2015年2月9日月曜日

【仮想百鬼夜行】犬神奇譚 第05話

剣は少女の後ろを着いて歩きながら、彼女が向かう先について考えていた。ついてくれば良いと言われて歩いているものの、どこに行くのか何をしに行くのかは教えてくれないのだ。
仕方なしに道の左右をキョロキョロと見ていれば、どうやらここは、撮影所でもなんでもなく、普通の街であるらしい。ただ、和服の人と洋服の人が半々くらいで、目の前をあるく少女は洋服だ。ただし、剣が住んでいた時代のような格好ではなく、やはりどこか古めかしい。

少女はとある家の前で止まると、入ってと言って門をくぐっていった。表札には「狗谷」という文字が掘られている。


「おいおいおい…狗谷なのかよ……」


剣は置いて行かれないように一緒に玄関の中へ入ると、雷神の掛け軸がかかった玄関に圧倒されながらも部屋の中へと入っていった。ところどころに置かれているツボや瓶は、時折カタカタと揺れている。中には御札が貼られているものもあり、「いかにも」といった雰囲気に剣は心臓の音が大きくなったように感じた。
少女は屋敷の奥のほうへと行くと、障子戸をあけて一室に入った。続いて剣も入っていくと、中には6畳ほどの広さと更に億にウォークインになっている本棚がある。本棚には英語やら日本語やら剣には内容が想像も出来ない背表紙が並んでいた。


「おい、狗谷。」

「何?」

「お前、おれが見えるのはお前だけって言ったよな?あれ、何でだ?」


狗谷は本棚の前で振り返ると、小さく「おいで」とつぶやいた。それに答えるように彼女の周囲にふんわりと風が巻き起こり、そして空気の中から溶け出してくるように7匹の狼が現れた。
もはや驚くことも出来ずに彼らを見ていると、どうやら瞳の色だけがそれぞれ異なるようだということに気づいた。


「お嬢、コイツなにもんだ?人間でもねぇ、妖かしでもねぇ、まして神でもねぇ」

「黒、お前頭悪いな。コイツはきっとお嬢がオレたちの餌に持ってきてくれたんだ」

「黒も白も、お行儀が悪い。お嬢のお客様だったらどうするの?」


狼たちは口々に剣の存在を確認しあい、そして最後に赤い目をした狼が口を開いた。


「少し黙れお前たち。此奴はこの時間の人間じゃないのは見たら分かるだろ?」


重たい空気をまとった声に、剣にもその赤目の狼がリーダーなのだろうということが察せられた。他の狼たちよりも少しだけ大きい彼は、狗谷の隣にそっと寄り添って守るように座っている。


「人間だが、この世界の匂いがしない。人為的に生み出された人間か…はたまた時間遡行者か」

「やはり、木賊(とくさ)は分かるのね」


狗谷は赤い瞳の狼の頭を撫でると、しゃがみこんでその頬に唇を押し付けた。嬉しいのか尻尾を盛大に振り回す狼に、剣は彼らが犬なのか狼なのかよく分からなくなる。


「恐らくですが、あなた、犬神の能力で時間遡行…つまり、別の時代にやってきているのではなくて?」

「時間遡行?タイムスリップってことか?」


剣がそう問い返すと、狗谷は困ったように首を傾げた。タイムスリップという単語がよく分からなかったらしい。そこで剣は、そもそも本当にタイムスリップして過去に居るというのなら、確かに片仮名の言葉は通じにくいだろうということに思い当たった。


「私は狗谷絢音。狗谷家の人間で、今唯一彼ら…つまり、狼たちと触れ合うことの出来る者。あなたにかかっている犬神の呪いを浄化します。少し、じっとしていていただけますか?」






【 仮想百鬼夜行 犬神奇譚 05 】






彼女は走っていた。どこへ行くでもなく、ただただ走っているのだ。正確には、逃げているというべきだろう。どうしてか彼女のご主人様は暴力をふるうようになった。読んではならないと言われている、禁書を読むようになった。
そしてついには、彼女にも手をあげたのだ。怖くなった。もう死んでしまうのではないかと思った。その時、彼女を逃してくれた人が居た。出来るなら、その人にもう一度会いたい。
きっと叶わぬ願いを抱きながら、彼女はただひたすらに走った。





 ◇ ◇ ◇





ミヤが除霊を終えると、その両腕には可愛らしい犬が2匹抱かれていた。黒い豆柴のような犬種のその犬たちは、よもや犬神であるなどと信じたくないほどの愛らしさだ。もとより麗奈も同じイヌ科の狐である。犬神はある意味仲間であると言っても過言ではない。ただし常磐はノーカウントだ。


「狗谷ミヤ、あなた…その犬は?」

「剣さんに取り憑いていた犬神たちです。可愛いので私の式にならないかと誘ったら、あっさりオッケーしてくれました」


黒豆柴たちは尻尾をブンブンと振り回して、嬉しそうにミヤに擦り寄っている。その様子に、なんだか胸がぽかぽかとなるような気持ちになる。


「なにか、他の邪神に影響されていたようで、根はとても優しい子たちですよ」

「ふしゃー!」

「わん」

「っ!! どこが優しいんだい!」


海里と猫たちが一斉に威嚇すると、小さく黒豆柴が吠える。その吠え声1つですっかり猫又たちは萎縮したらしく、能力を使ったために現れていた麗奈の尻尾に隠れてしまった。くすぐったいので止めて欲しいのだが、肝心の海里までもが麗奈の背中に隠れてしまったので、麗奈はため息とともにミヤへ問いかけた。


「その犬神たちを、どうするのですか?祓い屋衆に所属する私としては、人間に害をなした以上、放置するわけにはいかないのですが…」


途端、黒豆柴の一匹がクーンと哀れな鳴き声をあげ、もう一匹は警戒するように唸り始めた。


「駄目です。朽葉(くちば)と檜皮(ひわだ)は渡せません。飼い主の責任だというのなら、何かしら私が罰則を受けましょう」

「おい待てミヤ、お前そいつらを連れて帰るのか…?」

「何か常磐に不都合が有りますか?大丈夫です、私がちゃんと世話をしますから」

「駄目だ!俺というものがありながら他の連中を家にあげるなど言語道断!」

「常磐は憑き物です、彼らは式です。何の問題もありません」

「ある!お前絶対そいつら自分の布団に入れて寝るだろ!そうしたら俺はどこで寝れば良いんだ!」


麗奈は、即座に名前が付いていることに突っ込むべきか、はたまた常磐の寝ている場所に突っ込むべきか、こめかみの辺りがズキズキと痛くなった。海里も呆れたのか猫たちを解散させ、自分も猫の姿へと戻っている。
猫に戻った海里を肩に乗せて、麗奈はまだ目を覚まさない剣を抱き上げた。体力を消耗しているせいで目を覚まさないのだろう。これは学校に行かせるのは諦めたほうが良い。ひとまず携帯で中学校に連絡を入れると、千草にも簡単に報告を入れた。心配して剣の顔を覗きこんでいる海里の頭を撫でてやると、麗奈は立ち上がった。


「では、私はこれで失礼します。あなたがた…えぇと、檜皮と朽葉…でしたか?彼らの処遇は追ってお伝えしますので。」


キャンキャンと吠える犬神たちと、大妖怪であるはずの常磐の口喧嘩を聞きながら、麗奈は梔子の家へと向かった。





 ◇ ◇ ◇





剣は絢音と名乗った少女に背中を捲って見せていた。ひんやりとした感触とともに、背中に何かが描かれていく。そういえば、あの戒愁珊瑚が白猫に同じことをしていたなと口にすれば、背中や体に文字を書くのは常套手段なのだと教えられた。
それから部屋の中にまた記号のようなものが書かれた紙切れを配置し、その中央に剣は立たされる。


「そういえば、絢音って何歳なんだ?見た目はおれと同じくらいだけど…」

「え?私は…そうねぇ、生い立ちが少し特殊だから。もう23歳になるわよ?」


背後に居る7匹の狼たちは口々に「女性に年齢を尋ねるなんて!」と言っているが、剣はそれにリアクションを返すことが出来なかった。


「は!?22!?」

「そうよ。私は生まれつき狼の物の怪が憑いてる。だから、人間と同じようには年を取らないの。」


絢音は小さくため息をつくと、憂いを帯びた仕草で髪の毛を耳にかけ直した。年頃の男子には少々刺激が強すぎる色気だと思ったが、剣は真剣に自分をセーブした。


「狗谷の家では、代々生まれつき憑き物を持って生まれてくる女がいる。その子は「絢音」と名付けられる風習でね。私もなるべくして狗谷絢音になったの。そして代々の絢音たちは、自分に付き従う式との間に子供を残してきた。」

「小さい頃から、物の怪が憑いてると…人間とは違うのか?」

「ええ。半分妖怪みたいなものだから。私と木賊の子供は、半人半妖の狼人間だわ」

「子供まで居るのか!」

「朽葉と檜皮(ひわだ)と言ってね、緑色の目をした可愛い息子たちよ」


剣はとても母親には見えない彼女をまじまじと見やった。そして唖然としているうちに、絢音は2回お辞儀をし、2回手を打ち鳴らし、そしてもう一度お辞儀をしてから「はじめるわよ」とつぶやいた。


『略法、急ぎ律令の如くせよ』

「あ、そうだ、助けてくれてありがとな!」


そう剣が叫んだ瞬間、手元に何やら勢い良く白いものが飛び込んできた。剣はそれを反射的に受け止めると、重力が無くなっていくような感覚を感じて目を閉じた。




「剣さん、大丈夫ですか?」


剣が目をあけると、そこには以前助けてくれた妖怪、麗奈が居た。どうやら絢音にかけられた術式はうまくいったらしい。そして落ち着いてよくよく見てみれば、今朝出たはずの自宅で、剣はリビングのソファに寝かされているらしかった。


「体調は大丈夫ですか?どこか、おかしなところは?」

「大丈夫です。海里は居ますか?」

「そこでお昼寝中ですよ。あれでも猫ですから、一日の大半は寝ていないと辛いようです」


見れば、テーブルのうえに出来た日向で丸くなっている海里が居た。剣はそれを見て安心すると、手のひらを閉じたり開いたりしてみる。


「実はおれ、なんか…江戸時代みたいなところに居ました。」

「江戸?」

「はい。戒愁珊瑚っていう男が、猫になんか術をかけようとしていて、それを狗谷絢音って女と一緒に止めたりしたんですけど…これってタイムスリップですか?」

「犬神にそんな能力があるとは思えませんが…憑き物によって弱っているあなたに何か手出しをした輩が居るのかもしれませんね。」


麗奈は眉を寄せて小さくうなると複雑な顔をした。
それから剣は麗奈が入れてくれたココアを飲み、買い込んできてくれた食事を摂って一日を安静に過ごすことになった。海里は久々に妖かしとしての能力を発揮したためなのか、疲れてずっと眠ってしまっている。麗奈に言わせればそれだけ剣を心配したらしい。
剣は犬神に憑かれたというよりも、ちょっとしたタイムスリップを体験した程度にしか思えず、少し腑に落ちない気もした。


「そんな顔をするものじゃありませんよ、剣さん」

「でも…本当に犬神が取り憑いていたんですか?おれ、確かに変なことになってましたけど、取り憑かれたって感じはしませんでした」

「実際がどうであれ、大した問題ではありません。海里にとって、身内である者が取り憑かれるというのは…少し、酷な話なのですよ」

「酷?」

「ええ。楽しい話ではありませんから、今日はぐっすり寝てください」


剣はソファに寝転がると、麗奈に頭を撫でられてあっさりと眠りについてしまった。自分で思っていたよりも、よほど疲れていたらしい。そういえば、タイムスリップした中でも走ったり気を使うことが多かった。



そんなことを考えて眠ったせいか、剣は不思議な夢を見た。
白い猫、ちょうどタイムスリップした先で「戒愁珊瑚」に何かされそうになっていた猫にそっくりな白猫が、街中を走っていた。そこはやはり江戸時代のような大河ドラマに出てきそうな町並みで、剣は白猫がどんな地名の場所を走っているのかは分からなかった。


<助けて…!>


白猫はとても怯えていた。まるで白猫の背中に乗っているような視線で見る夢は、白猫の気持ちもダイレクトに伝わってくる。
彼女は飼い主である戒愁珊瑚のことを恐れていた。あの狗谷絢音が邪魔をした儀式の時からずっと逃げているのだ。そしてあの時助けてくれた人間を頼りたくて、街中を探して走り回っている。

白猫の名前は莉李というらしい。戒愁珊瑚が呼んでいた通りの名前だ。白猫の莉李は、ひげをぴくりと動かして、何やら感じられた方向へと向きを変えた。そして視界に飛び込んできたのは、狗谷の表札がかかった邸宅である。そこへ莉李は躊躇いなく飛び込んでいき、開いていた窓から部屋の中へと飛び込んだ。
一瞬、何か人影に抱きとめられたのだが、すぐに4本の足は畳についてしまう。


「あらあら、可愛い猫ちゃんね。…戒愁家から逃げてきたのかしら」

<助けて!殺されちゃう!今、ここに誰か居ませんでしたか!>

「……ごめんなさいね、私じゃぁあなたの言いたいことが分からないのよ。木賊、あなたは?」

「生憎と猫の言いたいことは分からん。」


部屋の中にはまだ足元に筆とインクの入ったツボを置いたままにしている絢音が居て、狼たちは莉李を怯えさせないように小さく伏せの姿勢をとっている。


<どうしよう…困りました。早く、あの人のところへ逃げたいのに…>


莉李はしばし留まるかどうか悩んだ末に、トボトボと庭先へと降り立った。途端、狗谷家の塀を超えた道路から、「莉李ー、どこに居るんだーい?」という珊瑚の声が聞こえてきた。
足が震えてしまってうまく走れない。このままでは戒愁珊瑚がここへやってきてしまうかもしれない。高まっていく警戒心を止められずに居ると、ふいに莉李の体が持ち上がった。


「仕方ない、逃してやる」

「小豆、寄り道は駄目だよって黒と白が言ってる。ついでに木賊も」

「おう。行ってくる」


莉李はどうやら、狼のうちの一匹に咥えられているようだった。そして視界は一気に後ろへ流れだし、小豆と呼ばれた狼は勢い良く家々の屋根をつたって走っているようだった。遠くの方に雷門が見えた。どうやら浅草のあたりに居たらしい。
そしてその門も見えなくなると、狼はそっと道端に莉李を降ろし、「元気でやれよ」とだけ言うとサッと元来た方へと走り去ってしまう。莉李は途方に暮れながら、止まっていてもしょうがないと歩き出した。

すると、驚いたことにほんの数十歩も歩かぬうちに、莉李は何者かに抱き上げられた。


「兄ちゃん!にゃんこ居るで!にゃんこ!」


視界に映ったのは、淡い梔子色の着物を着た幼い少年と、


「なんだよ、今日はいやに捨て猫が多いなぁ…」


先ほど助けてくれた人間にそっくりな青年だった。
莉李が戒愁珊瑚の呪文に捕らわれた時、塀の隙間から覗いていた顔とそっくりな顔がそこにある。青年は黒っぽい毛並みの子猫を抱えていて、どうやらその猫のこともどこかで保護したらしかった。
莉李は抱き上げてくれた少年の肩に乗って、青年に顔をしっかり見せるべく背伸びをした。


