夜子はつっかけた草履をカラコロと鳴らして、石畳を歌わせていた。西日になりきらない少し斜めの日差しがちょっと暑い。
先程まで上がっていたお座敷で聞いた言葉が、頭の中に出てきて、そのまま消えてくれれば良いものを、台所の油汚れのようにベトついて離れない。夜子に直接関係する話ではないと、ほんの数年前までなら言えただろうけれど、今となっては自分のことを悪く言われるよりも辛い。
はあーあ、と二酸化炭素をたっぷりと吐き出した。
「おや、ヤっさんじゃないか!今夜はどこのお店に上がり込むんだい?」
引き止めるような声に振り返ると、石畳の両側に立ち並ぶ見世の間から中年の男性が顔をだした。夜子も見覚えのある、少し油ギッシュな顔は、確か遊郭街の入り口にある手引き茶屋の主だったはずだ。
携帯だって写真だってあるこの時代に、あえて似顔絵で花魁たちを紹介するその茶屋は、主の画力とトーク力、繋がっている遊郭の大きさから巷でも大人気。夜子も昔、似顔絵を書いてもらったように記憶している。何枚目かのレコードをリリースした時のことだ。
「手引き茶屋のおじさん、今晩はーっす。今夜はただのお散歩っすよ、楽器も置いてきちゃったし」
「なんだい、残念だなあ。じゃあまた昼間に来てやってくれや、さくら屋の振袖新造があんたから習いたいって言ってたぞ」
大江戸の街は夜だって明るい。この吉原近辺は特にそうだ。元締めである清白(すずしろ)家や地主の嘉萩(かしゅう)家の働きが大きいだろうけれど、夜子は何よりここに暮らす人達の気の持ちようのおかげだと思っている。
金に困った両親から売られてきた、まだ言葉も覚束ない幼女。
袖振り新造として姉女郎を支えようと、慣れぬ男の相手をする童女。
物心ついた時にはここに居て、誰のものかも分からぬ借金を懸命に返す少女。
年季を終えたのに、今度は花魁として使ってきた道具の借金に追われる遣手の女性。
せめてそんな女たちを守ろうとこの遊郭街に残った、心優しい老婆。
色んな人がこの街に暮らしている。
だからこそ、夜子はこの街が大好きだと思った。
自分たちの生活を底辺だと思っていても、ひとときの夢を見せるために艶やかさの皮を被って生きる強さ。夜子には真似のできなかったものばかりなのだ。誰かに救い出してもらって、どうにか自分を保つのが精一杯だった夜子には、この街の女性たちは輝いて見える。
こんなことを言ったら、花魁たちからどやされてしまうだろうけれど。
「分かった、明後日なら時間とれるから向かうよって、伝えてほしいっす」
「おう、任せとけ。……それとなあ、紅のお嬢ちゃん」
手をひらひらさせながら立ち去ろうとした夜子は、その体制のまま耳だけを戻した。
「なんでまた、今夜はそんな顔で歩いてるんだい。これから、綱渡りかバンジージャンプかって顔じゃあ、そりゃお店には入れねえなあ」
手引き茶屋の主は、心の底から心配している声でそう言った。
「多分、おじさんやこの街の人に言ったら、刺されても文句は言えない悩みっすよ」
「なんだ、まさか…紅の家が繋がったっていうあの風魔一族の関連かい」
「こんな時代にまだ忍者なんてものが必要とされるから、みんな頑張ってるんっすよ。一族は悪い人じゃない」
「でも、あの連中は人を殺す」
ああ、まただ。
どうして遊郭街の人も、その外に住むこの地域の人も、こうして誤解しているのだろう。
「なんでも、昨夜だって足抜けしようとした女郎を一人、殺して寺へ運んだって噂だ。あんたも家の繋がりじゃあ難しいかもしれないが、疎遠にしておくほうがよっぽど良い」
こうして、悪い噂が流れているというのは、彼ら風魔一族の仕事が成功している証拠だ。
そう思い込んで、夜子は精一杯の笑顔を浮かべた。
「ご忠告ありがとう、おじさん。まあ、うちの母上に話はしてみるっすよ!」
遊郭街を出た夜子は普通の道をてくてく歩き、そして森に入り、川辺を歩き、足跡も残らぬよう、万が一にも追跡などされていないことをたっぷり確かめたうえで帰路についた。
大江戸の街に寄り添うようにある山、霊的な場所としても有名なそこは、普通の人ならば近づかない。ふもとにあるお寺や神社の関係者が時折に榊を取りに来る程度だ。
そんな山の中腹にある丸太を建てて作った塀の内側へ入ると、周囲の森の神聖な雰囲気からは離れた活気ある景色が目に入る。世間のイメージからは到底想像できないであろうこの下町のような場所が、風魔一族の里だ。
「あ、夜子お姉さま!おかえりなさいませ!」
「おかえりなさい!今夜はわたしたちがご飯作ったから迎えに来たの!」
門のようになった場所からまっすぐに大きな道が伸び、両側には木造平屋が立ち並び、時折近代的な2階建て程度の住居も見受けられる。中央道の最奥には、もっとも大きく、もっとも厳かな屋敷が建っている。そこが、夜子の帰るべき場所、風間邸。
その屋敷の方からこちらへ向けて、薄い緑色の髪の毛をサイドテールにした同じ顔がふたつ、到底笑顔で走れる速度ではないだろうという速さで突っ切ってくる。
「ただいま、柳、葵。」
「お仕事お疲れ様。今夜は三人でお風呂入ろうね」
「その前に夕飯ゆっくり食べようよ。今日は久々に兄ちゃんも帰ってきたんだし」
「あれ、常磐、こんな早い時間に帰ってきたの?」
「「うん!」」
サイドテールの同じ顔--柳と葵の双子に両サイドを固められ、夜子は引きづられるようにして屋敷へと歩いた。
「そういえば、昨夜来た子はどうなったの?」
「ああ、付廻しの子ね。渋谷(しぶたに)のお家で引き取ってくれることになって、名前は本名のユリナにするんだって」
「良かったねえ、ユーちゃんも。わたしたち年齢近いから色々お世話してきたんだけど、客の男にお店のルール無視した乱暴されてて、それが嫌だったんだって」
遊郭街での「付廻し」ということは、花魁の一番下の階級だ。けれど禿や袖振り新造はつかない。もしかしたら先輩花魁から何かいじわるでもされていたのかもしれない。清白屋だったらそんなことないのにな、と夜子は知り合いの楼主と女性のことを思い出した。
「で、それを聞いた他の花魁さんたちが、勝手に足抜け話を捏造したらしいよ。」
「それで常磐に以来が来たのね。この制度が出来て本当に良かったね、その子」
「ほんと!夜子お姉さまが来てから里のお仕事も変わったし!」
「同い年くらいの女の子も増えたから色々楽しいし!わたしたちが忍びデビューする前は、普通に花魁ちゃん殺しちゃってたんでしょ?お姉さまが来た後で良かった」
夜子の恋人、というよりも既に家族と呼べるべき人。風間常磐その人こそがこの一族と里の主である風魔小太郎だ。夜子がやってきて常磐と二人、様々な制度や仕事の見直しを行うまでは、前体制の腐った仕事の仕方をしていたのだそうだ。
「ユーちゃんね、常磐兄様に直々にお手紙で感謝をって言って、色々書いてたみたい。あの花魁ちゃんたちの家を援助してるのが紅家だって聞いて、驚いてたよ」
「お姉さまの意見は最初はジジババは文句言ってたけど、今じゃみんな感謝しかしてないよね」
それこそ、今日何度も街で聞かされてきたあの話のような仕事を。だから、茶屋の主が言っていたことは、ほんのちょっと前までは事実だったのだから、夜子が落ち込むのもお門違いではある。
自分の大切な人が、守るべきものを守るためにやっていることを誤解されるのは辛い。
けれど、足抜けした子の安否が不明で死んだと思われているからこそ、この里へ迎え入れられた女性たちは数年後の社会復帰を目指すことができるのだ。
このシステムをきちんと回している彼のことを思い、夜子は少しだけ足を早めた。
「じゃあ今度はユリナちゃんも誘って買い物行こうか!」
「「行くー!」」
早く会いたい。そして話したい。言いたい。
私はあなたの仕事を誇りに思っているのだわ、と。
2018/10/01 今昔 都子
ツイッターで見かけた診断より。
今昔 都子は「レコード」「綱渡り」「草履」の3語で物語を書いてください。長さは問いません。
https://twitter.com/konjaku0385/status/1046674845142986752
2018年10月1日月曜日
2017年8月22日火曜日
仮想百鬼夜行 犬神奇譚 07
天宮カヨにとって、コックリさんとはとても馴染みが深いものであった。
彼女がはじめてコックリさんを知ったのは、幼稚園の頃に祖母が教えてくれたおまじないだったと記憶している。しかし信心深くはあるが、用心深くはないカヨは、すっかりとコックリさん最大の禁忌を頭から捨て去ってしまっていた。
そもそもコックリさんとは、半紙に鳥居のマークと「はい」「いいえ」と、それから平仮名五十音、男女、0から9までの数字を書き記し、十円玉にゆびを乗せることでスタートする。そこへコックリさん、つまりは狐狗狸さん、何がしかの神が降臨し、質問へ応えてくれるというものだ。
これにはいくつかのルールが存在している。有名なものであれば、コックリさんが帰るまでは十円玉から指を離してはならないというものだろう。そしてもう一つ、大きな禁忌がある。
「あ、あなたがコックリさん…なの……?」
”一人で”十円玉に指を乗せている少女に、妖狐--麗奈は「はあああああっ」とため息とも悲鳴ともつかない声をあげた。
そう、コックリさんとは、一人で行うと狐狗狸に取り憑かれるのだ。
【 仮想百鬼夜行 犬神奇譚 07 】
麗奈は信じられなくてもう一度部屋の中を見回したが、やはり目の前に居るのは彼女一人だけであった。
コックリさんには様々な説があるし、何より近年では思い込みによって自分たちが勝手に硬貨を動かしているのだ、など科学的な解明が進んでいる。神秘的な出来事というものは、科学によって解明が進むにつれて、その能力を失っていく。逆に言えば、信心深い者が行えば本当に狐狗狸の霊や神がやってきて質問へ答えることもあるし、科学的根拠を信じる者が行えば何も起きない、ということだ。
目の前に居る少女はつまり、コックリさんの存在を信じてやってくれたということだ。狐の霊魂である麗奈にとっては嬉しいことだ。
「こ、コックリさん、コックリさん。聞きたいことがあります!」
「…………どうぞ」
人間に仕える身でありながら、このような低次の召喚儀式でうっかり転移させられるなど。不覚である。ここは少女の信心深さが運命に必然を1つ増やしたのだと思うことで、麗奈は少しばかりあるプライドを保つことにした。
「最近、お父さんがお母さんじゃない人と一緒にデートしています。お母さんに言ったほうが良いですか?」
「小学校低学年が聞くには随分とヘビーな内容ですね。……ただ、ご母堂に言うべきかはまだ判断できません。もう少し、あなたが知っていることを教えていただけますか?」
「実は、グルグル注意報っていうのが出て、いつもより早く学校から帰ってきたらね、お父さんが……」
麗奈は正直なところ、この小さな少女の悩み事をあまり覚えていない。無難な回答をしたような、そんな曖昧な記憶が残っているのみだ。
ようやく終わったかと雇い主である千草の元へ戻れば、コックリさんで呼ばれるなんてと笑われるし、妖怪仲間の海里にも散々バカにされるしで良いことは無かった。記憶の遥か彼方向こうの方へと押しやっていた出来事だったのだ。
◇ ◇ ◇
千草と麗奈が校長室へ入ると、既に校長である初老の男性は大きな椅子に腰掛けており、随分と体調の悪そうな顔をしていた。ノックに対する了承を聞いてから入って来たのが千草たちだと見るやいなや、悪い顔色はそのままに立ち上がり、二人を大げさなほどに歓迎した。ある程度立場が高いはずの彼は、二人へ歩み寄ってくると千草の手を取って大仰に握手とお辞儀をした。
「ようこそ来てくださった!!待っていたのですよ、清白さん!」
「こんにちは、戒愁校長。今回はどうぞ、よろしくお願いいたします」
「何を言うか!よろしく頼むのはこちらの方だ、何卒。何卒この奇っ怪な事件を解決しておくれ!!」
「ええ、そのためにひとつ、お願いがあって参りました。名のある神に話をするため、供物を用意したいのです。それと、確認したいこともありまして」
必死なほどに頭を下げる校長に、麗奈はふと思い出した。
以前、腐れ神に連れ去られた梔子の兄弟を助けた時に言われたこと。「戒愁家にはお気をつけて。」のあの一言は、一体どういう意味だったのだろうか。確か、その後にもうひとつ、ミヤは付け足していたはずだ。
「根古島……」
麗奈が小さくつぶやくと、戒愁校長は大きくおののいた。尋常ではないその様子に、千草もおや?と声をあげた。千草は何歩かたたらを踏んで尻もちをついた校長を助け起こすと、来客用の低い椅子の方へと座らせる。
カタカタと震える戒愁校長はどうにか手を組んで肘を膝へ乗せると、手に顎を乗せて落ち着く姿勢を見つけたようだった。そして、うっすらと、聞こえるかどうかというくらいの小さな声で言った。
「なぜ、君たちが根古島のことを知っている……いや、聞くほうが野暮というものだな。君たちの生業はそういったことなのだから、この土地に居る以上そういった話も耳にするだろう」
「恐れながら戒愁校長、我々も仔細までは存じ上げないのです。僕たちは確かに祓い屋ですが、恐らくあなたのご先祖が関わっているであろうそれは、我々の禁忌だ。故に禁忌を犯す者が現れぬように、詳細は隠されている」
「このことは……今回の事件の解決に必要なことかね?」
できれは不要だと言って欲しい。その感情のみが込められた視線に、麗奈は哀れに思った。己の咎で無いというのに。一体いつまでその言葉に脅かされていくのだろうか。
「……今回、校内を荒らして回っているのは、この土地に住まう低級の妖かしや、棲家を失った神々です。恐らくは、関係のあることでしょう」
言った千草に人でなしとでも叫びそうな顔をした校長は、それでも静かに目を瞑るとため息と一緒に話し始めた。
昔、この土地は根古家と島家というふたつの家があった。ふたつあわせて「根古島」の一族と呼ばれていた。その内の片方、根古という家の当主が恐ろしい程に猫が好きだった。当時はただそれだけであった。しかし、代を追うごとに、その好きの度合いは強まり、中には猫を娶ろうとした当主、更には猫と一体化しようとした当主まで現れた。
これはおかしい。絶対に何かがおかしい。
だって人間が猫に恋をして、娶ろうだなんて、普通の考えじゃない。
だから当時の根古家当主は頼んだのだ、このあたりでもっとも古く力のある呪術師一族、狗谷の家へ原因を探ってほしいと。そしてそれを取り除いてほしいと。
まず狗谷の家はこう言った。
「何か当主にまつわる習わしはないか?」
根古の家は代々当主に同じ名前をつけていた。生まれた時につけられる戸籍上の名前は幼名として扱い、当主となると「珊瑚」という名前を与えられる。
狗谷は「それは良くない。名前が咎を背負い、どんどん濃くなる」と言った。根古はすぐにこの習わしを排除した。
次に狗谷の家はこう言った。
「何か、ご先祖が猫たちに対して無礼を働いていないか?」
根古はそれはもう心当たりの嵐であったので、猫を供養するためのお社を建てた。
しかしそのお社に無礼を働いた身内がいた。それが最後の珊瑚である当主だったものだから、お社は全く意味を持たなくなった。
一族のある者は化け猫に襲われ、ある者は猫に取り憑かれ、ある者は不可解な死を遂げる。
狗谷は最後の策として、根古と島の家の名前を変えることを提案した。そして両家の災厄を「根古島」という名前に被ってもらい、空き家を用意する。そこに猫たちの恨みをぶつけてもらい、気が済むまで呪ってもらう。
しかしこれは、今生きている人間を救うだけであり、いつか気づいた猫たちが当時覚えた霊力や血の匂いで追ってくるかもしれない。その間に猫を敬え、猫を供養しろ。
聞き終えた麗奈は随分とまあ身勝手な話であるなとしか思えなかった。人間が悪いに決まっている。惚れてしまったのなら仕方がない。そこで人間に対するのと同じように口説きにかかれば良いものを、力づくで奪おうとするのだから猫の方だってイヤになるに決まっている。ペットという概念がそもそもおかしいのだ。
「随分と信心深いのですね。ご先祖の言い分をまるっきり信じていらっしゃるのですか?」
「あなたも妖かしだから、少しは分かるでしょう、人間との時間感覚が違うということが。肉体的な害はないし、何より私も最初は半信半疑だった。けれどね、あろうことかうちの一族の息子に珊瑚と名付けた者が居るのだ。この話を知っていて尚。」
「一体、何故……呪い返しや呪詛払いは不得手ですが、僕にだってそれが不味いことくらいはわかります。恐らく素人さんだって、事情を知っていてその名前をつけるということは」
「そうなのだ、猫を愛して何が悪いと。珊瑚の両親はそう言った」
麗奈は顔をしかめた。せっかく様々な手法を用いて猫の恨みから逃げようとしていたのに、それでは今までのことが台無しになってしまうのではないだろうか?
