天宮カヨにとって、コックリさんとはとても馴染みが深いものであった。
彼女がはじめてコックリさんを知ったのは、幼稚園の頃に祖母が教えてくれたおまじないだったと記憶している。しかし信心深くはあるが、用心深くはないカヨは、すっかりとコックリさん最大の禁忌を頭から捨て去ってしまっていた。
そもそもコックリさんとは、半紙に鳥居のマークと「はい」「いいえ」と、それから平仮名五十音、男女、0から9までの数字を書き記し、十円玉にゆびを乗せることでスタートする。そこへコックリさん、つまりは狐狗狸さん、何がしかの神が降臨し、質問へ応えてくれるというものだ。
これにはいくつかのルールが存在している。有名なものであれば、コックリさんが帰るまでは十円玉から指を離してはならないというものだろう。そしてもう一つ、大きな禁忌がある。
「あ、あなたがコックリさん…なの……?」
”一人で”十円玉に指を乗せている少女に、妖狐--麗奈は「はあああああっ」とため息とも悲鳴ともつかない声をあげた。
そう、コックリさんとは、一人で行うと狐狗狸に取り憑かれるのだ。
【 仮想百鬼夜行 犬神奇譚 07 】
麗奈は信じられなくてもう一度部屋の中を見回したが、やはり目の前に居るのは彼女一人だけであった。
コックリさんには様々な説があるし、何より近年では思い込みによって自分たちが勝手に硬貨を動かしているのだ、など科学的な解明が進んでいる。神秘的な出来事というものは、科学によって解明が進むにつれて、その能力を失っていく。逆に言えば、信心深い者が行えば本当に狐狗狸の霊や神がやってきて質問へ答えることもあるし、科学的根拠を信じる者が行えば何も起きない、ということだ。
目の前に居る少女はつまり、コックリさんの存在を信じてやってくれたということだ。狐の霊魂である麗奈にとっては嬉しいことだ。
「こ、コックリさん、コックリさん。聞きたいことがあります!」
「…………どうぞ」
人間に仕える身でありながら、このような低次の召喚儀式でうっかり転移させられるなど。不覚である。ここは少女の信心深さが運命に必然を1つ増やしたのだと思うことで、麗奈は少しばかりあるプライドを保つことにした。
「最近、お父さんがお母さんじゃない人と一緒にデートしています。お母さんに言ったほうが良いですか?」
「小学校低学年が聞くには随分とヘビーな内容ですね。……ただ、ご母堂に言うべきかはまだ判断できません。もう少し、あなたが知っていることを教えていただけますか?」
「実は、グルグル注意報っていうのが出て、いつもより早く学校から帰ってきたらね、お父さんが……」
麗奈は正直なところ、この小さな少女の悩み事をあまり覚えていない。無難な回答をしたような、そんな曖昧な記憶が残っているのみだ。
ようやく終わったかと雇い主である千草の元へ戻れば、コックリさんで呼ばれるなんてと笑われるし、妖怪仲間の海里にも散々バカにされるしで良いことは無かった。記憶の遥か彼方向こうの方へと押しやっていた出来事だったのだ。
◇ ◇ ◇
千草と麗奈が校長室へ入ると、既に校長である初老の男性は大きな椅子に腰掛けており、随分と体調の悪そうな顔をしていた。ノックに対する了承を聞いてから入って来たのが千草たちだと見るやいなや、悪い顔色はそのままに立ち上がり、二人を大げさなほどに歓迎した。ある程度立場が高いはずの彼は、二人へ歩み寄ってくると千草の手を取って大仰に握手とお辞儀をした。
「ようこそ来てくださった!!待っていたのですよ、清白さん!」
「こんにちは、戒愁校長。今回はどうぞ、よろしくお願いいたします」
「何を言うか!よろしく頼むのはこちらの方だ、何卒。何卒この奇っ怪な事件を解決しておくれ!!」
「ええ、そのためにひとつ、お願いがあって参りました。名のある神に話をするため、供物を用意したいのです。それと、確認したいこともありまして」
必死なほどに頭を下げる校長に、麗奈はふと思い出した。
以前、腐れ神に連れ去られた梔子の兄弟を助けた時に言われたこと。「戒愁家にはお気をつけて。」のあの一言は、一体どういう意味だったのだろうか。確か、その後にもうひとつ、ミヤは付け足していたはずだ。
「根古島……」
麗奈が小さくつぶやくと、戒愁校長は大きくおののいた。尋常ではないその様子に、千草もおや?と声をあげた。千草は何歩かたたらを踏んで尻もちをついた校長を助け起こすと、来客用の低い椅子の方へと座らせる。