「兄ちゃん、リボンに名前書いてあるで。この子莉李ちゃんや」

<さっきはありがとうございます!>

「お、お前莉李って言うのか、見た目も名前も可愛いな。海里とも仲良くしてやってくれ…っておい、こいつ尻尾が2本あるぞ…」


莉李は深緑色の着物を着た青年に抱き上げられ、そのぬくもりに安心しながら目を閉じた。今日はずっと走り回ってしまって疲れたようだ。同じように、夢を通して莉李の視界を共有していた剣の視界もブラックアウトした。

そして次の瞬間には、また莉李の視界が飛び込んでくる。夢と同じように、何の脈絡もなく場面が変わっていく。
次は、白いふわふわの布団に寝かされた莉李が視界に映った。傍らには、黒っぽい色をした猫が不安げな表情で莉李を見下ろしている。


<莉李、大丈夫かい?>

<うん。暖かいから幸せ>

「莉李、火鉢持ってきたぞ」


莉李を拾った青年が火鉢を持ってやってくると、莉李の2本の尻尾がゆらゆらと揺れた。
夢を通して見ている剣にも分かったのは、今が冬だということ。それから莉李がとても弱っていて、この冬を越せるかどうかが分からないことだ。


「梔子の医者には動物のことが分かる奴は居ないからなぁ…もうちょっとなんとかしてやれるといいんだけど…」

<そうよ!アンタ、もうちょっと頑張りなさいな!>

「なんだ、海里も心配なのか?そうだよな、幼馴染みたいなもんだもんな」

<健(けん)、あんたの知り合いに猫のことが分かる連中は居ないのかい?>

「悪いな…おれじゃ、どうにもならないんだよ。動物の医者様が知り合いに居れば良かったんだが…今のご時世じゃ飼い猫の面倒を見てくれる医者様なんて居ないからな……」


健と呼ばれた青年は、海里と莉李の頭をそっと撫でると「火鉢に入るなよ」と言い残して部屋を出て行ってしまった。
海里は莉李を温めるように寄り添うと、莉李と同じように目を閉じた。

翌朝になっても、莉李が目を開けることはなかった。

今までよりもボンヤリとした視界の中で、海里が泣きじゃくっているのが見えた。お墓を作ってやろうという山吹とその弟を引っ掻いて追い払い、そしてまた莉李の体に頭をこすりつける。
見ている剣までもが鼻の奥がツンと痛くなってきた。


<嫌だ!地面に埋めたら冷たいだろう!こんな冬に外に出すなんて可哀想!>

「海里、頼むから言うこと聞いてくれ。莉李のことも放っておいたら可哀想だろう?」

<外に出す方が可哀想!>


ふしゃーっと怒る海里がたてた尻尾は、綺麗に2本に分かれていた。

寒い冬の日、鳴いて暴れる海里とそれから健と弟の3人は、莉李の葬儀を慎ましく執り行った。お供えには家にあったミカンと、それから味噌汁のだし取りに使った煮干しが置かれた。
剣は健の弟と一緒になって泣いた。





 ◇ ◇ ◇






狗谷ミヤはたいていのことには動じない。なぜなら、小学校にあがった頃から身の回りで様々な摩訶不思議なことが起きているからだ。しかしながら、こればかりは驚かざるを得なかった。


「おいこら!ミヤの布団に入るんじゃない!」

「良いだろう!お嬢が良いと言ったんだ!」

「そうだそうだ!常磐ばっかり若造のくせにずるいぞ!」

「若造言うな!というか、お前らも対して変わらんだろうが!」


ミヤの布団にくるまろうとしている男性が二人と、それを必死に止めている常磐。ミヤはぽかーんと口を半開きにして、自室のふすまから手を離せずに居た。
見知らぬ男性はどちらも常磐に良く似た狼の神のようで、違うところといえば毛並みの色合いが少し黒っぽいくらいだろうか。どちらも瞳は少し色合いは違うものの緑色で、毛並みは常磐とまったく同じで薄い灰色だ。
片方がミヤに気づくと、パァっと顔を明るくしてこちらに駆け寄ってきた。


「お嬢!常磐が煩いんだ、コイツ俺たちより若いくせして楯突くなんて、酷いだろう?あんまりだろう?」

「貴様…、ミヤの布団に潜るだけでは飽きたらず抱きつくとはどういう了見だ!!」

「まぁまぁ常磐落ち着いて、檜皮(ひわだ)も悪気があるわけじゃないって」


抱きついてきていない方の男性が言ったセリフに、ミヤは目を見開いた。どうやら見知らぬと思った彼らはミヤが拾ってきた犬神たちであったらしい。抱きついてきている方は檜皮、少しだけ落ち着いているほうが朽葉ということだろう。


「二人とも、擬人化できるんですか…」


朽葉と名づけた方は、髪の毛は落ち着いたストレートで、若干垂れた耳が頭の上でピョコンと揺れた。檜皮の方は強いくせっ毛でぴょんぴょん跳ねた髪の毛から、鋭い目とまっすぐに伸びた耳が覗いている。


「当たり前だろう!こう見えても常磐よりちょっとばかし古い魂の持ち主だからな!」

「僕と檜皮は、常磐より数年前に生まれた同族なんだ。だけど、直後に陰陽師たちとの戦いで死んだ。その後、また狗谷の一族によって生まれ変わらせてもらった。だから、ちょっとだけ僕たちのほうが年上なんだよ」


朽葉も檜皮も性格に差こそあれど、常磐と似ているのは見た目だけではないらしい。持っている雰囲気や声までもが兄弟だと言われれば納得する程に似ている。それは恐らく朽葉が簡単に説明してくれた出自に関わる部分だろう。
ミヤは良い声で俺が一緒に寝るのだと叫ぶ檜皮の頭を押さえつけ、それに怒った常磐を蹴り飛ばし、常磐を煽っていた朽葉に肘鉄をすると、1つ叫んだ。


「3人とも、お座り!!!」


ミヤは肌蹴た寝間着を整えながら、目の前に正座した大の男3人に女性の部屋で何を騒ぐのかと小一時間お説教することになるのだった。











終。








2015/02/09 今昔

2015年2月6日金曜日

【仮想百鬼夜行】犬神奇譚 第04話


「また妖かしに絡まれたのかい!これだから梔子の人間はお人好しがすぎるっていうんだよ、まったく。」


剣は朝から正座で食卓の椅子に座り、その膝の上に海里を載せた状態で朝食であるシリアルを食べていた。


「いいかい?妖かしっていうのは人間の弱い心に取り入る連中なんだ。特に狗谷の人間が操る妖かしはその辺りの容赦がない。絶対に近づいちゃ駄目だからね!」

「はい、ごめんなさい…」

「あと、戒愁の家もだめだ!」

「え?珊瑚の家?」


海里の言い分に思わずリアクションを示すと、海里は全身の毛を逆立てて剣の頬にねこぱんちを食らわせた。


「まさか!!戒愁珊瑚なんて名前の奴と関係があるんじゃないだろうね!!それだけは絶対に許しません!」

「痛い…」






【 仮想百鬼夜行 犬神奇譚 04 】






剣はその日、何故かご機嫌斜めになってしまった海里による傷跡を両腕にこさえて登校することになった。空気があたるだけで、少しピリピリする。
珊瑚の名前でどうしてあそこまで怒り出してしまったのか分からないが、ともかく彼女を怒らせないように頑張らなくてはならない。梔子家の権力は下から順に剣、徹、父、母、そして海里なのだから。

登校用のカバンを背負い直すと、剣はいつもどおりの通学を再び歩き出した。最近妖かしに出会ってしまった道は避けつつ、遠回りにはならないようにルートを変更する。狗谷ミヤにはじめて助けられた場所と、先日河童と呼ばれていた妖かしに襲われた場所だ。
もちろんそこにまだ何かが居ると思っているわけではないが、最近読んだ小説では「犯人は必ず現場に戻ってくる」と探偵が言っていた。ということは、通らないに越したことはない。


「あれ?おはよう、剣!」


いつもと違う道を通っている最中、背後から扉が閉まる音と聞き慣れた珊瑚の声が聞こえた。慌てて振り返ってみると、木製で横開きの門を閉めながら珊瑚がこちらに声をかけていた。
その背後は、このあたりでも一番大きな邸宅で、慌てて表札に目をやると達筆な文字で「戒愁」と書かれていた。


「ここ、珊瑚の家だったのか…」

「そうだよ。あれ、苗字で気づいてるかと思ってたんだけど…」

「いや、でもこの家ってずっとここにあるだろ?お前が引っ越してくる前からさ」

「昔、僕が病気したって言ったでしょう?あの時に病院の近くにあるマンションに引っ越したんだ。で、こっちはずっと祖父母が住んでて、通院しなくなったから帰ってきたんだよ」


確かに、剣の通う中学校付近には病院が少ない。体育の授業で捻挫した時も、教員の車に載せられてわざわざ出向く必要があるような距離だ。引っ越した方が効率が良いというのも分かるが、よくよく考えてみると、住宅地も多いのになぜ病院が少ないのかと気になるところだ。
二人はならんで歩き出すと、他の生徒たちの波にのった。


「このあたり、病院少ないんだよな。大きいモールとかはあるのに」

「そういえば、聞いたことあるよ、このあたりに病院が無い理由」

「理由?」

「そう。なんでも、猫憑きの影響らしいんだ」


剣は背中が震えるのが分かった。他の人が聞けばただ趣味の悪いオカルト話程度で流せただろうが、剣の場合は今までに妖かしと関わりすぎている。本当か嘘かは分からずとも、ただ恐怖を感じた。


「なんでも、昔この土地で猫憑きの術をやった人が居るらしくてね」

「犬神みたいに、猫で呪いするのか?」

「違うよ、人間と猫をくっつけるんだ」

「猫人間?」

「そうそう、よく映画とかに出てくる半獣人みたいなものになろうとしたんだね。それで、失敗してこの土地に呪いがかかった。だから、病人がこの辺りに居ると治らないらしいんだ。子供も生まれにくい」


背筋が、先ほどよりも冷えたような気がする。話している内容も信じがたく恐ろしいものだが、何よりもそれを話す珊瑚が楽しそうなのだ。猫という言葉が出た時から楽しげで、まるで猫憑きの話は喜ばしいことのように喋っている。
猫が好きな人からすれば嬉しいことなのかもしれないが、珊瑚のそれは少し違うように見える。猫と暮らしているという話も聞かない。


「良いよね、猫。ふわふわで可愛くて、人間よりも土地につく。格好良い。本当、猫になりたいって思っちゃう人の気持ちがわかるよ」

「あ、あぁ。うん、そうだな」

「あ、剣、あれ見て!」


珊瑚は怪しげな空気をすっと消すと、通学路の前方を指さした。ダンボールが落ちている。その隙間から、薄茶色のもふもふっとした何かが飛び出していて、時折左右に揺れた。捨て犬らしい。
なんとなく、狗谷ミヤのお付である例の狗神(本人曰く狼だそうだが、剣には全くそう見えない)のことが思い出され、警戒しながら近づいてみた。

犬は比較的元気なようで、舌をだしてしっぽを振っている。


「なんだ、犬か…」

「犬も可愛いだろ?っていうか、捨て犬か…お前可哀想だな」


剣はがっかりした様子の珊瑚を尻目に、犬を抱き上げた。豆柴と何かの雑種に見えるが、別段くわしくもない剣には犬種の判断はつかなかった。ただ、ふわふわの尻尾がとても可愛らしい。
そんなことを思っているうち、視界はゆるやかにブラックアウトした。





 ◇ ◇ ◇





随分と清々しい朝だ。
麗奈はそんなことを思いながらいつものスーツに着替えるとベッドを整え、朝食にトーストとカフェオレを用意した。ブラックコーヒーならば格好がつくのだろうが、人間の飲んでいるブラックコーヒーというものは妖狐の口にはあわないらしい。断じて苦くて嫌いなわけではなく、種族的な問題である。断じて。

今日から主である千草は急遽入った表の仕事で出張中だ。式として仕えている以上は、本来であれば麗奈も付き従うべきなのだが、表の仕事という都合がある。社長秘書という立場に居るため、今日はオフィスで留守番だ。
確か午後には梔子議員との打ち合わせがある。それ以外はいつもどおりに書類仕事をこなすまで。人間と関わることが少ない秘書というポジションは、妖狐としての本分を欠いているような気もするが、麗奈には気楽に出来る天職に思えた。


「次のニュースです----」


ニュースを聞き流しながら、街一体、千草の自宅から分かる範囲で気配を探る。祓い屋として、この街の妖かしが暴走しないように見守り制御するという仕事がスムーズに進むのは、妖狐としての探知能力の高さ故だ。
ふと、麗奈は見慣れない気配を感じ、残っていたトーストを行儀を気にせず口に入れてカフェオレで押しこむと、上着を羽織って自宅を飛び出した。


「これは…犬、ですか」


動物の妖かし。どの土地にも多く居る妖かしではあるが、この周辺に住んでいる--いや東京付近に暮らす犬や狐、狼の類はほとんどが常磐の配下に居る。麗奈のように人間に仕えるか、はたまたそういった繋がりを嫌う者以外は全てと言えるだろう。
常磐が狗谷ミヤに付き従っている以上、人間に対してトラブルを起こすことはほとんど無いのだが、今感じられる気配はどうにもおかしい。

中野区付近を見渡すと、麗奈はにわかに信じがたい光景を目にした。


「梔子、剣…」


道端に倒れている梔子剣と、その周囲にこれでもかというほどの猫が集まってきていた。幸いにも付近を通りかかる人間はおらず、その光景の異様さは問題にはなっていない。


「海里!どこかに居るのですか?」


猫の群れに向かって呼びかけると、一斉にこちらを振り返った猫のうちの1匹が、ふわりとやわらかい風を起こして人間の姿へと転じた。
長い黒髪を低い位置で結び、上部の髪の毛は短めなのかところどころ跳ねている。薄紫のTシャツに黒いズボンは、最近人間の間で流行っている格好だろうか。


「麗奈、良いところに。剣が大変!あの駄犬に…」

「あの阿呆に何かされたのですか?」

「犬神に憑かれてる!今猫たちを集めて常磐を探させてるけど、見つからない…」


海里の言葉と、にゃーにゃーと盛大に泣き喚く猫たちの言葉とを合わせてみると、どうやら剣に犬神がとり憑いた。このあたりで犬神を使役できるのは祓い屋か常磐くらいである。あの駄犬を呼び出して懲らしめてやる。ということらしい。
ともかく全員が焦っていてはしょうがないと、麗奈は剣の状態を確認すべく彼に手をかざした。


『 六根清浄 』


両手に霊力をあつめ、スキャンをかけるように剣の全身にかざしていく。生物学的には体内に異常は見られないようだが、人間ではありえない量の霊力が溜まっている。もともとが霊を見れるだけで能力の無い肉体に、こんなにも他人の気が溜まってしまってはいつ意識をも乗っ取られるか分からない。何より、そうなった時に海里が負うダメージも気になる。
麗奈はよりによって千草の居ない日に起きたトラブルに、絶望しか感じ得なかった。


「麗奈、治るんでしょう?」

「私では無理です。若ならばどうにかなるのでしょうが…私はたしかに除霊も行えます。しかし本職ではありません…こうも深く結びついてしまった犬神を除去するのは無理です。」