「なるほど、そのせいで猫の恨みがまた現れているのではないかと、そうお考えなのですね」
「その通りだ。正直、我々今を生きている戒愁家の人間は全く関係無いと思っている。先祖が何かをしでかしたせいで、我々まで祟るとはなんということだと」
「妖かしは我々よりずっと長い時を生きています。人生の1%の時間を費やす程の恨みを覚えたとして、人間であれば寿命80年と考えても約10ヶ月程度ですみます。しかし千年生きる妖かしからしたらどうでしょう?」
得心がいったのか、校長は視線を下げた。
「百年やそこら、彼らにとっては短い時間ということか」
「ええ。妖かしが我々人間に協力をしてくれるのも、人間の寿命が彼らにとって短いものであるから、ちょうどよい暇つぶしなのだと。以前とある妖かしから聞きました」
千草は校長室の接客テーブルに校内の地図と学校周辺の地図を広げた。それぞれに直近の怪奇現象が赤くバツ印でマークされており、原因や犯人が判明しているものには黒ペンで小さくメモがされている。
彼のもとで働く麗奈をはじめとする妖かしたちや、払い屋衆が集めた情報はすでにある程度の量になっている。
「現在判明している中で、猫の妖かしが関わったであろう事件はありません」
千草がそう言い切ったのも、麗奈と海里が通じており、そして海里が闇雲に仲間を引き連れて暴れるようなことはしないとわかっているからだ。
校長も猫が関わった事実が無いのであれば、できる範囲で協力するという言葉だけを残し、そのまま考え込むように顔を下に向けてしまった。千草と麗奈はこれ以上は今すぐに話せないだろうと校長室を出ることにした。人間の心というものは厄介そうだ。末代まで祟る、などという言葉もある通り、恨みや辛みといった感情は人間も妖かしも強く抱く傾向にある。人間だってそうなのだから、妖かしが恨む気持ちだってわかってほしいものだ。
校長室を後にした二人が向かったのは、昇降口だった。
「すみません、供物を用意させてから根古島の話をするべきでした」
「いや、構わないよ。供物になるものは別に用意してきているからね。正直冬の供物は彩りに欠けるから、豪勢さが足りないって言われることもあるくらいだ。」
今もまだ現場保持ということで残骸がそのままになっているそこには、人の目では見えないだろうが、様々な妖かしが居た。大半は騒ぎが楽しくて見物に来ている低級のもののようだったが、その中に1つ明らかに大きな霊力を持ったものがいた。
筋骨隆々、茶色い肌に額から伸びる大きな角。
「あなたが、ここに住まう鬼か?」
千草の呼びかけにも冷静に頷いて見せるその鬼は、仮にも上級に名を連ねる麗奈でさえも背筋が伸びるほどの威厳を持っていた。
「突然の訪問、申し訳ない。本来ならば相応の供物を用意すべきだったのだが、この土地を人間側から管理している者が動けないのだ。どうかこれでひとまず、我々の話を聞いて欲しい」
差し出されたのは、折れた矢であった。
霊力のある者や徳の高い者が、射たもの、継矢したもの、図星に中てたものなどは、それだけで魔除けの力がある「破魔矢」と呼ばれるものになる。図星や継矢そのものは珍しすぎるということもないが、重要なのは弓を引いた人間だ。
破魔矢を受け取った鬼はまたひとつ頷くと、壊された下駄箱に腰掛け、千草の話を聞く姿勢をとってくれた。
「お尋ねしたい。今この学校周辺を壊したりしている者は、どなただろうか?」
「聞いてどうするのだ」
低い、低い声であった。しかし、不機嫌そうではない。人間で言うのなら初老のような、落ち着いた様子の声である。
「できるのならば、荒らす理由を知りたい。人間側になにか不手際があったのならば止めさせよう。」
「面妖なことを言う。払い屋のくせに、まるで妖かしの味方のような口をきく」
「僕も、この妖狐と長く居るもので。妖かしが人間と相容れない奴らばかりじゃないと、知っているだけだ。」
「ならば言おう、言ってしまおう。」
鬼はそういうと、少し悲しそうに顔を伏せて続けた。
「これは、ほんの始まりにすぎぬ。狗谷ミヤ。彼女を慕い、払い屋と式のような契約もせずに付き従う者たちは、無償で力を貸す代わりにこうして彼女を傷つけられた恨みを晴らす。それは有名な話だろう。それだけではないのだ。海里、という猫を知っているか?」
麗奈は、息を飲んだ。
2017/08/22 今昔
彼女がはじめてコックリさんを知ったのは、幼稚園の頃に祖母が教えてくれたおまじないだったと記憶している。しかし信心深くはあるが、用心深くはないカヨは、すっかりとコックリさん最大の禁忌を頭から捨て去ってしまっていた。
そもそもコックリさんとは、半紙に鳥居のマークと「はい」「いいえ」と、それから平仮名五十音、男女、0から9までの数字を書き記し、十円玉にゆびを乗せることでスタートする。そこへコックリさん、つまりは狐狗狸さん、何がしかの神が降臨し、質問へ応えてくれるというものだ。
これにはいくつかのルールが存在している。有名なものであれば、コックリさんが帰るまでは十円玉から指を離してはならないというものだろう。そしてもう一つ、大きな禁忌がある。
「あ、あなたがコックリさん…なの……?」
”一人で”十円玉に指を乗せている少女に、妖狐--麗奈は「はあああああっ」とため息とも悲鳴ともつかない声をあげた。
そう、コックリさんとは、一人で行うと狐狗狸に取り憑かれるのだ。
【 仮想百鬼夜行 犬神奇譚 07 】
麗奈は信じられなくてもう一度部屋の中を見回したが、やはり目の前に居るのは彼女一人だけであった。
コックリさんには様々な説があるし、何より近年では思い込みによって自分たちが勝手に硬貨を動かしているのだ、など科学的な解明が進んでいる。神秘的な出来事というものは、科学によって解明が進むにつれて、その能力を失っていく。逆に言えば、信心深い者が行えば本当に狐狗狸の霊や神がやってきて質問へ答えることもあるし、科学的根拠を信じる者が行えば何も起きない、ということだ。
目の前に居る少女はつまり、コックリさんの存在を信じてやってくれたということだ。狐の霊魂である麗奈にとっては嬉しいことだ。
「こ、コックリさん、コックリさん。聞きたいことがあります!」
「…………どうぞ」
人間に仕える身でありながら、このような低次の召喚儀式でうっかり転移させられるなど。不覚である。ここは少女の信心深さが運命に必然を1つ増やしたのだと思うことで、麗奈は少しばかりあるプライドを保つことにした。
「最近、お父さんがお母さんじゃない人と一緒にデートしています。お母さんに言ったほうが良いですか?」
「小学校低学年が聞くには随分とヘビーな内容ですね。……ただ、ご母堂に言うべきかはまだ判断できません。もう少し、あなたが知っていることを教えていただけますか?」
「実は、グルグル注意報っていうのが出て、いつもより早く学校から帰ってきたらね、お父さんが……」
麗奈は正直なところ、この小さな少女の悩み事をあまり覚えていない。無難な回答をしたような、そんな曖昧な記憶が残っているのみだ。
ようやく終わったかと雇い主である千草の元へ戻れば、コックリさんで呼ばれるなんてと笑われるし、妖怪仲間の海里にも散々バカにされるしで良いことは無かった。記憶の遥か彼方向こうの方へと押しやっていた出来事だったのだ。
◇ ◇ ◇
千草と麗奈が校長室へ入ると、既に校長である初老の男性は大きな椅子に腰掛けており、随分と体調の悪そうな顔をしていた。ノックに対する了承を聞いてから入って来たのが千草たちだと見るやいなや、悪い顔色はそのままに立ち上がり、二人を大げさなほどに歓迎した。ある程度立場が高いはずの彼は、二人へ歩み寄ってくると千草の手を取って大仰に握手とお辞儀をした。
「ようこそ来てくださった!!待っていたのですよ、清白さん!」
「こんにちは、戒愁校長。今回はどうぞ、よろしくお願いいたします」
「何を言うか!よろしく頼むのはこちらの方だ、何卒。何卒この奇っ怪な事件を解決しておくれ!!」
「ええ、そのためにひとつ、お願いがあって参りました。名のある神に話をするため、供物を用意したいのです。それと、確認したいこともありまして」
必死なほどに頭を下げる校長に、麗奈はふと思い出した。
以前、腐れ神に連れ去られた梔子の兄弟を助けた時に言われたこと。「戒愁家にはお気をつけて。」のあの一言は、一体どういう意味だったのだろうか。確か、その後にもうひとつ、ミヤは付け足していたはずだ。
「根古島……」
麗奈が小さくつぶやくと、戒愁校長は大きくおののいた。尋常ではないその様子に、千草もおや?と声をあげた。千草は何歩かたたらを踏んで尻もちをついた校長を助け起こすと、来客用の低い椅子の方へと座らせる。
カタカタと震える戒愁校長はどうにか手を組んで肘を膝へ乗せると、手に顎を乗せて落ち着く姿勢を見つけたようだった。そして、うっすらと、聞こえるかどうかというくらいの小さな声で言った。
「なぜ、君たちが根古島のことを知っている……いや、聞くほうが野暮というものだな。君たちの生業はそういったことなのだから、この土地に居る以上そういった話も耳にするだろう」
「恐れながら戒愁校長、我々も仔細までは存じ上げないのです。僕たちは確かに祓い屋ですが、恐らくあなたのご先祖が関わっているであろうそれは、我々の禁忌だ。故に禁忌を犯す者が現れぬように、詳細は隠されている」
「このことは……今回の事件の解決に必要なことかね?」
できれは不要だと言って欲しい。その感情のみが込められた視線に、麗奈は哀れに思った。己の咎で無いというのに。一体いつまでその言葉に脅かされていくのだろうか。
「……今回、校内を荒らして回っているのは、この土地に住まう低級の妖かしや、棲家を失った神々です。恐らくは、関係のあることでしょう」
言った千草に人でなしとでも叫びそうな顔をした校長は、それでも静かに目を瞑るとため息と一緒に話し始めた。
昔、この土地は根古家と島家というふたつの家があった。ふたつあわせて「根古島」の一族と呼ばれていた。その内の片方、根古という家の当主が恐ろしい程に猫が好きだった。当時はただそれだけであった。しかし、代を追うごとに、その好きの度合いは強まり、中には猫を娶ろうとした当主、更には猫と一体化しようとした当主まで現れた。
これはおかしい。絶対に何かがおかしい。
だって人間が猫に恋をして、娶ろうだなんて、普通の考えじゃない。
だから当時の根古家当主は頼んだのだ、このあたりでもっとも古く力のある呪術師一族、狗谷の家へ原因を探ってほしいと。そしてそれを取り除いてほしいと。
まず狗谷の家はこう言った。
「何か当主にまつわる習わしはないか?」
根古の家は代々当主に同じ名前をつけていた。生まれた時につけられる戸籍上の名前は幼名として扱い、当主となると「珊瑚」という名前を与えられる。
狗谷は「それは良くない。名前が咎を背負い、どんどん濃くなる」と言った。根古はすぐにこの習わしを排除した。
次に狗谷の家はこう言った。
「何か、ご先祖が猫たちに対して無礼を働いていないか?」
根古はそれはもう心当たりの嵐であったので、猫を供養するためのお社を建てた。
しかしそのお社に無礼を働いた身内がいた。それが最後の珊瑚である当主だったものだから、お社は全く意味を持たなくなった。
一族のある者は化け猫に襲われ、ある者は猫に取り憑かれ、ある者は不可解な死を遂げる。
狗谷は最後の策として、根古と島の家の名前を変えることを提案した。そして両家の災厄を「根古島」という名前に被ってもらい、空き家を用意する。そこに猫たちの恨みをぶつけてもらい、気が済むまで呪ってもらう。
しかしこれは、今生きている人間を救うだけであり、いつか気づいた猫たちが当時覚えた霊力や血の匂いで追ってくるかもしれない。その間に猫を敬え、猫を供養しろ。
聞き終えた麗奈は随分とまあ身勝手な話であるなとしか思えなかった。人間が悪いに決まっている。惚れてしまったのなら仕方がない。そこで人間に対するのと同じように口説きにかかれば良いものを、力づくで奪おうとするのだから猫の方だってイヤになるに決まっている。ペットという概念がそもそもおかしいのだ。
「随分と信心深いのですね。ご先祖の言い分をまるっきり信じていらっしゃるのですか?」
「あなたも妖かしだから、少しは分かるでしょう、人間との時間感覚が違うということが。肉体的な害はないし、何より私も最初は半信半疑だった。けれどね、あろうことかうちの一族の息子に珊瑚と名付けた者が居るのだ。この話を知っていて尚。」
「一体、何故……呪い返しや呪詛払いは不得手ですが、僕にだってそれが不味いことくらいはわかります。恐らく素人さんだって、事情を知っていてその名前をつけるということは」
「そうなのだ、猫を愛して何が悪いと。珊瑚の両親はそう言った」
麗奈は顔をしかめた。せっかく様々な手法を用いて猫の恨みから逃げようとしていたのに、それでは今までのことが台無しになってしまうのではないだろうか?
「なるほど、そのせいで猫の恨みがまた現れているのではないかと、そうお考えなのですね」
「その通りだ。正直、我々今を生きている戒愁家の人間は全く関係無いと思っている。先祖が何かをしでかしたせいで、我々まで祟るとはなんということだと」
「妖かしは我々よりずっと長い時を生きています。人生の1%の時間を費やす程の恨みを覚えたとして、人間であれば寿命80年と考えても約10ヶ月程度ですみます。しかし千年生きる妖かしからしたらどうでしょう?」
得心がいったのか、校長は視線を下げた。
「百年やそこら、彼らにとっては短い時間ということか」
「ええ。妖かしが我々人間に協力をしてくれるのも、人間の寿命が彼らにとって短いものであるから、ちょうどよい暇つぶしなのだと。以前とある妖かしから聞きました」
千草は校長室の接客テーブルに校内の地図と学校周辺の地図を広げた。それぞれに直近の怪奇現象が赤くバツ印でマークされており、原因や犯人が判明しているものには黒ペンで小さくメモがされている。
彼のもとで働く麗奈をはじめとする妖かしたちや、払い屋衆が集めた情報はすでにある程度の量になっている。
「現在判明している中で、猫の妖かしが関わったであろう事件はありません」
千草がそう言い切ったのも、麗奈と海里が通じており、そして海里が闇雲に仲間を引き連れて暴れるようなことはしないとわかっているからだ。
校長も猫が関わった事実が無いのであれば、できる範囲で協力するという言葉だけを残し、そのまま考え込むように顔を下に向けてしまった。千草と麗奈はこれ以上は今すぐに話せないだろうと校長室を出ることにした。人間の心というものは厄介そうだ。末代まで祟る、などという言葉もある通り、恨みや辛みといった感情は人間も妖かしも強く抱く傾向にある。人間だってそうなのだから、妖かしが恨む気持ちだってわかってほしいものだ。
校長室を後にした二人が向かったのは、昇降口だった。
「すみません、供物を用意させてから根古島の話をするべきでした」
「いや、構わないよ。供物になるものは別に用意してきているからね。正直冬の供物は彩りに欠けるから、豪勢さが足りないって言われることもあるくらいだ。」
今もまだ現場保持ということで残骸がそのままになっているそこには、人の目では見えないだろうが、様々な妖かしが居た。大半は騒ぎが楽しくて見物に来ている低級のもののようだったが、その中に1つ明らかに大きな霊力を持ったものがいた。
筋骨隆々、茶色い肌に額から伸びる大きな角。
「あなたが、ここに住まう鬼か?」
千草の呼びかけにも冷静に頷いて見せるその鬼は、仮にも上級に名を連ねる麗奈でさえも背筋が伸びるほどの威厳を持っていた。
「突然の訪問、申し訳ない。本来ならば相応の供物を用意すべきだったのだが、この土地を人間側から管理している者が動けないのだ。どうかこれでひとまず、我々の話を聞いて欲しい」
差し出されたのは、折れた矢であった。
霊力のある者や徳の高い者が、射たもの、継矢したもの、図星に中てたものなどは、それだけで魔除けの力がある「破魔矢」と呼ばれるものになる。図星や継矢そのものは珍しすぎるということもないが、重要なのは弓を引いた人間だ。
破魔矢を受け取った鬼はまたひとつ頷くと、壊された下駄箱に腰掛け、千草の話を聞く姿勢をとってくれた。
「お尋ねしたい。今この学校周辺を壊したりしている者は、どなただろうか?」
「聞いてどうするのだ」
低い、低い声であった。しかし、不機嫌そうではない。人間で言うのなら初老のような、落ち着いた様子の声である。
「できるのならば、荒らす理由を知りたい。人間側になにか不手際があったのならば止めさせよう。」
「面妖なことを言う。払い屋のくせに、まるで妖かしの味方のような口をきく」
「僕も、この妖狐と長く居るもので。妖かしが人間と相容れない奴らばかりじゃないと、知っているだけだ。」
「ならば言おう、言ってしまおう。」
鬼はそういうと、少し悲しそうに顔を伏せて続けた。
「これは、ほんの始まりにすぎぬ。狗谷ミヤ。彼女を慕い、払い屋と式のような契約もせずに付き従う者たちは、無償で力を貸す代わりにこうして彼女を傷つけられた恨みを晴らす。それは有名な話だろう。それだけではないのだ。海里、という猫を知っているか?」
麗奈は、息を飲んだ。
2017/08/22 今昔
2015年6月5日金曜日
【仮想大江戸】 小話 「金魚すくい」
※ 楽曲からイメージした小話
【金魚すくい】
「見てみて!射的!」
あたしは常盤の浴衣を引っ掴むと、下駄と地面が立てるカラコロという音に気分を高揚させながら走りだした。
目の前に続く道には、色とりどりの提灯が柔らかい光を放っており、両脇には話に聞いたことがあっただけの屋台たち。あたしの浴衣は白地に赤い金魚が泳いでいるけれど、正直今日のあたしも金魚の気持ちだ。
まだ日の高いうちから紅の家にやってきた常盤は、あたしの母と祖母を言いくるめてあたしの居る離れまでやってきた。いつもなら勝手に塀を乗り越えてやってくるというのに、正攻法でやってきたのだ。理由を聞いてみれば、両手に抱えるようにして色とりどりの浴衣をみせられた。
「どれが好みだ?」
「は?」
「俺はこういうのは詳しくないのでな…お前が好きそうなものを、とりあえず全て持ってきた」
言われて、常盤の持っている浴衣を1つずつ畳の上に広げていくと、あたしよりも彼の方がわくわくしているようで、楽しげに続けた。
「今日は夏祭りの初日だ。昨夜は前夜祭の宮入りで何も見れていないのだろう?」
「お宮入り以外でお祭りに行ったことないわ。大抵、近所の料亭でお仕事があったから…」
「今年の予定は空いていると、夜子の母上に聞いてきた。だから、今年は一緒に行くぞ」
なんでも器用にできるくせに、浴衣の着付けは自分じゃできないという常盤に、紺色に銀糸が織り込まれた浴衣を着せた。顔を隠す必要はないだろうけれど、あたしの持っていたお祭りの知識を総動員して、狐のお面も持ってきた。
あたしの方も、常盤が選んでくれた浴衣から一番気に入ったものを着て、帯も髪飾りも常盤に選んでもらった。
まるで、恋人という関係のようだと思う。
特に、どちらから好きだ何だと言ったことがあるわけではない。そりゃ、言われたら嬉しいだろうけれど。今のところ、あたしも常盤も言わなくても分かっているのだ。
ヨーヨーを片手に走って行く子どもたちを見て、いつか自分たちも親になるのかななんて話をしてみたり。
あの屋台の料理は美味しかったから作れるように頑張ってみるね、なんて話をしてみたり。
そんな淡い、幸せを描くだけで今は十分だ。
紅の家はとても内向的で、外部の人間を寄せ付けない。そういう意味では風魔に似ているのかもしれない。大きな違いがあるとすれば、女系の一族ということくらいだろう。
だからあたしも、母や祖母には逆らえない。そう思って過ごしていた。言われるがままに芸を磨き、仕事をして、いつの日か両親が決めた相手と結婚する。そしてまた女の子を産まなくてはならないのだと、そう信じきっていた。枠組みの中に囚われて、それ以外の考え方が出来なかったのだ。言ってみれば、金魚すくいのケースに入れられた、あの赤い魚たちと同じ。
