2014年12月10日水曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・珊瑚編

本家に最も近い分家。その家に生まれた第一子で長男が、どれほどの重荷を背負って生きて行くことになるのだろうか。そんな人生を予想した時に、結婚相手が決められているだろうということは想像に難くない。けれども、そう意気込んでいたものを覆されるというのは些か腹が立つというものである。






【 仮想大江戸 お伽話 珊瑚 編 】






戒愁珊瑚(かしゅうさんご)は、戒愁家という名前を持つただ2つの家柄のうち、分家側に生まれた身であった。丁度珊瑚の母親と、母親の兄嫁とが同時期に身籠り、お腹にいる子供たちが男女であると分かった時から二人は許嫁であった。戒愁家の習わしに従って珊瑚と名付けられた彼は、生まれる前から婚約者が決まっていたのである。
古くは大江戸歴が3桁の頃から続く戒愁という大きな血筋は、今や日本の政治だけではなくエンターテイメント事業や工業、林業農業と様々な分野に人脈を持っている。そんな一族の本家の少女を嫁に迎えることがが決まっていたのだ。
そんな珊瑚は今、戒愁家の邸宅にある離れを自室とし、周囲を囲む竹林の向こうから聞こえる歌声を聞きながら書物に目を落としていた。淡い桃色の髪の毛はこの国では珍しく、女中たちからは「可愛らしい若殿」と目に入れても痛くないほどに可愛がられている。だが、それだけなのだ。


「若殿、お薬の時間になりました」

「はい、どうぞ。入ってください」


布団の上に座ったままで答えると、みな同じ形に髪の毛を結い上げた女中が3人入ってくる。まだ8時過ぎだというのにきっちりと着込んで働いている様子は、少し申し訳なくなるほどだ。それを言えばこの家に使えることが喜びだのなんだのと言われてしまうため、珊瑚はおとなしく羽織を肩にかけてもらい、温かい朝食を食べ、そして苦くないように蜂蜜と葛湯で甘くした薬を飲んだ。
それらを済ませると、女中たちは嬉しそうに出て行く。障子戸が閉まる直前、女中の一人が追加の本が必要かと聞いてきたので、珊瑚はお礼と一冊の書物を告げた。

離れの一室は16畳の和室と、それをコの字に囲む板の廊下。さらに廊下で囲まれていない側には4畳ほどの板の間がある。板の間には万が一に備えた様々なものが入っており、夜間は護衛の人間もそこに寝泊まりしているらしい。
そもそも何故そのような環境で過ごしているのかといえば、理由は単純明快、珊瑚がとても病弱であり日常生活に支障をきたすからだ。


「君がため 惜しからざりし 命さへ…」


本家の3番目の子供であり次女の蜜柑は産まれる前からの婚約者であった。しかしながら、珊瑚は4歳になる頃に喘息持ちであり気管支が弱く、偏頭痛持ちで病弱という、なんとも当主には向かない体質であることがわかったのだ。両親はその分、座学で当主を支えるべきだと考えを改め、次男である甚三(じんざ)へと当主の座を譲らせて珊瑚には座学を嗜ませた。
珊瑚が以前実際に送ったことのある百人一首の1つである詩から、下の句を頭のなかで反芻していると、女中が出て行った障子戸にすっと影が見えた。


「長くもがなと 思ひけるかな、ですか。随分と心が弱っているようですね」

「蜜柑さん…」


自分のそれとは全く違う、細く高い女子の声。入ってくださいと促すと、綺麗な所作で障子が開かれた。戒愁家の次代当主である蜜柑が着ていた藤色の着物は、以前珊瑚が父親が懇意にしている呉服屋に頼んで贈ったものだった。その事実に少しばかり安堵しつつ、珊瑚は居住まいを正して机の片側に置かれていた座布団を薦めた。
蜜柑の背後から同い年くらいの少年が入ってきたが、彼は無言で障子戸のすぐ側に正座してしまった。蜜柑も気に留めていない様子を見ると、護衛か何かだろうか。


「それで。藤原義孝の詩を詠むだなんて、どういった心情なんですか?」

「いえ…ただ、少し昔のことを思い出してしまって。一日千秋とは言いますが、蜜柑さんとの婚約が解消されてからは、一日がとても長いのです。日がな一日勉強しかしていないということもありますが、まるで世界が色を失ったようで…」

