものは存在するはずなのだ。しかしながらそれが世に語られないのは、当事者たちが必死に隠し守っているからなのである。
その1つであるのが忍という者たちであり、風魔一族である。

男の名前は桑染一真(くわぞめかずま)と言った。風魔としての例に漏れず、真っ白な髪の毛とそれとは対照的な濃い色の瞳。そして父親である桑染家の当主から受け継いだ忍としての技術。どれもが一真の自信であり、誇りであり、これから守り続けていくべきものだ。
ただ問題があるとすれば、それは一真が「出来損ない」と呼ばれることだった。
以前、庭で雀が怪我をしているのを見つけた。それを丁寧に世話をしてやっているところを偶然にも風魔の里の者に見られ、「なぜ世話をしているのか」と問われた。それに「可哀想だと思ったからだ」と答えたところ「こいつは忍として出来損ないだ」と言われたのだ。
全くもって理解に苦しむ。自分より弱い者を守ることが忍ではないのだろうか。幼いながらに納得ができず、母親に相談した記憶もある。


「あの雀は元気にしているだろうか…」


縁側に腰掛けて空に向かってつぶやけば、どこかでカラスの鳴き声がした。「生きているわけがないだろう」と言われたような気がして、一真は眉をひそめた。

風魔の里では、成人の儀式というものが行われる。それは感情を完全に押し殺し、当主の命じるままに動けるようになることだ。故に、雀を可哀想と感じた一真は風魔としては出来損ないである。里の者達はそう言った。
暦が冬に変わり息が白くなりはじめた夕暮れは、やはりさむい。成人の儀式を終えているとはいえども、一真もまだ15になる子供だ。風邪をひくことはないだろうが、身体を万全に整えておくことも任務のうちである。


「一真、居るか?」


庭先からした声に顔を向ければ、見慣れた白髪が居た。その白髪の中には一房だけ緑色の髪の毛が混じっている。当主の息子であり、謀反を起こした先代を始末し次代の当主として認められつつある少年。桑染の一家が全力で守るべき対象であり、そしてなにより、一真にとって彼は幼なじみでもある。


「若様、どうなされたのです?」

「やめろ気持ち悪い。俺が当主になったとしても、別に幼馴染であることに変わりはないだろう。」

「変わるでしょう、周りがお前を見る目が。」


彼の名前をいちいち脳内に呼び起こすまでもなく、一真の中に「風間常磐」という人間は色濃く存在している。それこそ、いつぞや手習いの本で読んだ、赤い魚の中に一匹混じった黒い魚と同じほどの存在感だ。


「それで、わざわざ何用で?自宅からは随分遠いだろうに」

「千歳と朽葉の墓参りだ」

「あぁ…お兄さんたちのか」


常磐とは歳の離れた兄たちは、彼の母親と同じ頃に流行病で亡くなった。常磐はまだ幼く兄たちの記憶はおぼろげであるようだが、一真は少しだけ覚えていることがある。


「ちゃんとお団子は用意したみたいだな」


兄である千歳も朽葉も団子とまんじゅうが好きなのだ。常磐はさほど甘味に興味はないようだったが、墓参りの度に美味しいと評判の店を探しては新しい団子を備えているようだ。そして今日もまた包を持っており、これから墓参りに行くのだろう。せかっくだから自分も着いて行こうかと一真が立ち上がりかけると、常磐はそれを手で制した。


「いや、墓参りは済ませた。この包は土産だ」

「土産…?家のものにか?」


確かに当主として忍として実力がある常磐だが、それでも普通の人間としての能力はとんでもなく低い…どころの騒ぎではなく、一真が知るところでは自転車に乗るのに年齢制限は無い、といった一般常識が欠落しているレベルだ。
以前二人で任務で市街地へ出た際には、走りゆく車を見てはあれが良いだのこれが良いだのと楽しげに笑っていたのも記憶に新しい。一真の場合は元より世間に紛れ込むような任務を得意とする一家であったため、もちろん車やら世情にも明るい。そうでなくとも、普通に里で暮らしている者たちよりも、常磐は圧倒的に欠けているはずなのだ。
その常磐が土産を持っているなど。明日は雨が降るだろうか。もしからしたら槍が土砂降りになるかもしれない。一真が屋根瓦の心配をしていると、その顔を何と受け取ったのか常磐は照れくさそうに笑った。