紅の家の女性はその芸と特殊な髪色が原因で、裏では高値で取引される。赤い髪の毛に赤い瞳。それだけで人攫いに遭うかもしれないのに、親の作った囲いから出る勇気はあたしにはなかった。
「はぐれるぞ」
そう言って手を繋いで、だいぶ違うはずの歩幅を合わせてくれる。常盤の手に繋がれているうちは、ビニール袋に移った金魚だ。常盤の思う場所に連れて行ってもらえる。
あたしと同じように白髪と緑の瞳で、周囲にはあっという間に風魔の人間だとバレるだろう。けれど彼は強い。始めて出会った料亭の事件の時もそうだった。あたしを庇って、守ってくれた。今だってそうだ。いくら高値がつく紅の女だと言っても、風魔の忍びと一緒ならば余程の馬鹿出ない限り手を出してこないだろう。
「手…」
「ん?どうした?」
「つなぎ方、こっちがいい」
くっついていた自分の指同士の間へ常盤の指を絡め取れば、まあ…所謂そういうつなぎ方になる。皮膚の接触面積が増えるからか、妙な安心感がある。
紅の家の中に居るあいだは、何も感じない日常の中を泳ぐだけの金魚だったあたし。
狭い世界から、あなたがあたしを掬いあげてくれた。出会ったのが偶然でも、手を伸ばしてくれたのは、常盤の意思のはず。あたしを一番に考えてくれる、大切な、唯一の相手だと思っている。そんなことは照れくさいので絶対に言わないけれど。
「っふ。乙女だな。」
「うーしゃい!」
「何を言う。可愛いからそう言っているまでだろう?」
慌ててつなぎ方を元に戻そうとしたあたしの手をグっと引き寄せると、常盤の唇が耳に触れた。
「いつも以上に可愛い。連れ帰りたいくらい、好きだ」
訂正しよう。
あたしも負けじと常盤の耳元へ口を寄せた。
「あ、あたしだって…好き、だ……ばかぁ!」
2015/06/05 今昔
歌手:藤田麻衣子
曲名:金魚すくい
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【金魚すくい】
「見てみて!射的!」
あたしは常盤の浴衣を引っ掴むと、下駄と地面が立てるカラコロという音に気分を高揚させながら走りだした。
目の前に続く道には、色とりどりの提灯が柔らかい光を放っており、両脇には話に聞いたことがあっただけの屋台たち。あたしの浴衣は白地に赤い金魚が泳いでいるけれど、正直今日のあたしも金魚の気持ちだ。
まだ日の高いうちから紅の家にやってきた常盤は、あたしの母と祖母を言いくるめてあたしの居る離れまでやってきた。いつもなら勝手に塀を乗り越えてやってくるというのに、正攻法でやってきたのだ。理由を聞いてみれば、両手に抱えるようにして色とりどりの浴衣をみせられた。
「どれが好みだ?」
「は?」
「俺はこういうのは詳しくないのでな…お前が好きそうなものを、とりあえず全て持ってきた」
言われて、常盤の持っている浴衣を1つずつ畳の上に広げていくと、あたしよりも彼の方がわくわくしているようで、楽しげに続けた。
「今日は夏祭りの初日だ。昨夜は前夜祭の宮入りで何も見れていないのだろう?」
「お宮入り以外でお祭りに行ったことないわ。大抵、近所の料亭でお仕事があったから…」
「今年の予定は空いていると、夜子の母上に聞いてきた。だから、今年は一緒に行くぞ」
なんでも器用にできるくせに、浴衣の着付けは自分じゃできないという常盤に、紺色に銀糸が織り込まれた浴衣を着せた。顔を隠す必要はないだろうけれど、あたしの持っていたお祭りの知識を総動員して、狐のお面も持ってきた。
あたしの方も、常盤が選んでくれた浴衣から一番気に入ったものを着て、帯も髪飾りも常盤に選んでもらった。
まるで、恋人という関係のようだと思う。
特に、どちらから好きだ何だと言ったことがあるわけではない。そりゃ、言われたら嬉しいだろうけれど。今のところ、あたしも常盤も言わなくても分かっているのだ。
ヨーヨーを片手に走って行く子どもたちを見て、いつか自分たちも親になるのかななんて話をしてみたり。
あの屋台の料理は美味しかったから作れるように頑張ってみるね、なんて話をしてみたり。
そんな淡い、幸せを描くだけで今は十分だ。
紅の家はとても内向的で、外部の人間を寄せ付けない。そういう意味では風魔に似ているのかもしれない。大きな違いがあるとすれば、女系の一族ということくらいだろう。
だからあたしも、母や祖母には逆らえない。そう思って過ごしていた。言われるがままに芸を磨き、仕事をして、いつの日か両親が決めた相手と結婚する。そしてまた女の子を産まなくてはならないのだと、そう信じきっていた。枠組みの中に囚われて、それ以外の考え方が出来なかったのだ。言ってみれば、金魚すくいのケースに入れられた、あの赤い魚たちと同じ。
紅の家の女性はその芸と特殊な髪色が原因で、裏では高値で取引される。赤い髪の毛に赤い瞳。それだけで人攫いに遭うかもしれないのに、親の作った囲いから出る勇気はあたしにはなかった。
「はぐれるぞ」
そう言って手を繋いで、だいぶ違うはずの歩幅を合わせてくれる。常盤の手に繋がれているうちは、ビニール袋に移った金魚だ。常盤の思う場所に連れて行ってもらえる。
あたしと同じように白髪と緑の瞳で、周囲にはあっという間に風魔の人間だとバレるだろう。けれど彼は強い。始めて出会った料亭の事件の時もそうだった。あたしを庇って、守ってくれた。今だってそうだ。いくら高値がつく紅の女だと言っても、風魔の忍びと一緒ならば余程の馬鹿出ない限り手を出してこないだろう。
「手…」
「ん?どうした?」
「つなぎ方、こっちがいい」
くっついていた自分の指同士の間へ常盤の指を絡め取れば、まあ…所謂そういうつなぎ方になる。皮膚の接触面積が増えるからか、妙な安心感がある。
紅の家の中に居るあいだは、何も感じない日常の中を泳ぐだけの金魚だったあたし。
狭い世界から、あなたがあたしを掬いあげてくれた。出会ったのが偶然でも、手を伸ばしてくれたのは、常盤の意思のはず。あたしを一番に考えてくれる、大切な、唯一の相手だと思っている。そんなことは照れくさいので絶対に言わないけれど。
「っふ。乙女だな。」
「うーしゃい!」
「何を言う。可愛いからそう言っているまでだろう?」
慌ててつなぎ方を元に戻そうとしたあたしの手をグっと引き寄せると、常盤の唇が耳に触れた。
「いつも以上に可愛い。連れ帰りたいくらい、好きだ」
訂正しよう。
あたしも負けじと常盤の耳元へ口を寄せた。
「あ、あたしだって…好き、だ……ばかぁ!」
2015/06/05 今昔
歌手:藤田麻衣子
曲名:金魚すくい
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【仮想大江戸】 小話 「今でもあなたが」
※ 楽曲からイメージした小話
※ 親世代編のネタバレ注意
【 今でもあなたが 】
木賊は腹の傷を庇いながら布団の上に起き上がった。
愛した人を取り戻そうとしたことを後悔はしていないが、周囲に大きな迷惑をかけたことは後ろめたく思っている。
絢音が流行病に倒れた時、二人の間に産まれた長男と、それから養子として引き取った少年が亡くなった。あの病がなければ、常盤の成人の儀を早急に執り行う必要もなかった。そして、木賊自身も絢音を追い求めて禁術に手を出すことはなかった。己の弱さを実感すると共に、子どもたちの世代に申し訳ない気持ちで潰れそうになる。
木賊はふと自分の手のひらを見つめてみた。
木賊を生かしておくと判断したのは、絢音の姪である麗奈と、常盤と恋仲だという夜子という少女だった。親殺しの相手とはいえ友人の親、友人の義理の親になるかもしれない人。そんな相手が憎くとも殺したいとは思わない。絢音の妹である樹音そっくりの顔でそう言った。
物思いにふけっていても忍びとしての習性は抜けないもので、自室へ近づいてくる気配を感じて顔をあげた。
「お義父さん、夜子です。入っても宜しいですか?」
どことなく、絢音に似ていると思う。
人前で負けを認めたくないところや、強気を装っていても本当は甘えてしまいたいところ、限られた人の前でしかそれを見せないと徹底しているところ、よく響く声や下に向きがちな視線。異性の親と似た相手に惹かれるという話は聞くが、母親との記憶が希薄であるだろう常盤もその傾向にあるのかと思うと、なんだか頬が緩むような気がした。
「どうした?一人でここへ来るとは珍しいな」
「1つお伺いしたことがあります。もし…余所者である私に話して聞かせてもいい話であれば、お聞かせください。」
「いいだろう。どうしたんだ?」
もうお前は他人じゃない、と言ってやりたいのはやまやまだが、絢音がくぐり抜けてきたあの余所者を排除するような動きが、また繰り返されるかもしれない。そう思うと、簡単にそう口にすることははばかられる。
「成人の儀では、大切な人を殺すというのは本当ですか?」
「…どこでその話を聞いたんだ」
「里の外に流れてくる、数少ない風魔の噂のひとつです」
「そうか…外へは、そのように流れているのか…」
礼儀正しく座っている夜子の顔は心なしか暗い。その負の感情を見せてくれるようになったのはここ最近で、幼い頃の常盤の話を聞かせているからか、心を開いてきてくれたようだ。
「風魔は、身内殺しをするような一族ではないと、私は思っているのです。長の命令は絶対。お金や権力には靡かないと有名な一族であるのに、その大切な身内を殺すようなことをするとは思えなくて…」
「あぁ、ありがとう。常盤の嫁さんは本当にものをしっかり見てくれている」
「っ…!」
嫁という言葉に過剰に反応してみせるところは、絢音とは違うようだ。絢音はむしろ、自ら嫁にと売り込んできたうえに、当主の妻であるということに誇りを持っているようだった。
「成人の儀は、始めて暗殺の仕事を請け負うことだ」
「…幼い頃からその任務につくこともあると、常盤には聞きました。」
「奴は例外だ。その手の仕事を好んでいたからな…」
「では、成人の儀とは具体的になにが行われるんですか?」
「……お前が殺したのは、誰かが大切に思う相手だ。愛しいと思う人を殺したのだ。そう言い聞かせて暗闇に閉じ込める。そうして過度のストレスを与えて感情を押し殺す術を学ぶのだ。」
暗闇、といっても、その定義は人によって様々だ。木賊は自宅の地下にある座敷牢だったし、常盤の時には少々過酷だとは思ったが一番危険な方法を取り入れた。箱に詰めて地面へ埋めたのだ。
「では、常盤は自分の大切な人を殺めたわけではないのですね…」
ほっとしたように言う少女に、木賊は微笑ましく思い頬をゆるめた。
「私は、風間家当主の妻として、彼を支えていく覚悟を決めました。まだ時期ではないと判断し、常盤には返事をしていません。しかしながら、若輩者ゆえご無礼もあるかと存じます。どうか、暖かなご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします。」
まっすぐな背中で言い、そして優雅に礼をした少女は、やはり絢音に似ていた。
そして思うのだ。亡くなって何年も経過する、それから言い寄ってくる女性が居なかったわけでもない。それでも、やはり絢音が一番であり唯一であると。そう思ってしまうのだ。
木賊は好きなのだ、絢音を思い出させてくれる夜子の声が。
絢音にそっくりなその声を聞くだけで、涙が出る。それはきっと、今でも彼女を愛しているからなのだろう。
涙した木賊に慌てる目の前の少女と、自分が愛した女性との息子が、幸せであれるようにと、木賊は心の底から祈った。
2015/06/05 今昔
楽曲は
歌手:藤田麻衣子
曲名:今でもあなたが
※ 親世代編のネタバレ注意
【 今でもあなたが 】
木賊は腹の傷を庇いながら布団の上に起き上がった。
愛した人を取り戻そうとしたことを後悔はしていないが、周囲に大きな迷惑をかけたことは後ろめたく思っている。
絢音が流行病に倒れた時、二人の間に産まれた長男と、それから養子として引き取った少年が亡くなった。あの病がなければ、常盤の成人の儀を早急に執り行う必要もなかった。そして、木賊自身も絢音を追い求めて禁術に手を出すことはなかった。己の弱さを実感すると共に、子どもたちの世代に申し訳ない気持ちで潰れそうになる。
木賊はふと自分の手のひらを見つめてみた。
木賊を生かしておくと判断したのは、絢音の姪である麗奈と、常盤と恋仲だという夜子という少女だった。親殺しの相手とはいえ友人の親、友人の義理の親になるかもしれない人。そんな相手が憎くとも殺したいとは思わない。絢音の妹である樹音そっくりの顔でそう言った。
物思いにふけっていても忍びとしての習性は抜けないもので、自室へ近づいてくる気配を感じて顔をあげた。
「お義父さん、夜子です。入っても宜しいですか?」
どことなく、絢音に似ていると思う。
人前で負けを認めたくないところや、強気を装っていても本当は甘えてしまいたいところ、限られた人の前でしかそれを見せないと徹底しているところ、よく響く声や下に向きがちな視線。異性の親と似た相手に惹かれるという話は聞くが、母親との記憶が希薄であるだろう常盤もその傾向にあるのかと思うと、なんだか頬が緩むような気がした。
「どうした?一人でここへ来るとは珍しいな」
「1つお伺いしたことがあります。もし…余所者である私に話して聞かせてもいい話であれば、お聞かせください。」
「いいだろう。どうしたんだ?」
もうお前は他人じゃない、と言ってやりたいのはやまやまだが、絢音がくぐり抜けてきたあの余所者を排除するような動きが、また繰り返されるかもしれない。そう思うと、簡単にそう口にすることははばかられる。
「成人の儀では、大切な人を殺すというのは本当ですか?」
「…どこでその話を聞いたんだ」
「里の外に流れてくる、数少ない風魔の噂のひとつです」
「そうか…外へは、そのように流れているのか…」
礼儀正しく座っている夜子の顔は心なしか暗い。その負の感情を見せてくれるようになったのはここ最近で、幼い頃の常盤の話を聞かせているからか、心を開いてきてくれたようだ。
「風魔は、身内殺しをするような一族ではないと、私は思っているのです。長の命令は絶対。お金や権力には靡かないと有名な一族であるのに、その大切な身内を殺すようなことをするとは思えなくて…」
「あぁ、ありがとう。常盤の嫁さんは本当にものをしっかり見てくれている」
「っ…!」
嫁という言葉に過剰に反応してみせるところは、絢音とは違うようだ。絢音はむしろ、自ら嫁にと売り込んできたうえに、当主の妻であるということに誇りを持っているようだった。
「成人の儀は、始めて暗殺の仕事を請け負うことだ」
「…幼い頃からその任務につくこともあると、常盤には聞きました。」
「奴は例外だ。その手の仕事を好んでいたからな…」
「では、成人の儀とは具体的になにが行われるんですか?」
「……お前が殺したのは、誰かが大切に思う相手だ。愛しいと思う人を殺したのだ。そう言い聞かせて暗闇に閉じ込める。そうして過度のストレスを与えて感情を押し殺す術を学ぶのだ。」
暗闇、といっても、その定義は人によって様々だ。木賊は自宅の地下にある座敷牢だったし、常盤の時には少々過酷だとは思ったが一番危険な方法を取り入れた。箱に詰めて地面へ埋めたのだ。
「では、常盤は自分の大切な人を殺めたわけではないのですね…」
ほっとしたように言う少女に、木賊は微笑ましく思い頬をゆるめた。
「私は、風間家当主の妻として、彼を支えていく覚悟を決めました。まだ時期ではないと判断し、常盤には返事をしていません。しかしながら、若輩者ゆえご無礼もあるかと存じます。どうか、暖かなご指導ご鞭撻、よろしくお願いいたします。」
まっすぐな背中で言い、そして優雅に礼をした少女は、やはり絢音に似ていた。
そして思うのだ。亡くなって何年も経過する、それから言い寄ってくる女性が居なかったわけでもない。それでも、やはり絢音が一番であり唯一であると。そう思ってしまうのだ。
木賊は好きなのだ、絢音を思い出させてくれる夜子の声が。
絢音にそっくりなその声を聞くだけで、涙が出る。それはきっと、今でも彼女を愛しているからなのだろう。
涙した木賊に慌てる目の前の少女と、自分が愛した女性との息子が、幸せであれるようにと、木賊は心の底から祈った。
2015/06/05 今昔
楽曲は
歌手:藤田麻衣子
曲名:今でもあなたが
2015年4月24日金曜日
【仮想学園】過去話ヨル編「僕の悪魔の代理人」
「夜子、お行儀が悪いわ」
「申し訳ございません」
「本当にガサツ。少しは女の子らしく出来ないものかしら?」
パスタをフォークだけで巻き取った途端、隣に座っていた母親に手を叩かれた。どうやら一緒に置かれていたスプーンを使えということらしいが、そもそもスプーンを使う文化は日本が勝手にはじめたことだった気がする。だったら、本当にマナーのなっている人というのはフォークだけで綺麗に食べるんでないだろうか。
そんなことを言おうものなら次は頭を叩かれることが分かっているので、僕は黙って従った。ちなみに、これはこの家の中での日常風景だ。習い事のピアノや習字、お琴、演劇の宿題を見てもらっている間、食事のあいだ、何でもない時。僕は母親に殴られる。
死にたいと思ったことは何回もあった。
大した家柄でもないくせに、両親も祖父母たちも僕を淑女として育てようと必死だった。曾祖母は神社の巫女だったので、女児を授かったと分かった時点でそっち方面から僕に縁談が舞い込んできたのが原因だと勝手に推測している。両親としては幸せになって欲しいという願いからの行動かもしれないが、彼らの子供であり孫である僕からしたら迷惑以外のなにものでもない。
かくいう僕は、紅ヨルという少し変わった名前というだけで、他は容姿も生い立ちを普通の女の子だ。ヨルというのは曾祖母がつけてくれた名前らしい。ただ、少し男の子っぽくも聞こえる名前が気に食わない両親は、名前の由来を僕に教えることもなく最後に「子」をつけて呼んでくる。勝手に改名されていたことを知ったのは、高校の部活動で海外遠征へ行くためにパスポートを取る時だった。
神様って不公平だなーと思いながらも、最初のうちはどの家も女の子はこういう育てられ方をするんだと思い込んでいた。それが僕の思う常識じゃないと知ったのは、小学校に入った時だった。
小学校は、近所でも有名な女子校だった。このころはまだ存命だった曾祖母は猛反対してくれたのだが、いかんせん多勢に無勢。僕が「狗谷学園初等部」へ入学することは気づいたら決まっていた。
ロングスカートにブラウスの制服はかなり高価だったろうし、成長期の子供に着せるというのだから買い替え頻度も多い。馬鹿みたいにお金がかかる学校だったのだろう。案の定、入学式に登校した時にはお淑やかで物静かな女の子ばかりだった。
「お早うございます」
親同士も知り合いが多いのか、必然的に孤立していたその中で、唯一僕に声をかけてくれたのが彼女たちだった。
「わたくしは桑染柳、そしてこちらが双子の姉で」
「桑染葵と申します、よろしくお願いいたしますね。」
深緑色の制服がよく似合う双子たちは、僕が一般家庭からの枠で入ったことに気づいたようで、両親が行って来いと許可をくれたからと声をかけてくれたらしい。僕は二人に感謝しつつ、母親から逃げる好機だとばかりに二人と会話を楽しんだ。
二人の桑染家は、この辺りで有名な風間家の分家筋らしく、本家の末妹である双子が桑染に養子に出されたのだそうだ。将来は桑染家に嫁ぐのだから、最初から仲良くなっておけと。それもそれでどうなんだ、親の都合じゃないかと当時の僕は思ったが、二人は納得しているのだそうだ。
特に問題はなく、強いて言うのなら二人はどうしても桑染家の人を兄にしか思えず、結婚というのは今は無理よねーと朗らかに言っていた。僕とは次元が違うなと本気で思った。
「ところで二人は、何組になったんですか?」