「はい、ストップ!」


蜜柑に静止の言葉をかけられて、珊瑚は慌てて口をつぐんだ。自分が思っていることを、知っている言葉の限りを尽くして喋り続けるのは悪い癖だと自覚している。


「私も、婚約が解消されたことには驚きましたが…こればかりは仕方がありません。一族を束ねるものとして、確実に血を残していく必要があるんですから。」

「そうですね」

「最近知り合った友人も、同じように一族の血を繋げることを重視している人が居ます。話を聞くと面白い人ですよ。今度引き合わせましょう」


蜜柑の背後に居た少年がギョっとした顔をしたが、そんなに凄い人間なのだろうか。珊瑚はしばし思案し、口を開いた。


「ま、僕は別に蜜柑さんのこと好きでもなんでもなかったので問題ありません」

「失礼ですね。元婚約者の前でそのような口のききかたは…」

「だってそうでしょう。お互いどんな人間なのかも知らないんですから、好きになりようがありません。一族のために結婚するというのも薄ら寒い話ですし」


ひょいと肩をすくめてみせれば、蜜柑はひどく大きくため息をついた。どうやら珊瑚の回答はお気に召さなかったらしい。もちろん、第一子でもなく女性である蜜柑は、最初から当主候補であったわけではない。そのためか珊瑚よりも立場に縛られないことを好むし、何よりも責任の重さを疎ましく感じているようにも見える。
護衛が背後の少年一人だけというのも、彼女が気を許せる相手のみを連れ歩いている証拠だろう。


「確かに…その友人も血族を守りつつも好きな人と添い遂げる道を選ぶようですから、珊瑚の言い分が間違っているとは思いません。ですが、あなたも一族の中で1つの家系の長になるのですから、早々にお見合いでもしてくださいね」

「ええ、もちろん」

「蜜柑さん、そろそろ行かないと時間がなくなります」

「あぁ…麗奈たちを待たせてしまいますね。」


蜜柑がその場を辞そうとすると、背後に控えていた少年がすっと立ち上がり、蜜柑にも負けないほどの所作で障子戸を開いてみせた。どうやらただの護衛というわけでもないらしい。珊瑚が少し目を見開いて見ていると、少年は小さく会釈をして先に蜜柑を通した。
それから少年は振り返ると、改めて膝を揃えて座った。更には深々と頭が下げられる。


「申し遅れました。梔子剣と申します」

「あぁ…梔子の家の……そうか、蜜柑さんは君に護衛を任せているんだね」


戒愁家に連なる一族の中で、最も武術に秀でた家柄である梔子は、毎世代の当主の護衛を務めることが責務だ。所作がしっかりとしつけられていることも、蜜柑が一人しか連れ歩かないことにも納得できた。


「珊瑚様へのご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げます」

「気にしないで。顔をあげてほしいな。君のこと、蜜柑さんも気を許してるみたいだったし。僕から言うのも変な話だけれど…彼女のこと、よろしくね。」


にっこりと微笑んでみせると、剣と名乗った少年もまた心得たというように神妙な顔つきで頷いた。それから、弓道をやっているのか独特な動きで立ち上がると、少し先に行ってしまった蜜柑を追いかけるように部屋から出て行った。

藤原義孝は、思いが通じあった直後に病でこの世を去ったという。
珊瑚は、婚約をしていながらも両思いではなく、さらに病のせいで婚約破棄となった自分の身の上と、彼の詠んだ詩がどことなく被って見えるのだ。自らの行いのせいではなく、病というどうしようもないもののせいで、手に入れられるはずのものを失う。
同時に様々な責務からも開放されてはいるのだが、その責務でさえも失ったという喪失感は拭えない。藤原義孝も、死後は珊瑚と同じような気持ちになったのだろうか。などとも思ってしまう。


「ほら剣、遅いですよ。麗奈たちを待たせているんですから、早くしてください」

「待ってください!こう見えても一応梔子の長子なので立場とか身分というものが

「私の連れとして来ているんですから、肩肘張りすぎです。そのくらい気づきなさい」

「あっ、はい…すみません……」


自分といる時よりも随分とリラックスした様子の蜜柑の声が聞こえ、珊瑚はなんだか胸の奥がこそばゆいような感じがした。障子越しに入ってくる朝日のような、簾越しに見る十六夜の月のような。そんなほっこりと暖かな何かを感じながら、珊瑚はまた読書を続けようと本を開くのだった。