「今夜から、夜子が屋敷に来るのでな。」

「は?……夜子って………あの紅一族の末裔が風魔の里に…?お前、何考えてるんだ…?」

「あわよくば今夜は

「やっぱり言わなくて良い!!」


一真は危うく聞いてしまいそうになった内容を予測して頬を染めると、慌てて冷静な顔を取り繕った。
紅、という家は、たとえ音楽や芸事に精通していなくとも名前を知っているほど、この国の音楽に大きな影響を与えている女系家族だ。その家の末裔に、常磐が熱を上げている。という噂は耳にしていたものの、政治的な意味合いが強いとばかり思っていた。


「その…和菓子は茶請けにするのか?」

「あぁ、あいつは和菓子が好きだからな。特にこの店の猫まんじゅうは好んで食べるらしい」


わざわざ幼い少女のために和菓子を買いに行ったと言うのだろうか。風魔の当主が、女のために?一真は混乱で回りづらい舌をどうにか動かし、常磐に視線を向けた。


「で、夜ってことは当然食事をして帰るんだよな?」

「今回は泊まりだ」

「……ちゃんと別の部屋だろうな…?」

「何故部屋を分ける必要が有るんだ?」


心の底からキョトンという顔をしてみせた常磐に、一真は全身の力がぐったりと抜けていくのを感じた。だめだコイツ、早くどうにかしないと。
一般常識に欠けている、ということを踏まえてもだ。婚前の男女が同じ部屋で寝るというのはまずいのではないだろうか。まして彼は風魔の当主だ。弱みになりうるものは全て排除しなくてはならない。これは桑染の家がどうにか正してやらねばならぬことだ。もし、その赤鬼と呼ばれる紅の末裔が常磐のものになったとしても、当主の妻たるもの子供も残さぬうちに死なれては困る。つまりそこそこ強くなくては認められないのだ。
一真は相変わらず世間を変なレンズ越しに見ている常磐に言い放った。


「その赤鬼が来たら、私にも会わせてくれ」

「ウチに何の用ッスか?」

「うわぁ!?」


両肩に、ポン。と何かが乗ったのが分かった。


「夜子、来ていたのか。随分と早かったな、まだ日暮れ前だぞ」

「夕方からのお仕事がドタキャンになったの。メール入れておいたんだけど、見てない?」

「すまない、受信されてないみたいだな」


あっれーまじか。それは辛いー。風魔の里って電波悪いの?
と、口でプンスカという擬音を言いながら、その何かは一真の上から退いた。背後に移動した気配を追いかけて目を向ければ、そこには綺麗な赤黒い髪の毛を部分的に結い上げた、和服姿の少女が立っていた。背中には黒いケースを背負っており、何か楽器が入っているのだろうことが分かる。跳ねまわったために落ち着かない髪の毛を撫でる手は、楽器の演奏のせいか同じ年頃の娘よりも少し節が太いように見える。
可憐な少女の手というよりも、働く女性の手といった感じだ。あずき色の着物の上には灰色の羽織を着ており、その羽織には小さく品よく、銀糸で家紋が刺繍されている。髪飾りには鳥の飾りが着いており、赤毛によく映える金色は、さながら夕焼けを舞い踊るトンビのようでもある。
その背格好と家紋を見て、一真は瞬時に気づいてしまった。この少女こそが紅一族の末裔である赤鬼に間違いない。


「で、常磐、この御方は?」

「彼が桑染一真、代々当主の補佐を務めている一族だ。」

「はじめまして、私、紅夜子と申します。どうぞ、お見知り置きを」


丁寧にお辞儀してみせた少女は、どこか常磐の母を思わせるような妖艶さがあった。見たところ自分や常磐よりも少し年下のようだが、その年齢でそのゆったりとした所作が出来るものなのかと疑いの視線を向けたくなる。
一真もどうにか自己紹介をすると、お辞儀を返した。

圧倒された。その場に居るだけだというのに、存在感が大きいのだ。初めて常磐に会った時と同じような、頭が上がらないという動物的な本能を感じてしまう。


「いかがですか、ご当主の補佐殿。あたくしは…お眼鏡にかないまして?」


女豹か、女郎蜘蛛か。捕食される側はこんなにも怖いのかと、一真は生唾をのみこんだ。


「夜子、あまり一真を虐めてやるな」

「え~、いじめてるつもり無いもん」


常磐に肩を叩かれた途端に和らいだ空気に、一真は大きく息を吸った。どうやら無意識に呼吸が浅く小さくなっていたらしい。このような少女相手に悔しいと思うが、それと同時に、これならば常磐に相応しい。そう感じた。