「二人とも4組です」
「ヨルさんは?」
「私は…あ、私も4組です」
この奇妙な取り合わせは先生の目にも止まったらしく、僕が孤立しないための対策だったのか3人は6年生までずっと同じクラスになることになる。
この二人と仲良くなったことを入学式で見ていて、当然ながら知っている母親は、調子にのったのか父親と祖父母を巻き込んで僕の縁談をまとめはじめた。僕の見合い写真を撮ったりさせられたが、逆らえばまた手をあげられる。
この縁談が動き始めたのが初等部の5年生。縁談が嫌で腰まで届いていた髪の毛を無断で切った時には、納戸に2週間閉じ込められた。今思えば浅はかだったと思う。せめてウィッグを入手してからやるんだった。
閉じ込められているある日、暗い部屋に父親が入ってきたこの後何が起きたのか、僕はよく覚えていない。翌日も、その翌日も父親は夜にやってきて、その間の僕の記憶はない。ただ分かっているのは、父親が来た翌朝は布団の中で裸だったこと。それから口の中が気持ち悪い味になっていたことくらいだ。
今思い返してみれば、何をされていたのかはよく分かる。この頃から母親は何もなくても僕に手をあげるようになった。
「ヨル、遅いわ」
朝起きて朝食の席につけばそれだけでコメカミ辺りを殴られる。目眩がした。すぐに返事をしなかったら、そのまま顔面を殴られた。女同士とはいえ大人と子供だ、当然ながら拳があたったせいで鼻血が出てくる。
「汚い子ね」
冷たい言葉共に、今度は朝食用のフォークが手の甲につきつけられた。血がにじむ。
「汚い。どうしてこんなに汚い血をしてるの?どうして私の血を引いているの?どうして私の言うことが聞けないの?」
「申し訳ございません、お母様」
振り返ってはじめて分かるのだが、曾祖母も祖母も母もそれから僕も、皆何かしら楽器が出来たし、それは趣味レベルより上だった。ただ、父方の祖母や母方の祖母と比べると、母親のレベルは低かった。僕はそうでもなかった。
それもストレスになってたのかなーなんて、今ならば思える。あくまでも、今になれば、というところが問題だ。
そんな時だった、僕は偶然にも学園に入った直後に亡くした曾祖母が残してくれた書物を発見したのだ。木箱に入れられた曾祖母からの遺品は、古い家だということにこだわりを持っている両親に効果てきめんの遺書のお陰で無傷のまま僕に渡された。中身は数冊の本であり、表紙には古い文字で「術」と書かれているのみ。他にも「知」「癒」の2冊があり、3部構成の本のようだった。僕はまず「知」とかかれた本を開いてみた。
当時の僕は驚いた。いわゆる陰陽術について書かれた冊子だったのだ。曾祖母か誰かの手描きらしい本は古かったので、僕は急いでパソコンに向かうとそれを現代語訳しながらデータにしていった。もちろん、両親には内緒で曾祖母に買ってもらったCDRWに保存した。
3冊全てをデータにし終わる頃には、僕の脳内は術式のことでいっぱいだった。小さい頃から曾祖母は僕に色んなことを教えてくれていたが、ここまで本格的に学んだのははじめてだった。古い言葉が読めたのも、曾祖母のおかげだ。
もともとこういう古い術みたいなことに興味はあった。小さい頃から習っている音楽だって、元はといえば神様にお祈りするためのものだ。
たまに父親が置いていってくれた漫画やゲームなんかよりもこっちの方が好きだった。現実味が全く無いもののほうが、「逃げ」には持ってこいだ。
僕が実際にこの術を使ったのは、とある男の子と知り合った時。
なにやら可愛らしいワンピースを着せられたと思ったら、自宅に子連れの夫婦がやってきた。どうやら両親の知り合いらしい。あちらも綺麗に着飾った男の子がいて、同じ初等部の生徒だと気づくのに少し時間がかかった。
「ほら、千草。ご挨拶なさい」
「はじめまして、ヨルさん。オレは清白千草。君の家族になるかもしれないんだ、よろしくね」
「紅ヨルと申します、どうぞよろしくお願いいたします。」
形式的に握手に応えると、互いの両親は満足したように笑っていた。
その時、僕の中で何かが切れたんだと思う。食事はどうにか乗り切ったが、千草という男の子が帰った後に居ても立ってもいられなくなって、自室に駆け込むと鍵をかけてワンピースを脱ぎ捨てた。
曾祖母の残した「術」の本を開くと、必要なページを開いて書いてある内容を唱える。陰陽師が式を呼び出す時に使っているようなことが書いてあったページだ。巫女の曾祖母がなんでこの本を持っていたのかは完全に不明。
「天霊霊地霊霊十二神将急急如律令!」
目の前がパッと一瞬輝いたかと思うと、次の瞬間には大きな神社に入った時のような何やら普通とは違う空気を感じた。
『呼んだのか、小娘。アヤはババになって死んだと思ったが…お前は孫か』
長い白髪に緑の瞳。黒っぽい服装に禍々しい雰囲気の彼は、漫画に出てくる悪魔に見えた。そしてその日常を非日常に変えてくれるであろう存在は、当時の僕にはとても魅力的に見えた。
「夜芸速(やぎはや)の十拳剣(とつかのつるぎ) 此れ火産霊(ほむすび)と成り」
『おい!待て!落ち着け!俺は別に逆らうつもりはっ!』
「呼び出した者に心を開くな。これ鉄則!今日からあなたはカルラ。私…ううん、僕の使い魔だよ!」
でも僕にはどうやら素質があったらしい。その日から僕には「カルラ」という名前の悪魔(男)が守護霊として取り憑いた。なにやら召喚に成功、そのうえ攻撃呪文で打ち負かし使役することにまで成功してしまったらしい。世の中何が起きるか分かったものではない。
翌日からカルラとの共同生活が始まったわけだけど、信心深い僕や曾祖母と違ってそういうものに興味がないらしい両親と祖父母たちにはカルラは見えなかった。昨夜突然逃げ出したことには「びっくりしてしまっただけ」と言うと、納得してくれた。
後で知ったことだったが、清白家というのも大きくはないがそこそこ古いお家だったらしい。
◇ ◇ ◇
中等部に入ったのをきっかけに、僕は制服を勝手に改造した。もともと校則が緩いのも手伝って怒られることもなく、僕は年中ショートパンツで過ごし、髪の毛もショート。場合によってはいわゆる「男の娘」的なものに見られることも多かった。年下の女の子から告白されて、僕は女だといったらギャン泣きされたのが僕の人生第一の修羅場。背後で大爆笑しやがったカルラをぶん殴ったら土下座されて、通りかかった別の悪魔が「サタンを跪かせてる…!?」と叫んで一時的に僕の名前が悪魔やら人外の間で有名になったのが第2の修羅場。
そして問題が起きたの中等部3年生の時の学芸会だ。
当時生徒会に入った僕は先生に言われてクラスの代表のようなことをしていたので、何かと人の前に立つことも多かったし、担任とも仲が良かった。が、この担任が謎だった。
何故かこの時の担任が高等部の先生と仲が良かったようで、高等部のとあるクラスと合同で演劇をやろうと言い出した。演目は教師二人の趣味で「ロミオとジュリエット」のアレンジ版。後にこの台本そっくりなアニメが放送されたので、僕は運命を感じている。
台本が決まっている以上、役は2クラス全員が揃って決めるべきだという高等部のクラス委員の発言により、ホームルームの時間を使って総勢55名の生徒が臨時教室へ集まっていた。
学園は初等部から大学部、希望者のための大学院まである大規模なところで、初等部には良いお家の人が。中等部からは外部の生徒も増えて行くという仕組みだ。
中等部の僕たちからすれば高等部の生徒はお兄さんお姉さんであり、逆らえない空気になるだろうと最初こそ不満気だった。それは実際にロミオ役を決める時に勢い良く大学部の生徒が挙手したことで事実になってしまった。
「はい!」
「はい、風間くん、どうしました?」
穏やかな先生の声に、風間と呼ばれた生徒の方から椅子がずれる音がして、それから声がした。
「ロミオは、俺がやります」
「っ!?」
僕は思わず振り返った。理由は聞かないで欲しい。強いていうなら、カルラに声が似てたから。もっと言うなら、僕好みの声だったから。
振り返って更に驚いたのは、綺麗な白髪に緑色の瞳。ちょっと切れ目でお酒や煙草のCMに出たらとてもよく似合いそうな面立ち。イケメンじゃないが格好良いというやつだ。つまるはなし、見た目も僕のカルラにそっくりなのである。
周囲の女子からは賛成の声が、男子からはからかいの声があがり、ロミオはあっさり決まった。ロミオになった風間先輩は、続けてこう言った。
「ということで、俺そんな身長高くないんでジュリエットは中等部の子から選んでください」
「ロリコンか?」
「先生、誤解です」
さらっと言ったのに高等部の女子生徒から反対意見が出ないことが驚きだった。
格好良いなと思った。自分が悪いような理由を言ってるけれど、主役はこれで中等部からも出せる。風間先輩にそういう意思があったかどうかは分からないけれど、僕はこの状況に嬉しくなった。
自然と手が上がってしまったことに気づいたのは、先生に名前を呼ばれて立ち上がった時だった。
「先生、僕…ジュリエット役がやりたいです」
家に帰っても、煩い母親の愚痴と夜になれば自室に父親の襲来があるだけだ。父親の襲来はカルラが防いでくれることもあるが、失敗することもある。だったら「学芸会の準備で疲れてるから来ないで」といえる理由がほしい。何より、風間先輩と一緒に演劇をしてみたいと思った。
小さい頃から演劇をしていることは周囲の人は知っていたし、察しが良い子には僕が家で受けている仕打ちはバレているだろう。周囲の大賛成もあって、僕は風間先輩と一緒にロミジュリすることになった。
ここで断っておくけれど、僕の性格は決して「ジュリエット」ではない。ジュリジュリしいメールを送ったこともない。
この直後から、超スパルタな教師二人から、僕と風間先輩は演劇の特訓をうけることになった。元より有名校でお金持ちも多いこの学園。僕が演劇を習っている先生を呼んでのレッスンなんてこともはじまった。
ある日の放課後。二人で練習を終えて昇降口へ向かっている最中だった。
「紅さん…いや、ヨル。少し寄り道して帰らないか?」
これはデートのお誘いだろうか、だが断る。
今日は練習の途中で暇になったらしく、カルラは背後に居ない。こういったラブコメ的展開は今までカルラが全力で排除してくれていたけれど、こういう時に限っていないらしい。
「いや、君の…その、連れというか所謂『見えないお友達』が今居ないことは分かってる。だから誘った」
バレとる。
さてどうしたものか。カルラが居ない以上、この風間先輩から僕を守ってくれる人は居ない。カルラは悪魔だけど。風間先輩が何を考えて僕をお茶に誘っているのかは分からないけれど、正直父親のせいで男という存在に良いイメージが無いうえに、もともと年上という存在はちょっと苦手だ。逆に年下も鬱陶しいと感じることが多いけどね。
僕はちょっと困ったように微笑んでみせると、風間先輩は履き替えた外靴のままでスノコの上にのってきて、抵抗しない僕をぎゅっと抱きしめた。
「学校は辛くないか?」
わお、何だこの展開。
「問題ありませんけど…」
「じゃぁ家か?」
「……」
「見えない何かとか、第二の人格とか、そういうものが出来る人は凄く辛い状況にあるんだと思ったんだ。あと、俺もヨルがいつも連れてる友達に会ってみたいと思った」
「…なんで、ですか」
「いつもヨルと一緒に居るのが羨ましい。四六時中一緒ってわけじゃないみたいだが、君の側にずっと居られるのはどんな感じなのか、何が見えるのか、聞いてみたい。」
たまげた。風間先輩が何を言っているのか、僕の頭では理解できない。
こういう少女漫画的展開の台詞っていうのは、僕なんかよりも女の子らしくて可愛くってお淑やかで、そう、桑染の双子みたいな子が言われるものだ。どんな漫画だって、僕みたいにガサツで可愛くなくて女の子らしくない子は言われない。ヒロインにはなれないものなんだ。
だから、これを言われているのは僕じゃない、僕じゃないんだ。風間先輩はきっと誰か別の人と僕を勘違いしている。だけど僕からそれを指摘する勇気はないから、早くカルラが戻ってくればいいのに。
「どうして僕にそんなこと言うんですか?」
「いや、気になったから…その……俺も、連れがほしいなと、思って」
「呼び出す方法ならお伝えしますよ、せっかく演劇で仲良くなれたんですし!」
風間先輩がカルラや曾祖母の術に興味を持ってくれたのが嬉しくて、僕は先輩を自宅へ呼んだ。そう、ここで気づくべきだったんだ。僕の両親がどういう人間なのか。それから風間先輩のお家柄ってやつを。
僕は浮かれて風間先輩の手を握って熱くカルラと術について語りながら歩いた。カルラはそこそこの地位がある悪魔らしいこと、凄く声が素敵で風間先輩と似ていること。
「そうか、カルラと言うのか」
「はい、風間先輩とは見た目もちょっと似ています」
「ではカルラと同じように、俺のことも名前で呼んでくれ。」
「え?」
「ほらー、あれだ、主従の関係ならば名前で呼んでも自然だろう?ヨルが困ったらいつでも俺を召喚すればいい」
その時の僕は、先輩がどう思っているのかも分からないままに「じゃぁ常磐先輩ですね」なんて言って笑ってみせた。それから手を繋ぎ直して自宅の玄関までやってきた。
ただいまを言って入っていくと、リビングから僕が誰か連れているのを見たらしい母親が少し不機嫌そうな顔で出てきた。ところが、常磐先輩の顔を見た瞬間によそ行きの笑顔になった。
「あら、都子、おかえりなさい。風間さんと仲が良かったの?いらっしゃい、よければあがっていってくださいね」
「ただいま」
「お邪魔します」
いつもは「おかえりなさい」なんて言わないくせに、都合が良い。
そのまま3人でリビングへ入っていくと、父親が珍しくテレビを見ていた。そして振り返るやいなや、僕の方へやってきたかと思うと、僕の視界は真っ暗になった。おでこが痛い。
どうやら頭を引っ掴んでうつ伏せに押し倒されたらしい。あぁ、いつものことか。なんて冷静に思っていたけれど、母親に悲鳴で我に帰った。
「男を連れ込んだのか!!この淫乱娘が!!」
馬鹿じゃないのか、この親父。なんで中学生の娘に対して淫乱だなんて言葉が出てくるんだろうか。男女差でも年齢差でも筋力で敵わないことは分かっているので、僕は大人しくおでこをグリグリと床に押し付けられたままで居た。両手はべったりと床につけたままで抵抗はしていない。
父親はその否定も謝罪もしない態度が気に食わないのか、舌打ちすると今度は頭に足を乗せてきた。
「お前、まだ14歳だろう。そんな年齢で男に手をだすとは。しかもお相手は風間さんのご子息だぞ。恥を知れ!お前のような出来損ないの娘が風間議員のご子息と釣り合うとでも思っているのか!世間様から後ろ指さされて辛い思いをするのは私なんだぞ!お前のせいで私や母さんがどれだけ不運な目に遭ったと思っている!」
流石に抵抗したほうが良いのだろうか。視界が暗いながらに滲んできたのが分かる。別に泣いているわけではなく、意識が遠のいていくような気がする。
「申し訳ないと思う気持ちがあるのなら、なんで臓物の1つでも売って土下座して持ってこない!!だいたい、貴様は小さい頃から親に逆らってばかりで」
「…誕生日がきている」
父親の言葉を遮って、常磐先輩の声がした。うっすら残っている意識の中で、妙に常磐先輩の声は鮮明に聞こえた。
「ヨルはもう誕生日が来たから15だ。実の娘の誕生日も知らぬのか、父親としての恥を知れ。」
小馬鹿にしたような物言いに、父親が歯をギリリとならしたのが聞こえた。
「あと、風間家の男に手を出したって?悪いが手を出したのは俺が先だ。俺が好きでヨルと一緒に居る。我が家の権力が恐ろしいと言うのなら口出ししないでいただこうか。」
「な、何を言って…こんな屑な娘が風間家と関わりを持てるなど……」
「ヨルの母親と同じくらい、外面よく振る舞う術は持ち合わせるべきですよ、お義父さん。」
鈍い音がして、頭の上の重みが無くなった。ぼんやりしたまま這いつくばっていると、常磐先輩に抱き上げられたのが分かる。流石に高校生の筋力では人ひとり持ち上げるのは重たいだろう。一緒に座り込むようにして抱きしめてくれた。
けれど僕にはそれが、生まれてからずっと落ちたままだった最果ての底辺に、常磐先輩が迎えに来てくれたように感じられて、なんだか嬉しくなった。
「あと何でしたっけ?臓物を売れ?バカバカしい。自分の子供になんてことさせるんだ。子は親を選べない。親も子は選べないがどんな人格に育つのか多少の影響を与えることはできる。後ろ指さされる理由は、お前の子育てが家畜同然だと知れ渡っているからだろう、下衆が」
「貴様…子供のくせに生意気だぞ!」
「権力に怯える弱者のくせになにを言う。あぁ、お義母さん。今後はヨルさんを我が家で引き取ります。」
母親がアタフタと何やらヒステリックなことを言っている声が聞こえた。そんなこと申し訳ないだの、出来るはずがないだの、うちの娘を手放したくないだの聞こえるが、バカバカしい。
「ご安心ください。この会話は全て、通話越しに俺の父へ伝えていますので、ヨルさんの現状については理解してくれました。ヨルさんの最低限の荷物を持ってすぐに出ていきます。」
『ご苦労。児童相談所へは私から連絡を入れておこう。』
「あぁ、ありがとう、オヤジ」
僕の意識はそこまでだ。
その後、何があったのか詳しく聞くことは出来なかったけれど、目が覚めた時には風間家の一室に居た。和風な家具で統一された部屋の中に木箱が置かれていて、曾祖母の本と僕のパソコン、CD類も持って来られているようだった。
僕は最終的に児童相談所から色々と懲罰を受けそうになった両親を許すことにした。何故かというと、常磐先輩と先輩のお兄さんである千歳さん、朽葉さんの助言からだ。もともと父親が働いていたのはこの街の議員でもある風間木賊さんの元。監視体制が整った場所で更生させようということになったのだ。そうすれば、僕には今まで通りのお金をかけてもらえるし、世間的に問題も起きない。
6畳間の部屋を与えられた僕は、何故か風間家で暮らすことになったけれど、まぁ問題ない。曾祖母のお墓参りがちゃんとできればそれで万事オッケーだ。
両親から見れば、僕は風間家が人質として連れて行ったようにも見えるだろう。なんだかんだいって、愛故の暴走だったのだろうから。ま、はた迷惑なことに変わりはないけれど。
で、どうして僕が今更数年前の話をしたかというと。
「ちょっと常磐、邪魔なんだけど」
「何を言う。呼ばれたので召喚されたまでだぞ?」
「寝言は寝て言ってよ!!なんで僕の部屋に居るの!!」
「寝言でも呼んでいたのか、可愛いやつめ」
「この変態!!」
ずっと6畳間で暮らしているのは良いのだけれど、問題が1つ。隣の部屋が常磐の部屋だということだ。
最近は毎朝目覚めると布団の中に常磐が居る。どこのホラーだよ。僕が常磐のお母様である絢音さんに訴えたところ、「常磐が早起き出来るようになってよかったわ~」で流されたのでもう知らない。僕が純潔を失ったら多分カルラが常磐を〆てくれるだろう。
そうそう、最近は両親の呪縛が消えて心配事が減ったからか、カルラはあまり顔を見せてくれない。常磐にそう言ったら、「それは良いことだ」と言っていた。何やらカルラのかわりに僕を守る気で居るらしい。
サタンと呼ばれる悪魔の代わりをしようだなんて、とんだ自信家だ。
「はぁ、もういいよ……っていうか、今日は振替休日だから月曜だけど休みだよ?」
「………」
「忘れてたんだ…」
僕は布団の中に潜って常磐のお腹に抱きつくと、せっかくの休日だからと二度寝にふけることにした。
今日もカルラは現れないことだろう。
終。
2015/04/24 今昔
お試しで仮想学園の過去編をば。
2015年4月3日金曜日
【仮想大江戸】番外編 親世代編05「騒然たる一族」
絢音は檜皮に任務でも身に付ける忍び装束を着せて、少し伸びていた後ろ髪を丁寧に結って綺麗な紐で飾り付けた。全く忍びらしくない感じにはなったが、せっかくの挨拶なのだからこれくらいしても許されるだろう。