いつか自分も、あんな風に笑い合える誰かと巡り会えるのだろうか。
そして願わくば、君が幸せでありますよう。






終。

2014年12月5日金曜日

【仮想百鬼夜行】犬神奇譚 第01話

ずる。ずるずる。

手を伸ばしても、とても届きそうにない夜空だった。その夜空の遙か足元。地面をそれは這っていた。通りすがった残業帰りとも飲み会帰りとも分からない男性は、それの存在が見えていないかのように歩み寄り、そして何事もなく通り抜ける。
それを見つけた少女は住宅地のなかでポツンと屋根の上に立ち、片手に握った紙切れを見つめてはため息をついた。その様子は誰かが見つけてしまったのなら「異様」の一言に尽きるのだろうが、丑三つ時、近所にコンビニがあったりするわけでもないその場所では、通行人は居なかった。
しばらくして正面からだった風向きが横からの風変わると、少女は手にしていた紙切れに息を吹きかけ、それを空中へと放った。それは紙なのだから、普通風に流されてしまいそうなものだが、放たれた紙は風を切る音を立てて空中を滑るように走りだした。


「今日のお仕事、終わりだよ。帰ろうか」


少女は空中に向かってそう呟くと、風に運ばれるようにしてどこかへ移動していった。鳥でもないのに空をとぶ姿は、やはり「異様」としか言いようのない光景であった。






【 仮想百鬼夜行 犬神奇譚 01 】






梔子剣は今年で小学六年生の男の子である。
剣の通う小学校では、おかしな話でもちきりであった。五年生の女の子が気味悪い、というもので、剣も詳細は聞いたことがなかったが、狗谷ミヤという少女が周囲から嫌われているということだけは知っていた。
だからこそ、


「げ…」


縦割り清掃の組み合わせが変わった後、やってきた五年生の女子が「狗谷」という名札をつけていたら驚くことくらいするというものだ。


「何でしょうか」


あからさまに嫌な顔をされたのに、怒るでも無く嫌な顔を返してくるでもなく、彼女はただ無表情のままにこちらに問いかけてくる。
大人っぽい物腰の狗谷に、剣は腰を抜かしそうなくらいに驚いた。なんだか子供に見えないのだ。まるでドラマで見る強盗犯を相手にしている時のようなプレッシャーを感じる。蛇に睨まれた蛙とはこういうことか、とついさっき終えてきた国語の授業を思い出しつつ、剣はどうにか箒を彼女に手渡した。


「おれたちの掃除場所は体育館。お前は舞台の上と舞台袖の掃き掃除な」

「分かりました。」


剣から箒を受け取った狗谷はくるりと振り返ると、赤みがかった黒髪をふんわりとなびかせて歩き出す。まるでスロー再生されたかのように、その仕草が脳内に焼き付いていくのを感じる。
箒を片手に狗谷が行ってしまうと、剣は知らず知らず止めていたらしい息をほうっと吐き出した。まるで床に寝転がって布団を大量に乗せられたような息苦しさだった。どうして子供からそんなプレッシャーを感じるのか。他の同級生には分からずとも、剣には1つだけ想像することができた。


彼女は妖怪なのではないだろうか?


剣はそんなことを考えながら、モップを両手でぐっと握ると、体育館の片隅から駈け出した。時折水でも落ちているのかスピードが出せずイライラしながら走っていると、舞台の上で掃き掃除をしている狗谷の姿が嫌でも目に入る。
彼女は時折ぱくぱくと口を動かしていて、何か暗記の宿題でもしているかのようだった。


「駄目だよ。学校でそんなことしたら、怒られちゃう。別に人間なんてどうでもいいけど、自分から嫌われにいくなんて面倒」


何を言っているんだ、こいつは。
五年生の教科書にそんな内容なかったぞ?と無いと自覚している頭をフル回転させるも、狗谷が何でそんなことを言っているのか理解することは出来なかった。



剣の理解を超えた行動をする後輩は、次の掃除の時にも同じようにごにょごにょと口を動かしていた。廊下ですれ違ったときには右斜め上を見上げて穏やかに微笑んでいた。本当に彼女の行動は謎だらけだ。
気にしていれば廊下ですれ違ったことにもよく気づくもので、彼女との遭遇率はそれなりに高い。もちろん、剣のいる6年生が校舎の1階に教室があり、登下校する生徒がよく見えるということもあるだろう。


「あのね、常磐。今日は蓮根でキンピラ作りたいの。スーパー寄って帰ってもいいかな?」

「大丈夫だよ、私は常磐と一緒なのが一番うれしいから、人間にどう思われようと構わない。」

「え?しょうがないなぁ…じゃぁ今週末はお仕事入れないようにするね。常磐と一緒に居ようかな」


剣が約2週間に及ぶ観察を行った結果、分かったことがある。やはり彼女は自分が人間でないように振る舞うことと、何やら他の人には見えない人物と会話をしているということだ。正直なところ剣自身も「何でアイツを観察しているんだ」と立ちくらみを起こしそうになったこともあった。