あくまでも、出来る限り冷静に言うと、周囲に居た猫たちがぐりぐりと剣の体に頭をすりつけはじめた。彼ら彼女らも心配しているらしい。
海里はといえば、ズボンをぎゅっと握りしめて過呼吸でも起こすのではないかという浅い息をしている。


「海里、落ち着いてください。他の祓い屋を要請します」

「それで間に合うの?」

「分かりませんがやらなくては」

「間に合わなかったらどうするの!!」


甲高い悲鳴に、耳にキーンと響いた。麗奈が怯んでいる隙に、海里が大きく息を吸ったのが見えた。


『彼方より此方、此方より彼方。名のある神よ、生ける力から立ち去られよ!』


海里の呼びかけに、びくりと犬神の霊力が震えたのが手のひらに感じられた。しかしそれだけで、海里が言ったようにそれらが立ち去ることはなかった。
言霊と呼ばれる能力は使う者の思いの強さや思念の強さによって、はたまた場所との相性によっても発動する威力は異なる。今この状況で海里の能力が効かないとなれば、二人のどちらの能力も効かないことは明白だ。海里が地面にぱたんと座り込んだのが視界の隅に写った。





 ◇ ◇ ◇





剣は明るい場所に居た。
見慣れた街と似てはいるが、大河ドラマでも見ているような古めかしい町並みの中に、剣は何故かぽつんと立っている。瓦屋根の平屋ばかりが立ち並び、時折猫が通り過ぎ、そして和服の子どもたちが走り去っていく。
目の前にあった横開きで木製の門が開き、中から紺色の着流しを着こなした男性が出てきた。薄桃色が混じったような独特な色合いの髪色をしている。どこかで見たような髪色だなと思いよくよく見てみれば、珊瑚の髪色に似ているのだ。


「莉李(りい)、どこに居るんだい?」


目の前に居る剣を無視して、その男性はキョロキョロと周囲を見渡しはじめた。


「あれ?ごはんの時間だから帰ってきてると思ったんだけど……」


言い草からすると、ペットの話なのだろう。
まだ周囲を見ている男性の方へ、よたよたと野良犬らしき小さな犬が歩いてきた。だいぶ弱っているらしく、ふらふらと足取りは覚束ない。男性はその犬が足元へやってきて悲しげな鳴き声をあげると、足をすっと引いた。
剣がまさかと思った次の瞬間には、犬はやって来た方向へと蹴り飛ばされていた。地面にペタンと倒れこんだ犬は、震えているので生きているのは分かるが立ち上がる気配はない。


「おい、お前!!何しやがる!」

「……あれ、莉李おかえり。やっぱりアイツが居たから帰ってこれなかったんだね」


剣の怒鳴り声も聞こぬフリなのか、男性は自宅の塀を歩いてきた子猫に声をかけた。白い子猫は可愛らしいすみれ色のリボンを首に結んでいる。猫は男性を視界に入れると、ピタリと足を止めた。


「おかえり。さぁ、ごはんにしようか」


尻尾を下げて嫌がる様子を見せる猫を、男性は無理やり塀の上から抱き上げると、また木製の門の中へと入っていってしまった。あまりの横暴さに剣が唖然としていると、門の中から「照れ屋さんだなぁ」「大丈夫だよ、僕はどんな君も好きだから」といった男性の声が聞こえてくる。


「おいおい、まじかよ……」


剣が呆然と門を眺めていると、先ほど蹴られた犬がクーンと鳴いた。見やれば、見知らぬ少女が犬を抱き上げている。
少女が小さく口を動かした瞬間、犬は光り始め、みすぼらしかった毛並みが整っていく。


「おい、その犬…」

「……あなた、多分、私以外には見えてない。」

「は?」

「今の貴方は犬憑き。だから、私にしか見えてない。多分、この時間に居るべきじゃない人」


少女は犬を抱き直すと、踵を返して歩き出した。
剣は全く状況が飲み込めなかったが、彼女の言う「時間に居るべきでない」という話が気になり、すぐに追いかけることを決めた。






 ◇ ◇ ◇






狗谷ミヤはふと空を見上げた。登校中にめずらしく葵と柳に遭遇しなかったため、今日は一人で歩いている。ように周りには見えているだろう。実際には常に常磐が傍らに控えているため、ミヤは今まで「一人ぼっちで登校した」ということはない。それどころか、初めて常磐に会った日から、一人で居たことは無いのではないだろうか。
お風呂に入っているときなどは扉を数枚挟んだ場所に居るが、その程度でお互いに気配を探れなくなることはなく、一人でいるという感覚は分からない。

だからこそなのか、誰かの孤独に触れることはとても心が痛む。自分の経験したことのない未知の痛みを感じている誰かが居ると思うと、助けずにはいられない。


「常磐、どこかでワンコが鳴いてる」

「…犬神か。哀れだな」


珍しくミヤの意見を聞く前に足の向き先を変えて歩き出した常磐に、ミヤも学校へ行くことは諦めた。ミヤを主として認めている常磐が指示を仰がないということは、彼の意思がそれだけ強いということだろう。


「ワンコ、強くなってる」

「人間に取り憑いたか。愚か者め、俺の土地で人間に手を出すとは良い度胸だ。」


人間の肉体や精気を食らって成長しているであろう犬神を思ってか、走りだした常磐の顔は複雑だ。同じ妖かしとして人間を食らってしまえと思うだろうし、ミヤという人間に取り憑いている以上は人間の味方でもある。しかし自分が取り憑いているが故に、今どこか近くに現れた犬神に取り憑くなとも言えない。
ミヤは常磐に抱き上げられたままでその首にしっかり掴まり、ふわふわと風になびいている髪の毛に顔をうずめた。くすぐったいのか、耳がひょこりと動いた。


「ワンコ、大丈夫かな」


言葉を無視して家々の屋根づたいに走っていた常磐が、ぴたりと止まった。にゃーにゃーと盛大な猫の鳴き声と、よく知った霊力を感じる。そっと下を覗き見れば、大量の猫と麗奈、海里、それから地面に倒れこんでいる梔子剣が居る。
自分以外の人間が犬神に取り憑かれているのを見るのは初めてで、ミヤはどうして良いのか分からなかった。自分は幼い頃から常磐という狼神に取り憑かれているうえに、もともとの素質もあったのだろう、特に体調を崩したり不便をしたことはない。だが、剣のような一般人が取りつかれた場合にどうなるか分からないのだ。
恐らく、早く対処をして除霊しなければ、体力も精気も底をついて死んでしまうのだろうということは分かる。

常磐が少し離れた地面に降り立つと、一斉に猫がこちらを向いて毛を逆立てた。海里が呼び出した猫たちだろうか。


「少し、よろしいでしょうか?」


常磐の腕から降り立って言うと、猫又が一匹飛びかかってくる。右手で受け止めてそのまま流れで地面へおろしてやると、今度は足首に噛み付いてきた。流石に痛いと思うが、犬神に取り憑かれている人間が居る目の前で、別の狗神を連れた人間を疑うなという方が無理な話だ。
背後の常磐が毛を逆立てて猫又を警戒しているのが分かるが、ミヤは止めることもなく言い放った。


「除霊をさせてください」

「馬鹿を言うんじゃないよ!常磐が消えれば、使役されてるこっちの犬神だって消えるんだろう!」

「何を言っているんです?」

「剣を助ける気があるなら、その駄犬を始末しろって話!」


海里の決めつけた悲鳴にカチンとときたが、ミヤはいくらか冷静な様子の麗奈を見て「どうしますか」とだけ続けた。無視されたことに猫たちまでもが怒っているようだが、今は一刻を争う状態に見える。
剣の体はぐったりと力が抜けていて、肌の色もよくない。ミヤは躊躇うことなく剣に近寄ると、腹に、肺に、喉に、そして口に己の力を載せるべく深く呼吸を整え、その場の空気を除霊するために二回の礼、二拍手、そして一礼をしてから両手を前方で1つ打ち鳴らした。


『かつて、ここかしこに賢き女衆座せり。ある者は戒めの鎖をととのえ、ある者は敵の兵をおさえ、ある者は鎖をむしりとれり。「戒めを脱し、敵を逃れよ!」』






 ◇ ◇ ◇






少女の後をついていって気がついたのは、さきほど男性が出てきた場所が裏口だということだった。表側の門扉にはきちんと「戒愁」という表札がかかっている。そして少女は犬を抱き上げたままで、塀の板が少しずれているところから、家の中の様子を覗きこんだ。
犬は抱かれたまま静かにしているので、剣もそれを見習って静かに他の隙間を覗きこんでみた。


「見てて。多分、今から戒愁家のご当主がしでかすから」

「しでかす?」

「そう、あの戒愁珊瑚は猫狂い。多分、禁術に手をだす。って、うちのワンコたちが教えてくれた」


庭には、なにやら大きな紙が広げられていて、墨汁で書かれたらしいよく分からない記号がたくさん書いてある。以前、麗奈や千草が妖術を使った時に見えた御札にも似たような文字が書いてあったように思う。
それにしても、と、剣は首を傾げた。戒愁家には男性に珊瑚という名前をつける風習でもあるのだろうか。


「来た」


少女のつぶやきに視線をずらすと、先ほどの紺色の着流しの男性が白猫を抱っこしていた。やはり嫌がる様子を見せている白猫に、剣はふつふつと腸が煮えてくるのを感じた。
白猫を抱き上げたままで男性は草履を脱ぐと、庭に広がった紙の上に乗り、中央に白猫をおろした。もはや怯えて動けないという様子の白猫に、懐からとりだした筆で背中になにやら書き込んでいく。赤いインクらしく、白猫の背中にはこれまた見慣れない記号が描かれた。


「さぁ、はじめようか。」


当主だという男性が言うと、紙に描かれた記号たちがにわかに輝き出す。


『おいでませ、おいでませ。彼の者に宿りし力と念を、我もとへ、我に宿りし力と念を、彼の者へ。天霊霊地霊霊十二神将急急如律令』


呪文が終わると、たちまち記号たちは輝きを増して、怯える白猫へと光が集まっていく。剣が思わず拳で塀を殴ると、隣で少女がつぶやいた。


『戒めを脱し、敵を逃れよ』


途端、白猫は弾かれたように走りだし、剣たちが居るのとは逆方向へと走りだした。当主は怒り狂ったように白猫の名前を叫びながら走りだし、剣はあっけにとられて少女をみやった。
少女はさも当然だと言う風に髪の毛を耳にかけなおし、それから犬を抱き直した。よくよく犬を見てみれば、犬よりも牙が鋭く顔が長い。


「さて、帰ろうか。狼を連れて歩くなんて、不審者だって通報されかねない。ただでさえ死ねない一族って言われてるのに、これ以上何か言われるのは面倒」


マジカヨ。という剣の呟きは、街角に溶けて消えた。






 ◇ ◇ ◇






それは麗奈も聞いたことのある呪文だった。
北欧神話に登場する精霊たちの呪文。囚われの身になったものを逃がすための呪文は、口から飛び出した瞬間には光に姿を変えて剣を包み込むように広がっていく。
日本に生まれ、日本の神々の能力を借り受ける妖術師である狗谷ミヤが、北欧の術式を使うことに、麗奈は全身が凍りつくような錯覚を覚えた。普通ならばありえないのだ。北欧につたわる万物の精霊たちがミヤの指示に従い、剣に取り憑く犬神を引き離しにかかるなど。

言ってしまえば、熱心なイスラム教信者がクリスマスを盛大に祝わないのと同じで、その者の心持ち次第で使役できる神々や妖かしは異なる。ミヤは以前、日本神話の神であるカグツチノミコトの能力を駆使してみせた。本来であれば、生まれ持った性質に合わせたものを使役するのが精一杯だというのに、炎を守護する神と、それとは全く別の能力を駆使してみせた。
背後に立ち除霊の様子を見ている常磐は、特に驚いた様子もない。恐らく、これがミヤの持って生まれたセンスか、はたまた常磐が取り憑くことによって増大されたものだと予測される。


「恐ろしい子」

「その恐ろしい子供を生み出したのは、狗谷の古い習わしだ。代々犬神に魂を喰らわれながら、呪いを背負い続ける。そしてミヤは、その肉体までもを贄として差し出すことになった」


常磐の静かな発言に、麗奈は違和感を覚えて振り返った。


「狗谷の家は、代々大きな神を祀っていると聞きました。常磐のことではなかったのですか?」

「俺は知らん。百三十年前にお前と清白のガキに封じられてから、ミヤの祖父母に叩き起こされる8年前まで、俺はずっと眠りっぱなしだ。封じられていなかったとしても、あんな不味いジジイどもの魂なんぞ、食う気にもならん」

「では…狗谷の家は一体何を……」

「大方、前回の腐れ神のように人為的に生み出した…いや、神から化け物に貶した連中を祭りあげていたんだろう。そりゃ、祓い屋連中から嫌われるのも納得だ」


前回の腐れ神は、確かにとても力のある神であった。それこそ、あのテリトリーの内側では千草も逃げることが精一杯になるほどに。あんなものを量産していたとしたら、今後どこにどんな化け物が現れるか分からない。
麗奈は心の中でなるほどと頷いた。
確かに都内の立地は良いが、それでも千草の会社がわざわざ23区にオフィスを置く理由はないとばかり思っていた。狗谷一族が生み出したあの化け物の存在を、祓い屋衆のお偉方は知っていたのだろう。


「人間とは、本当に面倒な生き物だ」

「ええ。全くです、せめて同じ生き物なのですから助け合えば良いというのに。ましてあんな幼い子に何をさせようというのか。」

「狗谷の家が腐っているのは大昔からじゃないか」


不思議そうに除霊の様子を見つめながら、海里がつぶやいた。


「常磐。あんたが取り憑いているせいで、あの子は人間とはかけ離れた存在になってるね?」

「何が言いたい」

「あの子を普通の人間と同じように生きて死なせてやりたいと思うのなら、今すぐ魂を分離しろって言ってるのさ。」


取り憑く、つまり憑依している状態とは、憑依された側の精神や運命に変化をもたらすことだ。霊力の増大や能力の開花をもたらすことから、魂が直結していると考える者も多い。海里とその飼い主である梔子の家は、憑依をそう考えているのだろう。
逆に、麗奈のように式として呼び出されている場合には、お互いが納得する何かしらの対価があっての協力だ。憑依のように人間側に不都合もなければ、肉体を乗っ取られるというようなことも、妖術師の能力に見合った式であれば発生しえない。

今回のように、力の無いものが憑依されてしまえば、命さえも落としかねない。そんなことを、狗谷の家は小学校にもあがらない子供にやらせたというのだ。


「狗谷ミヤは、死ねない。」



麗奈は小さく下唇を噛みしめる常磐を見た。歴史上に何度も名を出す大妖怪が、たかだか一人の人間にこんなにも感情を揺さぶられているという事実に、どこか共感を覚えざるを得なかったのだ。


「あのこはもう、人間じゃないから」








終。











2015/02/06 今昔

2015年2月3日火曜日

【仮想百鬼夜行】犬神奇譚 第03話

中学生というのは、とても複雑なお年ごろである。


「はじめまして、戒愁珊瑚(かしゅう さんご)です。どうぞ、よろしくお願いいたします。」


例えば、転校生がやってきたとしよう。その転校生が外見で男女の区別がつかず、名前でも区別がつかず。そんな子であった場合に周囲の輪に溶け込める確率というのは、中学二年生ではとても低いと思われる。
案の定、剣が二年生になった春に転校してきたこの少年も、どこか教室か浮いてしまっていた。勿論それが良いことではないが、そこをどうにかする術を学ぶのが学校という場所だ。狗谷ミヤのように浮いていることを気にすることもなく、中学校へ進学してくるような人間も居るわけだが、そのような道はたどるべきでない。剣は強く感じることになった。