「なんだか息子が結婚するような気持ちだわ」
「絢音様、まだそんなお歳ではないでしょう…」
茶目っ気を出して言ってみれば呆れたように返した檜皮に、絢音はぽんと肩をたたいて準備が整ったことを伝えた。
今日を限りに、檜皮は桑染家の養子になる。秋口の収穫が終わったこの時期、年末の慌ただしさがやってくる合間を縫って必要な手続きを済ませなくてはならない。風間家の人間ではないので準備も手伝う必要はないのだが、絢音は檜皮を我が子か弟のように思っていることは変わりなかったので、今日の支度と引率を引き受けた。
「檜皮が私の子供のように大切な存在だということよ」
「ありが…とう、ございます。……僕も、桑染の家で頑張ります。ので、1つだけお願いできませんか?」
「どうしたの?」
「お腹の子が産まれたら、またお祝いさせてください」
絢音はとんでもないお願いをされたらどうしようかと思っていたが、頬が緩むようなお願いに、思わず檜皮をぎゅっとだきしめた。同じ里の中に居るのだから会えなくなるわけではないし、なにより風間家と関わりの深い家へと養子に入るのだ。
何を心配するのだと自分でも分かっているのだが、どうしてか涙腺が緩んでしまいそうになる。
「大丈夫よ、きっと千歳もお腹の子も、檜皮と朽葉を兄だと思ってるわ。何があってもなくても、顔を見せに来て頂戴ね」
「はい、絢音様」
【 仮想大江戸 お伽話 親世代編05「騒然たる一族」 】
木賊と絢音が付き添って桑染家へ行くことが決まると、やはり朽葉は千歳の面倒を見るのだと言って先代と共に留守番を申し出てくれた。彼らに千歳を任せると、絢音も身支度を済ませて玄関先へと赴いた。
既に庭先へ出ているかと思っていたが、檜皮はなにやら土間でおろおろとしており、庭先から木賊が苦笑いしてこちらを見ているのが見えた。絢音にも大方予想はついたが、こればかりは双子の問題だと口出しするのはやめて無言で靴を履く。
今朝から、朽葉はろくに檜皮と口を聞いていない。朽葉の様子を見るに、別に檜皮を悪く思ってのことではないようなので、なおのこと絢音と木賊は口出しが出来ないでいたのだ。ついに出かけるという時になって、檜皮も我慢が出来なくなったのだろう。
「あの、絢音様…朽葉は……」
「朽葉なら、居間で千歳を見てくれているわよ」
檜皮は途端にソワソワと居間へ続く襖を見つめはじめ、絢音は少し可哀想かとも思いながら木賊の隣へ移動した。木賊も二人の様子は気になっているようで、絢音と同じように玄関先を覗きこんでいる。
古い屋敷であることもあって、玄関先といってもかなり広めだ。それこそ家というよりも屋敷と言った方が良い広さは、一色家のそれよりも広いだろう。その広い玄関を隅々まで響かせるように、朽葉の声が響いてきた。
「檜皮はいい加減にしてよ!」
一瞬絢音も木賊も喧嘩かと身構えたのだが、続けて朽葉の言った言葉に頬が緩んだ。
「僕が檜皮を嫌いになるはずないでしょ!どこにいっても兄弟だよ!」
「でも、公的には他人に……」
「馬鹿!そんなの関係ないだろ!公的にはいつか上司と部下だ、関係ない人間になるわけじゃない!そんなにウジウジしてたら長にも絢音様にも申し訳ないだろ!男ならしゃきっとしろよ、くそ兄貴!」
しばらくすると中からグズグズと泣いているような声が聞こえ、絢音はなんだか笑ってしまった。絢音と年齢が大きく離れているわけではないが、彼らにとってお互いはかけがえのない存在だ。絢音から見た樹音のような存在だろう。
そんな大切な存在と気持ち以外のわかりやすいもので繋がっていたいと思うのは当然なのかもしれない。木賊が玄関先に入っていくと、檜皮はなにか言われて納得したようで、二人揃って穏やかな顔で戻ってきた。
「檜皮に何を仰ったんです?」
「男同士の約束だ。檜皮、忘れるでないぞ」
「はい!」
妙にいきいきとしている男二人と共に染家へ連れて行くと、門前で桑染の当主が迎えてくれた。自分の子供が女児ばかりなのは可愛くて良いが、婿を迎えて跡取りにするには不安がある。そこで、信頼のおける木賊が育てたと言っても過言ではない檜皮を、ということだったようで、当主自身も檜皮を大層気に入ってくれているようだった。
桑染の当主に迎えられて3人で邸宅へ上がると、早速義理の親子として契りを結ぶための杯が用意された。女でかつ妊婦であった絢音は部屋の外で待とうとしたが、当主にそんな古い風習に従う必要はないと、招き入れてくれた。
漆塗りの綺麗だが小さな杯に酒が注がれ、互いに飲み交わすと最後は盃を割る。その盃は処分せずに木箱に入れて保管するのだそうだ。絢音は初めて見るその静粛な空気に気圧されながらも、檜皮が正式に桑染の者となったことを嬉しく思った。
これから彼は思う存分に自分の能力を発揮して活躍することだろう。いつかは誰かお嫁をもらって子供も産まれるだろうし、男の子でも女の子でも祝福したい。尺ほどの細長い木に桑染としての名前を書いてもらい嬉しそうに受け取った檜皮を見て、絢音はそう思うのだった。
そしてこの日から、錦檜皮は桑染一真となった。
◇ ◇ ◇
樹音は大学が終わった後の手習いからまっすぐ自宅へ帰ってくると、自分の部屋へとかばんを置きに行った。8畳ほどの和室が左右に分かれていて、入って左手が濃い青色で統一された自分のスペース。右側は小豆色を中心にした絢音のスペースだ。
2年ほど前に風魔一族へと嫁いでいった絢音は、今はもう連絡を取る方法さえ分からない。両親は何やら神妙な顔で「詮索するな」と言っていたが、それに納得しろというのも無理な話である。更には風魔の一族へ嫁いだことは他言無用と口止めされたため、誰かに愚痴るということすら出来ない状況だ。これではストレスも貯まるというもの、将来円形ハゲにでもなったら両親はどうしてくれるのだろうか。
昔から、絢音と樹音は姉妹だからと言って様々なことで比較され、そしてお揃いにされてきた。絢音が薙刀を習い始めたら、せっかくだから樹音もと。樹音が気に入った柄の生地を見つければ、せっかくだから絢音も新しい着物を。といった風に、何かにつけてお揃いにしたがる大人は多い。
そしてお揃いにしたうえで、どちらが優れているのか比べたがる。
「絢音様は本当にお強い。こう言うのも失礼ですが、女性にしておくには勿体ないほどに身のこなしが素晴らしい。」
「体の使い方を分かっているのでしょうね、とても良い発声です。絢音様には今後ともお稽古を続けていただきたいとお伝え下さい」
小さい頃は習い事から帰宅するとき、先生である大人がお迎えの執事に言うのはいつも絢音のことだった。樹音は自分には才能が無いのだと思い、早々に薙刀と雅楽のお稽古はやめてしまった。すると今度は両親から塾へ通うように言われるのだ。
その頃からだった。今まで習い事というのは所謂実技的なものばかりだったが、はじめて座学に触れ、樹音は驚いた。
「どの教科もまんべんなく成績がよいのですが、特に数学において、樹音様は塾の中でも秀でておりまして」
はじめて大人に褒められた。お迎えの時に、絢音ではなく樹音が褒められたのだ。少しだけ誇らしくて絢音を見れば、絢音は思ったよりもショックを受けていない様子だったのが幼い頃の記憶に強く残っている。
樹音はそのときのことを思いだすと盛大なため息をついてベッドに横になった。
「絢音のばか。」
いつもこうやって樹音の先を行ってしまうのだ。普通の姉妹なら寂しがるだろうこの状況も、比較対象がいなくなったことに対する安心感しか感じられない。そんな自分が腹立たしくもあり、頭の中がごちゃごちゃと片付かない。
だいたい、どうして好きでも無い相手にお嫁に行くと言えたのか、樹音には全く理解出来ない。
あの風魔の忍びに誘拐された後、樹音が一人で待っていると何故か一色の家の人間が迎えに来た。そしてそこからまた車で帰宅したのだが、その時に絢音は一緒ではなかった。樹音が「絢音は嫁いだ」と知ったのは帰宅した翌日のことだった。
絢音だけ呼び出された後に何があったのかは分からない。けれどきっと、絢音が家を飛び出していくような何かがあったのだろう、興味をそそられる何かが。
「こーら、夕飯が出来てるんだからそんな格好してないで早くおいで」
「きゃぁ!?」
突如ドアから聞こえた声に、樹音は跳ね起きるようにしてベッドの上に座った。絢音のベッドと違いロフトにはなっていなかったのが幸いだ、頭を打たずにすんだ。
「征一郎さん!レディの部屋に突然入ってくるだなんて!」
樹音が起き上がって文句を言うと、予想通りに穏やかな顔つきの男性がドアを開けた状態で立っていた。今日は仕事でもあったのだろうか、ワイシャツにベスト、タイをつけている。胸元に施された刺繍は七色の家の家紋であり、一族絡みの正式な仕事をしてきのだろうことが伺えた。
七色の家の長男で征一郎、絢音は征さんと呼んでいたが樹音は恐れ多くて、小さいころからずっと「征一郎さん」の呼び方をしている。
「レディとして扱ってほしいのなら、家族揃っての夕飯に遅れない方が良いんじゃないかな?」
「えっ、もうそんな時間…あぁ、ごめんなさい。すぐに向かいます」
「待ってるよ。今日はオレも一緒だから、とびきり可愛くしておいで」
「征一郎さんったら!」
可愛らしくウインクを残して去っていった征一郎に、樹音は枕元にあったクッションを投げつけたくなった。
征一郎は、一色家が幅を利かせるこの界隈でも有名な重工業を営む会社の取締役だ。身内ばかりで関連会社の上席を埋めているものだから、中間職の人間からの評価はとても悪いと聞いている。それでも彼が会社を継ぐと決めたのは、すこしでも環境を改善していきたいからだと聞いた。
樹音はそんな征一郎のことをとても好いていたし、何より征一郎もこちらのことをよく気にかけてくれている。それが嬉しくて、いつかはああいう人と一緒になりたいものだと心から思っていた。一族のために頑張ることが誇りであり、自分の役目なのだと。
それなのに絢音は一族を飛び出した。そして両親もそれを容認している。理解が出来なかった。
樹音がリビングへ入っていくと、既に夕食の用意が整っていてテーブルの片側には両親が、その反対側には征一郎が腰掛けていて、樹音は慌てて謝罪をすると席についた。
「樹音さん、絢音さんが居なくて不都合を感じるのも分かりますが、夕飯に遅れるのはいけませんよ」
「すみません、お母さん」
「まぁまぁ、今までずっと二人で1つと扱われていたんです。突然絢音ちゃんが居なくなって戸惑うのも仕方がありません。」
「それにしても、もうすぐ二年も経つのですよ?少しは慣れてもらわなくては」
征一郎になだめられた母親はそれだけで納得したのか、他には何も言わずに食事を促した。父親もそんな母親の様子は当然だと思っているようで、特に何か言ってくることはない。他の誰が言っても意味をなさないのに、征一郎だけは両親に影響力を持っている。それも樹音が憧れる理由なのだろうなと自分自身でも感じた。
その後の夕食も穏やかに終わり、給仕が食後のワインを両親と征一郎に、樹音にはりんごジュースを持ってきてくれた頃だった。デザートのゼリーは美味しくて、樹音は満足して気が緩んでいた。
「ところで、あの話をしても良いでしょうか?」
征一郎が切りだすと、父親が嬉しそうに笑って頷いた。何か良い事業でもあるのだろうかと樹音が様子を伺っていると、征一郎は懐から手のひらに収まるような小さな箱を取り出した。それはベルベットのような生地で装飾された紺色のケースで、樹音がきょとんとしていると征一郎は箱を開いた。
箱から顔を出したのは可愛らしい宝石のあしらわれた指輪で、樹音はそこでようやく箱の存在を理解した。ドラマや何かでよく見るあの箱が、まさか自分に差し出されるとは思っていなかったために、まったく予想できなかったのだ。
「樹音、オレと結婚してください。後悔はさせない…多分。」
仕事中とはまた違う雰囲気の凛々しい表情で言ったかと思うと、最後にいつもの優しい顔で付け加えられ、樹音も一緒になって微笑んでしまった。この人は本当にこちらのことを分かってくれている。格式張ったことは嫌いではないが、それでも結婚は個人のこと。一族やら何やらの政治がらみも大切だが、こうやってただの個人として言ってもらいたい。そんな気持ちを察してくれたのだろう。
絢音が風魔の里へ嫁いでから一年と少し。その寂しさが少しだけ和らいだような気がして、樹音は笑顔で了承の返事をした。
「これで我が家も跡取りに困りませんわね、あなた。樹音さん、元気な子を産んでもらわなくては…」
「お母様、気が早いです」
「早いものですか。絢音さんからの手紙が届いたのだけれど、二人目の子供を授かってるそうよ」
「えっ!?絢音ってば、子供が居たの…?」
樹音は危うくテーブルに両手を叩きつけそうになりながら問い返した。絢音といえば、いくら複雑な事情があるのだろうと察せられる状況とはいえ、手紙の1つも寄越したことはなかったのだ。それなのにようやく手紙が来たと思ったら樹音には1枚も届かず、母親にだけ、それも出産という重大なことを事後報告したというのだ。
なんだか小さい頃のように負けたような気がしたし、今まで仲良く育っていたのを裏切られたような気がした。自分たちはまだ学生だったのだ。そして樹音は今もまだ学生で、ようやく成人しようとしているところなのに、絢音は一足飛びどころか何足も飛ばした先に行ってしまったのだ。
「ま、負けた気がする…」
「あら、今どき15で嫁へ、3年子無しはーなんて言う家柄は無いわよ。樹音さんは目一杯学生生活を楽しんでから子供を作れば良いわ。もちろん、征一郎くんの希望も聞かなくちゃならないけれどね」
「オレは、樹音さんの希望に合わせますよ。」
征一郎からのプロポーズも嬉しいはずなのに、なぜだかモヤっとしたものが胸のなかに渦巻いてしまい、樹音は笑顔を保つのに必死になってしまった。両親にそのいらだちのようななにかがバレてしまわないか心配だったが、それよりもせっかくのプロポーズを台無しにしてしまったような気がして、征一郎への罪悪感で押しつぶされそうだった。
その後は、征一郎と父親とが入籍の日にちやら挙式の日にちを話し合っていたが、樹音の耳を素通りしいくだけだった。
次の週末になると、征一郎からデートのお誘いがあった。特に断る理由もなければ、まして婚約してから最初のお誘いを蹴るなんて失礼なことをできるはずもなく、樹音は出来る限り可愛らしい格好をして待ち合わせの場所へと向かった。
まずは定番の映画でしょうと言っていた征一郎は、待ち合わせの10分前に樹音が玄関先へ向かうと、ちょうど迎えにやってきたところだった。本当は映画館もある街中で待ち合わせてもよかったのだが、それは男としてありえないことらしい。樹音は特に男性と交際した経験はなかったが、周囲の友人たちの話を聞く限りでは、征一郎のこの行動はかなりデキる方のはずだ。
言われるがままに征一郎の運転する車にのせられて街中へと出てくると、休日のためか歩道も車道も賑をみせていた。人混みは苦手ではないが、流石にこの中へ飛び込んでいくのは気が引けるほどだ。
「そういえば言い忘れていたけど、そのワンピース初めて見るな。可愛いよ」
「おはようございます、征一郎さん。征一郎さんも相変わらず格好良いわよ」
「ありがとう、可愛いレディに言われると、なんだか嬉しくなるね」
こういう時、絢音ならば「はいはい、お世辞ご苦労様ですこと」だなんて言って、軽く流せてしまうのだろう。けれど想像の中の絢音とは真逆に真っ赤になっていく自分の頬を自覚して、樹音はまた悔しいような恥ずかしいような気持ちになった。
「また絢音さんのことかい?いくら姉妹とはいえ、嫉妬してしまうなぁ」
「ご、ごめんなさい!そう、あのね、映画見る前にポップコーンが買いたいの」
我ながら雑な返しであることを自覚しながら言った時、前方から大きな音と共に風が吹いてきた。言うならば鍋の蓋を50ほど床に叩きつけたのを何倍にもしたような音と、土を巻き上げてくる風だった。
「なに…?」
信号待ちで止まっていた征一郎の車も、わずかながら風に揺れた。
何が起きたのか分からずじっとしていると、征一郎は窓を開けて軽く外へ頭を出して前方を見やった。ハンドルを握ったままだった左手にぎゅっと力が込められ、樹音にも何かよくないことが起きたのだろうということは分かった。
「まずいな…こんな昼間の街中で何をやってるんだ、連中は…」
「どうしたんですか?」
「風魔の忍者が防衛戦をしてる」
「えっ?」
言うと征一郎はエンジンを止めて社外へと飛び出した。樹音はとりあえずシートベルトを外し、いつ何が起きても良いようにとバックをぎゅっと握りしめて征一郎を見守るしかない。
征一郎は羽織っていた私服のジャケットを脱ぐと、代わりに後部座席から七色と一色の家紋が入ったスーツを羽織り、手をメガホンのようにして叫んだ。
「皆さん!落ち着いてください、この区画は七色の防衛管轄区です。すみやかに駐車し、歩いて移動を開始してください!」
樹音はその言葉を聞くと居ても立ってもいられなくなり、車の外へと飛び出した。
途端目に飛び込んできたのは、銃を乱射し、砲弾で建物を壊し、人々を刃物で脅している黒装束の団体だった。前方からは女性や子供の泣き叫ぶ声が聞こえ、車で移動していた人々もそれに気づいたらしく樹音たちの進行方向とは逆へと引き返していく。車で引き返す人たちと走って逃げる人たちとで、車道も歩道も阿鼻叫喚としか例えられない状況だ。
「樹音さん、君も逃げて。申し訳ないけどオレじゃぁ君を守れない」
「征一郎さんは?」
「オレはこの都市を守る七色重工の取締役だ。軍事関連の知識もある。あいつらは恐らく伊賀か甲賀の忍だろう。防戦しているのは風魔一族のはずだ。そういう取り決めになっているから…」
「取り決め?」
樹音はふと、絢音を置き去りにしてしまったあの日のことを思い出した。もしかして、と思う気持ちと、気にしすぎだと思う気持ちとがグルグルと頭の中を駆け巡る。
訳がわからないと叫びたくなった時、征一郎の車の上に何かが2つ落ちる音がした。トンという軽い音に、屋根は凹んでないなと場違いなことさえ考えてしまうほど、その音は自然と耳に馴染んだ。
「お前が七色征一郎か」
びっくりするほど低く良く響く声に、樹音ははっと車の屋根を見上げた。
そこには白髪に緑色の瞳をした30代くらいであろう男性と、白髪に灰色の瞳をした樹音より年下であろう青年が居た。どちらも忍び装束に口元を覆う布をつけていて、男性の方は頭の後ろになにやらお面のようなものが付いている。
征一郎は驚くこともなく彼らを見やると、そうだ、とだけ返事をした。
「俺が風魔小太郎だ。先日からの契約を履行するために来た。」
「頼む。街を防衛してくれ。連中が何を考えているのか分からない。街に定点配備されている銃器の類は使ってくれて構わない」
風魔小太郎と名乗った男性は頷くとお面を付け直した。夏祭りなどで売っているものよりも、少しだけ目元が大きく開いている。恐らくは素顔をばらさないためなのだろうと、樹音は邪推した。
「恩に着る」
「ははっ!忍びの言うセリフじゃないな、それは。まぁ良いよろしく頼む」
「…我々に新しい風を吹き込んだのは絢音だ。あいつの産まれた場所を守る。一真にも良い初遠征だ」
「はい、長。しかし文を届けにきただけのつもりが、かえって都合が良い事態になりました」
「全くだ。絢音の女の勘とやらを信じてみて正解だったようだ」
風魔小太郎はちらりと樹音を見やると、小さく会釈をして去っていった。一真と呼ばれていた青年の方も、後頭部で括った長い髪の毛を靡かせて走りだした。
「あ…」
青年が走りだした時にちらりと視界に入ったのは、絢音が気に入って付けていた髪留めだった。
「樹音さん、オレたちは引くよ。」
風魔小太郎が言った言葉と青年の髪留めと、よく分からないことが多すぎて混乱しながらも、樹音は征一郎に手を引かれてどうにか避難場所へと辿り着くことができたのだった。