剣はあの狗谷とういう少女が何を考えて行動しているのか気にしながら帰宅し、ランドセルを重たく感じながら家の扉を開いた。


「ただいまー」


まだ両親は帰っていないようで、返事はない。靴を脱ぎ散らかしてキッチンへ入ると、冷蔵庫に「おやつ食べてね」と母親の字でメモが貼られている。冷蔵庫を開けると手作りらしいプリンが入っていた。
弟の徹が帰ってきてから一緒に食べようかと一度扉を閉め、子供部屋へとランドセルを置きに向かう。

にゃあ

足元で飼い猫が鳴いた。


「ただいま、カイリ」

「あんた、良くない匂いがする」


剣は20cm程床から飛び上がったのではないかという程に驚き、飼い猫のカイリから距離をとった。今、確かに、カイリが喋ったのだ。
カイリは優雅に毛づくろいをはじめてしまい、剣は恐る恐るカイリに近づいた。


「剣、あんた誰に関わってるんだい?」

「喋った」

「そりゃ、私くらいの猫になれば喋れるさ」

「まじか」

「結構まじ」


カイリは丹念な毛づくろいを終わらせると、にゃあと1つ鳴いてこちらへと寄ってきた。剣が小さい頃からずっと飼っている猫だ。特に怖いとは感じられない。


「私は海里。梔子の家がずっと住まわせてくれてる猫又ってやつさ」

「猫又?」

「そうだよ。あんたが友達を家に呼んだ時、私はいつも隠れなくちゃならない。見る力のない子供には見えないからね」

「父さんや母さんは?見えてるのか?」

「見えてるよ、あんたの父親である重蔵はね。母親は力がないようで見えないらしいが…私が住んでることに反対はしてない」


剣はぱちくりとまばたきをすると、いつものように海里の喉を撫でてやった。ぐるぐると心地よさそうにする海里の様子はいつもと変わらず、猫又だと言われても正直実感は沸かない。けれど確かに今、彼女はしゃべっていた。
そもそも、猫又とはなんだっただろうか。剣は必死に夏場にやっていた怪談話を思い出した。山に住んでいる二本の尻尾を持つ猫だとか、飼い猫が長生きして尻尾が増えるだとか、確かそんなことを言っていた気がする。つまり海里は、飼い猫が長生きしたから猫又なのだろうか?


「で、あんたはここ最近、嫌な匂いをさせて帰ってくるんだけれど…一体何をしているんだい?」

「え?おれは…普通に学校行ってるだけだけど…」

「それだけじゃぁ、そんな匂いはつかないさ。最近変わったことが会ったんじゃないのかい?ここ半月くらいで、転校生が来ただとか仲良くする友達が増えただとか。あとはそうだねぇ、捨て猫の世話をはじめたとかっ!!私以外の猫に手を出すとはなんと不埒な行為!」

「え、ごめんなさい!!」


海里のきしゃーっという威嚇に思わず土下座してから、剣ははっと顔をあげた。心当たりならあるではないか。丁度半月ほど前から変わったことが。


「そうだ、2週間くらい前から、学校で知り合った奴が居る」

「知り合った?」

「そう、狗谷ミヤっていう…」


狗谷という名前を出した途端、海里の毛並みはぶわりと逆だった。
何かまずいことを言ってしまったらしい。剣が焦った時には既に手遅れで、海里は苛立たしげに柔らかな肉球を床にたたきつけた。ペチペチと可愛らしい音がしているものの、海里の剣幕は本気で怒った時の父親を連想させた。


「よりによって!!あの狗谷!?信じられません!!剣!いいですか、今すぐ縁を切りなさい!」

「え?なんで…どうしてですか」


思わず敬語で言い返せば、床を叩いていた肉球がばしりと剣の太ももを叩いた。


「狗谷という家の恐ろしさをあんたは知らないからそんなことが言えるのさ!まして今生きている狗谷の人間といえば、あの常磐を連れてる娘っ子!あーおぞましい!」

「ときわ?」

「そう!あの忌まわしき犬っころ!」


海里がもう一度床をペシペシしようとしたところで、ガチャリと玄関が開いた。この時間に帰ってくるということは、両親ではなく弟の方だろう。剣は海里のことをそのままにはしておけないと意味もなく両手をぱたぱたと動かした。
案の定、子供部屋の前に座り込んでいた剣の元へ、茶色いランドセルを背負った徹がやってきた。剣と海里を交互に見やると不思議そうな顔で小首を傾げ、それから海里の顎をそっとなでた。