カタカタと震える戒愁校長はどうにか手を組んで肘を膝へ乗せると、手に顎を乗せて落ち着く姿勢を見つけたようだった。そして、うっすらと、聞こえるかどうかというくらいの小さな声で言った。
「なぜ、君たちが根古島のことを知っている……いや、聞くほうが野暮というものだな。君たちの生業はそういったことなのだから、この土地に居る以上そういった話も耳にするだろう」
「恐れながら戒愁校長、我々も仔細までは存じ上げないのです。僕たちは確かに祓い屋ですが、恐らくあなたのご先祖が関わっているであろうそれは、我々の禁忌だ。故に禁忌を犯す者が現れぬように、詳細は隠されている」
「このことは……今回の事件の解決に必要なことかね?」
できれは不要だと言って欲しい。その感情のみが込められた視線に、麗奈は哀れに思った。己の咎で無いというのに。一体いつまでその言葉に脅かされていくのだろうか。
「……今回、校内を荒らして回っているのは、この土地に住まう低級の妖かしや、棲家を失った神々です。恐らくは、関係のあることでしょう」
言った千草に人でなしとでも叫びそうな顔をした校長は、それでも静かに目を瞑るとため息と一緒に話し始めた。
昔、この土地は根古家と島家というふたつの家があった。ふたつあわせて「根古島」の一族と呼ばれていた。その内の片方、根古という家の当主が恐ろしい程に猫が好きだった。当時はただそれだけであった。しかし、代を追うごとに、その好きの度合いは強まり、中には猫を娶ろうとした当主、更には猫と一体化しようとした当主まで現れた。
これはおかしい。絶対に何かがおかしい。
だって人間が猫に恋をして、娶ろうだなんて、普通の考えじゃない。
だから当時の根古家当主は頼んだのだ、このあたりでもっとも古く力のある呪術師一族、狗谷の家へ原因を探ってほしいと。そしてそれを取り除いてほしいと。
まず狗谷の家はこう言った。
「何か当主にまつわる習わしはないか?」
根古の家は代々当主に同じ名前をつけていた。生まれた時につけられる戸籍上の名前は幼名として扱い、当主となると「珊瑚」という名前を与えられる。
狗谷は「それは良くない。名前が咎を背負い、どんどん濃くなる」と言った。根古はすぐにこの習わしを排除した。
次に狗谷の家はこう言った。
「何か、ご先祖が猫たちに対して無礼を働いていないか?」
根古はそれはもう心当たりの嵐であったので、猫を供養するためのお社を建てた。
しかしそのお社に無礼を働いた身内がいた。それが最後の珊瑚である当主だったものだから、お社は全く意味を持たなくなった。
一族のある者は化け猫に襲われ、ある者は猫に取り憑かれ、ある者は不可解な死を遂げる。
狗谷は最後の策として、根古と島の家の名前を変えることを提案した。そして両家の災厄を「根古島」という名前に被ってもらい、空き家を用意する。そこに猫たちの恨みをぶつけてもらい、気が済むまで呪ってもらう。
しかしこれは、今生きている人間を救うだけであり、いつか気づいた猫たちが当時覚えた霊力や血の匂いで追ってくるかもしれない。その間に猫を敬え、猫を供養しろ。
聞き終えた麗奈は随分とまあ身勝手な話であるなとしか思えなかった。人間が悪いに決まっている。惚れてしまったのなら仕方がない。そこで人間に対するのと同じように口説きにかかれば良いものを、力づくで奪おうとするのだから猫の方だってイヤになるに決まっている。ペットという概念がそもそもおかしいのだ。
「随分と信心深いのですね。ご先祖の言い分をまるっきり信じていらっしゃるのですか?」
「あなたも妖かしだから、少しは分かるでしょう、人間との時間感覚が違うということが。肉体的な害はないし、何より私も最初は半信半疑だった。けれどね、あろうことかうちの一族の息子に珊瑚と名付けた者が居るのだ。この話を知っていて尚。」
「一体、何故……呪い返しや呪詛払いは不得手ですが、僕にだってそれが不味いことくらいはわかります。恐らく素人さんだって、事情を知っていてその名前をつけるということは」
「そうなのだ、猫を愛して何が悪いと。珊瑚の両親はそう言った」
麗奈は顔をしかめた。せっかく様々な手法を用いて猫の恨みから逃げようとしていたのに、それでは今までのことが台無しになってしまうのではないだろうか?