後日、新聞にも取り上げられたのだが、伊賀忍者の遠江(とおとうみ)襲撃は誰か特定の人間を殺すためだったらしい。それにしても忍びらしからぬ行動にマスコミは騒ぎ、風魔によって守られた樹音たちは表立って報道はされないものの、彼らに感謝するものが多かった。
終。
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2015/04/03 今昔
登場人物がややこしくなってきたので、じきにwikiの方更新します。
ネタバレNGな方は間違っても仮想シリーズのwikiをググらないでくださいm(_ _)m
「なんだか息子が結婚するような気持ちだわ」
「絢音様、まだそんなお歳ではないでしょう…」
茶目っ気を出して言ってみれば呆れたように返した檜皮に、絢音はぽんと肩をたたいて準備が整ったことを伝えた。
今日を限りに、檜皮は桑染家の養子になる。秋口の収穫が終わったこの時期、年末の慌ただしさがやってくる合間を縫って必要な手続きを済ませなくてはならない。風間家の人間ではないので準備も手伝う必要はないのだが、絢音は檜皮を我が子か弟のように思っていることは変わりなかったので、今日の支度と引率を引き受けた。
「檜皮が私の子供のように大切な存在だということよ」
「ありが…とう、ございます。……僕も、桑染の家で頑張ります。ので、1つだけお願いできませんか?」
「どうしたの?」
「お腹の子が産まれたら、またお祝いさせてください」
絢音はとんでもないお願いをされたらどうしようかと思っていたが、頬が緩むようなお願いに、思わず檜皮をぎゅっとだきしめた。同じ里の中に居るのだから会えなくなるわけではないし、なにより風間家と関わりの深い家へと養子に入るのだ。
何を心配するのだと自分でも分かっているのだが、どうしてか涙腺が緩んでしまいそうになる。
「大丈夫よ、きっと千歳もお腹の子も、檜皮と朽葉を兄だと思ってるわ。何があってもなくても、顔を見せに来て頂戴ね」
「はい、絢音様」
【 仮想大江戸 お伽話 親世代編05「騒然たる一族」 】
木賊と絢音が付き添って桑染家へ行くことが決まると、やはり朽葉は千歳の面倒を見るのだと言って先代と共に留守番を申し出てくれた。彼らに千歳を任せると、絢音も身支度を済ませて玄関先へと赴いた。
既に庭先へ出ているかと思っていたが、檜皮はなにやら土間でおろおろとしており、庭先から木賊が苦笑いしてこちらを見ているのが見えた。絢音にも大方予想はついたが、こればかりは双子の問題だと口出しするのはやめて無言で靴を履く。
今朝から、朽葉はろくに檜皮と口を聞いていない。朽葉の様子を見るに、別に檜皮を悪く思ってのことではないようなので、なおのこと絢音と木賊は口出しが出来ないでいたのだ。ついに出かけるという時になって、檜皮も我慢が出来なくなったのだろう。
「あの、絢音様…朽葉は……」
「朽葉なら、居間で千歳を見てくれているわよ」
檜皮は途端にソワソワと居間へ続く襖を見つめはじめ、絢音は少し可哀想かとも思いながら木賊の隣へ移動した。木賊も二人の様子は気になっているようで、絢音と同じように玄関先を覗きこんでいる。
古い屋敷であることもあって、玄関先といってもかなり広めだ。それこそ家というよりも屋敷と言った方が良い広さは、一色家のそれよりも広いだろう。その広い玄関を隅々まで響かせるように、朽葉の声が響いてきた。
「檜皮はいい加減にしてよ!」
一瞬絢音も木賊も喧嘩かと身構えたのだが、続けて朽葉の言った言葉に頬が緩んだ。
「僕が檜皮を嫌いになるはずないでしょ!どこにいっても兄弟だよ!」
「でも、公的には他人に……」
「馬鹿!そんなの関係ないだろ!公的にはいつか上司と部下だ、関係ない人間になるわけじゃない!そんなにウジウジしてたら長にも絢音様にも申し訳ないだろ!男ならしゃきっとしろよ、くそ兄貴!」
しばらくすると中からグズグズと泣いているような声が聞こえ、絢音はなんだか笑ってしまった。絢音と年齢が大きく離れているわけではないが、彼らにとってお互いはかけがえのない存在だ。絢音から見た樹音のような存在だろう。
そんな大切な存在と気持ち以外のわかりやすいもので繋がっていたいと思うのは当然なのかもしれない。木賊が玄関先に入っていくと、檜皮はなにか言われて納得したようで、二人揃って穏やかな顔で戻ってきた。
「檜皮に何を仰ったんです?」
「男同士の約束だ。檜皮、忘れるでないぞ」
「はい!」
妙にいきいきとしている男二人と共に染家へ連れて行くと、門前で桑染の当主が迎えてくれた。自分の子供が女児ばかりなのは可愛くて良いが、婿を迎えて跡取りにするには不安がある。そこで、信頼のおける木賊が育てたと言っても過言ではない檜皮を、ということだったようで、当主自身も檜皮を大層気に入ってくれているようだった。
桑染の当主に迎えられて3人で邸宅へ上がると、早速義理の親子として契りを結ぶための杯が用意された。女でかつ妊婦であった絢音は部屋の外で待とうとしたが、当主にそんな古い風習に従う必要はないと、招き入れてくれた。
漆塗りの綺麗だが小さな杯に酒が注がれ、互いに飲み交わすと最後は盃を割る。その盃は処分せずに木箱に入れて保管するのだそうだ。絢音は初めて見るその静粛な空気に気圧されながらも、檜皮が正式に桑染の者となったことを嬉しく思った。
これから彼は思う存分に自分の能力を発揮して活躍することだろう。いつかは誰かお嫁をもらって子供も産まれるだろうし、男の子でも女の子でも祝福したい。尺ほどの細長い木に桑染としての名前を書いてもらい嬉しそうに受け取った檜皮を見て、絢音はそう思うのだった。
そしてこの日から、錦檜皮は桑染一真となった。
◇ ◇ ◇
樹音は大学が終わった後の手習いからまっすぐ自宅へ帰ってくると、自分の部屋へとかばんを置きに行った。8畳ほどの和室が左右に分かれていて、入って左手が濃い青色で統一された自分のスペース。右側は小豆色を中心にした絢音のスペースだ。
2年ほど前に風魔一族へと嫁いでいった絢音は、今はもう連絡を取る方法さえ分からない。両親は何やら神妙な顔で「詮索するな」と言っていたが、それに納得しろというのも無理な話である。更には風魔の一族へ嫁いだことは他言無用と口止めされたため、誰かに愚痴るということすら出来ない状況だ。これではストレスも貯まるというもの、将来円形ハゲにでもなったら両親はどうしてくれるのだろうか。
昔から、絢音と樹音は姉妹だからと言って様々なことで比較され、そしてお揃いにされてきた。絢音が薙刀を習い始めたら、せっかくだから樹音もと。樹音が気に入った柄の生地を見つければ、せっかくだから絢音も新しい着物を。といった風に、何かにつけてお揃いにしたがる大人は多い。
そしてお揃いにしたうえで、どちらが優れているのか比べたがる。
「絢音様は本当にお強い。こう言うのも失礼ですが、女性にしておくには勿体ないほどに身のこなしが素晴らしい。」
「体の使い方を分かっているのでしょうね、とても良い発声です。絢音様には今後ともお稽古を続けていただきたいとお伝え下さい」
小さい頃は習い事から帰宅するとき、先生である大人がお迎えの執事に言うのはいつも絢音のことだった。樹音は自分には才能が無いのだと思い、早々に薙刀と雅楽のお稽古はやめてしまった。すると今度は両親から塾へ通うように言われるのだ。
その頃からだった。今まで習い事というのは所謂実技的なものばかりだったが、はじめて座学に触れ、樹音は驚いた。
「どの教科もまんべんなく成績がよいのですが、特に数学において、樹音様は塾の中でも秀でておりまして」
はじめて大人に褒められた。お迎えの時に、絢音ではなく樹音が褒められたのだ。少しだけ誇らしくて絢音を見れば、絢音は思ったよりもショックを受けていない様子だったのが幼い頃の記憶に強く残っている。
樹音はそのときのことを思いだすと盛大なため息をついてベッドに横になった。
「絢音のばか。」
いつもこうやって樹音の先を行ってしまうのだ。普通の姉妹なら寂しがるだろうこの状況も、比較対象がいなくなったことに対する安心感しか感じられない。そんな自分が腹立たしくもあり、頭の中がごちゃごちゃと片付かない。
だいたい、どうして好きでも無い相手にお嫁に行くと言えたのか、樹音には全く理解出来ない。
あの風魔の忍びに誘拐された後、樹音が一人で待っていると何故か一色の家の人間が迎えに来た。そしてそこからまた車で帰宅したのだが、その時に絢音は一緒ではなかった。樹音が「絢音は嫁いだ」と知ったのは帰宅した翌日のことだった。
絢音だけ呼び出された後に何があったのかは分からない。けれどきっと、絢音が家を飛び出していくような何かがあったのだろう、興味をそそられる何かが。
「こーら、夕飯が出来てるんだからそんな格好してないで早くおいで」
「きゃぁ!?」
突如ドアから聞こえた声に、樹音は跳ね起きるようにしてベッドの上に座った。絢音のベッドと違いロフトにはなっていなかったのが幸いだ、頭を打たずにすんだ。
「征一郎さん!レディの部屋に突然入ってくるだなんて!」
樹音が起き上がって文句を言うと、予想通りに穏やかな顔つきの男性がドアを開けた状態で立っていた。今日は仕事でもあったのだろうか、ワイシャツにベスト、タイをつけている。胸元に施された刺繍は七色の家の家紋であり、一族絡みの正式な仕事をしてきのだろうことが伺えた。
七色の家の長男で征一郎、絢音は征さんと呼んでいたが樹音は恐れ多くて、小さいころからずっと「征一郎さん」の呼び方をしている。
「レディとして扱ってほしいのなら、家族揃っての夕飯に遅れない方が良いんじゃないかな?」
「えっ、もうそんな時間…あぁ、ごめんなさい。すぐに向かいます」
「待ってるよ。今日はオレも一緒だから、とびきり可愛くしておいで」
「征一郎さんったら!」
可愛らしくウインクを残して去っていった征一郎に、樹音は枕元にあったクッションを投げつけたくなった。
征一郎は、一色家が幅を利かせるこの界隈でも有名な重工業を営む会社の取締役だ。身内ばかりで関連会社の上席を埋めているものだから、中間職の人間からの評価はとても悪いと聞いている。それでも彼が会社を継ぐと決めたのは、すこしでも環境を改善していきたいからだと聞いた。
樹音はそんな征一郎のことをとても好いていたし、何より征一郎もこちらのことをよく気にかけてくれている。それが嬉しくて、いつかはああいう人と一緒になりたいものだと心から思っていた。一族のために頑張ることが誇りであり、自分の役目なのだと。
それなのに絢音は一族を飛び出した。そして両親もそれを容認している。理解が出来なかった。
樹音がリビングへ入っていくと、既に夕食の用意が整っていてテーブルの片側には両親が、その反対側には征一郎が腰掛けていて、樹音は慌てて謝罪をすると席についた。
「樹音さん、絢音さんが居なくて不都合を感じるのも分かりますが、夕飯に遅れるのはいけませんよ」
「すみません、お母さん」
「まぁまぁ、今までずっと二人で1つと扱われていたんです。突然絢音ちゃんが居なくなって戸惑うのも仕方がありません。」
「それにしても、もうすぐ二年も経つのですよ?少しは慣れてもらわなくては」
征一郎になだめられた母親はそれだけで納得したのか、他には何も言わずに食事を促した。父親もそんな母親の様子は当然だと思っているようで、特に何か言ってくることはない。他の誰が言っても意味をなさないのに、征一郎だけは両親に影響力を持っている。それも樹音が憧れる理由なのだろうなと自分自身でも感じた。
その後の夕食も穏やかに終わり、給仕が食後のワインを両親と征一郎に、樹音にはりんごジュースを持ってきてくれた頃だった。デザートのゼリーは美味しくて、樹音は満足して気が緩んでいた。
「ところで、あの話をしても良いでしょうか?」
征一郎が切りだすと、父親が嬉しそうに笑って頷いた。何か良い事業でもあるのだろうかと樹音が様子を伺っていると、征一郎は懐から手のひらに収まるような小さな箱を取り出した。それはベルベットのような生地で装飾された紺色のケースで、樹音がきょとんとしていると征一郎は箱を開いた。
箱から顔を出したのは可愛らしい宝石のあしらわれた指輪で、樹音はそこでようやく箱の存在を理解した。ドラマや何かでよく見るあの箱が、まさか自分に差し出されるとは思っていなかったために、まったく予想できなかったのだ。
「樹音、オレと結婚してください。後悔はさせない…多分。」
仕事中とはまた違う雰囲気の凛々しい表情で言ったかと思うと、最後にいつもの優しい顔で付け加えられ、樹音も一緒になって微笑んでしまった。この人は本当にこちらのことを分かってくれている。格式張ったことは嫌いではないが、それでも結婚は個人のこと。一族やら何やらの政治がらみも大切だが、こうやってただの個人として言ってもらいたい。そんな気持ちを察してくれたのだろう。
絢音が風魔の里へ嫁いでから一年と少し。その寂しさが少しだけ和らいだような気がして、樹音は笑顔で了承の返事をした。
「これで我が家も跡取りに困りませんわね、あなた。樹音さん、元気な子を産んでもらわなくては…」
「お母様、気が早いです」
「早いものですか。絢音さんからの手紙が届いたのだけれど、二人目の子供を授かってるそうよ」
「えっ!?絢音ってば、子供が居たの…?」
樹音は危うくテーブルに両手を叩きつけそうになりながら問い返した。絢音といえば、いくら複雑な事情があるのだろうと察せられる状況とはいえ、手紙の1つも寄越したことはなかったのだ。それなのにようやく手紙が来たと思ったら樹音には1枚も届かず、母親にだけ、それも出産という重大なことを事後報告したというのだ。
なんだか小さい頃のように負けたような気がしたし、今まで仲良く育っていたのを裏切られたような気がした。自分たちはまだ学生だったのだ。そして樹音は今もまだ学生で、ようやく成人しようとしているところなのに、絢音は一足飛びどころか何足も飛ばした先に行ってしまったのだ。
「ま、負けた気がする…」
「あら、今どき15で嫁へ、3年子無しはーなんて言う家柄は無いわよ。樹音さんは目一杯学生生活を楽しんでから子供を作れば良いわ。もちろん、征一郎くんの希望も聞かなくちゃならないけれどね」
「オレは、樹音さんの希望に合わせますよ。」
征一郎からのプロポーズも嬉しいはずなのに、なぜだかモヤっとしたものが胸のなかに渦巻いてしまい、樹音は笑顔を保つのに必死になってしまった。両親にそのいらだちのようななにかがバレてしまわないか心配だったが、それよりもせっかくのプロポーズを台無しにしてしまったような気がして、征一郎への罪悪感で押しつぶされそうだった。
その後は、征一郎と父親とが入籍の日にちやら挙式の日にちを話し合っていたが、樹音の耳を素通りしいくだけだった。
次の週末になると、征一郎からデートのお誘いがあった。特に断る理由もなければ、まして婚約してから最初のお誘いを蹴るなんて失礼なことをできるはずもなく、樹音は出来る限り可愛らしい格好をして待ち合わせの場所へと向かった。
まずは定番の映画でしょうと言っていた征一郎は、待ち合わせの10分前に樹音が玄関先へ向かうと、ちょうど迎えにやってきたところだった。本当は映画館もある街中で待ち合わせてもよかったのだが、それは男としてありえないことらしい。樹音は特に男性と交際した経験はなかったが、周囲の友人たちの話を聞く限りでは、征一郎のこの行動はかなりデキる方のはずだ。
言われるがままに征一郎の運転する車にのせられて街中へと出てくると、休日のためか歩道も車道も賑をみせていた。人混みは苦手ではないが、流石にこの中へ飛び込んでいくのは気が引けるほどだ。
「そういえば言い忘れていたけど、そのワンピース初めて見るな。可愛いよ」
「おはようございます、征一郎さん。征一郎さんも相変わらず格好良いわよ」
「ありがとう、可愛いレディに言われると、なんだか嬉しくなるね」
こういう時、絢音ならば「はいはい、お世辞ご苦労様ですこと」だなんて言って、軽く流せてしまうのだろう。けれど想像の中の絢音とは真逆に真っ赤になっていく自分の頬を自覚して、樹音はまた悔しいような恥ずかしいような気持ちになった。
「また絢音さんのことかい?いくら姉妹とはいえ、嫉妬してしまうなぁ」
「ご、ごめんなさい!そう、あのね、映画見る前にポップコーンが買いたいの」
我ながら雑な返しであることを自覚しながら言った時、前方から大きな音と共に風が吹いてきた。言うならば鍋の蓋を50ほど床に叩きつけたのを何倍にもしたような音と、土を巻き上げてくる風だった。
「なに…?」
信号待ちで止まっていた征一郎の車も、わずかながら風に揺れた。
何が起きたのか分からずじっとしていると、征一郎は窓を開けて軽く外へ頭を出して前方を見やった。ハンドルを握ったままだった左手にぎゅっと力が込められ、樹音にも何かよくないことが起きたのだろうということは分かった。
「まずいな…こんな昼間の街中で何をやってるんだ、連中は…」
「どうしたんですか?」
「風魔の忍者が防衛戦をしてる」
「えっ?」
言うと征一郎はエンジンを止めて社外へと飛び出した。樹音はとりあえずシートベルトを外し、いつ何が起きても良いようにとバックをぎゅっと握りしめて征一郎を見守るしかない。
征一郎は羽織っていた私服のジャケットを脱ぐと、代わりに後部座席から七色と一色の家紋が入ったスーツを羽織り、手をメガホンのようにして叫んだ。
「皆さん!落ち着いてください、この区画は七色の防衛管轄区です。すみやかに駐車し、歩いて移動を開始してください!」
樹音はその言葉を聞くと居ても立ってもいられなくなり、車の外へと飛び出した。
途端目に飛び込んできたのは、銃を乱射し、砲弾で建物を壊し、人々を刃物で脅している黒装束の団体だった。前方からは女性や子供の泣き叫ぶ声が聞こえ、車で移動していた人々もそれに気づいたらしく樹音たちの進行方向とは逆へと引き返していく。車で引き返す人たちと走って逃げる人たちとで、車道も歩道も阿鼻叫喚としか例えられない状況だ。
「樹音さん、君も逃げて。申し訳ないけどオレじゃぁ君を守れない」
「征一郎さんは?」
「オレはこの都市を守る七色重工の取締役だ。軍事関連の知識もある。あいつらは恐らく伊賀か甲賀の忍だろう。防戦しているのは風魔一族のはずだ。そういう取り決めになっているから…」
「取り決め?」
樹音はふと、絢音を置き去りにしてしまったあの日のことを思い出した。もしかして、と思う気持ちと、気にしすぎだと思う気持ちとがグルグルと頭の中を駆け巡る。
訳がわからないと叫びたくなった時、征一郎の車の上に何かが2つ落ちる音がした。トンという軽い音に、屋根は凹んでないなと場違いなことさえ考えてしまうほど、その音は自然と耳に馴染んだ。
「お前が七色征一郎か」
びっくりするほど低く良く響く声に、樹音ははっと車の屋根を見上げた。
そこには白髪に緑色の瞳をした30代くらいであろう男性と、白髪に灰色の瞳をした樹音より年下であろう青年が居た。どちらも忍び装束に口元を覆う布をつけていて、男性の方は頭の後ろになにやらお面のようなものが付いている。
征一郎は驚くこともなく彼らを見やると、そうだ、とだけ返事をした。
「俺が風魔小太郎だ。先日からの契約を履行するために来た。」
「頼む。街を防衛してくれ。連中が何を考えているのか分からない。街に定点配備されている銃器の類は使ってくれて構わない」
風魔小太郎と名乗った男性は頷くとお面を付け直した。夏祭りなどで売っているものよりも、少しだけ目元が大きく開いている。恐らくは素顔をばらさないためなのだろうと、樹音は邪推した。
「恩に着る」
「ははっ!忍びの言うセリフじゃないな、それは。まぁ良いよろしく頼む」
「…我々に新しい風を吹き込んだのは絢音だ。あいつの産まれた場所を守る。一真にも良い初遠征だ」
「はい、長。しかし文を届けにきただけのつもりが、かえって都合が良い事態になりました」
「全くだ。絢音の女の勘とやらを信じてみて正解だったようだ」