「海里ちゃん、兄ちゃんとお話したん?」

「あぁ、そうさ。こいつがあんまり鈍いものだから…」


徹はあろうことか海里がしゃべることに驚きもせず、昔から知っていましたというふうに会話を楽しんでいる。


「最近言ってた、変な匂いの話したん?」

「狗谷っていう家があるんだけどね、あの家は代々呪術師なんだ。祓い屋は私達妖かしと手を組んで悪霊を追い払うけど、あいつら呪術師は妖かしを道具にしか思っちゃいない。その呪術師一族を束ねるのが狗谷の家ってわけさ。」


あーやだやだ。と可愛らしい手を左右に振ってみせる海里に、徹はくすっと笑った。剣はなんだか一人置いて行かれたような気持ちで二人を見つめるしかなかった。弟である徹とも海里ともずっとまえから家族であるはずなのに、どうしてか疎外感があったのだ。
そして、あの狗谷という少女がことあるごとに「ときわ」という単語を言っていたなぁと思い出しながら、どこか遠くに海里の声を聞いていた。


「何はともあれ、狗谷なんかに近づかないことだよ」








ずる。ずるる。
ずるずるずるずる、ずる。

赤黒いそれを引きずって、その妖かしは歩いていた。
妖かしが通った後には乾きかけたそれから血が滴り、目印のように地面に線を引いている。通りすがりの子どもたちが、妖かしの身体を突き抜けていった。妖かしは人間には見えない、喋れない。


『ほしい。ほしい。…おれ、ひとり。あの子、ほしい』


つぶやいた妖かしの言葉は、誰にも拾われることはなく静かに路地に消えていった。









翌週。剣はいつもどおりに登校すると、赤いランドセルを背負った見慣れた姿を発見した。狗谷だ。先日の海里の言葉が蘇って、剣は慌てて歩調を遅くした。関わってはいけない。そう言うのは海里だけではなく、海里が言うのだから従ったほうが良いと徹までもが言うのだ。
剣がそう思いながら見つめていると、くるりと狗谷が振り向いた。通学路に人は少ないとはいえ、敏感に人間の存在を察知したというのだろうか。


「おはようございます。」

「お、おっす」


狗谷は剣に小さく挨拶をすると、その場に立ち止まったまま剣を--剣の背後をじっと見つめはじめた。そして手のひらをこちらに向けて腕を伸ばすと、小さく何かつぶやいた。
途端、何か剣の後ろで空気がはじけたような衝撃があった。背中から音もなく空気に押し出されるような感覚があり、すこしだけつんのめる。
驚いて後ろを振り返るも、特に何があったわけでもない。ただ遠く後ろの方から同じ小学校の子供が歩いてくるだけだ。


「お前、何したんだ?」

「さぁ。なんでしょう」


無表情にそれだけ言った狗谷は、いつものように斜め上に向かって話しかけながら学校へと歩き始めた。



ずるずる


ふと、何かが聞こえた気がした。ゆっくりと狗谷が振り返る。
その目はこの2週間で見たことがないほどに輝いていて、まで徹がはじめて母親からお使いを言い渡された時のような顔だった。役目を与えられて喜んでいる顔だ。


「だから、言ったでしょ?私と、常磐の邪魔をしないでって。」


狗谷はまたもや剣の背後に目を向けると、ポケットを探って一枚の紙切れを取り出した。墨字のようなもので漢字とも外国語とも分からないものが書き綴られたそれを、狗谷はきゅっと握っている。


「え?だってそうでしょう。この街は私と常磐が守ると決めた場所。そこで悪事を働くんだもの、消滅させたっていいのに、今まで随分猶予をあげたじゃない。でも今日で終わり。」

「ミヤ、あまり時間をかけるな。遅刻するぞ」


いつも狗谷が見上げているあたりから、男性の低い声がした。剣がそこへ目線を投げれば、うっすらながら「何か」が居ることだけが分かった。常磐だ。意味もなくそう感じた。
ふとその名前で、狗谷に近づくなと言っていた海里の言葉が思い出され、慌てて周囲を見回した。走って学校まで行ってしまおうと思い立ったのだが、周囲はなにかオカシイ。いつもと色合いが違うのだ。古びた写真の中にいるような、昔のビデオテープを見ているような、そんな加工が視界にされているようで世界が鮮明に見えないのだ。


「なんだ…これ」

「俺が張っている結界の中だ。少年、しばし待て。結界の外にお前のお守りも来ているようだから安心しろ」

「海里が!?」


問いには応えず、狗谷はそっと手にしていた紙切れを持ち上げた。


「夜芸速(やぎはや)の 十拳剣(とつかのつるぎ) 此れ火産霊(ほむすび)と成り」


途端、目に痛いほど真っ赤な何かが視界を覆った。暗記用の赤いシートを被せたような視界は一瞬で元の古びた視界に戻り、その時には既に剣の背後で轟々と炎があがっていた。
何が起きたのか全く理解は出来なかったが、兎にも角にも狗谷がこの炎を発生させたことだけは分かった。その炎が何か剣には見えないものを焼きつくす様子をじっと見つめていると、徐々に視界は見慣れたものへと戻っていった。