「ほら、あまりこいつの休日を潰すのも申し訳ない。行くぞ」

「いつも潰しにきている常磐には言われたくないな。ほら、さっさと行った。一族の未来はお前にかかってるんだからな」


そう言えば、常磐も何を言われたのか察したらしく、赤鬼と呼ばれる少女の手を柔らかく握ると自宅の方へと歩き出した。

今、先代風魔の残した事件のために、江戸も風魔の里も落ち着きが無い。これから動乱の時期を迎えるのは確かであると、一真は考えている。そしてその中で、ごく少数であるこの一族が生き残っていくためには、当主となる常磐の働きが重要になるだろう。
さらに言うのであれば、彼の働きには一真たち風魔に属する人間の働きが直結しているし、何よりもあの赤鬼が影響しているだろう。一時は感情を完全に失っていたように見えた常磐が、ああして一人の少女を大切そうに扱っているのだ。赤鬼の影響力は計り知れない。
もしかしたらこの先風魔の未来を変えるのは、常磐一人ではなくあの二人になるのかもしれない。一真はどこかホクホクと温かい気持ちと、常磐に対する滅びればいいのにという相反する気持ちを抱えて自室へと引き上げた。
外では雀が大空へと飛び立ったところであった。





終。

2014年9月19日金曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・常磐編



暗い場所に居た。
床は冷たく、両腕を広げると壁と壁に手がつくくらいの、正方形の「何か」の中。俺はその何かの中でひたすらに時間が経つのを待っていた。
この何かから出されるまで、俺は自分の一族の一員だと認められないらしい。なんて古臭い因習だと思う。髪の毛の色やら、感情やら。どうだっていいじゃないか。俺が一番任務をこなせることに変わりない。
だから早く、ここから出せよ。


出せ。

そして----




 -----殺させろ。








【 仮想大江戸 お伽話 閑話・常磐編 】








赤いものは好きだ。特に血の色が好きだ。人肉の色も嫌いじゃないが、夕日が山へ沈んでいく時の汚い茜色が好きだ。
明るい場所は嫌いだ。目が痛い。俺を拒絶するように、光は俺に害をなす。昼間は嫌いだ。太陽が空に登って、いつどこからでも俺を狙ってくる。

この感覚は誰しもが持っているものだと思ったが、どうやら違うらしい。同じ一族の子供の中でも、俺は特異な存在らしかった。


風魔一族。この名前を出せば大抵の人間は大人しくなるくらい、大きく有名な忍びの一族。世襲制で血統を重んじ、当主の命令1つで全てが決まる。要するに独裁政権。
血を薄めないために一族の中で子供を作る必要があるが、任務を遂行するために幼いころ感情を殺す儀式を行う。つまり恋だ愛だなんていうものは精神疾患でしかない。あるのは主への忠誠心と一族を守る誇りだけ。

愛が無いならどうして俺は生まれたのか?

当主である父親と嫁入りした母親は、婚姻統制。つまり血が濃くなりすぎないよう、一族の中で一番遠い血を持った者同士で結婚したらしい。跡取りが欲しいからと、兄の次に俺を。それから弟と、妹を二人。それだけの兄弟を産んで母親は死んだ。流行病だったらしい。
一族の中でばかり血を混ぜるから、忍びとして優秀な反面、病に弱くなるんじゃないだろうか。これくらいのことは適当に頂戴してきた医学書を見ればすぐに分かることだ。どうして誰もそれを指摘しないのか。

障子越しに降り注ぐ月明かりを頼りに本を読んでいれば、廊下に足音はなく気配だけがやってきた。


「常磐様、ご当主様がお呼びです」

「今行く」


なんでこの家に仕える者は足音をたてないのだろう。意味が分からない。気配を消さなかっただけまだマシかもしれないが…。

父親の居る屋敷で最も奥まった場所にある部屋へ立ち入ると、珍しく夕食を共にするらしい。膳が運ばれてきた。肉じゃががある。確か父親の好物だっただろうか。


「常磐、お前も今年で7つになるな。」

「はい、父上」


父親のことは嫌いだ。母親が亡くなる前から、時折別の女の匂いをさせていることが多かった。こいつだって風魔一族なのだから愛情なんてものは持っていないはずなのに、どうして他の女性に手をだすのだろうか。気色悪い。