風魔小太郎はちらりと樹音を見やると、小さく会釈をして去っていった。一真と呼ばれていた青年の方も、後頭部で括った長い髪の毛を靡かせて走りだした。
「あ…」
青年が走りだした時にちらりと視界に入ったのは、絢音が気に入って付けていた髪留めだった。
「樹音さん、オレたちは引くよ。」
風魔小太郎が言った言葉と青年の髪留めと、よく分からないことが多すぎて混乱しながらも、樹音は征一郎に手を引かれてどうにか避難場所へと辿り着くことができたのだった。
後日、新聞にも取り上げられたのだが、伊賀忍者の遠江(とおとうみ)襲撃は誰か特定の人間を殺すためだったらしい。それにしても忍びらしからぬ行動にマスコミは騒ぎ、風魔によって守られた樹音たちは表立って報道はされないものの、彼らに感謝するものが多かった。
終。
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2015/04/03 今昔
登場人物がややこしくなってきたので、じきにwikiの方更新します。
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【仮想大江戸】番外編 親世代編04「清廉なる一族」
よく漫画や何かでは忍びの三大流派が戦うという展開があるが、実際にはそんなことは起きていない。というよりも、今やそれぞれが担当する分野が異なるためにぶつかることも少ないのだと、絢音は木賊にそう聞いた。風魔は嘉萩家の護衛とともに遠江(とおとうみ)から江戸にかけてを守る比較的大きな一族であり、伊賀や甲賀は土地を守りつつも特定の家にはつかず、金や権力になびいている若干の日和見主義だ。
やり方が違うとはいえ、それぞれが上手く一族を守ってきているという伝統とそれに対する誇りがあり、絢音は「一色と周囲の家と、大してやってることは変わらないのね」程度に思っていた。
しょっちゅう家に遊びに来ている錦の双子たちは家事も子供の世話も覚えてしまい、少しくらいならば絢音も目を離しても大丈夫だというほどになっていた。里の人間はあまり互いの子供に手を出したりしないそうだが、錦の母親は外の文化のほうが自然なのだと言って、双子を手伝いにつかってくださいとまで言ってくれていた。絢音も二人のことは弟のように思っていたし、なにより双子が千歳を弟のように思っていたので頼るようにしていた。
木賊も、忍びとしても優秀な二人と仲を持つことは大事だと思っているうえに、純粋に双子のことを自分の家族のようだとも言っていた。
千歳が2歳にろうかという初夏のことだった、絢音が二人目を授かったのと同時に風魔一族へと大きな任務の依頼があった。
「宍戸の護衛?」
絢音は聞き慣れた苗字に顔をしかめて、どんな任務の依頼なのだろうかと珍しく身を乗り出して聞く姿勢になった。
木賊が持って返ってきて気まずそうに言ったのは、「宍戸家の護衛を頼まれた、それも一ヶ月」というものだった。宍戸といえば有名な色街を取り仕切る家で、風魔が護衛する嘉萩家とも多少なり交流がある家だ。嘉萩家の事業が広すぎるせいで、なぜか色街までも運営しているのだが、その色街で一番大きな家から嘉萩家を通してきた依頼なのだそうだ。断りづらい、というよりも嘉萩家の依頼である以上断れないらしい。
もちろん、絢音だって一色家が七色家になにか頼み事をしたら断れない、というように家どうしの繋がりとは恐ろしいものだと把握はしている。ただ、護衛対象が色街に居るとなると話は少しややこしい。
「宍家の護衛っていうことは、色街に入ることになるのかしら?」
「絢音、これは笑顔が怖いというものではないかと思うのだが…」
「気のせいよ、わたくし、怒ってなどいませんもの。ただ、木賊が色街に入るのかと聞きたいだけですわ。構いませんのよ、子供を授かった以上わたくしがお相手出来なくなるのは覆しようのない事実ですものね。」
「ご、誤解だ!確かに色街への潜入はあるが、俺は基本的に宍家の店主付きの男衆として紛れる。何より宍家は男娼妓楼だ。」
「見境がなくなって男性にまで手をだすだなんて」
「信じてくれ…頼む、他の人間に手を出すつもりは毛頭ないんだ……」
「という冗談はさておき」
絢音はひと通り人間らしい反応を返せるようになった木賊を楽しむと、まだ見た目ではまったく分からないお腹をさすって言った。
「その任務の間、どうしようかしら。体調悪くなってもお義父さんは流石に頼れないし…」
「ならば、檜皮と朽葉に頼んだらどうだ。錦の母親も今回の任務に入る、彼らだけでは寂しかろう。」
からかったことは特に気に留めていないのか、木賊はそれだけ言うと錦の家に話をつけてくるといって退室してしまった。
【 仮想大江戸 お伽話 親世代編04「清廉なる一族」 】
数日後、木賊が任務に行くのと入れ違いに朽葉と檜皮が風間家へとやってきた。木賊と錦家との間では「心配だからしばらくは泊まりこむ」ということになっていたようで、少なめではあるが着替えやら何やらの荷物を持ってきていた。絢音が周囲の家の女性たちに「家事を手伝ってもらうのだ」と言うと、「長の子供を産むのだからそれぐらいの待遇は普通だ」と言われた。絢音としては、男を家にあげるなんてと言われかねないと思っていたが、二人に名前を贈ったことが周囲に少しずつ広まったこともあってか、思ったよりも風当たりは弱かった。
朽葉は主に千歳の子守を、檜皮は絢音の家事を手伝ってくれることになった。千歳は比較的穏やかな朽葉に懐いており、檜皮は朽葉に比べれば任務も多かったため絢音についてくれたのだ。二人とも千歳の黒髪が羨ましいと言ってみたり、青い瞳が可愛いと言ってみたり、相変わらず弟以上にかわいがってくれている。
「絢音様、今日は少し…嫌な感じがしませんか?」
木賊たちが宍の護衛についてから三週間が経とうとしていた時だった。
朝から調子が良くないような気がするという双子たちは、昼前に昼食の支度をしている時にもそれを口にした。他人に心配をかけたがらない檜皮がそう言うのはとても気になったが、額に手を当ててみても熱があるような感じではない。
「具体的に、何がどう嫌なのか説明出来そうかしら?」
「それが…嫌な予感がする、としか説明のしようがないのです。千歳も元気だし、僕や朽葉の体調も良好です。なのに…筆舌に尽くしがたい違和感を感じるのです。」
「私にも、姉妹が居るのよ。確かに、二人揃って何か良くないと思った時には、ほんとうに良くないことが起きたわ。今日は何があっても良いように、できるだけこの家から離れないようにしておいてちょうだいね」
「わかりました」
双子とは時折不思議な繋がりを見せる。絢音はお呪いの類が盛んに行われているこの里でなら、なおのこと二人が何か感じ取っているのかもしれないと思ったのだ。現に、里付近に外敵が現れれば森で飼っているトンビやカラスたちが自主的に危険を知らせに里へ来るし、そういう日には朝から里中がピリピリしている。
外敵から里を隠すようなお呪いもしているらしいが、二人がソワソワするということはなにかが起きるのかもしれない。残念ながら絢音はこの里で育っていないためか、そういったことを察する能力はないようなのだ。二人の感じている違和感を信じて、今日は外出しないようにしよう。
そう思っていると、次の日も更に次の日にも、双子は違和感が強くなっていると言った。あげく、千歳もなかなか泣き止まなくなってしまい、先代である木賊の父も体調が万全ではないからと寝室にこもりっきりになってしまった。
「先代様がいらっしゃらないと、食卓がさみしいですね」
「朽葉、仕方がないだろう。先代様の体調が第一だ。なにより、この嫌な感じは里の入り口の方から来ている。長が留守の間は桑染の家が守ってくれているけれど、何かあれば僕や絢音様も何か仕事が降ってくるかもしれない」
双子は絢音の作っただし巻き卵とアジの開きを口に運びながら、いつもより淡々とそういった。絢音も食事をしているのだが、なにやら緊張してしまい味がよく分からない。
「朽葉は任務が来ても断って、千歳と先代様を頼む」
「分かってるよ檜皮。錦の家は母上が任務である以上空っぽだ。ここを守るのが僕らの役目。長が信頼して置いてくださってるんだから、行動で示さなくては」
二人のやりとりをボンヤリと聞きながら、絢音は千歳へ目を落とした。この子にも何か危険を察知するような能力は身につくのだろうか。もし木賊と風魔の誰かとの子供なら身につくはずだった何かが、絢音の血のせいで薄まっていたりしないだろうか。
今まで周囲に言われもしなかったことが、頭の中に浮かんでは消えていく。もちろん、絢音に聞こえないところで多少なり悪口は言われていただろう。それはまぁ良い。本人を目の前にしてい言う度胸もないような人たちが言っていることだ、気にするだけ損だと思っている。
「絢音様?」
「大丈夫ですよ、すみません、食事時にする話ではありませんでした」
双子たちに言われて、絢音は自分の箸が随分と止まっていたことに気づいた。時計の針を見やればかれこれ十五分は固まってしまっていたようで、絢音は二人に大丈夫だから気にするなというと、残っていた食事に手を伸ばした。
その日の夜、予定よりも早くキリが着いたという木賊たちが里へ帰ってきたが、そこに錦の母親の姿はなかった。
錦の双子を女手ひとつで育てていた母親は、任務の最中に亡くなったのだという。
錦家の葬儀は慎ましく行われ、参列者は檜皮と朽葉、それに木賊と桑染家の当主だけだった。他にも数人の女性が参列したいと言ったそうだが、周囲の目があるから辞めておけと木賊によって参列は拒否された。もちろん、その後墓参りに来てくれたら嬉しいとの言葉も添えてだ。
絢音は錦が何故亡くなったのか、詳細を聞くことは出来なかった。朽葉の腕の時と同じで、胎教に悪いと思われているらしい。しかし里の仲ではかなり仲良くしていた女性が亡くなったのにその理由を聞けぬとは、逆にストレスであるようにも思えた。ただ、木賊は朽葉と檜皮に詳細を話して聞かせると、言うべきだと思ったら絢音にも伝えるように言い添えたそうだ。
「絢音様、おはようございます」
「おはよう、檜皮。」
結局、帰る家はあっても待つ人が居なくなった二人は、そのまま絢音の世話をしてくれるということで風間家に住み込んでいる。元より広すぎるほどの家であるし、何より賑やかで良いと先代が言っているため、木賊も賛成しているようだ。
その日も檜皮と絢音が作った朝食を全員が食べ終わると、木賊は席をたつことなくその場に居た絢音と双子を見渡して言った。
「提案がある」
重々しい雰囲気から、何か重大なことを言われる覚悟はしたが、木賊の口から出たのは思いもよらない言葉だった。
「朽葉を我が家の養子に、檜皮を桑染の養子に迎えたいという話が出ている。」
「僕が、あの桑染家へ……養子に、ですか?」
桑染家といえば、里の出入口にあたる部分に家を持ち、女性も身体能力に長けた武闘派の一族だと絢音も聞いたことがあった。代々の長である風間家の次に古く大きな家であり、長の右腕という立場も務める家柄だと。
「桑染は今のところ娘しかいない。檜皮を養子に迎えて跡取りに、ゆくゆくは娘の誰かと子供を、ということなのだろう。檜皮、お前の人生だ。好きに決めたら良い」
「しかし…僕は未熟者で、とても桑染の方々に見合うような者では………」
「ならば返答を保留にするという選択肢もある。長である俺預りの者を養子にと望んでいるんだ。多少の無理は効く。お前がどうしたいか決められるまで保留にするのもありだぞ」
木賊は隣に居た檜皮の頭にぽんと手を載せて撫でた。絢音は二人が自分の子供になるということに違和感はないしむしろ喜ばしいと思えるが、檜皮が桑染の養子に行くことにはすこしばかり懸念があった。
桑染家も、恐らくはより実践任務の経験があり成績も優秀、かつ五体満足な檜皮を養子にほしいと思ったのだろう。しかしこれを檜皮が了承してしまった場合、暗に要らないと言われた朽葉はどう思うだろうか。絢音も樹音と比べられ続けることで生きてきて、それがどういうことか知っている。気が強い絢音よりも穏やかな樹音と見合いを、という大人たちの会話も聞いたことがある。
逆にそれを解消しようと、絢音が朽葉を取るような発言をしてしまえば、檜皮が他所へ追いやられているような気持ちになりかねない。
どちらに何を発言するわけにもいかず、絢音は務めて明るく、さてと!と言って立ち上がった。
「檜皮も朽葉も好きなだけ考えたら良いわ。若い内に思い悩むことは無駄にはならないのよ。木賊も結論は急がないと言っているのだし、時間をかけて解決しましょう。それよりも今解決すべきことは、お茶碗が乾いて洗うのが大変になるということよ!」
言うと、乾いたご飯を茶碗から落とす苦労を知っているからか、檜皮が慌てて返事をして茶碗を寄せ始めた。朽葉も手間になることは駄目だと片付けを手伝いはじめ、絢音と木賊の分も二人で片付けに行ってくれた。
木賊は双子が完全にいなくなるのを見ると、絢音に視線を戻した。余計なことを言ったような気はしたので、食後のお茶を入れて木賊の前に湯のみをおくことでごまかした。
「絢音は、選択したことは後悔していないのか?」
「……何のことを仰りたいのか分かりかねますわ、木賊。」
「しかし…」
「後悔していたら、私は木賊との子供を欲しがったりしませんわよ」
絢音は色々と考えてしまうと暗い気持ちになるだろうと、檜皮たちと一緒に食事の後片付けを済ませると、木賊を散歩に誘った。こちらへ来てから日課になっていた散歩も、千歳を授かってからはあまりできていなかった。久々に一緒に歩きたいと言うと、檜皮と朽葉が気を利かせて先回りし、千歳の子守を買って出てくれた。
二人は久々に外へと並んで出た。私服で並んで居る分には、どこにでも居る普通の夫婦と変わらないと絢音は思っている。蓋を開ければ血筋だのなんだのと様々な話題が飛び出してくるが、二人だけで歩いている時にそんな話題はしたくなかった。
里の奥にある風間家の屋敷から裏手に入ると、獣道を人間が踏み均してできた小さな道がある。そこを山裾にそって歩いて行くのが二人の散歩道で、少しいったところにある池で鳥達を眺めて帰ってくるのが定番だ。暑くなり始めた太陽も適度に茂った木々が遮っており、山道は心地よい天候だ。
まだ安定期に入ったばかりなのだからと、やたら手を貸したがる木賊の腕に自分の腕もしっかり絡めて歩くうち、ろくに会話もしなまま行きの半分ほどの道を来てしまった。
「話すことがなくても、一緒に居ると落ち着くものなのですね、木賊。思った以上に、私は安心してきたのですけれど、木賊はどうかしら」
「絢音が居ればそれで良い。お前や千歳が無事ならばそれが全てだ。こうして共に散歩など、贅沢がすぎるほどだな。まして今は檜皮と朽葉も居る」
木賊ははじめて絢音が出会った時からは考えられないほどに穏やかな顔で微笑んだ。花がほころぶようなとはまた違うが、言うならばまだ誰も足あとを残していない雪原のようだと絢音は思った。静かで起伏がなく穏やかな笑顔は、強く凛々しくと言われ育てられた絢音自身とは正反対のようにも思える。
千歳が生まれ、檜皮や朽葉を成り行きとはいえ引き取るような形となり、そしてお腹には新しく子供も授かった。出会ってからあまりにも忙しなく過ごしてきたが、それは木賊にとって多少なり良い影響があったようだ。
絢音は少しだけ自分に自身が持てたような気がした。改めて周囲を見回せば、新緑は瑞々しく生い茂り、綺麗な緑色のグラデーションを見せている。比較的街中に家があった絢音にはこの景色はあまり馴染みがないものだが、どこか懐かしく波立っていた心が少しずつ穏やかになっていくものだ。
「木賊には、白が似合うわね。雪や兎みたいな白い色が」
「ほう?ならば絢音にはすみれ色だな。」
「まぁ、木賊も千歳も名前は緑なのだけれどね。…ねぇ木賊、この色はなんというのかしら。夏に向かって葉っぱの色がどんどん濃く強くなっているわ。素敵な色」
「日本の色は本当に呼び名が細かいからな。」
「このくらいの色だと、なんて呼ぶのかしら」
木賊は少し考えるような素振りを見せると木々を見上げ、眩しそうに目を細めながら続けた、。
「俺も詳しいわけではないが、常磐緑といったところか」
「本当に木賊は博識ね。まさかちゃんと答えてくれるとは思わなかったわ」
二人はそのままどちらからともなく歩き出し、木々が少し開けた場所でひなたぼっこをし、ぽかぽかと眠気がやってくるまでそこに座っていた。何をするでもなく、飛んできた鳥を眺めたり、流れる雲を見つめるだけの時間は心地が良い。
檜皮と朽葉のことも気になるが、あちらもあちらで二人で考える時間が必要だろう。そう思ってしまうのは放任主義だろうか。母親が亡くなった直後の二人にとんでもない難問を叩きつけている自覚はあるが、木賊とともに日差しを浴びているうちに、彼らの決断とそこから得られる結果をサポートしてみようという気持ちになった。
◇ ◇ ◇
檜皮は悩んでいた。
自分たちの母親と絢音が遠縁の親戚であるからという以上に仲が良かったのは側で見て知っていたし、自分たちも絢音のことは第二の母かもしくは姉のように思っている。年齢は10違う程度だが、絢音は頼れるお姉さんであり身の回りの面倒を見てくれる母親だ。そして千歳は自分たちにとって大切な弟であり、来年の年明けに産まれるだろう絢音の次男も自分たちにとっては弟だ。
そのくらい、風間家での暮らしは檜皮にとって馴染みの深いものであり、錦という帰る場所が無くなった今となっては唯一無二の拠り所だ。長である木賊が面倒を見ているということと、里の女性たちから信頼を勝ち得た絢音が言うからと、余所者として扱われることも格段に減った。だからこその養子の申し出なのだろう。
「悩んでる?」
眠ってしまった千歳を撫でながら、朽葉が問うてきた。そっくりそのまま自分と同じ見た目だったはずの弟は、檜皮がどう選択しようとも今と変わらぬ生活を手に入れられるはずだ。風間家の養子になろうとなるまいと、絢音たちは今まで通りに接してくれるだろう。
ところがどうだ。檜皮は風間家に残って養子でもないのに面倒を見てもらうか、長の右腕となるべく桑染の家へと行くのか。どちらを選ぶかで自分が迎えるであろう未来は大きく変わってしまう。弟を羨ましく思う気持ちもあるが、怪我のことも向いている任務のこともある。しょうがないと割りきれてしまうのは、風魔の一員として成人の儀を受けたからだろうか。
「悩まないわけがない。」
「そうだよね。ごめんね、僕ばかり。楽なのはいつも僕のほうで、辛いことはいつも檜皮にいってしまう。怪我をする前から、ずっとこうだ。」
「朽葉のせいじゃない!ただ、僕が決めかねているだけだから。多分、桑染の家に養子へ行ったら、今の名前は捨てることになる。檜皮っていう大事な名前なのに、これは正式なものじゃないから、養子になる時点で新しく名前を着けてもらうことになると思うんだ」
「それが、悩む理由?だったら、心配することないよ。絢音様は必要な時に名乗れば良いって言ってくれた。例え桑染なんとやらって名前ができたとしても、檜皮は檜皮だよ。」
朽葉の言いたいことは、檜皮にもよく分かっていた。絢音があえて正式な手続きを踏まずに名前をくれた理由があるだろうことも、朽葉が檜皮にとって何を選ぶべきか助言したいと思ってくれていることも。姿だけは鏡写しなのに、どうしてこうも中身が違うのだろうと思うほどにしっかり者の朽葉は、檜皮のためにと色々なことを考えてくれているだろう。
檜皮自身も、長としての木賊を立てるためには桑染の養子へ行ったほうが良いのだろうと分かっている。そして養子に行ったとしても、変わらず優しく接してくれるだろうことも。絢音だって同じだ。どこの家の子供であっても手が空いているから面倒を見る、彼女はそういう人なのだ。
「絢音様も長も、多分僕が出世することよりも、正しいことができる人間になることを望んでくれると思う。だからこそ、桑染に養子に行ったほうが良いと思うんだ」