「迦具土之命(かぐつちのかみ)の力を借りれるとは…なかなか恐ろしい娘っ子に育ったじゃないか。常磐、相変わらず気持ち悪い」

「海里ちゃん、あんまり怖いこと言わんといた方がええよ?一応兄ちゃんのこと、守ってくれたんやし…」


炎が消えた向こう側には、徹と徹に抱かれた海里が居た。二人とも今の様子は見えていたのか、驚いたり不思議がったりしている様子はない。


「ガキの言うとおりだ。うるさいぞ、ちびモフモフ。梔子の家の人間が大切なら、もう少しちゃんと行動しろ。あの程度の妖かしならば、お前一人で消せただろう」

「お生憎様。私は身内を斬るなんてことはしない主義なんで。剣を食べれるほど、いまの妖かしは強くなかっただろう?」

「それはミヤが時折、警告と称して霊力を吸い上げていたからだ。それがなければこんな小僧、一飲みだ」


海里とやりとりしている声がする方へ視線を戻すも、剣にはやはり何も見えない。それに気づいたらしい狗谷は、何かが居るのであろう空間で服の裾を引くようにチョイチョイと手を動かした。すると、その場に深い青色の何かが見え始め、それから白いような灰色のようなモフモフ。綺麗な緑色の瞳が認識できた時点で、そこに人が居るのだとわかった。
突如として現れた深い青色の着物を来た男性は、狗谷の頭を大切そうになでた。その様子は、なんだか剣自身が海里を撫でる時に似ていて、彼と狗谷に近づくなと言われていたことはすっかり頭から抜け落ちた。


「うるさい。呪術師ごときが祓い屋の真似事をして…」

「治安を維持しているだけ。それ以上常磐に暴言言うなら、いくら海里さんでも消し去ります」


狗谷は隣に立っていた男性----常磐と呼ばれているその人物に抱きつくと、彼の腰辺りから伸びているモフモフとした尻尾を撫でた。心地よさげに揺れる尻尾と、よくよく見てみれば常磐と呼ばれる彼の頭には、ひょこっと耳が生えている。もちろん人間のような耳、という意味ではなく、犬や狼のようなそれだ。
ふわふわと揺れるその白灰色の毛に、剣は改めて自分の目を疑った。


「え、犬?」

「はい、常磐は私に憑いている狗神です。わんこです」

「おいミヤ、俺は決して犬ころではな

「おすわり」

「わん」

「………」


剣は目の前で男性に「お座り」をさせてみせた年下の少女、狗谷ミヤを見て盛大なため息を付くとともに、厄介なことに巻き込まれてしまったのだろうということを認識した。これから先のことを見通す力などは生憎と持ち合わせていないが、それでも「面倒だ」ということだけははっきりとわかった。








終。

2014年12月2日火曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・桑染編

その男は当主に忠誠を誓っていた。しかしながら、それは「当主」という存在に信頼をおいているのであって、先代の当主であった風間木賊(かざまとくさ)個人に信頼を置いていたわけではない。これは恐らく、彼以外の男たちにも同じことが言えるだろう。それが、「風魔」という特殊な一族の特徴であるからだ。






【 仮想大江戸 お伽話 閑話・桑染編 】






世の中には不思議なことがいくつもある。そう思われていたのはだいぶ前の話であるが、大江戸歴が2000年を超えた今でも摩訶不思議な出来事というものは存在するはずなのだ。しかしながらそれが世に語られないのは、当事者たちが必死に隠し守っているからなのである。
その1つであるのが忍という者たちであり、風魔一族である。

男の名前は桑染一真(くわぞめかずま)と言った。風魔としての例に漏れず、真っ白な髪の毛とそれとは対照的な濃い色の瞳。そして父親である桑染家の当主から受け継いだ忍としての技術。どれもが一真の自信であり、誇りであり、これから守り続けていくべきものだ。
ただ問題があるとすれば、それは一真が「出来損ない」と呼ばれることだった。
以前、庭で雀が怪我をしているのを見つけた。それを丁寧に世話をしてやっているところを偶然にも風魔の里の者に見られ、「なぜ世話をしているのか」と問われた。それに「可哀想だと思ったからだ」と答えたところ「こいつは忍として出来損ないだ」と言われたのだ。
全くもって理解に苦しむ。自分より弱い者を守ることが忍ではないのだろうか。幼いながらに納得ができず、母親に相談した記憶もある。