休み時間になれば、中性的な見た目と相まって女子からの熱い視線を受けている珊瑚に、剣は他の男子の静止も聞かずに声をかけた。


「なぁ、戒愁…であってるか?」

「うん、あってるよ。戒愁珊瑚。」

「おれは梔子剣。お前細いよな、ちゃんと食ってるのか?」


そう聞くと、珊瑚は驚いて目を見開き、それからにっこりと笑ってみせた。


「ありがとう、梔子。実は小さいころに病気して、それ以来あんまり運動ってしたことないんだ。」

「じゃ、昼休みになったらおれたちと一緒にサッカーやってみようぜ」

「ありがとう…!」




【 仮想百鬼夜行 犬神奇譚 03 】




それからあっという間に1年が過ぎ去り、剣は三年生へと進級した。
近頃は剣の尽力というよりもゴリ押しの成果が出たようで、他のクラスだった生徒たちにも珊瑚の存在は受け入れられつつある。それが嬉しくもあり、少しだけ複雑でもある。もっとも、剣も相変わらずクラスの中心グループに居るので不満はない。
不満だったり腑に落ちないことといえば、例の狗谷ミヤの存在であった。

今朝も珊瑚と並んで登校していると、背後からきゃんきゃんと楽しげな笑い声が聞こえてくる。


「でね!ミヤに言われた通りにしたら、玄関にナメクジ来なくなったよ!」

「そう、それは良かった」

「お母さんが、今度お菓子でも食べにお出でって言ってる!」

「ありがとう、それじゃぁ…二人の習い事が無い日に遊ぼう?私もお菓子作ってくから」

「「やったー!!」」


狗谷ミヤと、その囲いである。同学年の双子と仲良くなったらしい狗谷ミヤは、最近見る度にその双子と行動を共にしている。元より騒がしい双子と共に居るせいか、ミヤも少しだけ喋るようになったらしく、見ていてなんだかいらいらするのだ。
珊瑚はそんな剣の頭を拳で軽く小突くと、にっこりと笑ってみせた。


「後輩の女の子になんて顔してるの?」

「わ、悪い…でもなんていうか、あいつすっげー暗い奴だったのにあんな風になって。気に食わん」


その発言さえも珊瑚に笑い飛ばされながら、教室へ入っていく。黒板の右下に書かれた日直の欄に、自分と女子生徒の名前があるのを見つけ、剣は盛大にゲッと声をあげた。中学3年生ともなれば、日直などサボる生徒も多い。しかし、なんとなくではあるが与えられた仕事を無視するというのは納得が出来ない。
時計を見上げれば、朝のホームルームまでは15分ほど残っている。これは急いで向かうしかないなと思っていると、背後から勢い良く体当たりをくらった。


「剣、大丈夫…?」

「いてぇな、おい」

「ごめんごめんごー!剣っちのために日直の仕事しておいてあげたから、許してよー」


つんのめって振り返ると、日直の欄に同じように名前が書かれているクラスメイト、天宮カヨが当番日誌と出席簿を抱えて立っていた。着崩すわけでもなく校則通りに着ている制服は、とてもよく似合っていると剣も思う。
カヨはふと小首をかしげると、剣の右肩を軽く叩いてからにっこりと笑って見せた。


「ほら、早く席付かないと。1限目の支度しておかないと、今日は数学だから剣っちの列が当たるんじゃない?」


授業の度に日付通りの出席番号の生徒が居る列をあてる数学教師のことを指摘され、剣と、ついでに珊瑚はゲッと声をあげた。二人の座席は前後なので、剣が当たるとなれば当然ながら珊瑚も当たる。
剣は後で珊瑚の宿題を見せてもらおうと決心しながら、カヨにお礼を言うと、彼女のつけているお守りに目がいった。ミサンガのように手首に巻かれたそれには、見たこともない文字が刻まれた木製のビーズが1つついている。


「天宮、そのブレスレットかっけーな」

「あぁ、これ?いいでしょ。最近は不思議なことを起こす名人が居るからねー。こういうので身を守らないと」

「「不思議なことを起こす名人?」」


剣と珊瑚は綺麗にシンクロすると、二人そろって首をかしげた。


「あぁ、男子は知らないかもしれないね。今の二年生にさ、狗谷ミヤって女の子が居るの、知ってる?」

「知ってるよ。日本人形みたいな女の子だよね」

「そういう戒愁くんは西洋人形だけど…ってそうじゃなくて。その子が周りに居るとね、変なことがたくさん起きるんだってさ」

「例えば?」

「理科の実験で使ってたアルコールランプが、狗谷さんの居る班だけ爆発したりとか。調理実習で突然カレーの鍋が転がったりとか」


カヨの口から飛び出した内容に、剣も珊瑚も目をまるくした。筆箱が無くなるだとか、机が移動しているだとか。もうちょっと、小さい出来事を想像していたのだ。確かにそんなことが起きているというのなら、狗谷ミヤに近づきたくないという気持ちもよく分かる。
ただ、剣の頭によぎったのは妖かしのことだ。彼女も妖かしが見えて、妖かしたちと深く関わって生きている。もしかしたら、お供の妖かしが悪さをしているのかもしれない。全く関係ない妖かしが悪さをしているのかもしれない。

剣はそんなことを考えながら、もし狗谷と出会うことがあれば気をつけようと思った。彼女が指示しているにしても、そうでないにしても、彼女の周りが危険であるということに変わりはないのだから。





 ◇ ◇ ◇





ミヤが居る学年は、理科の実験でアルコールランプを使うことはなくなったし、ガスバーナーも使わないことになった。それはきっと、ミヤが居る場所でだけ起きる怪奇現象が影響している。そう教師たちが思ったからだ。
そんなことは考えなくたって分かるし、他人にいちいち言われなくても分かっている。


「お前のせいで授業できないんだけどー」

「学校来る意味あんの?気味悪い」


理科の授業中だというのに、コッソリというにはだいぶ大きい声で男子生徒が言っている。その男子生徒と同じ班に居た友人が、男子の背中をシャーペンでチクチクやっているのが見える。
学校でわざわざミヤに絡んでくるのは、同じクラスにいる風間葵と風間柳という双子の少女たちだけだった。彼女たちは妖かしの存在を信じているらしく、それらに詳しいミヤと仲良くなりたいと思ってくれたようだ。常磐も彼女たちのことは気に入っているようで、姿を見てもらうことは出来ないが時折周囲の妖かしを追い払ってやっているようだ。

そんなことを考えているうちに、クラスの中にざわめきが広がっていた。そのほとんどがミヤを非難する声で、理科の教師は困ったように笑って「静かにしてください」とだけ繰り返している。そんな教師の目線はミヤに向いていて、正直転校でもしてほしいと言いたげだ。


「人間とは厄介だな」


背後に居た常磐が小さく呟いた。気遣わしげにミヤの頭を撫でる手に、なんだか涙が出そうになる。


「常磐が封印される前の時代は、こういうのはなかったの?」

「あぁ。もう少し…肉体的だったな。昔のものも、このような陰湿なものも気に食わん。どちらにしても、標的がお前だと思うだけで腸が煮えくり返る」


台詞は裏腹に呆れたように言うと、常磐は教室の中をうろちょろしていた小さな妖かしを捕まえて、窓から外へと放り出した。弱くとも、ただの人間には害になることがある。人間は好きではないという彼がこうした行動をとるのは、ミヤがお願いしているからだ。
ミヤは先ほどから進んでいない黒板の内容に溜息をつくと、教科書を開いた。この授業でやるはずのプリントと同じ範囲を開いて、分からない単語の意味や授業で言われそうな場所をプリントにメモしていく。言われている側がリアクションを示さなければ、このざわめきもじきにおさまるだろう。
やはり人間は嫌いだな。そう心の中で呟きながら、ミヤはプリントの空欄を埋めることに専念した。

チャイムが鳴ると、すぐに生徒たちは教室を出て行った。
ミヤはのんびりとプリントや教科書を片付けると、教師も出て行ったのを確認してから、よしと1つ頷いた。いつも持ち歩くようにしているポシェットから御札を取り出すと、教室の中央に向かって投げる。
するとその紙切れは空中にペタリと張り付くように止まった。しばらく待っていると、その御札が触れた場所から少しずつ空気から溶け出してくるように一体の妖かしが現れる。土色の肌をした鬼のような姿が現れた。


「貴様、土地神か?」


常磐は特に禍々しい様子でもないその妖かしに問うた。ミヤに危害を加える気がない様子の鬼は、頷いて見せるとその場に座り込んで口を開いた。


「あなたは獣の神のようだ。土地につかぬ神に理解してもらおうとは思わぬ」

「待てジジイ。お前が人間に手を出す度に俺の主に被害がくる。やるなら他所でやってくれ」

「人間に仕えているのか。……私はこの土地に住まうもの。神などと呼ばれたことはない。ただ、我々が収めていた土地をほじくってこの学校とやらを建てた人間が居る。まこと遺憾。この娘ならば我々の声も聞こえるだろうと、どうにか気づいてもらおうとしておったのだ」


土の鬼はしみじみと言うと、常磐の顔色を伺いながら言葉を続けた。


「どうにかして、この建物をどかしては貰えまいか。柱が地脈を刺激し、良くないことばかりが起きる」

「もうちょっと頭使え。なんだって爆発させたり、鍋を転がす必要があった?返答次第では貴様も土地も枯らすぞ」


ミヤは常磐の剣幕に恐れおののく土鬼を見つめながら考えた。
この学校が出来たのはもう何十年も昔のことだ。それ以来ずっと地脈がおかしなことになっていたと彼は言いたいのだろう。しかしその何十年もの間、ミヤのように妖かしが見える子供は一人も現れなかったのだろうか。それとも祓い屋と同等の力を持つ子供や教師が居なかったということだろうか。
どちらにしても、地脈の乱れなんてこの東京ではいくらでも起きている。人によっては電車が封印の鍵となる場所を分断しているのが悪いだの、ビルが建っている場所が悪いだのとも言う。
その割に日本が崩壊するような大災害が起こらないのは、人間たちが地脈やら妖かしたちの影響を受けにくくなっているからだとミヤは考える。昔の人間ほど信心深くない現代人は、神を敬わない分ご利益も受けづらい。もともとが日本の神々は人間と疎遠だというのに、こちらが信じていなければ向こうから関わってくれるはずもないのだ。


「常磐、学校の周りの地脈は本当に乱れているの?いつもどおりすぎて、私には分からない」

「…あぁ、若干歪んではいるが……今どきこの程度の乱れを気にしていたら暮らして行けんぞ」

「我々土地に着く者にとっては、居心地が悪いのですぞ!以前話題になった、床にビー玉を置くと転がっていく家のような居心地の悪さです!」


人間事情に妙に詳しい土鬼は、いかに住み心地が悪くなったのかを力説している。ミヤはこりゃ駄目だと溜息をつくと、話を遮るために手で制してから言った。


「申し訳ないですが、この建物をどかすことは出来ません。」

「何故でございますか!!」

「ここは多くの人間が生活をしている場所。そう簡単に動かすことなんて出来ません。柱を1本抜いただけでもこの建物は脆くなる。地脈を安定させたいのであれば、何かしら対策を練ることは出来ますが、建物をどかすのは無理です。」


背後から常磐にも同じようなことを繰り返し言われた土鬼は、諦めたようにまた姿を空中に溶かして消えた。ミヤはあっけなく諦めてくれたことに肩透かしをくらったような気分になりながらも、時計を見ると慌てて教科書とノートを持った。
あと数分で次の授業が始まってしまう。このタイミングで始業に居なければまたありもしないことを言われるかもしれない。


「そもそも、学校に来ないという手もあるんだぞ?」

「嫌。それって試合放棄で不戦敗でしょ?ありえない」


ミヤは教室に走って行く自分の後ろ姿を、常磐が複雑そうに見つめていたことに気づかなかった。





 ◇ ◇ ◇





その日の下校時間。習い事に行っている珊瑚を見送り、剣は一人で通学路を歩いていた。中学校の部活といえど、それなりに暗くなるまで活動はしている。以前海里に教えてもらった逢魔が時という妖かしが活発になる時間はとうに過ぎており、少しは安心して帰れるというものだ。
もちろん、昼間よりも夜の方が危ないのではと思うのだが、海里曰く、祓い屋という連中は妖かし専門の警察のようなもので、見回りを行っている地区もあるのだそうだ。剣が住んでいるあたりもその見回りの範囲内なので、妖かし関連のトラブルが起きたとしても、誰か祓い屋が現れるだろう。


「ところでさ」

「うん?」


左側から話しかけられて振り返ると、誰も居ない。気のせいだったのだろうかと思い止っていた足をまた動かすと、今度は右側から


「だからさぁ…」

「………まじかよ」

「まじだよ!」


自分と同い年くらいの少年の声が左から右から、時折下や上から聞こえてくるのだ。何事かと四方八方を見てみるも、特に見た目の異常は見受けられない。生憎と周囲に人間の姿も見当たらず、ここから自宅まで全力で走ったとしても、まだまだ時間がかかる。


「こんな早々に祓い屋の世話になるとか…」


剣ははぁーっと溜息をついた。妖かし相手に構うと、相手は調子にのってどんどんと悪戯をしかけてくる。こういう時は適当に無視して先に進むのが一番だろう。


「あれ?無視するの?君ってば酷いなぁ」


無視するのが一番なのだ。


「ところで君って狗谷ミヤのことが大嫌いなんだねぇ。そうだよね、人間のくせに妖かしの味方するんだもの。人間の君が嫌うのは当然だよねぇ。あれ?でも、おっかしぃなぁ…君の家に居る猫って、たしか妖かしだよねぇ?」


間延びした口調が多少鬱陶しいと感じても、無視するのが一番なのだ。


「どうして自分の飼い猫は許せるのに、他人になると許せないのかなぁ?あはっ!人間って気持ち悪いよねぇ。自分が大好きでさぁ、闇なんて抱えてませんって顔してるくせに、他人を貶めることを躊躇しない!そんな君のこと、飼い猫の猫又さんも、嫌いになっちゃうんじゃないかなぁ?」

「うるさい!!」

「あ、ようやく反応してくれたー!」


剣はうっかり振り向いて叫んだ自分を殴りたい気持ちにかられながら、諦めてため息をついた。
妖かしがそこに居るのであろう中空へ向かって視線をなげる。


「何の用事だよ」

「え?別に何でもないよ。ただ絡んだら面白そうだから声かけちゃった!」

「……はぁ…。帰る」

「駄目だよぉ!僕と遊ぶんだからさぁ!!」


歩き出そうとした体が、カクンと動かなくなった。自分の意思に反して、指先すらも動かない。まばたきも出来ない。嫌な汗が背中をつーっと滑っていって、剣は改めて自分を殴りたくなった。


「君って面白いよね。祓い屋でもなんでも無いくせに妖かしが見える。別に美味しそうってわけでもないのに、妖かしが寄ってくる。君に釣られた弱い妖かしを食べたら、僕のお腹も膨れるかなぁ…」