「次の新月に、儀式を執り行う」

「……承知いたしました」


ついに来たらしい。所謂、成人の儀式のようなものだ。
俺たち風魔一族は、両親が認めた時から任務の手伝いをするようになり、徐々に仕事に慣れていく。その過程で徐々に髪色が抜けていく。そして最後にこの儀式を終え、髪の毛の色が抜けきったら一人前になれる。正直、髪の毛の色などどうでもいい。
俺が一番任務が上手くて、一番殺せることに変わりはない。

儀式は、何も食べれない、何も見えない、狭い暗闇の中で髪色が無くなるまで死なずに過ごすこと。暗闇の中、という表現になったのは、実際にその暗闇がどこにあるのか分からないからだ。
人によって儀式の長さは違う。中には何もない空間に気が狂って死ぬ者も居るという。つまり、その闇と無に耐えられなければ、風魔として忍びの任務は務まらないということだ。




そして俺は、翌日目が覚めた時には暗闇の中に居た。
床は冷たく、両腕を広げると壁と壁に手がつくくらいの、正方形の「何か」の中。

大好きな血の色も、母親が俺の名前に付けたように綺麗な緑色の山も見えない。
確かにこれは気が狂いそうだ。

気持ち云々の前に、水も食事も与えられないのだ。まずはそこを解決しなければ、流石に1週間が限界だろう。



(早く任務に行きたい…)


(早く、人を殺したい)


(殺させろ)

(早く)
(早く)

(早く)

(早く殺させろ)



(殺させろ!)




何を念じても、父親には届かないらしい。立ち上がって腕を伸ばしても届かない天井。運動するにも狭すぎる暗闇の中で、苛立ちばかりが募っていく。
時間の経過が分からない。苦痛だ。早く任務に戻りたいのに。


<Yah- hiyah- ie- nh-Aha->


狭い闇の向こうで、聞きなれない歌声が聞こえた。
日本の民謡のような、中東の民族音楽のような独特な節回し。
中低音の裏声で、暗闇を作り出している箱のようなものが振動している。歌声で物体を共鳴させられる人間は少なくないが、この大きさのもの、まして屋外の地声でここまで響かせられるものなのだろうか。
そこまで考えてから、俺は歌声の主が外で歌っているらしいことに気づいた。声は暗闇全体を振動させているためわかりづらいが、斜め上の方向から聞こえてくる。歌い手が高い位置にいるのか、はたまたここは土の中なのか。

歌声はまだ続いていく。
俺の大好きな、血の色ににた赤い色を想像させる歌声。気高く、華々しく、荘厳で背筋がぞわりと凍りつくような歌声。知らない曲だというのに、暗闇の中で聞き入ってしまう。


「誰か…居る?」

「っ!」


歌声がやみ、唐突にこちらに向かって声が飛んできた。空間全体を震わせていた歌ではなく、確実に俺の居る場所を捕らえて発せられたまっすぐな声。然程年齢の変わらないであろう少女の声に、俺は思わず返事をした。


「ここに居るんだ!」

「……アマイモン?」


なぜ悪魔であり大地の王の名前が出てきたのかは簡単に想像がついた。ここは恐らく土の中。土の中に縦長の箱が埋められているのだろう。


「違う。訳あってここに居るんだ。出るわけにはいかない」

「そう。なんか、昨夜と響き方が違うと思ったら、誰かが地下に部屋をこしらえたのか。」

「今の歌は、なんという歌なんだ?」

「知らない」


そっけない返事に、涙が出そうになった。


「知らないとは…?」

「私が作った曲だから、まだ曲名はないの。」


そっけなさから一転して嬉しそうな声で言った少女に、俺はどうやら1つの感情を植え付けられたらしい。
その声がほしい。


出来るのならば、素手でその喉を引き裂いてその血の色を見てみたい。手でなくとも、喉笛に噛み付いたらいいだろうか。彼女の綺麗な赤色の血は、さぞかし美味であることだろう。あぁ、ゾクゾクする。
顔も知らない相手を殺したいと願うなど、始めてのことだった。