「長がわざわざ選択肢を作ってくれた意味は、分かってるんだよね?」
「多分、僕らを納得させるため。自分の意思で前に進むためだと思う」
言うと、朽葉はにっこりと微笑んでみせた。
「そう思えるなら大丈夫。思ったこと、考えたこと、長と絢音様へ相談してみようよ」
本当に、母親や絢音に似て笑顔をよく浮かべる弟だ。檜皮はなんとなく誇らしくなって、同じように口角を持ち上げてみた。里の人間に比べたら檜皮も笑う方だと自負しているが、弟や絢音には敵わない。できるなら、二人のように心からの笑顔を浮かべられるようになりたいし、将来は長になるであろう可愛い弟、千歳のためにも良き右腕になるために精進しようと思うのだった。
終。
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2015/03/31 今昔
やり方が違うとはいえ、それぞれが上手く一族を守ってきているという伝統とそれに対する誇りがあり、絢音は「一色と周囲の家と、大してやってることは変わらないのね」程度に思っていた。
しょっちゅう家に遊びに来ている錦の双子たちは家事も子供の世話も覚えてしまい、少しくらいならば絢音も目を離しても大丈夫だというほどになっていた。里の人間はあまり互いの子供に手を出したりしないそうだが、錦の母親は外の文化のほうが自然なのだと言って、双子を手伝いにつかってくださいとまで言ってくれていた。絢音も二人のことは弟のように思っていたし、なにより双子が千歳を弟のように思っていたので頼るようにしていた。
木賊も、忍びとしても優秀な二人と仲を持つことは大事だと思っているうえに、純粋に双子のことを自分の家族のようだとも言っていた。
千歳が2歳にろうかという初夏のことだった、絢音が二人目を授かったのと同時に風魔一族へと大きな任務の依頼があった。
「宍戸の護衛?」
絢音は聞き慣れた苗字に顔をしかめて、どんな任務の依頼なのだろうかと珍しく身を乗り出して聞く姿勢になった。
木賊が持って返ってきて気まずそうに言ったのは、「宍戸家の護衛を頼まれた、それも一ヶ月」というものだった。宍戸といえば有名な色街を取り仕切る家で、風魔が護衛する嘉萩家とも多少なり交流がある家だ。嘉萩家の事業が広すぎるせいで、なぜか色街までも運営しているのだが、その色街で一番大きな家から嘉萩家を通してきた依頼なのだそうだ。断りづらい、というよりも嘉萩家の依頼である以上断れないらしい。
もちろん、絢音だって一色家が七色家になにか頼み事をしたら断れない、というように家どうしの繋がりとは恐ろしいものだと把握はしている。ただ、護衛対象が色街に居るとなると話は少しややこしい。
「宍家の護衛っていうことは、色街に入ることになるのかしら?」
「絢音、これは笑顔が怖いというものではないかと思うのだが…」
「気のせいよ、わたくし、怒ってなどいませんもの。ただ、木賊が色街に入るのかと聞きたいだけですわ。構いませんのよ、子供を授かった以上わたくしがお相手出来なくなるのは覆しようのない事実ですものね。」
「ご、誤解だ!確かに色街への潜入はあるが、俺は基本的に宍家の店主付きの男衆として紛れる。何より宍家は男娼妓楼だ。」
「見境がなくなって男性にまで手をだすだなんて」
「信じてくれ…頼む、他の人間に手を出すつもりは毛頭ないんだ……」
「という冗談はさておき」
絢音はひと通り人間らしい反応を返せるようになった木賊を楽しむと、まだ見た目ではまったく分からないお腹をさすって言った。
「その任務の間、どうしようかしら。体調悪くなってもお義父さんは流石に頼れないし…」
「ならば、檜皮と朽葉に頼んだらどうだ。錦の母親も今回の任務に入る、彼らだけでは寂しかろう。」
からかったことは特に気に留めていないのか、木賊はそれだけ言うと錦の家に話をつけてくるといって退室してしまった。
【 仮想大江戸 お伽話 親世代編04「清廉なる一族」 】
数日後、木賊が任務に行くのと入れ違いに朽葉と檜皮が風間家へとやってきた。木賊と錦家との間では「心配だからしばらくは泊まりこむ」ということになっていたようで、少なめではあるが着替えやら何やらの荷物を持ってきていた。絢音が周囲の家の女性たちに「家事を手伝ってもらうのだ」と言うと、「長の子供を産むのだからそれぐらいの待遇は普通だ」と言われた。絢音としては、男を家にあげるなんてと言われかねないと思っていたが、二人に名前を贈ったことが周囲に少しずつ広まったこともあってか、思ったよりも風当たりは弱かった。
朽葉は主に千歳の子守を、檜皮は絢音の家事を手伝ってくれることになった。千歳は比較的穏やかな朽葉に懐いており、檜皮は朽葉に比べれば任務も多かったため絢音についてくれたのだ。二人とも千歳の黒髪が羨ましいと言ってみたり、青い瞳が可愛いと言ってみたり、相変わらず弟以上にかわいがってくれている。
「絢音様、今日は少し…嫌な感じがしませんか?」
木賊たちが宍の護衛についてから三週間が経とうとしていた時だった。
朝から調子が良くないような気がするという双子たちは、昼前に昼食の支度をしている時にもそれを口にした。他人に心配をかけたがらない檜皮がそう言うのはとても気になったが、額に手を当ててみても熱があるような感じではない。
「具体的に、何がどう嫌なのか説明出来そうかしら?」
「それが…嫌な予感がする、としか説明のしようがないのです。千歳も元気だし、僕や朽葉の体調も良好です。なのに…筆舌に尽くしがたい違和感を感じるのです。」
「私にも、姉妹が居るのよ。確かに、二人揃って何か良くないと思った時には、ほんとうに良くないことが起きたわ。今日は何があっても良いように、できるだけこの家から離れないようにしておいてちょうだいね」
「わかりました」
双子とは時折不思議な繋がりを見せる。絢音はお呪いの類が盛んに行われているこの里でなら、なおのこと二人が何か感じ取っているのかもしれないと思ったのだ。現に、里付近に外敵が現れれば森で飼っているトンビやカラスたちが自主的に危険を知らせに里へ来るし、そういう日には朝から里中がピリピリしている。
外敵から里を隠すようなお呪いもしているらしいが、二人がソワソワするということはなにかが起きるのかもしれない。残念ながら絢音はこの里で育っていないためか、そういったことを察する能力はないようなのだ。二人の感じている違和感を信じて、今日は外出しないようにしよう。
そう思っていると、次の日も更に次の日にも、双子は違和感が強くなっていると言った。あげく、千歳もなかなか泣き止まなくなってしまい、先代である木賊の父も体調が万全ではないからと寝室にこもりっきりになってしまった。
「先代様がいらっしゃらないと、食卓がさみしいですね」
「朽葉、仕方がないだろう。先代様の体調が第一だ。なにより、この嫌な感じは里の入り口の方から来ている。長が留守の間は桑染の家が守ってくれているけれど、何かあれば僕や絢音様も何か仕事が降ってくるかもしれない」
双子は絢音の作っただし巻き卵とアジの開きを口に運びながら、いつもより淡々とそういった。絢音も食事をしているのだが、なにやら緊張してしまい味がよく分からない。
「朽葉は任務が来ても断って、千歳と先代様を頼む」
「分かってるよ檜皮。錦の家は母上が任務である以上空っぽだ。ここを守るのが僕らの役目。長が信頼して置いてくださってるんだから、行動で示さなくては」
二人のやりとりをボンヤリと聞きながら、絢音は千歳へ目を落とした。この子にも何か危険を察知するような能力は身につくのだろうか。もし木賊と風魔の誰かとの子供なら身につくはずだった何かが、絢音の血のせいで薄まっていたりしないだろうか。
今まで周囲に言われもしなかったことが、頭の中に浮かんでは消えていく。もちろん、絢音に聞こえないところで多少なり悪口は言われていただろう。それはまぁ良い。本人を目の前にしてい言う度胸もないような人たちが言っていることだ、気にするだけ損だと思っている。
「絢音様?」
「大丈夫ですよ、すみません、食事時にする話ではありませんでした」
双子たちに言われて、絢音は自分の箸が随分と止まっていたことに気づいた。時計の針を見やればかれこれ十五分は固まってしまっていたようで、絢音は二人に大丈夫だから気にするなというと、残っていた食事に手を伸ばした。
その日の夜、予定よりも早くキリが着いたという木賊たちが里へ帰ってきたが、そこに錦の母親の姿はなかった。
錦の双子を女手ひとつで育てていた母親は、任務の最中に亡くなったのだという。
錦家の葬儀は慎ましく行われ、参列者は檜皮と朽葉、それに木賊と桑染家の当主だけだった。他にも数人の女性が参列したいと言ったそうだが、周囲の目があるから辞めておけと木賊によって参列は拒否された。もちろん、その後墓参りに来てくれたら嬉しいとの言葉も添えてだ。
絢音は錦が何故亡くなったのか、詳細を聞くことは出来なかった。朽葉の腕の時と同じで、胎教に悪いと思われているらしい。しかし里の仲ではかなり仲良くしていた女性が亡くなったのにその理由を聞けぬとは、逆にストレスであるようにも思えた。ただ、木賊は朽葉と檜皮に詳細を話して聞かせると、言うべきだと思ったら絢音にも伝えるように言い添えたそうだ。
「絢音様、おはようございます」
「おはよう、檜皮。」
結局、帰る家はあっても待つ人が居なくなった二人は、そのまま絢音の世話をしてくれるということで風間家に住み込んでいる。元より広すぎるほどの家であるし、何より賑やかで良いと先代が言っているため、木賊も賛成しているようだ。
その日も檜皮と絢音が作った朝食を全員が食べ終わると、木賊は席をたつことなくその場に居た絢音と双子を見渡して言った。
「提案がある」
重々しい雰囲気から、何か重大なことを言われる覚悟はしたが、木賊の口から出たのは思いもよらない言葉だった。
「朽葉を我が家の養子に、檜皮を桑染の養子に迎えたいという話が出ている。」
「僕が、あの桑染家へ……養子に、ですか?」
桑染家といえば、里の出入口にあたる部分に家を持ち、女性も身体能力に長けた武闘派の一族だと絢音も聞いたことがあった。代々の長である風間家の次に古く大きな家であり、長の右腕という立場も務める家柄だと。
「桑染は今のところ娘しかいない。檜皮を養子に迎えて跡取りに、ゆくゆくは娘の誰かと子供を、ということなのだろう。檜皮、お前の人生だ。好きに決めたら良い」
「しかし…僕は未熟者で、とても桑染の方々に見合うような者では………」
「ならば返答を保留にするという選択肢もある。長である俺預りの者を養子にと望んでいるんだ。多少の無理は効く。お前がどうしたいか決められるまで保留にするのもありだぞ」
木賊は隣に居た檜皮の頭にぽんと手を載せて撫でた。絢音は二人が自分の子供になるということに違和感はないしむしろ喜ばしいと思えるが、檜皮が桑染の養子に行くことにはすこしばかり懸念があった。
桑染家も、恐らくはより実践任務の経験があり成績も優秀、かつ五体満足な檜皮を養子にほしいと思ったのだろう。しかしこれを檜皮が了承してしまった場合、暗に要らないと言われた朽葉はどう思うだろうか。絢音も樹音と比べられ続けることで生きてきて、それがどういうことか知っている。気が強い絢音よりも穏やかな樹音と見合いを、という大人たちの会話も聞いたことがある。
逆にそれを解消しようと、絢音が朽葉を取るような発言をしてしまえば、檜皮が他所へ追いやられているような気持ちになりかねない。
どちらに何を発言するわけにもいかず、絢音は務めて明るく、さてと!と言って立ち上がった。
「檜皮も朽葉も好きなだけ考えたら良いわ。若い内に思い悩むことは無駄にはならないのよ。木賊も結論は急がないと言っているのだし、時間をかけて解決しましょう。それよりも今解決すべきことは、お茶碗が乾いて洗うのが大変になるということよ!」
言うと、乾いたご飯を茶碗から落とす苦労を知っているからか、檜皮が慌てて返事をして茶碗を寄せ始めた。朽葉も手間になることは駄目だと片付けを手伝いはじめ、絢音と木賊の分も二人で片付けに行ってくれた。
木賊は双子が完全にいなくなるのを見ると、絢音に視線を戻した。余計なことを言ったような気はしたので、食後のお茶を入れて木賊の前に湯のみをおくことでごまかした。
「絢音は、選択したことは後悔していないのか?」
「……何のことを仰りたいのか分かりかねますわ、木賊。」
「しかし…」
「後悔していたら、私は木賊との子供を欲しがったりしませんわよ」
絢音は色々と考えてしまうと暗い気持ちになるだろうと、檜皮たちと一緒に食事の後片付けを済ませると、木賊を散歩に誘った。こちらへ来てから日課になっていた散歩も、千歳を授かってからはあまりできていなかった。久々に一緒に歩きたいと言うと、檜皮と朽葉が気を利かせて先回りし、千歳の子守を買って出てくれた。
二人は久々に外へと並んで出た。私服で並んで居る分には、どこにでも居る普通の夫婦と変わらないと絢音は思っている。蓋を開ければ血筋だのなんだのと様々な話題が飛び出してくるが、二人だけで歩いている時にそんな話題はしたくなかった。
里の奥にある風間家の屋敷から裏手に入ると、獣道を人間が踏み均してできた小さな道がある。そこを山裾にそって歩いて行くのが二人の散歩道で、少しいったところにある池で鳥達を眺めて帰ってくるのが定番だ。暑くなり始めた太陽も適度に茂った木々が遮っており、山道は心地よい天候だ。
まだ安定期に入ったばかりなのだからと、やたら手を貸したがる木賊の腕に自分の腕もしっかり絡めて歩くうち、ろくに会話もしなまま行きの半分ほどの道を来てしまった。
「話すことがなくても、一緒に居ると落ち着くものなのですね、木賊。思った以上に、私は安心してきたのですけれど、木賊はどうかしら」
「絢音が居ればそれで良い。お前や千歳が無事ならばそれが全てだ。こうして共に散歩など、贅沢がすぎるほどだな。まして今は檜皮と朽葉も居る」
木賊ははじめて絢音が出会った時からは考えられないほどに穏やかな顔で微笑んだ。花がほころぶようなとはまた違うが、言うならばまだ誰も足あとを残していない雪原のようだと絢音は思った。静かで起伏がなく穏やかな笑顔は、強く凛々しくと言われ育てられた絢音自身とは正反対のようにも思える。
千歳が生まれ、檜皮や朽葉を成り行きとはいえ引き取るような形となり、そしてお腹には新しく子供も授かった。出会ってからあまりにも忙しなく過ごしてきたが、それは木賊にとって多少なり良い影響があったようだ。
絢音は少しだけ自分に自身が持てたような気がした。改めて周囲を見回せば、新緑は瑞々しく生い茂り、綺麗な緑色のグラデーションを見せている。比較的街中に家があった絢音にはこの景色はあまり馴染みがないものだが、どこか懐かしく波立っていた心が少しずつ穏やかになっていくものだ。
「木賊には、白が似合うわね。雪や兎みたいな白い色が」
「ほう?ならば絢音にはすみれ色だな。」
「まぁ、木賊も千歳も名前は緑なのだけれどね。…ねぇ木賊、この色はなんというのかしら。夏に向かって葉っぱの色がどんどん濃く強くなっているわ。素敵な色」
「日本の色は本当に呼び名が細かいからな。」
「このくらいの色だと、なんて呼ぶのかしら」
木賊は少し考えるような素振りを見せると木々を見上げ、眩しそうに目を細めながら続けた、。
「俺も詳しいわけではないが、常磐緑といったところか」
「本当に木賊は博識ね。まさかちゃんと答えてくれるとは思わなかったわ」
二人はそのままどちらからともなく歩き出し、木々が少し開けた場所でひなたぼっこをし、ぽかぽかと眠気がやってくるまでそこに座っていた。何をするでもなく、飛んできた鳥を眺めたり、流れる雲を見つめるだけの時間は心地が良い。
檜皮と朽葉のことも気になるが、あちらもあちらで二人で考える時間が必要だろう。そう思ってしまうのは放任主義だろうか。母親が亡くなった直後の二人にとんでもない難問を叩きつけている自覚はあるが、木賊とともに日差しを浴びているうちに、彼らの決断とそこから得られる結果をサポートしてみようという気持ちになった。
◇ ◇ ◇
檜皮は悩んでいた。
自分たちの母親と絢音が遠縁の親戚であるからという以上に仲が良かったのは側で見て知っていたし、自分たちも絢音のことは第二の母かもしくは姉のように思っている。年齢は10違う程度だが、絢音は頼れるお姉さんであり身の回りの面倒を見てくれる母親だ。そして千歳は自分たちにとって大切な弟であり、来年の年明けに産まれるだろう絢音の次男も自分たちにとっては弟だ。
そのくらい、風間家での暮らしは檜皮にとって馴染みの深いものであり、錦という帰る場所が無くなった今となっては唯一無二の拠り所だ。長である木賊が面倒を見ているということと、里の女性たちから信頼を勝ち得た絢音が言うからと、余所者として扱われることも格段に減った。だからこその養子の申し出なのだろう。
「悩んでる?」
眠ってしまった千歳を撫でながら、朽葉が問うてきた。そっくりそのまま自分と同じ見た目だったはずの弟は、檜皮がどう選択しようとも今と変わらぬ生活を手に入れられるはずだ。風間家の養子になろうとなるまいと、絢音たちは今まで通りに接してくれるだろう。
ところがどうだ。檜皮は風間家に残って養子でもないのに面倒を見てもらうか、長の右腕となるべく桑染の家へと行くのか。どちらを選ぶかで自分が迎えるであろう未来は大きく変わってしまう。弟を羨ましく思う気持ちもあるが、怪我のことも向いている任務のこともある。しょうがないと割りきれてしまうのは、風魔の一員として成人の儀を受けたからだろうか。
「悩まないわけがない。」
「そうだよね。ごめんね、僕ばかり。楽なのはいつも僕のほうで、辛いことはいつも檜皮にいってしまう。怪我をする前から、ずっとこうだ。」
「朽葉のせいじゃない!ただ、僕が決めかねているだけだから。多分、桑染の家に養子へ行ったら、今の名前は捨てることになる。檜皮っていう大事な名前なのに、これは正式なものじゃないから、養子になる時点で新しく名前を着けてもらうことになると思うんだ」
「それが、悩む理由?だったら、心配することないよ。絢音様は必要な時に名乗れば良いって言ってくれた。例え桑染なんとやらって名前ができたとしても、檜皮は檜皮だよ。」
朽葉の言いたいことは、檜皮にもよく分かっていた。絢音があえて正式な手続きを踏まずに名前をくれた理由があるだろうことも、朽葉が檜皮にとって何を選ぶべきか助言したいと思ってくれていることも。姿だけは鏡写しなのに、どうしてこうも中身が違うのだろうと思うほどにしっかり者の朽葉は、檜皮のためにと色々なことを考えてくれているだろう。
檜皮自身も、長としての木賊を立てるためには桑染の養子へ行ったほうが良いのだろうと分かっている。そして養子に行ったとしても、変わらず優しく接してくれるだろうことも。絢音だって同じだ。どこの家の子供であっても手が空いているから面倒を見る、彼女はそういう人なのだ。
「絢音様も長も、多分僕が出世することよりも、正しいことができる人間になることを望んでくれると思う。だからこそ、桑染に養子に行ったほうが良いと思うんだ」
「長がわざわざ選択肢を作ってくれた意味は、分かってるんだよね?」
「多分、僕らを納得させるため。自分の意思で前に進むためだと思う」
言うと、朽葉はにっこりと微笑んでみせた。
「そう思えるなら大丈夫。思ったこと、考えたこと、長と絢音様へ相談してみようよ」
本当に、母親や絢音に似て笑顔をよく浮かべる弟だ。檜皮はなんとなく誇らしくなって、同じように口角を持ち上げてみた。里の人間に比べたら檜皮も笑う方だと自負しているが、弟や絢音には敵わない。できるなら、二人のように心からの笑顔を浮かべられるようになりたいし、将来は長になるであろう可愛い弟、千歳のためにも良き右腕になるために精進しようと思うのだった。
終。
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