「……」


人間を食う妖かしが居るのだろうか。心臓がやけにうるさく鳴っている。手のひらがジンジンと脈打って、呼吸が浅くなっているのかとても息苦しい。


「人間って女のほうが美味しいっていうけど、やっぱ食べ比べてみるべきかなぁ…」

「試してみますか?」


背後から、最近聞き慣れた声がした。


「私に勝てたら、食べても構いませんよ。あなた、このあたりの川に住んでいる妖かしですね。人間の姿ですが、もともとは河童でしょうか。あなたが川から逃げたせいで、困ってるんです。」

「人間のくせに口うるさいなぁ!」

「困っているのは、あなたと同じ妖かしですよ。」


いつもどおり、抑揚はあるのに感情が読めない不思議な声で言う狗谷ミヤに、剣は内心で感謝した。うまくすれば、彼女がこの妖かしを退けてくれるかもしれない。


「ほら、勝負が怖いならおとなしく逃げ帰ってください。ちなみに私は人間なので、代理で下僕(しもべ)のワンコが戦います」

「だから、俺は犬ではないと何度言わせるつもり

「おすわり!」

「わん」

「というわけで、河童さん。尻子玉取られたくなければさっさと川に帰りやがれ、です」


その瞬間、剣の体を止めていた何かがカクっと開放され、危うく転びそうになった。剣が振り返ると、狗谷ミヤの隣に大人しく従ったらしい常磐がお座りしている。頭を撫でられてご満悦な表情をしていた常磐は、剣の視線に気づくとハッと慌てて立ち上がり、いつもの上から目線な笑顔を浮かべた。とてもわかり易い。


「小僧、貴様はだいぶ妖かしに狙われやすい体質になったらしいな」

「おかげさまで」

「せいぜい…清白千草あたりにでも弟子入りするんだな」

「常磐、口が過ぎる。清白さんはお忙しい方だから。…さ、帰ろう?」


剣が自分の身に起こったことを振り返っているうちに、常磐はミヤを抱き上げるとひょいと民家の屋根の上に飛び乗り、そこから軽々と跳躍を繰り返してどこかへ去っていった。
剣はまたしても妖かし絡みのトラブルに巻き込まれてしまったことを憂いながら、帰りが遅くなった理由を説明しなくてはと重たい足取りで自宅へと向かうのであった。







終。













2015/02/03 今昔

2015年2月2日月曜日

【仮想百鬼夜行】犬神奇譚 第02話

不思議な朝であった。梔子徹は兄がまだ眠っていることを確認して、二段ベッドの下の段へと頭を引っ込めた。それからごそごそと着替えを済ませると、ベランダへと出てみた。
その日はいつもよりもスッキリと目覚めることが出来たのだが、どうにも外の様子がオカシイのだ。一面霧のような白いものが漂っており、5メートル先は既に見えないような視界の悪さだ。これも妖怪のしわざなのだろうかと海里に訪ねようかと部屋を振り返ったが、生憎と梔子家に住み着く妖怪・海里は猫又で、今はまだぐっすりと夢の中だ。
徹がもう一度ベランダから外を見渡そうとすると、更に不思議なことがおきた。そこにあったはずのベランダの柵がなくなっているのだ。なんだろうかと手を伸ばしてみるが、上下に振っても左右に振っても、そこに柵はない。ベランダであったはずのその場所は、まるで廊下のように前方へと続いているようだった。
徹はその不思議な光景に心惹かれるように、足を踏み出した。






【 仮想百鬼夜行 犬神奇譚 02 】






「剣ー、徹と一緒に朝ごはん食べに来なさい」


キッチンの方から聞こえた母親の声で目覚めると、剣は二段ベッドの上段から上半身だけをブランと乗り出して、下段を覗きこんだ。徹は剣よりもはるかに朝は強い。起きないことも無いだろうが、剣がこうして起床の確認をするのは日課だ。
ところが今日は、その徹が見当たらない。慌てて上半身をベッドの上へ戻すと、2つ並んだ勉強机にまだ学校用のリュックが置いてあるのが見える。まだ学校には向かっていないらしい。


「母さん!徹もう起きてるんじゃないの?」

「え?こっちには居ないわよ。…徹ー、どこに居るのー?」


キッチンで料理をしながら呼んでいるらしい母親の声に、徹は全く反応しない。そして剣は、そういえばと勉強机の隣にある海里の寝床を覗きこんだ。
海里は梔子家に住み着いている猫又だ。昔誰かが飼っていた猫が長生きし、偶然にも猫又になったのだと本人(本猫?)は言っていた。彼女とは先日、危ない妖怪に襲われた際に会話が出来ることが判明している。彼女なら何か徹が早起きした様子を見ていないかと思い立ったのだ。


「海里、徹知らないか?」

「……にゃー」

「いや、にゃーじゃなくてさ。徹は?」

「きしゃー!」


海里が全身の毛を逆立てている。人間の言葉がたしかに喋れるはずなのに、海里はしゃべろうとしない。
そのうち海里は剣とコミュニケーションを取ることを諦めたのか、面倒そうに顔をしかめると、ベランダへと続く出窓に前足でペシン!とぱんちを食らわせた。そして剣の方を振り向き、ペシン!振り向き…ペシン!


「お、おう。出たいのは分かった。」


慌ててベッドから降りて着替えると、剣は出窓を開けてやった。すると海里は警戒しているようにスンスンと匂いを嗅いでから、前足を片方だけチョンとベランダに触れた。そして剣もつられるように外の景色を見て、息を呑んだ。はじめて水族館でイルカを見た時のような高揚感と、それからはじめて妖怪に襲われた数週間前の出来事を思い出させる危機感。
ベランダから見える外の様子は、真っ白な霧がかった景色。手を目一杯伸ばしたら、指先は霞んで輪郭がおぼろげになった。慌てて廊下に走って行き、窓から外の様子を見てみるが特に変わった様子はない。もう一度自分たちの部屋に戻ってみると、出窓から白いモヤモヤが室内に入ってこようとしていた。
海里が前足でパタパタとモヤを追い返そうとしているのを見て、剣は慌てて海里を抱き上げると窓を閉めた。


「なんだ…これ……」

「にゃー」


部屋の中に残ってしまった白いモヤモヤは、しばらくすると空気に解けるように消えていった。一体何だったのだろう。子供部屋からベランダを覗いた時にだけ、どうやら霧がかかっているようだ。不思議なこともあるものだ、で片付けたいのはやまやまだったが、生憎と剣は妖かしという存在を知ってしまった身だ。
ましてその妖かしである海里が何か訴えるようにモヤモヤを警戒しており、しゃべることで意思疎通がとれるはずだったものが出来なくなっているということ。そのどちらもが剣を不安にさせた。

ともかく徹が居ないことを母親に伝えなくてはと立ち上がったところで、剣は気づいた。そういえば母親が徹や剣を呼ぶ声が聞こえない。海里を抱き上げたまま子供部屋から出ようとドアノブに手をかけ、


「嘘だろ…動かない……」


剣が全体重を使っても、ドアノブはぴくりとも回らなかった。これでは学校へも遅刻してしまうと時計を見やれば、時計の針はカチカチと音をたてているものの、ずっと同じ場所から動いていない。先ほどから7時5分と42秒のところで、秒針が痙攣したようにカチカチと音をたてている。


「どうしよう…」

「にゃー」


海里も困ったような鳴き声をあげ、二人で途方にくれるように視線を合わせると、

パタン

ベランダへの出窓が、開かれた。
そしてまた白いモヤモヤが部屋の中へと入ってき始めている。この部屋から出る場所はベランダへの出窓と廊下へのドアだけだ。あとはベランダをつたって隣にある両親の寝室へも移動できる。
剣は隣の部屋から家に戻れば良いかもしれないと、海里を抱き上げたままでベランダへと足を踏み出した。両足がベランダへと着くと、全身をゾワっと何かが駆け抜けていく。


「にゃ!」


静電気でもくらったかのような鳴き声をあげた海里に、剣は思わず半歩さがった。しかし、剣は躓くこともなく、更に数歩よろめいたまま下がってしまった。
そう、下がってしまったのだ。慌てて振り返るも事実が変わることはなく、そこには先ほどまであったはずの子供部屋も出窓のサッシも見えなかった。


「まじかよ…」


詰まる話、剣はどこか分からない白いモヤモヤの中に取り残されてしまったことになる。ここまで来てようやく、剣は海里に尋ねることなく外へ出てしまったことを悔いた。腕の中の海里に向かって謝罪すれば、彼女はよじよじと剣の腕から出て地面へ降り立った。
海里はすんすんと地面の匂いを嗅ぎ、嫌そうに顔をしかめながら歩き始める。そして少し進んだところで振り返ると、苛立ったように鳴いた。剣は慌てて海里のところまで駆け寄ると、焦るように進む彼女に置いていかれないようにとせっせか足を動かした。





 ◇ ◇ ◇





「若」


麗奈はキーボードを叩いていた手を止めて、短く声をかけた。九尾である彼女にとって人間に化けるのは他愛もないことではあるが、しかし今感じられる禍々しい気配にはスーツのスカートの上から尻尾が出てきてしまいそうだった。妖かしとしてはそこそこに力のある麗奈が影響をうけるほどの何かが、今感じられたのだ。
しかし、麗奈の能力を持ってしても、距離があるのか妖かしであろうその気配の詳細を探ることは出来なかった。


「あぁ…この気配か。丁度、梔子議員の邸宅がある吉祥寺の方だね。やれやれ、やっかいなことになったものだ。これだから、人間に味方しない大妖怪っていうのは苦手だなぁ」


麗奈が若と呼んだ男性は、執務室でノートパソコンを忙しなく操作し、時折脇に置かれた書類にはんこを入れながら答えた。この部屋の主であり、麗奈の主である彼は、人間社会でいう「会社」という組織の一番えらい人なのだそうだ。麗奈はあくまでも妖かし専門の万屋「祓い屋」である彼に仕えているが、その傍らでこうして秘書のような仕事もこなす。
そう、人間社会にうまく溶けこんでこそ大妖怪を名乗れるのだ。


「こんな中級の妖かしが幅を利かせてるなんて…もうちょっと常磐の奴に動いてもらったほうが良いんじゃないかい?」

「いえ、奴はあの狗谷ミヤという個人のためにしか動きません。主人である狗谷嬢も、常磐のことは使い魔とは考えておらず、籠絡するのは難しいかと。若、それよりも私がまずは様子見に行きます」

「また『若』って呼んだね。そろそろ名前で呼んでくれても良いと思うんだけど…」


麗奈は「拗ねました!」と言わんばかりの表情で仕事の手を止めた彼に、盛大なため息をついてみせた。


「人間小僧の分際で…!…いえ、千草様、私が行ってまいります。」


若----清白千草は満足気に微笑むと、


「今日はオレも行くよ。梔子議員のご子息に恩を売っておくのも大事だからね」

「得になるのですか?」

「なるよ。あの家の兄弟だって、優秀な祓い屋になれる素質を備えている。特に弟の方が。それよりも狗谷の家が協力してくれたら、諸々の事件が早期解決できるんだが…」

「あの家は無理です、祓い屋ではなく呪術師なのですから…」


麗奈が忌々しい妖怪・常磐とそれが仕える少女を思い出して舌打ちすると、千草はそれをたしなめてからスーツを脱いだ。動きやすいラフな格好に着替えると、執務室の前にかかっていた札を「留守中」に変え、社屋を後にした。





 ◇ ◇ ◇





常磐は膝の上でくつろぎ本を読んでいるミヤを抱き直すと、気配がした方向へと顔を向けた。随分と嫌な匂いがする妖かしが暴れているらしい。腐った卵を流して放置したシンクのような匂い、もしくは硫黄を古くなった野菜にかけてぬか漬けにしたような匂い。ともかく、とてつもなく嫌な匂いがする。
狗谷の家がある浅草は、古い寺院の影響で妖かしの能力は発揮しづらい。常磐にも、ここより過ごしやすい土地があることは確かであるが、主であるミヤに及ぶ危険を極力削るためには、この場所が良いのだ。


「常磐、腐れ神が出てるね」


ミヤは読みかけの本に栞を挟むと、ぱたんと音をたてて閉じた。それから眠たくなったのか、常磐の胸元にすりより、着物からはだけて見えた肌に頬を寄せた。肌同士の接触は安心するとテレビで見たことがあるが、ミヤも人間の性質に漏れ無く当てはまっているようだ。
常磐はミヤの頭をそっと撫でて抱き寄せてやると、眠ってしまわないようにと額に唇を寄せた。くすぐったそうに身じろいだミヤは、拗ねたように口を尖らせ咎めるように常磐の名前を呼んだ。


「行くのか?」

「行くよ。私たちのお仕事は、江戸の街を守ること。人間からも、妖かしからも。それらをまとめ、仮初でも平和を作るのがお仕事。」


ミヤの使命感は恐ろしいほど深く大きい。江戸の街を守らなくてはならないという決め事は、決して彼女を育てた祖父母の影響ではない。祖父母はむしろ、自分たちの富と名声のためにミヤを利用し、大量の妖かしを捕まえては売りさばいていたような人間だ。
彼女の願いならばなんでも叶えてやりたいと思うのだが、今回感じられる腐れ神の気配はとても大きい。それでも代々呪術師として活躍する狗谷の血を引き、常磐が取り憑いたことによりその能力が増大されているミヤであれば倒せるはずだ。だが、無傷で、となると難しいだろう。
行かせてなるものかと腕に力を込めれば、眉間にぐりぐりと指が押し付けられる。


「常磐、我が儘は駄目」

「我が儘なのはどちらだ」

「む……お仕事させてくれないなんて。私悪くないもん」


うごうごと呻きながら常磐の腕を抜けだしたミヤは、自室のタンスから唐紅色を見つけると引っ張り出し、常磐が見ているのを少し気にしながら着替え始めた。見慣れた着物姿に、彼女も腐れ神を本気で警戒しているのだと察することができる。正装は見た目だけの問題ではなく、気を綺麗に保ち戦いやすくしてくれる。
常磐はミヤが引く気がまったくもってないことを悟ると、深く深くため息をついてミヤの着替えが終わると同時に彼女を抱き上げた。当然ながら、自分の宿主を危険に晒すわけにはいかない。


「さて、行くか」

「わんこさん、れっつごー」

「俺は犬じゃない!」





 ◇ ◇ ◇






剣はあいも変わらず海里の後ろを追いかけていた。ともかく、海里の後ろをついていけば安全であるらしい。真っ白なモヤモヤの中、真っ白な床の上を歩いて行く。どこに続くか分からない道ではあるが、海里が先導してくれるというだけで、なんとなく安心できる。


「それにしても、本当に真っ白だよな。寒くないし暑くない。地面も冷たくないし熱くない。匂いもしないし…いや、匂いは…してる?」

「にゃ!」

「そうか、してるのか…」


剣は海里の様子を伺いながら、恐る恐ると足を進めていく。外に--というか、外かどうかも分からない場所にやってきてから、景色は一向に変わらない。かろうじて、剣たちの歩いている地面のような場所が3メートルほどの幅しか存在していないことが見て取れる程度だ。
海里は白い場所に出てから警戒しているものの、まっすぐに道を進み続けている。


ぐうううううう


遠くの方で、地鳴りのような、山道を走ったバイクの音が反響したような音が聞こえてきた。


「海里、なんか聞こえる…!」

「にゃあ!」


海里もその音が聞こえているのか、更に全身の毛を逆立てると前方に向かってキシャーと泣き声をあげた。すると徐々に周囲の白いモヤモヤが晴れていき、途端に鼻につーんとくるような匂いがした。夏場の生ごみのような匂いだ。