「そうだ、そこから出れないなら暇でしょう?私と一緒に曲名考えてよ」

「構わない。だが、1つ聞いても良いだろうか」

「何?」

「俺は常磐。お前の名前が知りたい」

「……」


少女が少し迷う気配がした。


「私は、夜子。赤鬼って言う方が、知ってる人多いかもしれないけど」


夜子。
小さく呟いた。

これで探せる。この儀式さえ終わってしまえば、この少女を探し出し自らの手で引き裂いて血肉を貪り、眼球は繰り抜いて部屋に飾っても良いだろう。大腿骨を削りだして使いの鳥たちを呼ぶための笛を作ってもいい。
あぁ、なんと素晴らしいのだろう。


「それじゃぁ常磐。もう一度歌うから聞いててね」


呼ばれた名前に心臓が破裂しそうなほどの衝撃を受けつつ、俺はもう一度紡がれる異国風の旋律に耳を傾けた。




あぁ、この歌が、曲が愛おしい。お前が愛おしい。
少しだけ待っていてくれ。
すぐに、殺しに行ってあげるから。











終








2014/09/19 今昔 夜子

【仮想大江戸】番外編 閑話・千草編




はじめまして。
困った顔でそういった女の子は、都会育ちの他の子供たちと違って、とても素直そうだった。





【 仮想大江戸 お伽話 閑話・千草編 】




自分より少し年下の少女・浅葱がこの妓楼にやってきた時は、連れた来た友人の頭を精一杯の力で殴り飛ばしてやろうかと思ったくらいだ。もちろん、事前に連れてくることや事情を聞いていたからそんなことはしなかったけれど、どんなところに連れて行くのかくらいは説明すべきだと、オレは何度も言ったはずだ。


「しばらく…いや、今後この子が死ぬまで預かってくれ」

「それって、暗にこの妓楼で働かせろって言ってる?」


真っ白な髪の毛を緩く結い上げ、気だるそうな、けれど感情の見えない深い緑色の瞳をこちらへ向けた友人に、オレはため息をつくしか出来ない。


「暗喩ではない、明朗に『引き取れ』と言ったつもりだったが……」

「あー、うん。常磐が頭良いのは分かったから、ちょっと黙ろう」


相模のあたりを牛耳っている忍びの一族「風魔」。その当主である風魔小太郎の息子さんが常磐だ。どうしてオレと知り合いなのかは…まぁ思い出したくもないので置いておこうか。
ともかく、オレの視界に無表情の友人と、その友人に連れて来られて内装が珍しいのウロウロソワソワしている少女が居ることに変わりはない。

絢爛な屏風、賑やかに吊るされた提灯、縁に鮮やかな刺繍がされた畳、磨き上げられた板の間。そして店中を流れる木製の小さな水路。

ここは妓楼だ。
女性が芸を売る場所で、体を売ることもある場所。法律上は売春行為は規制されているので、あくまでも「店内では女性スタッフと恋愛自由」と謳っている。超グレーゾーン経営だ。それはオレの実家であるこの妓楼だけでなく、この吉原と呼ばれる色街一体のお店全てに通じること。
そんな法律的にも人道的にも、この子の将来的にもよろしくない場所へ、どうしてこの常磐はこの子を連れてきたのだろう。他に頼れる場所なんていくらでもあるだろうに。まして、彼は風魔一族の次期当主。裏社会の権力はそんじょそこらの政治家じゃ敵わないレベルで持っているというのに。


「それで、どうして浅葱ちゃんをオレのところへ?常磐が預かればいいんじゃないの?」

「俺のところへ?馬鹿か、貴様。俺のところへ来て世間で暮らしていくための能力が身につくと思うのか?闇社会で一財産稼ぎたいというのなら話は別だがな」


あ、意外とコイツしっかり考えてるんだ。でも他所に預けて警護だけするっていう発想がないあたり頭硬いよなぁ。
なんて常磐を見下ろすと、不機嫌そうに目を細めて見上げてくる。

忍者なんて、日常生活を普通に送っていれば出会うことなんてない。だからオレはこいつがどんな風に育って、オレやこの子、それから最近気に入っているという女の子をどういう目で見ているのかは分からない。
信用出来るのは、こうして無表情な目で発した言葉だけで、それでは信頼に足らないという大人も多い。