「あの雀は元気にしているだろうか…」


縁側に腰掛けて空に向かってつぶやけば、どこかでカラスの鳴き声がした。「生きているわけがないだろう」と言われたような気がして、一真は眉をひそめた。

風魔の里では、成人の儀式というものが行われる。それは感情を完全に押し殺し、当主の命じるままに動けるようになることだ。故に、雀を可哀想と感じた一真は風魔としては出来損ないである。里の者達はそう言った。
暦が冬に変わり息が白くなりはじめた夕暮れは、やはりさむい。成人の儀式を終えているとはいえども、一真もまだ15になる子供だ。風邪をひくことはないだろうが、身体を万全に整えておくことも任務のうちである。


「一真、居るか?」


庭先からした声に顔を向ければ、見慣れた白髪が居た。その白髪の中には一房だけ緑色の髪の毛が混じっている。当主の息子であり、謀反を起こした先代を始末し次代の当主として認められつつある少年。桑染の一家が全力で守るべき対象であり、そしてなにより、一真にとって彼は幼なじみでもある。


「若様、どうなされたのです?」

「やめろ気持ち悪い。俺が当主になったとしても、別に幼馴染であることに変わりはないだろう。」

「変わるでしょう、周りがお前を見る目が。」


彼の名前をいちいち脳内に呼び起こすまでもなく、一真の中に「風間常磐」という人間は色濃く存在している。それこそ、いつぞや手習いの本で読んだ、赤い魚の中に一匹混じった黒い魚と同じほどの存在感だ。


「それで、わざわざ何用で?自宅からは随分遠いだろうに」

「千歳と朽葉の墓参りだ」

「あぁ…お兄さんたちのか」


常磐とは歳の離れた兄たちは、彼の母親と同じ頃に流行病で亡くなった。常磐はまだ幼く兄たちの記憶はおぼろげであるようだが、一真は少しだけ覚えていることがある。


「ちゃんとお団子は用意したみたいだな」


兄である千歳も朽葉も団子とまんじゅうが好きなのだ。常磐はさほど甘味に興味はないようだったが、墓参りの度に美味しいと評判の店を探しては新しい団子を備えているようだ。そして今日もまた包を持っており、これから墓参りに行くのだろう。せかっくだから自分も着いて行こうかと一真が立ち上がりかけると、常磐はそれを手で制した。


「いや、墓参りは済ませた。この包は土産だ」

「土産…?家のものにか?」


確かに当主として忍として実力がある常磐だが、それでも普通の人間としての能力はとんでもなく低い…どころの騒ぎではなく、一真が知るところでは自転車に乗るのに年齢制限は無い、といった一般常識が欠落しているレベルだ。
以前二人で任務で市街地へ出た際には、走りゆく車を見てはあれが良いだのこれが良いだのと楽しげに笑っていたのも記憶に新しい。一真の場合は元より世間に紛れ込むような任務を得意とする一家であったため、もちろん車やら世情にも明るい。そうでなくとも、普通に里で暮らしている者たちよりも、常磐は圧倒的に欠けているはずなのだ。
その常磐が土産を持っているなど。明日は雨が降るだろうか。もしからしたら槍が土砂降りになるかもしれない。一真が屋根瓦の心配をしていると、その顔を何と受け取ったのか常磐は照れくさそうに笑った。


「今夜から、夜子が屋敷に来るのでな。」

「は?……夜子って………あの紅一族の末裔が風魔の里に…?お前、何考えてるんだ…?」

「あわよくば今夜は

「やっぱり言わなくて良い!!」


一真は危うく聞いてしまいそうになった内容を予測して頬を染めると、慌てて冷静な顔を取り繕った。
紅、という家は、たとえ音楽や芸事に精通していなくとも名前を知っているほど、この国の音楽に大きな影響を与えている女系家族だ。その家の末裔に、常磐が熱を上げている。という噂は耳にしていたものの、政治的な意味合いが強いとばかり思っていた。