「なんだこれ…」


モヤが晴れた先に居たのは、用水路の汚泥とスライムを混ぜて山積みにしたようなドロドロの生き物だった。剣にそれが生き物と判断できたのは、恐らく口と思われる裂け目があり、そこに恐らく歯だと思われるギザギザがついていたからだ。
ドロドロと全身が流動しているその生き物が、剣の方に目を向けたような気がした。本能的に喰われると感じた。


「祓い給え、清め給え、六根清浄。救い給え、叶え給え、蒼天焔緋!」


剣の背後から、真っ青な炎がうずを巻いた。
海里はにゃん!と嬉しそうに泣き声をあげ、振り返ると同時に人間の姿に変化していた。剣が現状を把握出来る前に、背後から響いた高めな女性の声が再度何かを唱え始める。


「燃えゆるは、ゆるゆる葉。汝我を求めしは、我汝を求めん。燃えゆ、燃えゆ、星の数。燃えゆ、燃えゆ、我が錦。」

「麗奈、そのまま続けて!『急々如律令』」


真っ青な炎を纏った四足の生き物がドロドロの生き物に炎をぶつけ、その背後から和紙で出来たような紐が生き物に巻き付いていく。そこまで見て、剣はようやくあのドロドロが妖怪なのだと気づいた。
四足の生き物はとんと地面に足をつけると、途端にスーツを着こなした女性の姿になった。しかし、その頭からはピンと耳がたっていて腰骨の辺りからふさふさの尻尾が垂れている。


「九尾の狐だ…」


剣が小さく呟くと、その九尾の女性はチラリとこちらを見て優しく微笑んだ。九尾の女性の背後に居た男性がお札くらいのサイズの紙を掲げると、ブツブツと聞き取れない程度の声で何かを唱え始めた。


「剣、下がっておいで。あんたにゃ、まだあの腐れ神と戦う力がない。麗奈たちの足手まといになりたくなければ、私と一緒に大人しく下がるんだ。良いね?」

「分かった…」


剣は伸ばされた海里の手を握り返すと、麗奈と呼ばれた女性とその連れであるらしい男性の背後へと逃げ込んだ。ブチブチと音がして振り返ると、妖怪を捕らえていた和紙の紐が引きちぎられているらしい。引きちぎるというよりも、妖怪の表面を覆っている液体が紙を溶かしているように見えた。
不味いな、と小さく男性が呟いた時、妖怪がズズズと後退しはじめた。何事かとその場に居た4人全員が身構えると、どこからか聞いたことのある凛とした少女の声が響いた。


「宿りし者の力と念を、わが元においてこの元へと戻す。オカエリナサイ、わが元へ」

「これは…狗谷家の呪術かっ!」


男性が悲痛な叫びを上げると、ドロドロの液体だった妖怪はなにかに引っ張られるように後退していき、そしてひゅんと消えて無くなってしまった。剣には何が起きたのか全く分からなかったが、白い床のようなものの向こう側、丁度妖怪が居た反対側から赤い袴を身にまとった少女が歩いてきた。
赤と白のよくある神社の巫女さんのような格好に、邪魔そうな前髪が揺れている。その少女は両手で持てるほどのツボを持っていて、そのツボはカタカタと揺れていた。少女の背後から男性が現れるとツボを抑え、何かシールのようなものを貼り付けると揺れは収まっていく。


「久しぶりだな、ガキ」


少女の後ろから現れたのは、いつぞや剣を助けてくれた犬耳の男性だった。その片手には、


「徹!!」


朝から姿が見えていなかった徹が抱きかかえられていた。顔色は決してよくないが、どうやら眠っているらしく身体が上下している。


「こいつなら、もっと奥にいる腐れ神の本体と楽しげに遊んでいたのでな。とりあえず回収してきたまでだ」

「常磐、久しぶりだね。その子を返してもらおうか。お前のような悪党妖怪に抱かせておくのは心苦しいのでね」

「相変わらずの頭の硬さだな、千草。別に俺は悪党ではな

「常磐、早く清白さんに徹くんを渡して。その汚い手で触らないで」

「えっ…あ、はい……」


相変わらず少女----狗谷ミヤには逆らえないらしい犬耳の妖かし常磐は、素直に千草と呼んだ男性に徹を渡してきた。それでも徹は目覚めず、余程深い眠りについているらしい。
ミヤはツボを抱きかかえたままで、ゴミを見るような目で常磐を見上げて言った。


「何で腐れ神を素手で殴るの?汚い。洗ってきて」

「いや、だってあの場はあれが一番手っ取り早くあのガキを取り戻せたからであって、別に素手で触りたかったわけj

「言い訳無用、『天ありて 降(ふ)りたる国に 建速(たけはや)と成す』」


途端、

ドバー

たらいをひっくり返したように常磐の頭上から水が降ってきた。恐らくミヤの呪文で呼び出されたのだろう。ビショビショで耳も尻尾もしなだれている常磐が可哀想でもあるが、あの汚いドロドロに素手で触れたのなら仕方あるまい。徹を助けてくれたことに内心でお礼をいいつつ、剣もミヤと然程変わらない目で常磐を見た。
常磐は剣の視線に気づいたのか少しショックを受けた顔をしたが、すぐに気を取り直し千草に視線を向けた。釣られて剣も千草に目を向けると、彼はまた盛大なため息をつく。


「常磐、お前それでも歴史に何度も登場するような大妖怪だろう?もうちょっと、東京の街を守るために協力してくれてもいいんじゃないか?さもなくば、蹴落とされるのは狗谷の家だぞ?」

「狗谷?家がどうなろうと知ったことではない。俺が守るのはあくまでもミヤだ。狗谷という血に縛られているわけではない。」

「お前、相変わらず頭いいのに馬鹿だなおい。」

「ガキに言われたくないぞ、清白の血に縛り付けられてるガキに」


瞬間、その場の空気がピリリと電気を帯びたような気がした。剣は海里に繋がれた手をぎゅっと握りしめると、優しく頭を撫でられた。顔をあげると、九尾の女性がふんわりとほほえんでいる。


「よく頑張りましたね、剣。海里と話が出来ない状態で、よく生き延びてくれました」

「お姉さんは…?」

「私は麗奈。あそこに居らっしゃる清白千草に使える妖怪です。海里とは古くから知り合いなのですよ。」

「腐れ縁です」

「照れてる照れてる」


むくれ顔になった海里の頬をつつく麗奈は楽しそうで、先ほどまで電気がはしったようだと思っていた空気も一気に軽くなった気がした。剣は小さな声で麗奈にお礼を言うと、朝からの疲れが出たのかふっと意識を失った。





 ◇ ◇ ◇






「常磐、お仕事完了。帰ろ」


狗谷ミヤの冷たい無感情な声に、麗奈は背筋が凍るような思いを感じた。腐れ神が創りだしたのであろうこの白い霧の世界は、入り込んだ者のちからを減退させる。海里が人間の姿になれなかったのも、千草の束縛呪文が破られたのも全てはそれが原因だ。
祓い屋として優秀な麗奈の主、千草でさえも影響を受けているこの霧の中で、狗谷ミヤだけは平然としているのだ。歴史に名前が出るほどの妖かしである常磐が影響されないのは分かるが、人間の身体でありながら何故あの少女は平然としていられるのだろう。


「待って、そのツボを渡してもらえるかな、ミヤちゃん?」

「却下です。これはお祖父様が作った腐れ神。私のお祖父様に渡して責任を取らせます。どこかの家の守り神をこんな姿にして…それ相応の罰を受けて然るべきです」


ミヤは本当にまだ中学生なのかと疑いたくなるような冷たい声で、ツボを撫でた。ツボの中に居る腐れ神は、人間によって生み出されたのだから悪いのは人間だと、そう言いたげだ。
もちろんアレを生み出したのが彼女の祖父母、という話が本当であればそれは罰せられるべき行為だ。しかし、すでに堕ちた妖怪を活かして帰すというのも、まっとうな祓い屋である千草や麗奈には解せない。


「その腐れ神を…お祖父様のところへ持って行ってどうするんだい?」

「腐れ神の抱いてる感情次第です」

「腐れ神に感情なんてないよ」

「では、常磐にも、そこに居らっしゃる麗奈さんや海里さんという妖かしたちにも、感情がない。ということになりますね」


ミヤの目が、すっと細くなった。まるで人外の存在の意思を尊重することが当たり前だとでも言いたげな様子に、麗奈は同じ人外であるはずなのにぞくりと恐怖を覚えた。彼女の言っていることは、要するに人間にも妖かしの類にも感情があり、それを蔑ろにするなということだ。麗奈だって尊重されているはずなのに、それは違う!と叫びたくなるような雰囲気を纏っている。
たかだか人間、しかもほんの10数年しか生きていないような少女が、どうしてこんなにも冷たい声を出せるのだろうか。


「それと、清白さんに1つ忠告させていただきます。」

「……何かな?」

「戒愁家にはお気をつけて。あそこは我が家とはまた違った意味で特殊です。…と、これだけ言っても意味がないので、もう1つ。」

「君は、一体何を知っているんだい?」


千草の問いかけに少しだけ考えるような素振りを見せたが、ミヤはまた結局そのままの口調で返した。


「戒愁家の別名、というよりも古い名前は『根古島(ねこしま)』といいます。由来は、我が家が狗谷と呼ばれることと同じです。では、失礼しますね」

「ちょっと待って!それだけじゃ…


背を向けたミヤに続くように、常磐が裾を翻すと同時に、二人の姿は白いモヤに融けるように消えていった。
麗奈は何やら気味の悪さと、とんでもなく重大な事実が告げられたような気がするのとで、息苦しさを感じる。妖かしであり人間よりも余程身体の作りが丈夫であるはずの麗奈が、どうしてこうも影響を受けなくてはならないのか。どこか悔しさすら感じながら、帰るよと言う千草の声に従って、麗奈もまた白いモヤの世界を抜けだした。





終。





2015/02/02 今昔

2014年12月10日水曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・珊瑚編

本家に最も近い分家。その家に生まれた第一子で長男が、どれほどの重荷を背負って生きて行くことになるのだろうか。そんな人生を予想した時に、結婚相手が決められているだろうということは想像に難くない。けれども、そう意気込んでいたものを覆されるというのは些か腹が立つというものである。






【 仮想大江戸 お伽話 珊瑚 編 】






戒愁珊瑚(かしゅうさんご)は、戒愁家という名前を持つただ2つの家柄のうち、分家側に生まれた身であった。丁度珊瑚の母親と、母親の兄嫁とが同時期に身籠り、お腹にいる子供たちが男女であると分かった時から二人は許嫁であった。戒愁家の習わしに従って珊瑚と名付けられた彼は、生まれる前から婚約者が決まっていたのである。
古くは大江戸歴が3桁の頃から続く戒愁という大きな血筋は、今や日本の政治だけではなくエンターテイメント事業や工業、林業農業と様々な分野に人脈を持っている。そんな一族の本家の少女を嫁に迎えることがが決まっていたのだ。
そんな珊瑚は今、戒愁家の邸宅にある離れを自室とし、周囲を囲む竹林の向こうから聞こえる歌声を聞きながら書物に目を落としていた。淡い桃色の髪の毛はこの国では珍しく、女中たちからは「可愛らしい若殿」と目に入れても痛くないほどに可愛がられている。だが、それだけなのだ。


「若殿、お薬の時間になりました」

「はい、どうぞ。入ってください」


布団の上に座ったままで答えると、みな同じ形に髪の毛を結い上げた女中が3人入ってくる。まだ8時過ぎだというのにきっちりと着込んで働いている様子は、少し申し訳なくなるほどだ。それを言えばこの家に使えることが喜びだのなんだのと言われてしまうため、珊瑚はおとなしく羽織を肩にかけてもらい、温かい朝食を食べ、そして苦くないように蜂蜜と葛湯で甘くした薬を飲んだ。
それらを済ませると、女中たちは嬉しそうに出て行く。障子戸が閉まる直前、女中の一人が追加の本が必要かと聞いてきたので、珊瑚はお礼と一冊の書物を告げた。

離れの一室は16畳の和室と、それをコの字に囲む板の廊下。さらに廊下で囲まれていない側には4畳ほどの板の間がある。板の間には万が一に備えた様々なものが入っており、夜間は護衛の人間もそこに寝泊まりしているらしい。
そもそも何故そのような環境で過ごしているのかといえば、理由は単純明快、珊瑚がとても病弱であり日常生活に支障をきたすからだ。


「君がため 惜しからざりし 命さへ…」


本家の3番目の子供であり次女の蜜柑は産まれる前からの婚約者であった。しかしながら、珊瑚は4歳になる頃に喘息持ちであり気管支が弱く、偏頭痛持ちで病弱という、なんとも当主には向かない体質であることがわかったのだ。両親はその分、座学で当主を支えるべきだと考えを改め、次男である甚三(じんざ)へと当主の座を譲らせて珊瑚には座学を嗜ませた。
珊瑚が以前実際に送ったことのある百人一首の1つである詩から、下の句を頭のなかで反芻していると、女中が出て行った障子戸にすっと影が見えた。


「長くもがなと 思ひけるかな、ですか。随分と心が弱っているようですね」

「蜜柑さん…」


自分のそれとは全く違う、細く高い女子の声。入ってくださいと促すと、綺麗な所作で障子が開かれた。戒愁家の次代当主である蜜柑が着ていた藤色の着物は、以前珊瑚が父親が懇意にしている呉服屋に頼んで贈ったものだった。その事実に少しばかり安堵しつつ、珊瑚は居住まいを正して机の片側に置かれていた座布団を薦めた。
蜜柑の背後から同い年くらいの少年が入ってきたが、彼は無言で障子戸のすぐ側に正座してしまった。蜜柑も気に留めていない様子を見ると、護衛か何かだろうか。


「それで。藤原義孝の詩を詠むだなんて、どういった心情なんですか?」

「いえ…ただ、少し昔のことを思い出してしまって。一日千秋とは言いますが、蜜柑さんとの婚約が解消されてからは、一日がとても長いのです。日がな一日勉強しかしていないということもありますが、まるで世界が色を失ったようで…」

「はい、ストップ!」


蜜柑に静止の言葉をかけられて、珊瑚は慌てて口をつぐんだ。自分が思っていることを、知っている言葉の限りを尽くして喋り続けるのは悪い癖だと自覚している。


「私も、婚約が解消されたことには驚きましたが…こればかりは仕方がありません。一族を束ねるものとして、確実に血を残していく必要があるんですから。」

「そうですね」

「最近知り合った友人も、同じように一族の血を繋げることを重視している人が居ます。話を聞くと面白い人ですよ。今度引き合わせましょう」


蜜柑の背後に居た少年がギョっとした顔をしたが、そんなに凄い人間なのだろうか。珊瑚はしばし思案し、口を開いた。


「ま、僕は別に蜜柑さんのこと好きでもなんでもなかったので問題ありません」

「失礼ですね。元婚約者の前でそのような口のききかたは…」

「だってそうでしょう。お互いどんな人間なのかも知らないんですから、好きになりようがありません。一族のために結婚するというのも薄ら寒い話ですし」


ひょいと肩をすくめてみせれば、蜜柑はひどく大きくため息をついた。どうやら珊瑚の回答はお気に召さなかったらしい。もちろん、第一子でもなく女性である蜜柑は、最初から当主候補であったわけではない。そのためか珊瑚よりも立場に縛られないことを好むし、何よりも責任の重さを疎ましく感じているようにも見える。
護衛が背後の少年一人だけというのも、彼女が気を許せる相手のみを連れ歩いている証拠だろう。