「分かった、我が家で引き取るよ。ただし、自分でお金を稼げるようにするとしても、ここで学べるのは芸だけだ。その辺りは、常磐も気にかけてやってくれよ?」

「気にかける?…菓子でも送りつけたら良いのか?」

「うーん…ま、それでいいや。」


オレたちが話に切りをつけようとしたところで、


ばっしゃーん


大きな水音がした。
慌てて振り返ると、店の中に流している水路からざばっと浅葱ちゃんが顔を出した。びっしょり濡れた髪の毛が顔に張り付いて、海のお化けのような出で立ちになっている。


「あ~あ~!!満さん、タオル持ってきてー」


オレはともかく女中さんにタオルを頼むと、浅葱ちゃんに駆け寄って水路から引っ張りあげた。浅葱ちゃんは落ちるとは思っていなかったのか呆然と目を見開いていて、なんだか少しおかしかった。


「ごめんなさい…」

「いいよ。どこか痛くない?」

「大丈夫…です。」

「よかった」


オレと数歳しか違わないはずの浅葱ちゃんは、なんだかとても幼く見えた。オレは生まれも育ちもこの江戸だから分からないけど、他所の小さい子はみんなこんな感じなんだろうか。機会があれば常磐のお気に入りちゃんにもあってみたいものだ。

女中さんが持ってきてくれたタオルで浅葱ちゃんを拭いてやると、常磐は仕事の時間だと言って去っていった。今日もきっと、オレには想像も出来ないような危ない仕事に手を出すのだろう。
一般人に生まれて良かったなーと思う反面、少し常磐の生き様に憧れてしまう自分に嫌悪感。


「お兄さん…」

「ん?」


濡れた着物を着替えさせようと、家にあがるように促すと、浅葱ちゃんは少し躊躇うようにオレの着物を引いた。


「常磐の髪の毛って、どうして白いの?年齢は、私よりちょっとお兄さんなだけだと思うんだけど…」


あぁ、そうか。

この年齢で白髪になることは少ない。そして、風魔一族が意図的に白髪にしていることも、その方法もこの子は知らないのだろう。
いや。普通は、知らないのだ。
オレは話すべきか少し悩んでから、やはり知っておくべきかと口を開いた。


「常磐の一族の習わしなんだよ。一人前になるために、髪の毛が白くなるようにするんだ」

「…染めるの?」

「染めない。もっと、怖くて痛い方法で白くするんだ」


風魔一族は、感情がない。希薄ではなく、完全に無い。その証拠が、白髪。

常磐に少しだけ聞いたことがある。
過酷な訓練と、それから絶対的な絶望。それを与えられるうちに、瞳から光は抜け、髪色は白くなる。もともとは黒髪が多い一族らしいけれど、それを知るのは身内とごく一部の部外者のみ。一族の中で婚姻統制が行われることも多く、恋愛なんて無いに等しい。

絶対的な絶望とやらの内容は怖くて聞いていない。オレは痛々しいのは嫌いだし、グロテスクなのも嫌だ。


「でも、常磐は一房緑だった。一人前じゃないってこと?」

「あぁ、あれはね…一人前になった後で、色が戻ったらしいよ」


本当か嘘かは知らないけれど、例の常磐のお気に入りちゃんが感情を取り戻させてしまったらしい。だから常磐とオレの関係もちゃんと続いているというわけだ。感情が完全に無い人と付き合っていけるわけがない。常磐は少しだけれど、他の風魔よりも感情の振り幅が大きい。
無だった感情を有に変えたのがお気に入りちゃんだそうだ。それ以来、常磐の人生は変わったことだろう。知らなかった感情を1つ覚えるだけでも世界は変わって見える。それは我が家に務める芸子さんたちを見ていれば分かることだ。
客であったはずの男に惚れて出て行くのを見送ると、その芸子がいかに幸せで満ち足りているかが分かる。お気に入りちゃんの話をする時の常磐は、そういう時の芸子に似ているのだ。


「オレにも見つかるといいんだけどね」


新しい感情を、教えてくれる相手が。
所謂、運命の人だとか、赤い糸で結ばれた相手とかいうやつだ。


「そっか。常磐は大事な人が居るのか…羨ましい」


浅葱ちゃんの小さな声は、妙に屋敷の中へ響いたように感じた。
昼間の静かな屋敷の中へ、すっと通る声。揺れる空気。一瞬、彼女が大人なんじゃないかと錯覚するような憂いを帯びた声。我が家で一番の歌い手よりもよほど可愛らしく色っぽい声だったように思った。
美しいとかそんなものじゃない。麗しい。