「なるほど、そのせいで猫の恨みがまた現れているのではないかと、そうお考えなのですね」
「その通りだ。正直、我々今を生きている戒愁家の人間は全く関係無いと思っている。先祖が何かをしでかしたせいで、我々まで祟るとはなんということだと」
「妖かしは我々よりずっと長い時を生きています。人生の1%の時間を費やす程の恨みを覚えたとして、人間であれば寿命80年と考えても約10ヶ月程度ですみます。しかし千年生きる妖かしからしたらどうでしょう?」
得心がいったのか、校長は視線を下げた。
「百年やそこら、彼らにとっては短い時間ということか」
「ええ。妖かしが我々人間に協力をしてくれるのも、人間の寿命が彼らにとって短いものであるから、ちょうどよい暇つぶしなのだと。以前とある妖かしから聞きました」
千草は校長室の接客テーブルに校内の地図と学校周辺の地図を広げた。それぞれに直近の怪奇現象が赤くバツ印でマークされており、原因や犯人が判明しているものには黒ペンで小さくメモがされている。
彼のもとで働く麗奈をはじめとする妖かしたちや、払い屋衆が集めた情報はすでにある程度の量になっている。
「現在判明している中で、猫の妖かしが関わったであろう事件はありません」
千草がそう言い切ったのも、麗奈と海里が通じており、そして海里が闇雲に仲間を引き連れて暴れるようなことはしないとわかっているからだ。
校長も猫が関わった事実が無いのであれば、できる範囲で協力するという言葉だけを残し、そのまま考え込むように顔を下に向けてしまった。千草と麗奈はこれ以上は今すぐに話せないだろうと校長室を出ることにした。人間の心というものは厄介そうだ。末代まで祟る、などという言葉もある通り、恨みや辛みといった感情は人間も妖かしも強く抱く傾向にある。人間だってそうなのだから、妖かしが恨む気持ちだってわかってほしいものだ。
校長室を後にした二人が向かったのは、昇降口だった。
「すみません、供物を用意させてから根古島の話をするべきでした」
「いや、構わないよ。供物になるものは別に用意してきているからね。正直冬の供物は彩りに欠けるから、豪勢さが足りないって言われることもあるくらいだ。」
今もまだ現場保持ということで残骸がそのままになっているそこには、人の目では見えないだろうが、様々な妖かしが居た。大半は騒ぎが楽しくて見物に来ている低級のもののようだったが、その中に1つ明らかに大きな霊力を持ったものがいた。
筋骨隆々、茶色い肌に額から伸びる大きな角。
「あなたが、ここに住まう鬼か?」
千草の呼びかけにも冷静に頷いて見せるその鬼は、仮にも上級に名を連ねる麗奈でさえも背筋が伸びるほどの威厳を持っていた。
「突然の訪問、申し訳ない。本来ならば相応の供物を用意すべきだったのだが、この土地を人間側から管理している者が動けないのだ。どうかこれでひとまず、我々の話を聞いて欲しい」
差し出されたのは、折れた矢であった。
霊力のある者や徳の高い者が、射たもの、継矢したもの、図星に中てたものなどは、それだけで魔除けの力がある「破魔矢」と呼ばれるものになる。図星や継矢そのものは珍しすぎるということもないが、重要なのは弓を引いた人間だ。
破魔矢を受け取った鬼はまたひとつ頷くと、壊された下駄箱に腰掛け、千草の話を聞く姿勢をとってくれた。
「お尋ねしたい。今この学校周辺を壊したりしている者は、どなただろうか?」
「聞いてどうするのだ」
低い、低い声であった。しかし、不機嫌そうではない。人間で言うのなら初老のような、落ち着いた様子の声である。
「できるのならば、荒らす理由を知りたい。人間側になにか不手際があったのならば止めさせよう。」
「面妖なことを言う。払い屋のくせに、まるで妖かしの味方のような口をきく」
「僕も、この妖狐と長く居るもので。妖かしが人間と相容れない奴らばかりじゃないと、知っているだけだ。」
「ならば言おう、言ってしまおう。」
鬼はそういうと、少し悲しそうに顔を伏せて続けた。
「これは、ほんの始まりにすぎぬ。狗谷ミヤ。彼女を慕い、払い屋と式のような契約もせずに付き従う者たちは、無償で力を貸す代わりにこうして彼女を傷つけられた恨みを晴らす。それは有名な話だろう。それだけではないのだ。海里、という猫を知っているか?」
麗奈は、息を飲んだ。
2017/08/22 今昔
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