「確かに…その友人も血族を守りつつも好きな人と添い遂げる道を選ぶようですから、珊瑚の言い分が間違っているとは思いません。ですが、あなたも一族の中で1つの家系の長になるのですから、早々にお見合いでもしてくださいね」

「ええ、もちろん」

「蜜柑さん、そろそろ行かないと時間がなくなります」

「あぁ…麗奈たちを待たせてしまいますね。」


蜜柑がその場を辞そうとすると、背後に控えていた少年がすっと立ち上がり、蜜柑にも負けないほどの所作で障子戸を開いてみせた。どうやらただの護衛というわけでもないらしい。珊瑚が少し目を見開いて見ていると、少年は小さく会釈をして先に蜜柑を通した。
それから少年は振り返ると、改めて膝を揃えて座った。更には深々と頭が下げられる。


「申し遅れました。梔子剣と申します」

「あぁ…梔子の家の……そうか、蜜柑さんは君に護衛を任せているんだね」


戒愁家に連なる一族の中で、最も武術に秀でた家柄である梔子は、毎世代の当主の護衛を務めることが責務だ。所作がしっかりとしつけられていることも、蜜柑が一人しか連れ歩かないことにも納得できた。


「珊瑚様へのご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げます」

「気にしないで。顔をあげてほしいな。君のこと、蜜柑さんも気を許してるみたいだったし。僕から言うのも変な話だけれど…彼女のこと、よろしくね。」


にっこりと微笑んでみせると、剣と名乗った少年もまた心得たというように神妙な顔つきで頷いた。それから、弓道をやっているのか独特な動きで立ち上がると、少し先に行ってしまった蜜柑を追いかけるように部屋から出て行った。

藤原義孝は、思いが通じあった直後に病でこの世を去ったという。
珊瑚は、婚約をしていながらも両思いではなく、さらに病のせいで婚約破棄となった自分の身の上と、彼の詠んだ詩がどことなく被って見えるのだ。自らの行いのせいではなく、病というどうしようもないもののせいで、手に入れられるはずのものを失う。
同時に様々な責務からも開放されてはいるのだが、その責務でさえも失ったという喪失感は拭えない。藤原義孝も、死後は珊瑚と同じような気持ちになったのだろうか。などとも思ってしまう。


「ほら剣、遅いですよ。麗奈たちを待たせているんですから、早くしてください」

「待ってください!こう見えても一応梔子の長子なので立場とか身分というものが

「私の連れとして来ているんですから、肩肘張りすぎです。そのくらい気づきなさい」

「あっ、はい…すみません……」


自分といる時よりも随分とリラックスした様子の蜜柑の声が聞こえ、珊瑚はなんだか胸の奥がこそばゆいような感じがした。障子越しに入ってくる朝日のような、簾越しに見る十六夜の月のような。そんなほっこりと暖かな何かを感じながら、珊瑚はまた読書を続けようと本を開くのだった。


いつか自分も、あんな風に笑い合える誰かと巡り会えるのだろうか。
そして願わくば、君が幸せでありますよう。






終。

2014年12月5日金曜日

【仮想百鬼夜行】犬神奇譚 第01話

ずる。ずるずる。

手を伸ばしても、とても届きそうにない夜空だった。その夜空の遙か足元。地面をそれは這っていた。通りすがった残業帰りとも飲み会帰りとも分からない男性は、それの存在が見えていないかのように歩み寄り、そして何事もなく通り抜ける。
それを見つけた少女は住宅地のなかでポツンと屋根の上に立ち、片手に握った紙切れを見つめてはため息をついた。その様子は誰かが見つけてしまったのなら「異様」の一言に尽きるのだろうが、丑三つ時、近所にコンビニがあったりするわけでもないその場所では、通行人は居なかった。
しばらくして正面からだった風向きが横からの風変わると、少女は手にしていた紙切れに息を吹きかけ、それを空中へと放った。それは紙なのだから、普通風に流されてしまいそうなものだが、放たれた紙は風を切る音を立てて空中を滑るように走りだした。


「今日のお仕事、終わりだよ。帰ろうか」


少女は空中に向かってそう呟くと、風に運ばれるようにしてどこかへ移動していった。鳥でもないのに空をとぶ姿は、やはり「異様」としか言いようのない光景であった。






【 仮想百鬼夜行 犬神奇譚 01 】






梔子剣は今年で小学六年生の男の子である。
剣の通う小学校では、おかしな話でもちきりであった。五年生の女の子が気味悪い、というもので、剣も詳細は聞いたことがなかったが、狗谷ミヤという少女が周囲から嫌われているということだけは知っていた。
だからこそ、


「げ…」


縦割り清掃の組み合わせが変わった後、やってきた五年生の女子が「狗谷」という名札をつけていたら驚くことくらいするというものだ。


「何でしょうか」


あからさまに嫌な顔をされたのに、怒るでも無く嫌な顔を返してくるでもなく、彼女はただ無表情のままにこちらに問いかけてくる。
大人っぽい物腰の狗谷に、剣は腰を抜かしそうなくらいに驚いた。なんだか子供に見えないのだ。まるでドラマで見る強盗犯を相手にしている時のようなプレッシャーを感じる。蛇に睨まれた蛙とはこういうことか、とついさっき終えてきた国語の授業を思い出しつつ、剣はどうにか箒を彼女に手渡した。


「おれたちの掃除場所は体育館。お前は舞台の上と舞台袖の掃き掃除な」

「分かりました。」


剣から箒を受け取った狗谷はくるりと振り返ると、赤みがかった黒髪をふんわりとなびかせて歩き出す。まるでスロー再生されたかのように、その仕草が脳内に焼き付いていくのを感じる。
箒を片手に狗谷が行ってしまうと、剣は知らず知らず止めていたらしい息をほうっと吐き出した。まるで床に寝転がって布団を大量に乗せられたような息苦しさだった。どうして子供からそんなプレッシャーを感じるのか。他の同級生には分からずとも、剣には1つだけ想像することができた。


彼女は妖怪なのではないだろうか?


剣はそんなことを考えながら、モップを両手でぐっと握ると、体育館の片隅から駈け出した。時折水でも落ちているのかスピードが出せずイライラしながら走っていると、舞台の上で掃き掃除をしている狗谷の姿が嫌でも目に入る。
彼女は時折ぱくぱくと口を動かしていて、何か暗記の宿題でもしているかのようだった。


「駄目だよ。学校でそんなことしたら、怒られちゃう。別に人間なんてどうでもいいけど、自分から嫌われにいくなんて面倒」


何を言っているんだ、こいつは。
五年生の教科書にそんな内容なかったぞ?と無いと自覚している頭をフル回転させるも、狗谷が何でそんなことを言っているのか理解することは出来なかった。



剣の理解を超えた行動をする後輩は、次の掃除の時にも同じようにごにょごにょと口を動かしていた。廊下ですれ違ったときには右斜め上を見上げて穏やかに微笑んでいた。本当に彼女の行動は謎だらけだ。
気にしていれば廊下ですれ違ったことにもよく気づくもので、彼女との遭遇率はそれなりに高い。もちろん、剣のいる6年生が校舎の1階に教室があり、登下校する生徒がよく見えるということもあるだろう。


「あのね、常磐。今日は蓮根でキンピラ作りたいの。スーパー寄って帰ってもいいかな?」

「大丈夫だよ、私は常磐と一緒なのが一番うれしいから、人間にどう思われようと構わない。」

「え?しょうがないなぁ…じゃぁ今週末はお仕事入れないようにするね。常磐と一緒に居ようかな」


剣が約2週間に及ぶ観察を行った結果、分かったことがある。やはり彼女は自分が人間でないように振る舞うことと、何やら他の人には見えない人物と会話をしているということだ。正直なところ剣自身も「何でアイツを観察しているんだ」と立ちくらみを起こしそうになったこともあった。

剣はあの狗谷とういう少女が何を考えて行動しているのか気にしながら帰宅し、ランドセルを重たく感じながら家の扉を開いた。


「ただいまー」


まだ両親は帰っていないようで、返事はない。靴を脱ぎ散らかしてキッチンへ入ると、冷蔵庫に「おやつ食べてね」と母親の字でメモが貼られている。冷蔵庫を開けると手作りらしいプリンが入っていた。
弟の徹が帰ってきてから一緒に食べようかと一度扉を閉め、子供部屋へとランドセルを置きに向かう。

にゃあ

足元で飼い猫が鳴いた。


「ただいま、カイリ」

「あんた、良くない匂いがする」


剣は20cm程床から飛び上がったのではないかという程に驚き、飼い猫のカイリから距離をとった。今、確かに、カイリが喋ったのだ。
カイリは優雅に毛づくろいをはじめてしまい、剣は恐る恐るカイリに近づいた。


「剣、あんた誰に関わってるんだい?」

「喋った」

「そりゃ、私くらいの猫になれば喋れるさ」

「まじか」

「結構まじ」


カイリは丹念な毛づくろいを終わらせると、にゃあと1つ鳴いてこちらへと寄ってきた。剣が小さい頃からずっと飼っている猫だ。特に怖いとは感じられない。


「私は海里。梔子の家がずっと住まわせてくれてる猫又ってやつさ」

「猫又?」

「そうだよ。あんたが友達を家に呼んだ時、私はいつも隠れなくちゃならない。見る力のない子供には見えないからね」

「父さんや母さんは?見えてるのか?」

「見えてるよ、あんたの父親である重蔵はね。母親は力がないようで見えないらしいが…私が住んでることに反対はしてない」


剣はぱちくりとまばたきをすると、いつものように海里の喉を撫でてやった。ぐるぐると心地よさそうにする海里の様子はいつもと変わらず、猫又だと言われても正直実感は沸かない。けれど確かに今、彼女はしゃべっていた。
そもそも、猫又とはなんだっただろうか。剣は必死に夏場にやっていた怪談話を思い出した。山に住んでいる二本の尻尾を持つ猫だとか、飼い猫が長生きして尻尾が増えるだとか、確かそんなことを言っていた気がする。つまり海里は、飼い猫が長生きしたから猫又なのだろうか?


「で、あんたはここ最近、嫌な匂いをさせて帰ってくるんだけれど…一体何をしているんだい?」

「え?おれは…普通に学校行ってるだけだけど…」

「それだけじゃぁ、そんな匂いはつかないさ。最近変わったことが会ったんじゃないのかい?ここ半月くらいで、転校生が来ただとか仲良くする友達が増えただとか。あとはそうだねぇ、捨て猫の世話をはじめたとかっ!!私以外の猫に手を出すとはなんと不埒な行為!」

「え、ごめんなさい!!」


海里のきしゃーっという威嚇に思わず土下座してから、剣ははっと顔をあげた。心当たりならあるではないか。丁度半月ほど前から変わったことが。


「そうだ、2週間くらい前から、学校で知り合った奴が居る」

「知り合った?」

「そう、狗谷ミヤっていう…」


狗谷という名前を出した途端、海里の毛並みはぶわりと逆だった。
何かまずいことを言ってしまったらしい。剣が焦った時には既に手遅れで、海里は苛立たしげに柔らかな肉球を床にたたきつけた。ペチペチと可愛らしい音がしているものの、海里の剣幕は本気で怒った時の父親を連想させた。


「よりによって!!あの狗谷!?信じられません!!剣!いいですか、今すぐ縁を切りなさい!」

「え?なんで…どうしてですか」


思わず敬語で言い返せば、床を叩いていた肉球がばしりと剣の太ももを叩いた。


「狗谷という家の恐ろしさをあんたは知らないからそんなことが言えるのさ!まして今生きている狗谷の人間といえば、あの常磐を連れてる娘っ子!あーおぞましい!」

「ときわ?」

「そう!あの忌まわしき犬っころ!」


海里がもう一度床をペシペシしようとしたところで、ガチャリと玄関が開いた。この時間に帰ってくるということは、両親ではなく弟の方だろう。剣は海里のことをそのままにはしておけないと意味もなく両手をぱたぱたと動かした。
案の定、子供部屋の前に座り込んでいた剣の元へ、茶色いランドセルを背負った徹がやってきた。剣と海里を交互に見やると不思議そうな顔で小首を傾げ、それから海里の顎をそっとなでた。


「海里ちゃん、兄ちゃんとお話したん?」

「あぁ、そうさ。こいつがあんまり鈍いものだから…」


徹はあろうことか海里がしゃべることに驚きもせず、昔から知っていましたというふうに会話を楽しんでいる。


「最近言ってた、変な匂いの話したん?」

「狗谷っていう家があるんだけどね、あの家は代々呪術師なんだ。祓い屋は私達妖かしと手を組んで悪霊を追い払うけど、あいつら呪術師は妖かしを道具にしか思っちゃいない。その呪術師一族を束ねるのが狗谷の家ってわけさ。」


あーやだやだ。と可愛らしい手を左右に振ってみせる海里に、徹はくすっと笑った。剣はなんだか一人置いて行かれたような気持ちで二人を見つめるしかなかった。弟である徹とも海里ともずっとまえから家族であるはずなのに、どうしてか疎外感があったのだ。
そして、あの狗谷という少女がことあるごとに「ときわ」という単語を言っていたなぁと思い出しながら、どこか遠くに海里の声を聞いていた。


「何はともあれ、狗谷なんかに近づかないことだよ」








ずる。ずるる。
ずるずるずるずる、ずる。

赤黒いそれを引きずって、その妖かしは歩いていた。
妖かしが通った後には乾きかけたそれから血が滴り、目印のように地面に線を引いている。通りすがりの子どもたちが、妖かしの身体を突き抜けていった。妖かしは人間には見えない、喋れない。


『ほしい。ほしい。…おれ、ひとり。あの子、ほしい』


つぶやいた妖かしの言葉は、誰にも拾われることはなく静かに路地に消えていった。









翌週。剣はいつもどおりに登校すると、赤いランドセルを背負った見慣れた姿を発見した。狗谷だ。先日の海里の言葉が蘇って、剣は慌てて歩調を遅くした。関わってはいけない。そう言うのは海里だけではなく、海里が言うのだから従ったほうが良いと徹までもが言うのだ。
剣がそう思いながら見つめていると、くるりと狗谷が振り向いた。通学路に人は少ないとはいえ、敏感に人間の存在を察知したというのだろうか。


「おはようございます。」

「お、おっす」


狗谷は剣に小さく挨拶をすると、その場に立ち止まったまま剣を--剣の背後をじっと見つめはじめた。そして手のひらをこちらに向けて腕を伸ばすと、小さく何かつぶやいた。
途端、何か剣の後ろで空気がはじけたような衝撃があった。背中から音もなく空気に押し出されるような感覚があり、すこしだけつんのめる。
驚いて後ろを振り返るも、特に何があったわけでもない。ただ遠く後ろの方から同じ小学校の子供が歩いてくるだけだ。


「お前、何したんだ?」

「さぁ。なんでしょう」


無表情にそれだけ言った狗谷は、いつものように斜め上に向かって話しかけながら学校へと歩き始めた。



ずるずる


ふと、何かが聞こえた気がした。ゆっくりと狗谷が振り返る。
その目はこの2週間で見たことがないほどに輝いていて、まで徹がはじめて母親からお使いを言い渡された時のような顔だった。役目を与えられて喜んでいる顔だ。