「決めたよ」


オレはすこし腰を折って浅葱ちゃんと視線をあわせると、その綺麗な瞳を覗きこんで言った。


「オレが浅葱ちゃんの芸名を決めてあげる。」

「芸名?」

「そう。ここはね、女の人が歌や楽器、踊りでお金をもらう場所だ。そこで使う芸名。浅葱ちゃんだけの、新しい名前だ」

「名前…!ありがとう、千草!」


満面の笑みで呼ばれた名前は、やはり凛としていてオレの心が波打ったような気がした。
女社会の妓楼で生き抜く術をきちんと教えてあげなくちゃ、このオレが。

後から思い返すと、この時感じた保護欲とやらは、「新しい感情」だったのではないかと思う。













終。

















2014/09/19 今昔

2014年7月31日木曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・剣編


オレには幼なじみで従兄弟の女の子が居る。紫とかピンクとか、そんな言葉じゃ表せないような髪色が凄く綺麗で、頭もよくて。でもオレからみると「本家の長女」である幼馴染----橙里とオレは、今は仲良くなってはいけない。






【 仮想大江戸 お伽話 閑話・剣編 】







橙里はそういう家の上下関係とかには敏感だ。けれど本人がそういうのを気にしているわけじゃない。ただ、オレと仲良くすると大人たちがあまりいい顔をしないから、それを敏感に察知してオレや弟の徹を守ってくれているんだ。
本当はオレが男だから、女の橙里を守ってやらなくちゃならないのに。ずっとそう思ってきた。


「剣、お稽古の時間です」

「はい、先生!よろしくお願いいたします!!」


道着に着替えて、基礎体力をつけるための走り込みに筋トレ、それから打ち込み。剣術の師範代の教えを忠実に再現するべく日々鍛錬。橙里を守れるだけ強くなるために、橙里を守れるようになるまで近づかないと決めた。家の取り決めである会食は顔を出すが、それ以外はオアズケだ。

この日本には何人も「超人」と呼ばれる人間がいる。
筆頭は戒愁家の本邸がある相模に住むという「風魔一族」。魔術だか忍術だか、とにかく怪しい術を使う一族で、身体能力も高い。忍者の生き残りだそうだ。
それから「紅」。この家は女系で、代々女性は音楽や絵画など芸術に秀でた才能を見せている。今の末代は「赤鬼」と呼ばれているらしい。こ、怖くなんかないぞ!

江戸に居ると言われてるのは「清白千草」。情報通の男らしく、そいつに高値で情報を買う政治家が後を絶たないらしい。
経済面で言うなら「戒愁家」。言わずもがな橙里の実家で、日本経済を支える大きなお家。

オレの家、「梔子」はその戒愁の分家であり、代々剣術や槍術、馬術を極めてきた。オレにもその才能はきちんと受け継がれているはずなのに、学校以外で比べるとまだまだ弱い。


「剣!!右足の踏み込みが甘い!!体重ではなく重心を前に持っていけッ」

「はい!」


なんでもう一歩踏み込めないのかオレなりに考えてみる。慣れてないから?いや、物心ついた時には竹刀も木刀も握ってるんだ。慣れてないわけがない。オレの頭が悪いからか!!そうか…それは……あれだ、どうしようもないな!でも頭が悪かったら橙里の近くにいつまで経っても行けないよな。
でもオレが本当に近づいてもいいのか?なんて、邪念ありまくりの状態で受けたその日の稽古は散々だった。




 ◇ ◇ ◇




オレが打ち身だらけになった稽古からしばらくして、定期開催されている戒愁家との会食の日になった。いつも通り、普段より少しだけ上等な着物を着せられる…と思いきや、今日は新品の洋服だった。
橙里はいつも綺麗な和服を着てくるから、オレも洋服じゃなくて和服がいいなぁ…なんて。


「万が一の時、洋服の方が橙里様を守れるのではありませんか?」

「なるほど!!そうだよな、なら今日は洋服で行く!」


そうか、和服より洋服の方が戦いやすいのか!確かに袴がバサバサしないもんな!侍女さんすげえ!頭いい!!