「その…和菓子は茶請けにするのか?」

「あぁ、あいつは和菓子が好きだからな。特にこの店の猫まんじゅうは好んで食べるらしい」


わざわざ幼い少女のために和菓子を買いに行ったと言うのだろうか。風魔の当主が、女のために?一真は混乱で回りづらい舌をどうにか動かし、常磐に視線を向けた。


「で、夜ってことは当然食事をして帰るんだよな?」

「今回は泊まりだ」

「……ちゃんと別の部屋だろうな…?」

「何故部屋を分ける必要が有るんだ?」


心の底からキョトンという顔をしてみせた常磐に、一真は全身の力がぐったりと抜けていくのを感じた。だめだコイツ、早くどうにかしないと。
一般常識に欠けている、ということを踏まえてもだ。婚前の男女が同じ部屋で寝るというのはまずいのではないだろうか。まして彼は風魔の当主だ。弱みになりうるものは全て排除しなくてはならない。これは桑染の家がどうにか正してやらねばならぬことだ。もし、その赤鬼と呼ばれる紅の末裔が常磐のものになったとしても、当主の妻たるもの子供も残さぬうちに死なれては困る。つまりそこそこ強くなくては認められないのだ。
一真は相変わらず世間を変なレンズ越しに見ている常磐に言い放った。


「その赤鬼が来たら、私にも会わせてくれ」

「ウチに何の用ッスか?」

「うわぁ!?」


両肩に、ポン。と何かが乗ったのが分かった。


「夜子、来ていたのか。随分と早かったな、まだ日暮れ前だぞ」

「夕方からのお仕事がドタキャンになったの。メール入れておいたんだけど、見てない?」

「すまない、受信されてないみたいだな」


あっれーまじか。それは辛いー。風魔の里って電波悪いの?
と、口でプンスカという擬音を言いながら、その何かは一真の上から退いた。背後に移動した気配を追いかけて目を向ければ、そこには綺麗な赤黒い髪の毛を部分的に結い上げた、和服姿の少女が立っていた。背中には黒いケースを背負っており、何か楽器が入っているのだろうことが分かる。跳ねまわったために落ち着かない髪の毛を撫でる手は、楽器の演奏のせいか同じ年頃の娘よりも少し節が太いように見える。
可憐な少女の手というよりも、働く女性の手といった感じだ。あずき色の着物の上には灰色の羽織を着ており、その羽織には小さく品よく、銀糸で家紋が刺繍されている。髪飾りには鳥の飾りが着いており、赤毛によく映える金色は、さながら夕焼けを舞い踊るトンビのようでもある。
その背格好と家紋を見て、一真は瞬時に気づいてしまった。この少女こそが紅一族の末裔である赤鬼に間違いない。


「で、常磐、この御方は?」

「彼が桑染一真、代々当主の補佐を務めている一族だ。」

「はじめまして、私、紅夜子と申します。どうぞ、お見知り置きを」


丁寧にお辞儀してみせた少女は、どこか常磐の母を思わせるような妖艶さがあった。見たところ自分や常磐よりも少し年下のようだが、その年齢でそのゆったりとした所作が出来るものなのかと疑いの視線を向けたくなる。
一真もどうにか自己紹介をすると、お辞儀を返した。

圧倒された。その場に居るだけだというのに、存在感が大きいのだ。初めて常磐に会った時と同じような、頭が上がらないという動物的な本能を感じてしまう。


「いかがですか、ご当主の補佐殿。あたくしは…お眼鏡にかないまして?」


女豹か、女郎蜘蛛か。捕食される側はこんなにも怖いのかと、一真は生唾をのみこんだ。


「夜子、あまり一真を虐めてやるな」

「え~、いじめてるつもり無いもん」


常磐に肩を叩かれた途端に和らいだ空気に、一真は大きく息を吸った。どうやら無意識に呼吸が浅く小さくなっていたらしい。このような少女相手に悔しいと思うが、それと同時に、これならば常磐に相応しい。そう感じた。


「ほら、あまりこいつの休日を潰すのも申し訳ない。行くぞ」

「いつも潰しにきている常磐には言われたくないな。ほら、さっさと行った。一族の未来はお前にかかってるんだからな」


そう言えば、常磐も何を言われたのか察したらしく、赤鬼と呼ばれる少女の手を柔らかく握ると自宅の方へと歩き出した。

今、先代風魔の残した事件のために、江戸も風魔の里も落ち着きが無い。これから動乱の時期を迎えるのは確かであると、一真は考えている。そしてその中で、ごく少数であるこの一族が生き残っていくためには、当主となる常磐の働きが重要になるだろう。
さらに言うのであれば、彼の働きには一真たち風魔に属する人間の働きが直結しているし、何よりもあの赤鬼が影響しているだろう。一時は感情を完全に失っていたように見えた常磐が、ああして一人の少女を大切そうに扱っているのだ。赤鬼の影響力は計り知れない。
もしかしたらこの先風魔の未来を変えるのは、常磐一人ではなくあの二人になるのかもしれない。一真はどこかホクホクと温かい気持ちと、常磐に対する滅びればいいのにという相反する気持ちを抱えて自室へと引き上げた。
外では雀が大空へと飛び立ったところであった。





終。