「だから、言ったでしょ?私と、常磐の邪魔をしないでって。」


狗谷はまたもや剣の背後に目を向けると、ポケットを探って一枚の紙切れを取り出した。墨字のようなもので漢字とも外国語とも分からないものが書き綴られたそれを、狗谷はきゅっと握っている。


「え?だってそうでしょう。この街は私と常磐が守ると決めた場所。そこで悪事を働くんだもの、消滅させたっていいのに、今まで随分猶予をあげたじゃない。でも今日で終わり。」

「ミヤ、あまり時間をかけるな。遅刻するぞ」


いつも狗谷が見上げているあたりから、男性の低い声がした。剣がそこへ目線を投げれば、うっすらながら「何か」が居ることだけが分かった。常磐だ。意味もなくそう感じた。
ふとその名前で、狗谷に近づくなと言っていた海里の言葉が思い出され、慌てて周囲を見回した。走って学校まで行ってしまおうと思い立ったのだが、周囲はなにかオカシイ。いつもと色合いが違うのだ。古びた写真の中にいるような、昔のビデオテープを見ているような、そんな加工が視界にされているようで世界が鮮明に見えないのだ。


「なんだ…これ」

「俺が張っている結界の中だ。少年、しばし待て。結界の外にお前のお守りも来ているようだから安心しろ」

「海里が!?」


問いには応えず、狗谷はそっと手にしていた紙切れを持ち上げた。


「夜芸速(やぎはや)の 十拳剣(とつかのつるぎ) 此れ火産霊(ほむすび)と成り」


途端、目に痛いほど真っ赤な何かが視界を覆った。暗記用の赤いシートを被せたような視界は一瞬で元の古びた視界に戻り、その時には既に剣の背後で轟々と炎があがっていた。
何が起きたのか全く理解は出来なかったが、兎にも角にも狗谷がこの炎を発生させたことだけは分かった。その炎が何か剣には見えないものを焼きつくす様子をじっと見つめていると、徐々に視界は見慣れたものへと戻っていった。


「迦具土之命(かぐつちのかみ)の力を借りれるとは…なかなか恐ろしい娘っ子に育ったじゃないか。常磐、相変わらず気持ち悪い」

「海里ちゃん、あんまり怖いこと言わんといた方がええよ?一応兄ちゃんのこと、守ってくれたんやし…」


炎が消えた向こう側には、徹と徹に抱かれた海里が居た。二人とも今の様子は見えていたのか、驚いたり不思議がったりしている様子はない。


「ガキの言うとおりだ。うるさいぞ、ちびモフモフ。梔子の家の人間が大切なら、もう少しちゃんと行動しろ。あの程度の妖かしならば、お前一人で消せただろう」

「お生憎様。私は身内を斬るなんてことはしない主義なんで。剣を食べれるほど、いまの妖かしは強くなかっただろう?」

「それはミヤが時折、警告と称して霊力を吸い上げていたからだ。それがなければこんな小僧、一飲みだ」


海里とやりとりしている声がする方へ視線を戻すも、剣にはやはり何も見えない。それに気づいたらしい狗谷は、何かが居るのであろう空間で服の裾を引くようにチョイチョイと手を動かした。すると、その場に深い青色の何かが見え始め、それから白いような灰色のようなモフモフ。綺麗な緑色の瞳が認識できた時点で、そこに人が居るのだとわかった。
突如として現れた深い青色の着物を来た男性は、狗谷の頭を大切そうになでた。その様子は、なんだか剣自身が海里を撫でる時に似ていて、彼と狗谷に近づくなと言われていたことはすっかり頭から抜け落ちた。


「うるさい。呪術師ごときが祓い屋の真似事をして…」

「治安を維持しているだけ。それ以上常磐に暴言言うなら、いくら海里さんでも消し去ります」


狗谷は隣に立っていた男性----常磐と呼ばれているその人物に抱きつくと、彼の腰辺りから伸びているモフモフとした尻尾を撫でた。心地よさげに揺れる尻尾と、よくよく見てみれば常磐と呼ばれる彼の頭には、ひょこっと耳が生えている。もちろん人間のような耳、という意味ではなく、犬や狼のようなそれだ。
ふわふわと揺れるその白灰色の毛に、剣は改めて自分の目を疑った。


「え、犬?」

「はい、常磐は私に憑いている狗神です。わんこです」

「おいミヤ、俺は決して犬ころではな

「おすわり」

「わん」

「………」


剣は目の前で男性に「お座り」をさせてみせた年下の少女、狗谷ミヤを見て盛大なため息を付くとともに、厄介なことに巻き込まれてしまったのだろうということを認識した。これから先のことを見通す力などは生憎と持ち合わせていないが、それでも「面倒だ」ということだけははっきりとわかった。








終。

2014年12月2日火曜日

【仮想大江戸】番外編 閑話・桑染編

その男は当主に忠誠を誓っていた。しかしながら、それは「当主」という存在に信頼をおいているのであって、先代の当主であった風間木賊(かざまとくさ)個人に信頼を置いていたわけではない。これは恐らく、彼以外の男たちにも同じことが言えるだろう。それが、「風魔」という特殊な一族の特徴であるからだ。






【 仮想大江戸 お伽話 閑話・桑染編 】






世の中には不思議なことがいくつもある。そう思われていたのはだいぶ前の話であるが、大江戸歴が2000年を超えた今でも摩訶不思議な出来事というものは存在するはずなのだ。しかしながらそれが世に語られないのは、当事者たちが必死に隠し守っているからなのである。
その1つであるのが忍という者たちであり、風魔一族である。

男の名前は桑染一真(くわぞめかずま)と言った。風魔としての例に漏れず、真っ白な髪の毛とそれとは対照的な濃い色の瞳。そして父親である桑染家の当主から受け継いだ忍としての技術。どれもが一真の自信であり、誇りであり、これから守り続けていくべきものだ。
ただ問題があるとすれば、それは一真が「出来損ない」と呼ばれることだった。
以前、庭で雀が怪我をしているのを見つけた。それを丁寧に世話をしてやっているところを偶然にも風魔の里の者に見られ、「なぜ世話をしているのか」と問われた。それに「可哀想だと思ったからだ」と答えたところ「こいつは忍として出来損ないだ」と言われたのだ。
全くもって理解に苦しむ。自分より弱い者を守ることが忍ではないのだろうか。幼いながらに納得ができず、母親に相談した記憶もある。


「あの雀は元気にしているだろうか…」


縁側に腰掛けて空に向かってつぶやけば、どこかでカラスの鳴き声がした。「生きているわけがないだろう」と言われたような気がして、一真は眉をひそめた。

風魔の里では、成人の儀式というものが行われる。それは感情を完全に押し殺し、当主の命じるままに動けるようになることだ。故に、雀を可哀想と感じた一真は風魔としては出来損ないである。里の者達はそう言った。
暦が冬に変わり息が白くなりはじめた夕暮れは、やはりさむい。成人の儀式を終えているとはいえども、一真もまだ15になる子供だ。風邪をひくことはないだろうが、身体を万全に整えておくことも任務のうちである。


「一真、居るか?」


庭先からした声に顔を向ければ、見慣れた白髪が居た。その白髪の中には一房だけ緑色の髪の毛が混じっている。当主の息子であり、謀反を起こした先代を始末し次代の当主として認められつつある少年。桑染の一家が全力で守るべき対象であり、そしてなにより、一真にとって彼は幼なじみでもある。


「若様、どうなされたのです?」

「やめろ気持ち悪い。俺が当主になったとしても、別に幼馴染であることに変わりはないだろう。」

「変わるでしょう、周りがお前を見る目が。」


彼の名前をいちいち脳内に呼び起こすまでもなく、一真の中に「風間常磐」という人間は色濃く存在している。それこそ、いつぞや手習いの本で読んだ、赤い魚の中に一匹混じった黒い魚と同じほどの存在感だ。


「それで、わざわざ何用で?自宅からは随分遠いだろうに」

「千歳と朽葉の墓参りだ」

「あぁ…お兄さんたちのか」


常磐とは歳の離れた兄たちは、彼の母親と同じ頃に流行病で亡くなった。常磐はまだ幼く兄たちの記憶はおぼろげであるようだが、一真は少しだけ覚えていることがある。


「ちゃんとお団子は用意したみたいだな」


兄である千歳も朽葉も団子とまんじゅうが好きなのだ。常磐はさほど甘味に興味はないようだったが、墓参りの度に美味しいと評判の店を探しては新しい団子を備えているようだ。そして今日もまた包を持っており、これから墓参りに行くのだろう。せかっくだから自分も着いて行こうかと一真が立ち上がりかけると、常磐はそれを手で制した。


「いや、墓参りは済ませた。この包は土産だ」

「土産…?家のものにか?」


確かに当主として忍として実力がある常磐だが、それでも普通の人間としての能力はとんでもなく低い…どころの騒ぎではなく、一真が知るところでは自転車に乗るのに年齢制限は無い、といった一般常識が欠落しているレベルだ。
以前二人で任務で市街地へ出た際には、走りゆく車を見てはあれが良いだのこれが良いだのと楽しげに笑っていたのも記憶に新しい。一真の場合は元より世間に紛れ込むような任務を得意とする一家であったため、もちろん車やら世情にも明るい。そうでなくとも、普通に里で暮らしている者たちよりも、常磐は圧倒的に欠けているはずなのだ。
その常磐が土産を持っているなど。明日は雨が降るだろうか。もしからしたら槍が土砂降りになるかもしれない。一真が屋根瓦の心配をしていると、その顔を何と受け取ったのか常磐は照れくさそうに笑った。


「今夜から、夜子が屋敷に来るのでな。」

「は?……夜子って………あの紅一族の末裔が風魔の里に…?お前、何考えてるんだ…?」

「あわよくば今夜は

「やっぱり言わなくて良い!!」


一真は危うく聞いてしまいそうになった内容を予測して頬を染めると、慌てて冷静な顔を取り繕った。
紅、という家は、たとえ音楽や芸事に精通していなくとも名前を知っているほど、この国の音楽に大きな影響を与えている女系家族だ。その家の末裔に、常磐が熱を上げている。という噂は耳にしていたものの、政治的な意味合いが強いとばかり思っていた。


「その…和菓子は茶請けにするのか?」

「あぁ、あいつは和菓子が好きだからな。特にこの店の猫まんじゅうは好んで食べるらしい」


わざわざ幼い少女のために和菓子を買いに行ったと言うのだろうか。風魔の当主が、女のために?一真は混乱で回りづらい舌をどうにか動かし、常磐に視線を向けた。


「で、夜ってことは当然食事をして帰るんだよな?」

「今回は泊まりだ」

「……ちゃんと別の部屋だろうな…?」

「何故部屋を分ける必要が有るんだ?」


心の底からキョトンという顔をしてみせた常磐に、一真は全身の力がぐったりと抜けていくのを感じた。だめだコイツ、早くどうにかしないと。
一般常識に欠けている、ということを踏まえてもだ。婚前の男女が同じ部屋で寝るというのはまずいのではないだろうか。まして彼は風魔の当主だ。弱みになりうるものは全て排除しなくてはならない。これは桑染の家がどうにか正してやらねばならぬことだ。もし、その赤鬼と呼ばれる紅の末裔が常磐のものになったとしても、当主の妻たるもの子供も残さぬうちに死なれては困る。つまりそこそこ強くなくては認められないのだ。
一真は相変わらず世間を変なレンズ越しに見ている常磐に言い放った。


「その赤鬼が来たら、私にも会わせてくれ」

「ウチに何の用ッスか?」

「うわぁ!?」


両肩に、ポン。と何かが乗ったのが分かった。


「夜子、来ていたのか。随分と早かったな、まだ日暮れ前だぞ」

「夕方からのお仕事がドタキャンになったの。メール入れておいたんだけど、見てない?」

「すまない、受信されてないみたいだな」


あっれーまじか。それは辛いー。風魔の里って電波悪いの?
と、口でプンスカという擬音を言いながら、その何かは一真の上から退いた。背後に移動した気配を追いかけて目を向ければ、そこには綺麗な赤黒い髪の毛を部分的に結い上げた、和服姿の少女が立っていた。背中には黒いケースを背負っており、何か楽器が入っているのだろうことが分かる。跳ねまわったために落ち着かない髪の毛を撫でる手は、楽器の演奏のせいか同じ年頃の娘よりも少し節が太いように見える。
可憐な少女の手というよりも、働く女性の手といった感じだ。あずき色の着物の上には灰色の羽織を着ており、その羽織には小さく品よく、銀糸で家紋が刺繍されている。髪飾りには鳥の飾りが着いており、赤毛によく映える金色は、さながら夕焼けを舞い踊るトンビのようでもある。
その背格好と家紋を見て、一真は瞬時に気づいてしまった。この少女こそが紅一族の末裔である赤鬼に間違いない。


「で、常磐、この御方は?」

「彼が桑染一真、代々当主の補佐を務めている一族だ。」

「はじめまして、私、紅夜子と申します。どうぞ、お見知り置きを」


丁寧にお辞儀してみせた少女は、どこか常磐の母を思わせるような妖艶さがあった。見たところ自分や常磐よりも少し年下のようだが、その年齢でそのゆったりとした所作が出来るものなのかと疑いの視線を向けたくなる。
一真もどうにか自己紹介をすると、お辞儀を返した。

圧倒された。その場に居るだけだというのに、存在感が大きいのだ。初めて常磐に会った時と同じような、頭が上がらないという動物的な本能を感じてしまう。


「いかがですか、ご当主の補佐殿。あたくしは…お眼鏡にかないまして?」


女豹か、女郎蜘蛛か。捕食される側はこんなにも怖いのかと、一真は生唾をのみこんだ。


「夜子、あまり一真を虐めてやるな」

「え~、いじめてるつもり無いもん」


常磐に肩を叩かれた途端に和らいだ空気に、一真は大きく息を吸った。どうやら無意識に呼吸が浅く小さくなっていたらしい。このような少女相手に悔しいと思うが、それと同時に、これならば常磐に相応しい。そう感じた。


「ほら、あまりこいつの休日を潰すのも申し訳ない。行くぞ」

「いつも潰しにきている常磐には言われたくないな。ほら、さっさと行った。一族の未来はお前にかかってるんだからな」


そう言えば、常磐も何を言われたのか察したらしく、赤鬼と呼ばれる少女の手を柔らかく握ると自宅の方へと歩き出した。

今、先代風魔の残した事件のために、江戸も風魔の里も落ち着きが無い。これから動乱の時期を迎えるのは確かであると、一真は考えている。そしてその中で、ごく少数であるこの一族が生き残っていくためには、当主となる常磐の働きが重要になるだろう。
さらに言うのであれば、彼の働きには一真たち風魔に属する人間の働きが直結しているし、何よりもあの赤鬼が影響しているだろう。一時は感情を完全に失っていたように見えた常磐が、ああして一人の少女を大切そうに扱っているのだ。赤鬼の影響力は計り知れない。
もしかしたらこの先風魔の未来を変えるのは、常磐一人ではなくあの二人になるのかもしれない。一真はどこかホクホクと温かい気持ちと、常磐に対する滅びればいいのにという相反する気持ちを抱えて自室へと引き上げた。
外では雀が大空へと飛び立ったところであった。





終。