そんなワケでオレは弟の徹と親父と一緒に会食に向かった。洋服はやっぱり動きやすい。戦争が終わって西洋文化が入り始めてから、日本でも洋服が着られるようになってきた。でもなんでか今の時代になっても和服を着てる人は多いんだよなぁ。特に袴姿…ハイカラさん的な格好の人だ!
その夜も橙里は可愛い着物に見を包んでいて…あ、くっそ……可愛いじゃねえか!!ただ、袖も長いから食べ物を取る時は大変そうだ。


「……む、遠い…」


むってなんだ、むって!!可愛すぎか!!


「橙里さん、オレが取りますよ」

「あ、ありがとうございます」


我ながら、面と向かった時に「橙里さん」としか呼ぶ勇気のない己が情けないぜ。本家と分家っていう壁で、少し躊躇ってしまう小心者だ。いっそ小さい頃みたいに「橙里ちゃん」って…いや、男らしくないから無しだな!


「うん、ごまダレ美味しい」


…橙里のしゃぶしゃぶサラダにかかっているごまダレの量がおかしい。というか、ごまダレに豚肉とレタスが浸ってるという方が正しいな、あれ。そんなちょっと抜けてるところも可愛いぜ!言えないけどな!

そして本家の当主さんとオレの親父とで飲みに行ってしまった後、オレたちは戒愁家に橙里を送り届けに行った。


「何者っ!?」


そう叫んで一歩下がった橙里の足元を見ると、玄関に向かう途中に糸が張られている。誰かが橙里を狙ったのか?
屋根の上から目の前に忍び装束の男性が飛び降りてきた。深い青色の忍び装束は、確か伊賀忍者のものだな。


「戒愁橙里、梔子剣、お命頂戴する」


オレもかよ!!
男はすっと橙里へ何も持っていない手を伸ばしてきた。その手に意識を向けると、ふと人間からするはずの無い匂いがした。


「橙里さん下がって!」


男の手を左手で払いのけると鳩尾に右拳を打ち込む。咳き込んで数歩下がった男に、ザマァミロと笑ってやる。


「あの手に気化性の毒が塗ってある!…橙里さんへの悪意を持った、嫌な匂いがするッ」

「剣?」

「橙里さんは下がっててください!」

「橙里ちゃん、こっちや」


徹が橙里を保護したようだ。
とはいえ、伊賀忍者なんて本職の忍者相手に、オレはどこまで橙里を守れるんだろうか。せめて徹が気を利かせて橙里と二人安全な車内に入ってくれれば…って運転手はなにしてるんだ?
我が家の運転手なら多少戦えるはずなのに。

ああ、もう。なんで帯刀してないんだ、こういう時に限って!!
そんなことを思っていると、黒い忍び装束の女の子が現れた。オレよりちょっと年下…橙里と同じくらいの年齢に見える。それなのに、忍者相手に軽々と拘束して見せた。

つ、強い…。オレより年下なのに、強い!
その女の子は都子と名乗ると、去り際にオレたちのところへとやってきた。


「剣さん、良い嗅覚してるッスね。将来が楽しみっす!」

「あ、ありがとうございます!!」


褒められたー!!
オレ、オレ…すっげえ人に褒められた!!


「ウチもちょっと他のヤツの始末に手間取ってたんで、剣さんが居なかったら橙里さんも危なかったんっすよ」

「役にたてたということですか!!」


ちょっと前にあった剣術の訓練のことを思い出した。あんなふうに師範代に怒られてばかりのオレだったけど、少しは橙里を守る役にたてたんだ。これがどれほど素晴らしいことか、きっと誰に話しても分かってもらえないだろう。
オレにとって橙里とは守るべき対象であり、甘酸っぱい言葉で言うなら初恋の人だ。番犬だとかガーディアンだとか、そんなものにオレはなりたい。橙里が幸せになれるなら、結ばれるのは別にオレじゃなくてもいい。…いや撤回、できればオレがいい。


「役に立てたみたいですよ、橙里さん!!」

「ええ、そうですね…」


苦笑いだったけれど、橙里は笑ってくれた。それが嬉しくてはしゃいでいる間に、都子とその連れの忍者はどこかへ行ってしまったようだ。


「なぁ、あの人すっげー強かった!もしかしたら弟子入りとかさせてくれねぇかなぁ」


そうしたらもっと強くなって、一人でも橙里のこと守れるようになるかもしれないもんな!そんで、その時は…その時こそは……。

オレは後ろで呆れたように笑う橙里の声を聞きながら、いつになるかも分からない未来に思いをはせた。














終












2014/07/31 今昔 都子